正義ファイル7:善心
――痛みと共に、俺は目を覚ます。
「 」
無意識に、何かを呟く。自分でも何を言ったのかわからない。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も見ている現実。俺の忘れられない過去の記憶。忘れてはならない過去の記憶。
体中が冷や汗で気持ち悪かった。時計を見ると、まだ朝方の四時。時間はある。風呂に入ることにしよう。
服を脱ぎ、上半身裸になったところで、こんな時間にも関わらず、部屋を訪ねてくる奴がいた。どうせ雪だろうと放っておいたのだが、入ってこようとしない。つまり雪ではないということか。ならば誰だ。
シャツを着ながら、俺は玄関の方へと向かい、扉を開ける。
そこにいたのは、赤髪でオッドアイの青年。高身長なため、俺は彼を見上げるような形になっている。絶正指定の軍服を、着ていない。どこかで見たような顔立ち。手には鞘から抜かれた剣が握られていた。
彼は剣を持つ腕を上げ、俺の頭上から振り下ろした。明らかなる殺気を感じる。ギリギリのところでかわすと、部屋の中へと駆け込む。武器を持たずに戦える相手ではないという、咄嗟の判断だ。釵爵は壁に立て掛けてあったはずだ。片方だけ掴み、鞘から抜くと、俺は奴の方へ刃先を向ける。躊躇わず部屋の中へ入ってきている奴は、気だるそうな表情で俺を見た。
「貴様、目的を吐け」
俺はそう問う。
藤川水蓮は答えた。
「柳祇様からの命令。壊せと、言われたから」
「やな、ぎ……?」
聞き覚えのあるその名前に、困惑する。柳祇、酒良柳祇。俺と雪、そして柳祇は幼馴染だ。そいつからの、命令? つまりなんだ、まさか、柳祇が悪炎雨に関係しているというのか? 命令という言葉から察するに、そう低くはない位置に?
水蓮は剣を放り投げた。俺の足元に、重い音を立てて落ちる。
「くくっ、あははっ。はぁあ、柳祇様の言う通りだ。九間瀬真輝くん、ね」
突然、笑い出す水蓮にどうしていいか分からずに、俺は立ち尽くした。彼は向けている刃に恐怖の色一つ見せず、おそらくいつも通り話し続ける。
「いいや、今日のところは退散するよ。させていただきます――けど、ただで帰っちゃ、つまらない」
水蓮は腰に手を当てる。何かを手に取り、その刹那、発泡。こいつ、銃を隠し持っていやがった。
俺は頭をめがけて打たれた銃弾を、首を傾げる動作で回避する。
「……避けちゃうか。そっか、避けることくらい可能か。不意打ちに瞬時に反応できるその反射神経、褒めてあげるよ。羨ましいくらいだ。それに加えて、本調子じゃないんだろ?」
「はぁ? 貴様、何を言っていやがる。さっきからわけのわからないことを――」
言いながら、俺は水蓮の首もと目掛けて、刀を振った。水蓮は銃で、俺の剣を受け流す。だが、髪を霞め、少しだけ切れる。それ以外にダメージは与えられていない。勢いのついたままの釵爵を、そのまま横に振った。これも、水蓮にダメージを与えることなく、ズボンを少しだけ割く程度だ。
舌打ちをする。
「あーもう。逃げるって言ってるじゃん。これ以上危害を加えるつもりはない、今回はだけれど。だから、黙って逃がしてよ」
「させるかッ」
水蓮はしゃがみ、さっき放り投げた剣を取った。銃をしまい、剣を振るう。金属音が廊下に響いた。しばらく鍔迫り合いを続けていると、音で目が覚めたのか、雪が出てきた。
「うっわあー、朝っぱらからなにやってんの。こんな時間から剣の練習だなんて、尊敬するわ。馬鹿なの。俺超びっくり。いやあ、二人共お疲れーって、そういうわけじゃ、なさそうだね」
初めは巫山戯ているようだったが、そういうわけではなさそうだ。口は笑っているが、目は笑っていない。お前も相変わらずのようで何よりだ。雪は灰色のスウェット姿だったが、それでも幾つかの爆弾は体に仕込んでいるのだろう。
水蓮は一旦後ろに退き、俺と雪を睨みつける。
「はッ、俺も馬鹿やっちゃったなぁ。この時間帯なら殺せるかもとか、思っちゃったりして。逃げるにも逃げられないし。相当な手練? 柳祇様の言った通りと言えばその通りなんだけど、あーあ、やんなっちゃう」
棒読みだ。感情のない、抑揚のない、水蓮の口調。それが、さらに俺をイラつかせる。
開いた間合いを、詰める。水蓮は今、ここで、殺しておかなければならないような気がした。ただ、拳銃を持っているということが、俺を慎重にさせる。避けることは容易いが、いつ出してくるのかわからないものには、身長にならざるを得ない。
雪はその状況を黙って見ていたが、不意に、ぱんっ、と手を打った。
