第2話:どなた?
オレンジ色に染まる街のバーに轟く美しい歌声。その歌声を聞いた誰もが、彼女の虜になっていた。曲が終わりを告げるとともに、与えられる拍手はもちろん、金色の髪を靡かせる彼女のものだ。
「今日もいい声だなぁ」
「こんな辺鄙な場所で埋もれてるのが勿体ねぇな」
しゃがれた声の男たちがアリスの美声を称える。アリスはそんな男たちに、にっこりと微笑みを返した。
「アリス、今日こそデートしてくれるだろ?」
ジントニックを飲み干した男が、物欲しそうにアリスに詰め寄る。
「遠慮しとくわ。また今度ね」
アリスは苦笑いをすると、適当に返事をしてやり過ごす。やがてしつこい男も諦めて渋々と帰って行った。
アリスは昨夜の出来事を思い出し、小さくため息をついた。
頭に浮かぶのは髭面の男。殺そうと思えば殺せた筈である。なのに、昨夜、アリスを狙っていた髭面の男は、アリスを撃たなかった。腕が悪いとは、どうしても思えない。では、なぜ撃たなかったのか。アリスは男の不可解な行動に疑問を感じていた。
どちらにしても、もう会うことはないだろう。昨夜はトレードマークの金色の髪をすっぽりと隠し、汚れた布に身を委ねていた。アリスの陶器のように白い肌や、その可憐に美しい顔も布に隠れて見ることはできなかったはずだ。今のアリスを昨日の怪盗と思う者は誰もいない。
「昨日はどうも」
―――はずだったのだ。咄嗟にかけたれた言葉にアリスの心臓は跳ね上がった。そして、声の主を確認するとそれ以上にアリスの心臓は、鼓動を早めるのであった。
「どなた?」
目の前に現れた髭面の男は、昨日の男に違いなかった。アリスは平然を装い、男を見つめる。
「話でもしねぇか、歌姫さん」
男の口元が軽く弧を描く。男の独特のオーラに、アリスは思わず息を呑んだ。男の存在感は、見るものを魅了し、どこまでも深い闇に陥れる。そんな不思議なオーラにアリスは圧倒されていた。
危険なことは分かっている。しかし、アリスは何だか無性に目の前の男に好奇心を擽られていた。
「いいわ」
*****
アリスは男の導くまま、酒場を出ると、太陽の光さえ遮る暗い路地裏に辿り着いた。何とも言えない異臭にアリスは顔を歪める
「で、話って何?」
「ICチップを渡してもらおうか」
男の口元が歪む。
「何のことだか、さっぱり。人違いじゃ……」
アリスが言い切る寸前、いきなり壁に押し付けられた。男はアリスに抵抗する余地も与えず真っ直ぐにアリスの目を捕らえた。
アリスの肩の上で切られた金色の髪が、風に揺ぐ。
「昨日は上手く化けたなぁ、歌姫さんよ」
頬にあたるあご髭の感触。男の息使いまで聞こえるほど近い距離。アリスは男の存在感に圧倒されつつあった。
男は全てを見透かしているような顔でアリスを見つめた。しかし、肝心な目は帽子の鍔で隠されており、男の真意を察することができない。
呆然とするアリスを、男は鼻で笑った。