第9話:それで、お前はどうするんだ。これから
「広い」
想像以上に広い地下室にアリスは思わず口に出した。
「まぁ生活していく上で不憫なことは無いですね。シャワーもありますし。どうぞその辺にお掛け下さい」
アリスはネスティの言葉に甘えてソファにそっと座った。
「肝心な話を聞いてないんだけど。一体ICチップのパスワードって何なの?」
相変わらずヘビースモーカーの佐久間を見つめ、アリスは思いのほか真剣な眼差しで問う。
「おめぇが見たパスワードはフィンデル銀行の金庫を開けるパスワードだ」
アリスは佐久間の意外な言葉に大きく目を見開いた。
「フィンデル銀行!?……確かに名前は有名だけど、お宝なんてありはしないじゃない。死神の佐久間と恐れられたあんたが、銀行強盗でもするつもり?」
「まさか、俺が狙ってるのはブルーダイヤさ」
佐久間はにやりと笑うと、ネクタイを緩める。
ブルーダイヤ、通称ホープダイヤモンド。それはかつて呪われたダイヤモンドと歌われたルイ14世のコレクション。その手の話に詳しくないアリスですら聞いた事のある品物だった。
「ちょっと待って、ホープダイヤは確かスミソニアン博物館に展示されているはず……」
「レプリカに決まってんだろ、本物はフィンデル銀行の檻の中さ」
「その檻を開けるパスワードがICチップの中身と言うわけです」
ネスティはアリスを見て、にっこりと笑った。
アリスは目を丸くしたが、暫くして状況が飲み込めたとばかりに微笑んだ。
「つまり、このICチップ自体には意味がないってことね。このチップの数字に意味があると……そういうことでしょ?」
「まぁそうなりますね。実際ICチップで金庫が開くわけじゃありませんから」
「そう……」
「さぁ、嬢ちゃん。こっちは何もかもバラしたんだ。いい加減、その殺したい程憎い奴の名前ぐらい教えてくれてもいいんじゃねぇか」
佐久間は癖のある笑い方でアリスに問いかける。アリスは何かを諦めたかのように、静かに話し始めた。
「信じられないかも知れないけど、私、そこそこの家柄だったの。それなりに財もあって、何不自由ない生活を送ってた」
アリスはICチップを手のひらで遊ぶようにして転がす。佐久間もネスティも黙って彼女の話を聞き入る。
「でも私が8歳の時、ある男たちが財宝を狙って襲撃して来たの。目の前で両親を殺されて、幼い私は何もできなかった」
アリスは泣きそうになる自分を叱咤し、気丈に振舞う。
「その場から奇跡的に逃げ出せた私は、死に物狂いで男の正体を探ったわ。でも結局分かったのは、男の名前がBBっていうことと、腕に黒トカゲの刺青があったことくらい」
「BB……アイツのやりそうなこったなぁ。反吐が出る」
「佐久間、BBを知ってるの?」
「知ってるも、何も。俺らが敵にする相手、つまり盗み出す相手だからな」
「……! BBがホープダイヤを持っているってこと?」
「厳密に言うと、ホープダイヤの持ち主の手下だな」
「じゃああの噂はデマだったのね……」
アリスが聞いた話ではBBがホープダイヤを狙っているとの事だったのだ。
「まぁどっちにしても、BBとホープダイヤが綿密に絡み合ってることは確かだな」
佐久間はそう言って笑みを浮かべた。
多少の誤算はあったとしても、やっと奴らとの接点ができた。アリスはそう思うと、震えるように心から湧き出でる憎しみをゆっくりと噛みしめた。
「それで、お前はどうするんだ。これから」
「私は……」
―――BBを許すことはできない、必ず私の手で―――
アリスは大きく息を吸うと、ICチップを思い切り足で踏み潰した。佐久間とネスティに驚きの表情が映る。アリスは一か八かの勝負に出たのだ。心臓はどんどんと速まって行くのに、やけに冷静な頭が矛盾を生み出していた。
「ねぇ、取り引きしない?」
先程までの今にも泣きそうな表情から、うって変わったアリスの表情は驚くほど大人びていた。その憂いを含んだ女の表情に二人は思わず息を飲む。
「パスワードを知っているのはこの中で、私だけよ……あなたたちがホープダイヤを手に入れるには私が必要、そうでしょ?」
「つまり俺らと手を組むってことかい? 嬢ちゃん」
佐久間は髭を2、3回撫でると、アリスを睨み付けた。佐久間の存在感に圧倒されそうになったアリスは、負けじと佐久間を見据えた。
「そうよ」