勝手に埋めてはいけません
「和尊、おはよう。元気だった?」
窓際の席で、頬杖をついてぼんやりと外を眺めている、幼馴染みに声をかけた。
「おはよう、袈裟良。久しぶり」
振り返り私に挨拶をした和尊は、その整った綺麗な顔立ちには似合わない、目の下に濃い影を作っていた。
「え? 大丈夫? 眠れないの?」
「うん。ちょっと・・・ね?」
彼は困ったように眉を寄せながら、かすかに微笑んだ。
「また、何かを頼まれているの?」
「うん、頼まれたというか、巻き込まれたというか・・・」
和尊が話そうとした、その時である。
「堀川君、おはよう」
私たちの会話をさえぎるように、声をかけてきた女の子は、当たり前のように和尊の腕に自分の腕を絡ませると、私にニッコリと微笑みかけた。
「久我さん、私の和尊に何か用?」
と。
あれからずっと、今朝の彼女が、和尊に近づこうとすると邪魔をする。
彼女は、和尊と同じクラスの、山口 志暖さん。
地元にある山口建設のお嬢様で、父親の権力とお金でわがまま放題をしていて、我が高校の教師の間でも取扱注意の、ちょっと困ったちゃんなのである。
放課後。
和尊は山口さんを家まで送ったあと、そのまま我が家へとやって来た。
今は、私の部屋でくつろいでいる。
昼間、すれ違いざまに渡してきた小さな紙には、「相談したいことがある」とだけ書かれていた。
実はあの後からずっと、相談の内容が気になって、胸の奥がざわついていたりする。
「あの子さ、つい最近までうちのクラスの清水君と、付き合っていなかった?」
「うん、別れたんだって」
眠そうな目をしょぼしょぼさせながらも、指先でポテチをつまむと、口元でちいさく何度もカリカリと噛んでいる。
「で? 私が休んでいる間に、お付き合いをすることになったと? 」
もし、恋愛相談なら幼馴染みとして、できるだけの応援はしようと思っている。
私達、今年で17歳になるんだよね。
でもさ。
今までずっと、一緒だったじゃん。
それを考えたらさ。
少しは、心の準備をさせて欲しかったよ。
幼馴染みが他の女の元へ行くって、こんな感じなのかな、などと言いようのない淋しさを感じていると。
「違うって、よく見ろよオレの顔! お前にはこれが、好きな人と幸せな時間を過ごしている、リア充の顔に見えるのか? 」
さっきの、眠くて仕方がない、といった顔はどこにいったのか?
和尊は、切れ長の涼しげな目元が印象的な、彫刻のように整った顔を、私のすぐ目の前まで、ぐっと近づけてきた。
黒く澄んだ瞳には、私の顔が映り込んでいる。
「あの我がままに振り回されて、疲れている顔・・・とか? 」
眠いからなのか?
