第22話:佐久間、ごめん
アリスはゆっくりと歌い始めた。曲はアヴェ・マリア。透き通るような声。アリスの歌声は、会場の招待客の耳に入り込み、心ごと揺さぶる。マイクを使わないでも、隅々まで轟く音量は流石と言った所だ。
アリスは両手を大きく広げ、まるで何かを掴むかのような仕草をする。幼いときの暗い過去とも今日でお別れをしなくてはいけない。蹴りを着けるのはあくまで自分自身でだ。アリスの歌声を聞く観客達は、息をするのを忘れてしまったかのように、アリスに魅入っていた。
彼女が歌い終わった時、会場に割れんばかりの拍手が起こった。BBでさえ、必死に拍手をしている。
「BB様、お気に召しましたでしょうか」
アリスはゆっくりとステージから降り、BBの元へと歩み寄る。BBは白髪を振り乱しアリスの腕を引いた。
「素晴らしい! カジノで会ったと言ったね? すまんが、名前を教えてはもらえんか」
「マリアと申します」
アリスは息を整え、そう答えた。マリアとは……アリスの母、BBが屈辱を与え殺した女の名前だった。
アリスはBBの反応を確かめるかのように、微笑んだ。
「マリア……そうか、今度こそ忘れないようにしないとな」
BBはアリスを真っ直ぐに見据え、動揺一つせずに言い放った。
「マリア、あなたの歌声はまるで天使の囁きだ」
隣にいたルドルフがアリスを見て、微笑む。アリスは妙な違和感を感じていた。本当に、この紳士を絵に描いたような男が、卑劣で傲慢と言われる国際ダイヤモンド機構のトップなのだろうか。
「ありがとうございます」
ルドルフに対して一礼をしたアリス。
ルドルフに対する違和感は今は問題ではない。一刻も早くキュリティカードを奪わなくては……。アリスはルドルフから視線を逸らし、BBを捉えた。
「ねぇBB様、二人きりで話しませんこと?」
「いいだろう」
アリスの誘いにBBは妖しく微笑んだ。
「アリス……アリス、おい、何考えてやがる。勝手な行動は……!」
「佐久間、ごめん」
無線から焦ったような佐久間の声がアリスの耳に響いた。アリスは、深呼吸をすると無線の電源をそっと切った。
「おい、アリス!アリス!」
「佐久間どうしたんです、一体? アリスの声が急に聞こえなくなりましたが……」
「あいつ無線の電源を切りやがった。くそっ」
アリスが無線を切った後、佐久間はすぐにアリスの後を追った。しかし、もうすでにアリスはBBとともに会場を出ていた。こんなに多くの客がいる会場だ。人一人探すのだって至難の業だろう。
ネスティの耳に佐久間の舌内の音が空しく響く。
「どこまでも手の掛かる嬢ちゃんだ」
もっともな佐久間の言葉にネスティは苦笑をした。