5 同じ夜、重なる呼吸
しずくの部屋は、やさしい色に包まれていた。
白い壁に、淡い水色のカーテン。 ベッドの上には丸いクッションと、小さなぬいぐるみが並んでいる。 机には楽譜と、丁寧に揃えられた文房具。
「‥‥‥本当に、しずくちゃんの部屋って感じだね」
赤井ソラは、少し声を潜めて言った。
「そ、そうかな‥‥‥」
しずくは照れたように視線を逸らす。
画面越しであれば、何時間でも言葉を交わせた。 けれど今は、同じ空間で、同じ夜を過ごしている。 その事実が、どうしても言葉を慎重にさせていた。
「‥‥‥一緒に寝るんだよね」
「うん。ベッド、ひとつしかなくて‥‥‥ごめんね」
「大丈夫。修学旅行みたいなものだし」
そう言って笑うソラも、どこか緊張しているように見えた。
二人は並んで、そっとベッドに腰を下ろし、布団の中へと滑り込む。
不意に、肩が軽く触れた。
(‥‥‥近い)
しずくは無意識に、乱れそうになる呼吸を整えた。
それは、『水瀬しずく』の胸の奥にいるもう一人の自分への言葉。
(私は‥‥‥女の子)
何度も、自分に言い聞かせてきた言葉だ。
この体で生まれ、この声で育ち、十四年間を当たり前のように「女の子」として生きてきた。 それでも、こうして静かな夜を迎え、誰かと同じベッドに横たわると。 前世――“男だった記憶”が、意識の底から静かに浮かび上がる。
(変な意味は、ない)
彼女は、かけがえのない友人。 それだけだ。
だからこそ、この距離も、触れ方も、すべてを大切に扱わなければならない。 しずくは祈るように、布団の端をそっと握りしめた。
「‥‥‥しずくちゃん?」
ソラの声が、すぐ隣から声が聞こえる。
「な、に?」
「ちょっと、緊張してる?」
一瞬、胸が跳ねた。 けれど、しずくは嘘をつかずに答える。
「‥‥‥少しだけ」
「私もだよ」
ソラは小さく息を吐き出した。
「さっきまで、何でも言えたのに。‥‥‥なんだか変だね」
「うん。でも‥‥‥嫌じゃないよ」
「うん」
その返事に、ソラは安堵したようだった。
寝返りを打つ衣擦れの音。 二人の距離が、ほんのわずかに縮まる。
「‥‥‥あ」
ソラが、小さく呟いた。
「ごめん、近すぎた?」
「だ、大丈夫」
一瞬の沈黙の後、ソラがくすぐったそうに笑った。
「‥‥‥なんやこれ、めっちゃ落ち着く」
言った直後、はっとして口を押さえる彼女。
「‥‥‥あ」
しずくは、思わず吹き出してしまった。
「出た」
「うっ‥‥‥今の、忘れて‥‥‥」
「いいよ。ソラちゃんらしくて、好き」
その言葉に、ソラは照れ隠しのように布団を鼻先まで引き上げた。
くすくす。と、自然と出た笑い声が、漏れてしまう。
同じ夜、同じ体温。
窓の外では、夏の虫たちが静かに歌っている。
「‥‥‥ねえ、しずくちゃん」
「なに?」
「これからのこと、ちゃんと話せてよかったね」
「‥‥‥うん。会えて、本当によかった」
ソラは、少し間を置いてから言葉を紡いだ。
「親友、だよね。私たち」
その響きは軽やかで、けれど確かな重みを持っていた。
「‥‥‥そうだね」
しずくは答えながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。
前世での同業者は、常に競い合うライバルだった。 誰かに寄り添い、支えられる存在になれるなんて、思いもしなかった。
けれど今は。 こうして同じベッドで、何も奪わず、何も求めず、ただ隣にいられる。
ソラの呼吸が、ゆっくりと深く整い始めた。 深い眠りに落ちたのだと、伝わってくる。
しずくは天井を見つめ、静かに自分を受け入れた。
(私は、私でいい)
過去がどうであれ、今ここにいるのは「水瀬しずく」という一人の少女だ。 親友と同じ夜を過ごし、少しの不安と、大きな安心を抱いている。
しずくは、そっと瞼を閉じた。
この夜は、何かを急いで決めるための時間ではない。 ただ、“隣にいられる”という幸せを、心に刻み込むための夜だった。