いつもとは違う、色っぽくうるんだ瞳に見えたせいで、罪悪感に打ちのめされそうになった。
顔が火照っているのを感じると、気づかれないようにそっと、視線をそらす。
「それもあるけど、それ以外にも困ったことがあるんだよ。だから、相談にきたんだろう」
和尊はそんな私の気持ちなど、気づくはずもなく視線を外した。
疲れているからか、深~いため息がこぼれる。
そのまま腰を下ろすと、両手を背後に添え、重さを地面に預けながら話を始めた。
事の起こりは、山口さんの実家の裏にある池を、埋めてしまったことにある。
その夜から、奇妙なことが起こるようになった。
夜になると壁や廊下に天井など、所かまわず家中のいたるところから、ズリズリ……ズリズリ……と、何か大きなものが這いずり回っている音がするので、怖くて眠れなくなったというのだ。
父親の会社が手掛けている現場でも、人身事故が増えていく。
ここまできてやっと山口さんの父親は、動く気になったのだとか。
騒ぎにしたくないのか、娘のクラスメートで神社の息子である和尊に、埋めた池を調べさせたのだという。
「で? どうだったの?」
神社の息子である、というだけで今回のように大事にしたくない、お金がないといった連中が和尊に頼るのは、小さい頃からよくあることだった。
実際、和尊は見えるし、実績もあるしね。
「うん。あれはヤバい。すでに、山口さんに取り憑いている。だから、オレに執着しているんだよ。力が欲しいんだろうな」
あくまで情報として伝えながらも、言葉の節々に迷惑と怒気がにじんでいる。
山口さんには、埋められた池を見に行った後から、ずっとまとわりつかれて困っているらしい。
「そ、そうなんだ、ご愁傷様・・・」
我が家も神主の家系なのだが、見えたり祓ったりできるのはお爺ちゃんだけ。
けれども時々、今回のように助手として、お爺ちゃんは私をお祓いに連れていくことがある。
私はただ、そこにいるだけなので、何もしないのだが。
「アレとの相性がよさそうだったから、何とかなると思ったんだけどなあ・・・」
今朝学校で会った時から、何度も私の背後を確認しては、とても残念そうな顔をする。
「いつものように助手ならするよ? ただし、何の役にも立たたないけどね? 」
そうなのだ。
お爺ちゃん同様に、和尊親子までが時々、私を助手だといって、現場に同行させる時がある。
いつもすぐに終わってしまうから、私ってここにいる意味あるの? って不思議なのだけれど。
「うん。準備ができたら、お願いするよ」
それからは、いつものようになんてことはない雑談をして、和尊は帰っていった。
午後九時ごろ、和尊のお母さんから電話があった。
まだ、家に帰ってこないのだという。
母は、7時前には帰ったと伝えたらしい。
まさか、山口さんが和尊をストーカーしてる・・・とか?
ふと、不安が脳裏をよぎり、気が付けば山口さんの家の前に来ていた。
強引な事業展開と、金持ち自慢のマウント取りに忙しい山口さんの両親は、ある意味この地域では有名人だったので、家の場所は知っていた。
昔の日本家屋を模した大きな平屋で、とてもきらびやかな外装をしている、遠くからでも目立つ家。
生ぬるいく、湿気をおびた空気が肌を撫でるたび、じわじわと汗がにじみ出てくるような夏の夜。
「なんか、気持ち悪いなあ・・・」
山口さんの家の玄関前に来ると、何かの視線が体全体にねっとりと、まとわりついてくるような気がした。
理屈では説明できない嫌な感覚が、皮膚の下をはい回る気がする。
何度もチャイムを鳴らすが、人の気配がない。
仕方がないので裏庭にまわると、広い縁側は開け放たれ、テレビの明かりで照らされた居間のソファーには、二つの人影が見えた。
「夜分遅くにすみません」
と声をかけるも、反応しない。
何度声をかけても同じなので、しかたなく靴を脱いで中に入った。
「え・・・」
2人の人影は、山口さんのご両親のようだ。
しかし・・・。
「ありゃりゃ。もしかして、手遅れなのかなあ? 」
この光景は、ごくたまに見たことがある。
主に、お爺ちゃんのお仕事に、ついて行った時だけれど。
力なく体をソファーに預けた状態である、山口さんの両親は、まるで生気を吸われた亡者のように血色がなく、天を仰いで白目をむいており、口から白い泡をブクブクとよだれのようにたらしながら、ブツブツと意味不明な言葉をつぶやいている。
後ろ足でそっとその場を離れ、他の部屋を確認しようと廊下に出ると・・・。
「何? コレ・・・」
ドアを開けた瞬間、目の前の廊下には濁った水が、ひざ下まで浸水していた。
パシャパシャと音を立てながらも、その冷たくも少しぬるりとした感触のある水の中を進み、他の部屋を確認しようとドアを開けると突然。
「え~? 何でこんなにたくさんいるの~?」
部屋の奥からたくさんのヘビが、身体をくねくねさせて水面を器用に泳ぎながら、次から次へとこちらに向かってきた。
「うーん、どれがマムシなのかなあ・・・」
前に、お爺ちゃんが言っていた。
マムシは捕獲したら、焼酎につけて、お薬を作るんだと。
最近はめっきり減ったから、なかなかできないって。
いろいろな種類がいそうだが、正直、どれがマムシか分からないけど、多分いるよね??
