第20話:な、なんでもないわよ……
「そう膨れちゃあ可愛い可愛いアリスちゃんの顔が台無しよ?」
トーイはいまいち納得のいかないアリスを宥めるように言った。
「佐久間には可愛くないって言われたけど?」
「佐久間ちゃんは好きな奴ほどいじめたくなる究極のS思考だから」
「あら、そうなの? 佐久間」
アリスはいつの間にかブラックスーツに着替えた佐久間を、けろっとした顔で見つめた。
「無駄愚痴叩いてねぇで、さっさと支度しろ」
佐久間は呆れたように言い放つと、無愛想な態度で新聞を読み始めた。相変わらず手には愛用のペルマルを持ち、紫煙を立ち上がらせている。
自然に整えられたあご髭、面長の輪郭にはバランスよくパーツが並べられている。長身な身体にブラックスーツがやけに似合う。この男に泣かされた女はどのくらい居るのだろうか。アリスはそんな事を考えて、少しばかり眩暈を感じた。
「なんだ、さっきから」
佐久間はじっと見つめるアリスをじろりと睨むと、咥え煙草で言い放つ。佐久間に見惚れていたアリスは途端に目を泳がせる。
「な、なんでもないわよ……」
「佐久間! いるんですか!」
アリスが佐久間から目を離した瞬間、ネスティの声とドアを叩く音が部屋に響いた。
「ネスちゃんご登場〜」
トーイは、おどけてそう言うと、軽やかにドアを開けた。
「おはようございます。皆揃ってますね」
ネスティは部屋を見渡し、爽やかな笑みを浮かべる。
「そろそろ行っちゃう?」
「ええ、そろそろホテルを発ちます。準備はいいですか?」
いよいよという緊張感がアリスを包み、無意識にアリスの手は震えた。
「やっと決着をつけられるのね……」
アリスは急に真剣な顔になり、呟く。佐久間はそんなアリスを見て、大きく頷いた。
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「本日は当社フィンデル銀行設立100周年記念パーティに参加頂き、誠に……」
大きなシャンデリアが飾られた会場では、華やかな衣装を見に纏った紳士淑女たちが、グラスを持ち乾杯の時を待つ。
あれからそれぞれ支度をした4人は、フィンデル銀行の3階であるパーティ会場に潜入していた。空もオレンジ色に染まっている只今の時刻は午後6時。
「準備はいいですか、アリス」
イヤホンから入ってきたネスティの声をアリスは、注意深く聞いた。
「ええ、OKよ」
アリスは300メートル程前にいるネスティを見て頷く。パーティ会場に潜入した4人は、それぞれ変装をしていた。佐久間とトーイは警備員、アリスとネスティは招待客に紛れていた。
「アリス、今挨拶をしているのが組織のナンバー2のBBです」
アリスは目の前で乾杯の音頭をとる男を見据えた。忘れもしないあの顔が、今、目の前でのうのうと喋っている。白髪に浅黒い肌。顔には何十年分かの皺が刻まれている。品と言う言葉など微塵も感じられない、横柄な態度。ギラギラと滾らす視線はいやらしく、あの日の光景を呼び起こさせる。
「BB……」
アリスは吐き気がするほどの嫌悪感を覚えた。8年前母を、そして父を殺した張本人だ。アリスは今にも銃のトリガーを引いてしまいそうな自分を抑えるように、一気にワインを飲み干した。
「……ス、アリス」
「ああ、ごめんなさい」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。BBからカードを盗めばいいのよね?」
「ええ、そうです。盗んだ後は、生かすも殺すもアリスの自由です」
小型の無線機を通して聞こえるネスティの声はいつもと変わらなく落ち着いている。アリスは大きく息を吸い、乱れた呼吸を精一杯整えた。