第2話『じゃあ河合さんはその光の貴公子って人が好きなの?』
小学校も五年生になり、私はクラス替えの結果古谷君と同じクラスになった事を内心で喜んでいた。
そして、今日も今日とて本を読むフリをしながら古谷君の事を見ていた。
のだが。
そんな私に声を掛けてくる人が居た。
「ねぇねぇ。何読んでるの?」
「えっ、わ、わたし?」
「うん。確か藤崎さんだよね? 私河合静香。よろしくぅー」
「あ、うん。私、藤崎綾乃」
「綾乃かぁ。あやのんって呼んでいい?」
「え、うん。だい、じょうぶ」
「おっけー。でさ。あやのん。何読んでたのー? 私ってば、漫画ばっかり読んでるからさー。小説とか読んだことなくて。お姉ちゃんだって漫画ばっかり読んでるくせに、アンタは小説でも読んで少しは教養を付けなさい! なんて言ってくるんだよ? 酷いよねぇー。でさー」
走り始めた車は止まらない。
とでも言うように、放し始めた河合さんは怒涛の如く言葉を並べて楽しそうに話をしていた。
そして、大分話をした後、ハッとなりまた怒涛の如く話し始めた。
「ごめーん。もう私気が付いたら一人で話してる事が多くてさ。お姉ちゃんにもそれで気を付けろ。友達居なくなるぞって言われてたんだけど。なんか本当に気が付いたらペラペラ話しててさ。でも、これでも自分ばっかり話をしない様にって気を遣ってるんだよ? でもそれがあんまり成果が無いって言うかさー。って! またやっちゃった! ごめん! ごめんね! あやのん!」
「ううん。全然」
「そう? あやのんは優しいなぁ。お姉ちゃんなんてさー。私が話し始めると煩いやかましいって、イヤホン耳につけるんだよ? 酷くない? 姉妹の絆はどこにいったんだー! って感じだよね。私が考えるにお姉ちゃんっていうのは……」
それから河合さんは元気よく楽しそうに話をし続けて、結局先生が授業を始めるまでその言葉は止まる事が無かった。
でも私はそれが何だか面白くて、それほどしないで河合さんに友達になろうよ。なんて言われて友達になったのだった。
五年生になり、河合さんと友達になった日から、私の日常は少しだけ変わった。
大きな所では変わらない。
それはそうだ。学校に行っているのだから。
しかし、その学校での生活に河合さんという人が加わったのだ。
これまでも友達の様なただの知り合いの様な関係の人はいたけれど、ここまで明確に仲良し! と言ってくる人は初めてだった。
そんな相手だ。
どの様に接すれば良いのか。私はその答えが出せなかった。
出せなかったが、河合さんはそんな私の気持ちなど関係ないとばかりにどこまでも手を引っ張って連れて行ってくれる。
そして今日も今日とて、河合さんに手を引っ張られてとある大きな公園に来ていた。
金網の向こうでは何人かの男の子が同じ服を着て話をしている。
「河合さん? ここは」
「ここはね! 野球場だよ! 私の仕入れた情報によると、今日ここで試合があるんだよ。しかもとんでもなくラッキーな事に光の貴公子が参加してるチームの試合なんだって!」
「光の貴公子?」
「あやのんってば知らないの!? 隣の町に住んでるとんでもなく格好いい人だよ。噂じゃ何処かの国の王子だとか、超有名俳優の子供じゃないか。なんて言われてるの!」
「へぇー」
「興味無さそうだねぇ。って、まぁしょうがないか。あやのんは古谷君にお熱だもんね」
「ふ、ふ、古谷君は関係ないでしょ!」
「わぁー。顔真っ赤」
「からかわないで!」
「えー。良いじゃん。良いじゃん。古谷君。王子様感は無いけど。優しいもんね。あやのんが好きになるのも分かるよ」
「……河合さんも、古谷君の事?」