いざ、尋常に勝負! と張り切っていたのだが。
「ああ、やっぱり・・・」
ヘビは襲っていくるどころか、私の手前でピタリと動きを止め、回れ右をすると、次々と濁った水の中へと潜り、姿を消してしまったのだ。
そう。
私は物心ついたころから、ヘビに出会うと必ずといっていいほど、今のように逃げられる。
「ああ、お薬の元が・・・」
しかし、追いかけるわけにはいかない。
和尊を探さなくっちゃ!!
広いお家の部屋を一つ一つ確認するが、どの部屋にもヘビはいるけれども、和尊はいない。
全てのヘビは一応、こちらに向かっては来るのだが、、私に近づくと突然、まるで天敵にでもあったかのように、必死に体をくねくねさせて逃げていく。
そんなことをしているうちに、一番奥の部屋へとたどり着いた。
「ここにいますように!」
そんな願いを込めて、思いっきり部屋の戸を開けた。
スパーン! と大きな音が、静寂を保っていた場所に、鳴り響く。
中を見渡せば、予想外な光景が広がっていた。
「あら? おじゃまだった?」
不自然に、水面に浮かぶ和尊を発見した。
そこまではよかったのだが、すぐに、後悔するハメになる。
だって・・・。
そこにいたのは、あおむけ状態で必死にもがいている和尊と、その和尊におおいかぶさっている、全裸状態の山口さんだったから。
和尊も、シャツがはだけていた。
華奢な見た目からは想像ができない、意外と筋肉質な体をしている。
あら、シックスパック・・・意外と男らしい体つきをしていたのね? としばし眺めてしまった。
「ふざけんな! こいつをよく見ろ!」
・・・怒られてしまいました。
仕方がないので、目を凝らしてよく見ると、山口さんがいつもと違って見える。
薄暗い、満月の光のみで確認できる山口さんの顔は、今までと全くの別人であり、人間の顔をしていなかった。
肌は薄く鱗が浮かび、光を受けるたびに緑がかった艶を帯びている。
瞳は縦に裂け、口元は細く動かず、表情は常に静かで、動くたび、髪が生き物のように揺れ、どこか冷たい気配を残していた。
真っ赤な色で細長い、先が2つに分かれた舌をチロチロと動かして、和尊の首を味わうかのように、ねっとりとなめまわしている。
その姿を見た瞬間である。
『ブチ・・・ッ・・・』
頭の中で、何かがキレる音がした。
突然。
『……ヒトノモノニテヲダスナンテ、ナンテケガラワシイヘビナノカシラ? 』
自分の口から、自分のモノでない声がする。
その声は、自分で聞いていても背筋が凍るような、とても冷たい女性の声だった。
その途端、山口さんらしきものの身体が、ビクリと大きく波打つのが見える。
和尊をなめ回すのを止め、こちらへふり向くと。
「キイィィ・・・」
耳をつんざくような悲鳴を上げ、まるで恐怖が顔面を締め上げたような、悲痛な面持ちをしている。
そして、こう言ったのだ。
「で、デカイ・・・ナメクジラ・・・」
と。
それからはずっと、何かにおびえている様子で、
「クルナ! クルナ~!」
と、甲高い声で泣き叫びながら、私から逃げるためなのか、ブリッジの姿勢になって、背中を反らせたまま、両手だけをセカセカとせわしなく動かして、床を這い進んでいく。
が、突然、その不気味な動きは止まった。
その瞬間、宙に浮くと、ズズズ・・・と何かに引き寄せられるように私の後ろへ移動していく。
「グブグブグブ・・・」
後ろを振り返ると、不可解な現象が起こっていた。
山口さんらしきものが何もない所で、どういう仕組みなのか空中に浮いた状態となっており、まるで水中でおぼれているかのように、手足を激しくばたつかせながら、もがき苦しみ始めたのだ。