「よし。俺は眠いし寝る。その悪炎雨の子は逃げる。真輝は知らん。これで一件落着っ」
「てめえ、雪。何言ってやがる」
「だってそうでしょ? 別にいいじゃん、今回くらい。ほら、よーく考えてみてよ。そいつはよりにもよってこの秘密武隊の武隊棟に侵入しちゃってる。殺したらその事実を、上に報告しなければならない。悪炎雨をぶっ殺しても、絶正内に侵入させてたことが知られちゃ、元も子もない。真輝の株も落ちるし、まあ、色々と大変なことになるよ?」
「…………ッ!」
雪の言葉にはっとする。その通りだ。なぜその考えに及ばなかったのか不思議なくらい、単純なことだ。馬鹿か俺は……。
逃がす、か。つまり、この事実を隠蔽するということ。俺は少し考える。この状況の最善策は何か。どちらを選ぶことが、善なのか。
「――わかった。逃げればいい。雪の言う通りだ。今回は、見逃そう」
内心、全くわかっていなかったが。不満だらけだったが。
水蓮は何も言わず、俺達の前から逃げた。
「真輝ー、損な怒んなって。仕方のないことだってあるじゃん。俺やだもん、怒られるの」
「それでも、正義に反することなど、俺はしたくなかった。確かに、あいつを逃せば、解決するのだろうが、それでも、惜しい」
ぐっと唇を噛む。
「んな不貞腐れるなっての! 俺困るから! 真輝が怒ると俺めっちゃ困るから!」
そんなに怒っているつもりはないのだが。眉間に皺が寄っているのはいつものことだし、目つきが悪いのも生まれつきだ。
まあいい。
「雪、ついでだ。俺に付き合え」
「は? 何、薮からステッキに」
「…………。……、特攻の任務だ。俺が代わりに全部請け負った。とある施設を全壊させて欲しいんだが、お前ならできるだろう?」
雪が馬鹿なのはいつものことだ。無視に限る。要件を続けると、雪は黙り込んだ。また何かしようとしているのかと、半ば呆れながら後ろを振り返ると、きょとんとした表情で立ち止まっている。目も口も開かれていて、とんでもない阿呆面だ。思わず、笑ってしまう。
「鼻で笑うな! 馬鹿にするな! つーか、あのなあ! 今笑われるべきはお前だからなッ? 誰が溜まりに溜まっている特攻武隊の任務を全部貰ってくるのッ? 馬鹿? 何、真輝は馬鹿なの? 素でやってるの? 天然? は? ふざけんな馬鹿!」
「…………は?」
「何、俺を馬鹿にしたような目で見てるんだよ! いや、手伝うよ? もちろん、そんな任務を受けてきちゃった馬鹿な真輝には手を貸すよ? でも言わせてくれる? お前馬鹿? 本当に馬鹿? 何がしたいの、うわあ、すっげぇ、マジこれ天然記念物。この絶正内でこんなに純粋に、教えられた通りの正義を貫いてるとかマジかよ。いや、知ってたけど? 知ってましたよ。真輝くんマジ純粋って思いながら見てたよ。けどここまで? こんなに? やべぇ、俺真輝のこと娶ってもいいくらいに惚れたわ」
「気持ちわりぃ」
雪が俺の目をじっと見ながら、真顔で気持ち悪いことを言うので、俺は反射的に思ったことをそのまま返した。こんな奴になら、この程度の暴言を吐いてもいいだろう。距離はまあ、そこそこにとっているが、近くに居たくないくらいには引いた。娶るとか、本当に気持ち悪い。そもそも俺は男だろうが。女であったところで、雪には絶対に娶られたくはないが。
しばらく妙な沈黙が続いたが、俺は自室に無言で戻った。
手に持っていた釵爵を、元あった場所に立てかける。水蓮のことが頭を過ぎるが、過ぎてしまったことを悔やんでも意味はないと振り払う。後悔などなんの意味も持たない。過去のことに囚われている必要はないのだ。
さて、と意味もなく呟く。遅くなってしまったが、風呂に入ろう。
服を脱ぎ、ピアスを取って風呂場に入る。目が痛くなる程に真っ白な風呂場。シャワーで体中を流し、湯を張っておいた浴槽に入る。温度は少し熱めだ。
数分浸かっていると暑くなってきたので、湯を抜き、風呂場を出たすぐのところに置いてある黒のバスタオルで体を拭く。雪のように腰にタオルを巻くという、ほぼ全裸状態で部屋を歩く趣味はないので、その場で新しい服に着替えた。下着やシャツ、ズボン等は粗方、ここに置いている。
なかなか乾かない髪を拭きながら、俺は洗面所へ向かう。ドライヤーを使って乾かしたほうが早い。無心で髪を乾かし、くしで乱れた髪を整えた。そしてピアスを付ける。片方、左側のみ。もう片方は――。
【登場人物】
名前:絶世紅
コードネーム:絶紅
所属武隊:暗殺部隊 No.拾参
年齢:19歳
誕生日:12月13日
身長:167cm
体重:52kg
武器:糸遣い 蘿棘
鎌遣い 虔棘
好き:日本酒 犬 骨
嫌い:面倒くさいモノ