「私? 私はないない。だって、私はもっとキラキラした人が好きだからね! 身長も高い方が良いしー。おしゃれには気を遣ってる方が良いかなー。お金は最悪私が稼ぐから! とんでもないイケメンとお付き合いしたい」
「何の話をしてるの」
「うん。まぁ、将来の話かな!」
「じゃあ河合さんはその光の貴公子って人が好きなの?」
「どうだろ。まだ見た事無いからね。分かんないや! でも噂じゃ直視した人はみんな目が潰れちゃうらしいし。あー。何だか緊張してきた」
「大丈夫?」
「駄目かも。うっ、吐きそう」
「ちょ、ちょっと。ベンチ行こう!」
私は急に体調が悪くなったという河合さんを連れて、近くのベンチに移動した。
ここはちょうど木陰になっていて、ゆっくりと休むことが出来る場所である。
そのままベンチに座って貰ったのだが、どうにも体調は戻らない様だった。
どうしようかと戸惑っている所に、突如声を掛けられる。
「大丈夫?」
それはまるで太陽が突然目の前に現れた様であった。
私の横で体調不良はどこへ行ったのか、顔を真っ赤にしながら口をパクパクと金魚の様に開いて閉じてを繰り返している友達に聞かずとも、この人がどこの誰か私にはハッキリと分かった。
例の光の貴公子だ。
名前は知らない。
「あ、あの、はい」
「そう? でも大丈夫そうには見えないな。熱中症かもしれない。少し待ってて」
そう言うと、彼は何処かに走り去り、わざわざ買ってきたのだろうペットボトルの水を二本持ってきた。
驚くような速さだ。
そんな近くに自動販売機は無かったと思うが……。
「冷たいから、いっきに飲まない様に、少しずつ飲んでね。二本置いておくからちゃんと水分補給すること。ここは木陰だから涼しいけど、体調悪いのが変わらないなら病院に行くこと。良いね?」
「は、はひ」
「じゃあ僕はもう行かないといけないから。気を付けてね!」
彼はそう言うと日差しの中に溶ける様に消えていった。
まるで夏の陽炎である。
熱に浮かされて見た幻の様でもあった。
本当に現実にあった事なのか。それすら定かではない。
しかし、河合さんの手に握られた水を見る限り、本物なのだろう。
私は現実に戻ってきた頭で、そんな事を考えながら河合さんの体を私の方に倒しつつ、言われた通り水を少しずつ飲ませるのだった。
「河合さん。大丈夫?」
「……駄目かも」
「病院行く?」
「ううん。そっちは、大丈夫になってきたけど、私、私! 駄目かも!」
恐らくは暑さのせいとは別に頬を染めながら、両手で顔を隠し首を振る河合さんに私は思わず驚いてしまった。
普段はクラスで騒ぎすぎとか、サッパリしている性格もあって男みたいと言われている河合さんが、まるでドラマや漫画に出てくる男の子たちに恋する女の子の顔をしていたからだ。
もしかしたらあの日、私も古谷君を見ながら同じ顔をしていたのかもしれない。
そう思うと、何だか今更恥ずかしくなってくるのだった。
「ねぇ、どうしよう。私、変に思われないかな」
「大丈夫だと思うよ。少し話しただけだし」
「でも、だって……あ、そうだ。水、どうしよう。お金渡してない!」
「そういえばそうだったね」
「わ、渡しに行かなきゃ……。ケチな女だと思われちゃうかもしれない」
「大丈夫だよ! 河合さん。体調悪かったんだし。気遣ってくれたんだよ。ほらお金が欲しいならその場で言うでしょ」
「優しすぎて、言えなかった、だけかも」
「考えすぎだって。ほら、今度会った時、渡せば良いじゃない」
「う、うぅ」
「今は気持ち悪いのを治そう? フラフラで会いに行く方が余計に心配かけちゃうよ」
「そう、だね。ごめん」
「良いの良いの。気にしないで」
私はとりあえず明るく話しながら、河合さんの気持ちを落ち着かせるのだった。