「え? あれ? 今お爺ちゃんはいないから・・・コレ、和尊がやっているの? 」
コレも、お爺ちゃんのお祓いの現場で、よく見る光景である。
山口さんらしきものを指差し、起き上がってシャツのボタンをはめている最中の和尊に、聞いてみた。
「ああ・・・うん・・・」
和尊からは、歯切れの悪い返事が返って来た。
なぜかこちらを見ようともしない。
しばらくすると山口さんは、糸の切れた操り人形のように、その場にペタリと倒れこんだ。
と同時に、部屋の電気が付く。
よく見れば、いつもの山口さんの顔に戻り、体中の皮膚も人間のそれに戻っていた。
部屋中に満たされたはずの水も、嘘のように跡形もなく、消えてなくなっていたのである。
その後は救急車を呼び、全裸の山口さんにバスタオルをかけて、居間で倒れている両親とともに、病院へ運んでもらった。
その後は3人ともに、錯乱状態がひどいらしく、
「ヘビが・・・ナメクジが・・・」
とうわごとのようにつぶやいており、今は仲良く精神病棟にいるのだという。
「で? 結局何だったの? アレ? 」
それは、池の主であった、水神様へと昇格したヘビ神様の祟り。
その昔、あの家は池の近くに小さな祠を建てて、水神様を祭ることによって、家を栄えさせていた。
しかし。
山口さんのお父さんの代になり、水神様を祭る事は無くなってしまった。
長い間放置をしていた上に、突然、小さな祠を池ごと埋めてしまったのだ。
すでにヘビ神様へと降格していたため、怒りはより大きなものとなり、親子を呪った。
長い間、祭られることなく放置されていたヘビ神様は、すでに禍々しいナニかに、変わってしまっていたのだ。
清らかな霊気を大量に持つがために、和尊が狙われた理由。
それは彼と結ばれれば、自分は水神に戻れるのだと、勘違いをしていたからである。
「自分たちで勝手に祭ったのなら、最後まできちんと、責任をもって面倒見て欲しいよな」
「本当にね」
今日も我が町は、平和です。
~~後日談~~
「和尊君、この度はすまんかったのお。ワシの仕事を手伝ってもらっていたから、袈裟良に戻すのが遅くなってしもうて」
「いえ、ギリギリ間に合いましたので。問題ないです」
実は袈裟良には、最強の守護霊がついている。
「罪を許す霊的存在」として、拝まれ、今でも祭られているシャチくらいの大きさをした、ナメクジだ。
その正体は、自らを犠牲にしてまで、愛する夫を守った、袈裟御前。
シルクのように艶やかな、長い黒髪をなびかせた、息をのむほどのとても美しい女性。
彼女は愛する夫の生まれ変わりである和尊には、決してナメクジの姿を見せない。
ナメクジになるときには必ず、その姿を見ないよう、いつも念を押しているのだ。
「もったいないですよね? 七色に輝く、美しいナメクジなのに。背中の黒い線が醜いとか言ってますけど、それも愛する旦那を守った、名誉ある傷跡なんですよ。もっと自分に、自信をもてばいいのに。自身の体内に、対象物を取り込んで浄化するときなんて、金色の粒子がキラキラと舞って、それはそれはとてもきれいな光景なんですよ」
~~袈裟良が、守護霊の事を知らない理由~~
「だって、袈裟良ちゃんは、女の子でしょう? 私みたいな見た目が微妙な生き物が守護霊って、嫌だと思うの。だから、教えないであげてね」
と念を押されているのだけれど。
「もったいないです。貴女はこんなにも気高く強く、そして美しい、私の自慢の妻なのに」
恥ずかしそうに頬を赤く染める袈裟御前を見て、和尊は嬉しそうに微笑むのだった。