2 切り抜かれた“天使”
デビューから一週間。
水瀬しずくのチャンネル登録者数は、緩やかだが確実に増え続けていた。 歌枠を中心に、雑談は控えめ。コメント欄は温かく、治安もいい。
――けれど、まだ「特別」ではなかった。
「今日も来てくれてありがとう。じゃあ、最後に一曲歌いますね」
その日の配信も、いつも通りに終わるはずだった。
選んだのは、アカペラ。
伴奏なしで声だけを届ける、最も誤魔化しの利かない手法。
(‥‥‥前世だったら、絶対に避けてたな)
自嘲気味に思いながら、しずくはそっと目を閉じる。
透き通る高音が、マイクを震わせた。
空気を撫でるように始まり、少しずつ熱を帯びていく感情。
歌い終えた瞬間、数秒の沈黙が流れた。
「‥‥‥ありがとうございました」
その配信は、特に何事もなく幕を閉じる。
しずく自身、この時はまだ何も気づいていなかった。
◇数字が壊れる音
翌朝。
スマホの通知音が、異様な頻度で鳴り響く。
「‥‥‥なに?」
寝ぼけ眼で画面を開いた瞬間、しずくは言葉を失った。
登録者数:3,412 → 27,890
「‥‥‥え?」
慌ててSNSを開くと、タイムラインは見たこともない熱狂に包まれている。
『このVTuber、ガチで天使』 『アカペラやばすぎて仕事の手が止まった』『無名個人からこれが出てくるの反則だろ』
原因は、すぐに判明した。
昨夜の配信の一部分。
アカペラのサビだけを切り抜いた、わずか30秒のショート動画。
タイトルは、 『【衝撃】個人VTuberの生歌がレベチすぎる』
再生数は、すでに50万の大台を超えていた。
「‥‥‥切り抜き、か」
心臓が、どくんと脈打つ。
前世では、どれだけ足掻いても届かなかった“外の世界”。
今は、たった30秒でその扉が開こうとしていた。
◇赤井ソラからのメッセージ
不意に通知音が鳴ったのは、夕方のことだった。
「‥‥‥DM?」
水瀬しずくは、少しだけ眉を潜めて画面を開く。
バズって以来、営業や怪しい勧誘も増えた。自然と、警戒心も強くなっていたのだ。
だが、差出人の名前を見て指が止まる。 ――赤井ソラ。
『はじめまして! 個人VTuberの赤井ソラです。突然のご連絡すみません。切り抜きで歌声を聴いて、どうしても伝えたくて‥‥‥!』
文章は少し不揃いで、送り主の緊張がこちらまで伝わってくるようだった。
『私、ギター弾き語りで配信してるんですけど、正直、そんなに上手くなくて‥‥‥。でも、しずくちゃんの声を聴いた瞬間「この声と一緒に音を出したい」って思ってしまったんです』
しずくは、画面を見つめたまま立ち尽くした。
(‥‥‥音を、一緒に?)
前世では、一度も得られなかった誘い。 「後ろでハモって」とは言われても、「共に音を作りたい」と求められた記憶はない。
『もしよかったら、いつかコラボしてもらえませんか?』
最後に、控えめなスタンプがひとつ。
しずくの胸が、きゅっと疼いた。
「‥‥‥うん」
返事は、すぐに決まる。
『こちらこそ、はじめまして。メッセージ、すごく嬉しいです。ぜひ、お話ししてみたいです!』
送信ボタンを押した瞬間、心臓が早鐘を打ち始める。
わずかか数行のやり取り。でもそれは私にとって、確実な一歩だった。
初めての通話コラボ当日。
画面に映った赤井ソラは、赤みがかった髪に大きめのパーカーという出で立ち。ヴァーチャルなのに、 どこか落ち着きがない様子で、ギターを抱えたままそわそわしている。
「え、えっと‥‥‥声、あの‥‥‥ほんとに、切り抜きのままで‥‥‥っ」
「そ、ソラちゃんも‥‥‥想像通りです。なんだか、安心します」
二人同時に、ふっと笑みがこぼれた。
張り詰めていた緊張が、少しだけ解けていく。
「ギター、あんまり上手じゃないんだけどね」
ソラはそう言って、弦を軽く爪弾いた。 音は少し不安定で、テンポも完璧とは言い難い。
でも。
(‥‥‥あ)
しずくは、無意識に口を開いていた。
ソラのギターに、声を重ねる。 正確じゃないからこそ、呼吸を合わせる必要があった。相手の音を「聴く」ことが、自然と心を満たしていく。
歌い終わったあと、心地よい沈黙が訪れた。
「‥‥‥合うね」
ソラが、ぽつりと零す。
「はい‥‥‥私も、そう思います」
それは、技術の良し悪しではない。 数字でも、バズでもない。
音と音が、正しく対話しているという確かな感覚だった。
微かな予感──
通話を切る直前、ソラが照れくさそうに口を開いた。
「さ‥‥‥その、もし嫌じゃなければなんだけど」
「はい」
「これからも、一緒にやらない? 友達‥‥‥っていうか、音楽仲間として」
その言葉に、しずくの喉が詰まる。
前世での同業者は、蹴落とすべきライバルでしかなかった。 けれど今は――。
「‥‥‥ぜひ。友達に、なってください」
「やった!」
画面の向こうで、ソラが満面の笑みを浮かべる。
その瞬間──しずくは、確信した。
この出会いは、 再生数よりも、登録者数よりも、 ずっと大切な宝物になるのだと。
天使の歌声は、 初めて“隣に立つ誰か”を見つけたのだった。




