第29話:そりゃあ光栄だ
「上等だ」
佐久間は口元を歪ませ、小さく笑った。
「佐久間ちゃん、準備OKよ」
トーイの気の抜けた声が辺りに響くと。何かが弾けた様な、高い音が続いてアリスの耳に入った。
その音と共に、佐久間の姿が一瞬で見えなくなる。アリスがそれを辺り一面に広がる白い煙のせいだと気付いたときには、視界が急激に悪くなり、1メートル先でさえ状況が掴めなかった。
「何この煙……」
状況が掴めないアリスはその場に立ちつくす。しかし、何にせよ、好都合だ。この煙にまぎれて佐久間達と逃げてしまえばいい。アリスはそう思い、手探りで歩き始めようとした。
「さぁ来い」
アリスが一歩踏み出した時、何者かに腕を引かれた。どうか佐久間達でありますように。アリスは懇願するようにゆっくりとその姿を確認した。
「何であんたなのよ! 離して! ……佐久間達に何かしたら許さないんだから」
アリスがその目で見たのは、銀色の長い髪を靡かせこちらを冷めた目で見ているルドルフだった。ルドルフはにやりと笑うと、回りにいる部下たちに命令をした。
「金庫を隈無く探すんだ。あいつらを殺せ」
「ちょっと、約束が違うじゃない!」
騒ぐアリスにルドルフはため息を付くと、何も言わずにただアリスの腕を引く力を強めた。アリスはそのルドルフの姿にデジャヴのようなものを感じた。だが、その感覚も泡のようにすぐに消え去ってしまう。
ルドルフは付いてくる部下を制し、二人だけ付いてくるように言うと、残りの部下たちは金庫へと向かわせた。
アリスは前を走るルドルフを息を切らしながら睨み付ける。ルドルフはちらりとこちらを見ると何事も無かったかのようにまた走り出す。今頃、佐久間達はどうしているのか、アリスは無事である事だけを考え走り続けた。いや、無事なのは分かっていた。佐久間もネスティ達も、腕は一流だ。足手まといなのはアリスの方だったのだから。
もう二度と会えないのかもしれない。アリスの胸にそんな不安がよぎる。
それから辿り着いた先は屋上だった。そこには、これから乗り込むであろうヘリコプターが2台。アリスはいよいよ逃げられなくなった今の現状に深くため息をついた。
空には満天の星が輝いている。いつもなら綺麗に見える星たちも、今日は知らんぷりを決めこみ、ただ冷ややかにこちらを見つめていた。
「乗れ」
ルドルフは冷淡にアリスを見つめる。アリスは一瞬躊躇ったが、開き直ったかのように唸りを上げるヘリコプターに乗り込んだ。アリスに続いてルドルフ、そしてその部下の二人が乗り込む。回転翼がバラバラと音をたてながら、機体を少しずつ浮かせていた。
「そんなにあの男が大事か」
アリスはふいにかけられた言葉に思わずルドルフを見上げた。ルドルフは紫煙を浮かばせながら、アリスを真っ直ぐに見つめている。懐かしい甘い煙草の香りがアリスの心を刺激する。ルドルフが吸っていたタバコは、佐久間愛用のペルマルだった。アリスは頭に佐久間の顔を思い浮かばせた。
「大事よ!」
「そんなに好きか」
「好きよ! 悪い!?」
ルドルフは少し驚いたような顔をして、アリスを見つめた。
「佐久間じゃなきゃ嫌なのよ……、佐久間じゃなきゃ……」
アリスは、呪文を唱えるように呟くと、まるで駄々を捏ねる子供のように、叫び声をあげ泣いた。ルドルフの部下が不審な目でアリスを見ようと、アリスには関係無かった。
「そりゃあ光栄だ」
ルドルフはそう言うと、口元を押さえ意味深な笑みを浮かべた。アリスがルドルフの言った言葉の意味を理解できずにいると、ルドルフはアリスを強引に引き寄せる。
その時確かに、二人の唇は触れあった。