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偽物令嬢〜前世で大好きな兄に殺されました。そんな悪役令嬢は静かで平和な未来をお望みです〜  作者: あいみ
最終章

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99/121

番外編 生まれてくるべきではなかった存在。紡がれた縁は奇跡であり幸せ【セリシール】

 私は生まれてくるべきではなかった。


 唐突に思ったわけじゃない。もうずっと前から、そう感じていた。


 私達の国には魔法の属性を調べるための道具がある。魔力を流せばその人が持つ属性が浮かび上がる仕組み。


 五歳になると魔力も安定して、複雑ではない魔道具なら扱えるようになる。


 魔法は強く自覚することにより現れると信じられていて、エーフェリル国では魔力を持つ五歳の子供は皆、身分に関わらず鑑定することが義務付けられた。


 ただ、例外がなければほとんどの人は幼少期から属性の兆しが見える。


 私にはそれがなかった。それが意味することは……。


 そうであって欲しくないと必死に祈りながらも五歳の誕生日になり、魔法属性の鑑定を行った(おこなった)


 何も浮かんでこない。つまりそれは……。


 絶望で目の前が真っ暗になる。


 私には魔法がない。魔道具の故障かと疑った両親が使用すれば、風と水の属性が浮かび上がった。


 部屋を出て、両親の深刻そうな会話を扉越しに盗み聞く。


 「やっぱりあの子は……」

 「まず間違いないだろう」

 「そう。なんて説明すればいいのかしら」


 《《欠陥者》》。


 魔力を持ちながら魔法を持たない者をそう呼ぶ。

 世界でも稀に見る例。


 お母様は体が弱く、私を産むのも命懸けだった。二人目は望めず、ゆくゆくは私がこの、ウィステリア公爵家の当主となる。


 いや……もう当主にはなれない。魔法のない私が一家をまとめ支える当主だなんて。一体誰が認めるというのか。


 期待してくれている使用人達と顔を会わせるのが気まづくて外に出た。


 空が青いことは知っている。空を飛ぶ鳥でさえ、届くことのない遥か遠くに広がっていた。


 手を伸ばしても虚しくなるだけ。


 空は……絶望だ。決して手の届かない存在。


 「おーい。セリシール。魔法の鑑定だったんだよな?どうだった」


 幼馴染みの公爵子息。ザック・フィオーレ。数日前に水魔法を持っているとわかったばかり。


 調べる前から水を操れていたし、ほとんど確信はあった。


 「ザック、私……生まれてこなければ良かった」


 悲しみが涙となり溢れ出す。


 まだ感情の制御が上手ではない私の目から涙が止まることはない。


 代々続く名門、ウィステリア家の名に泥を塗った。


 私じゃない子供だったら、きっと両親のどちらかの魔法を受け継いでいたはず。


 「え、え?な、何!?どうしたの!?」


 慌てふためくザックはパニックを起こしていた。


 人様を困らせるなんて、したらいけないのに。


 必死に泣きやもうと目を擦った。


 「やめろよ!赤くなっちゃうだろ」


 ザックは私が誕生日にあげた、下手くそな刺繍入りのハンカチでそっと涙を拭ってくれる。


 「ゆっくりでいいから。何があったか話してくれ」


 口を開くとまた涙が零れてしまいそうで、気持ちが落ち着くのを待った。


 その間もザックは急かすことなく、隣にいてくれる。近ずきない距離で。


 雲が風に流されていくのを見ていると、不安定だった感情は平常を取り戻す。


 泣いたせいで痛かった喉も今はマシになった。


 今なら話せる。


 全てを話した。私には魔法がない。欠陥品であることを。

 両親は私を傷つけまいと、慎重に言葉を探している。


 「わかった!」


 急に立ち上がったザックは私の手を引いて走った。


 将来、騎士を夢見ているザックは子供のうちから体を鍛えている。足も早い。

 手を繋いでいるとはいえ慣れないスピードに足がもつれそうになる。


 ザックが何を考えているのかわからないまま辿り着いたのは旅商人が集まる広場。


 今日は何組かが出発する日。


 私達も色々とお世話になり、見送りにでも来たかったのだろうか?


 「あった。この馬車だ。ほら、セリシール。おいで」


 荷馬車に乗り込んでは手を差し出した。


 どうするべきか戸惑っていると、店主の出発すると声が聞こえて、私も慌てて飛び込む。


 私と同時に飛び乗ってきたのは、白い毛をフワリとなびかせるブランシュ。


 ブランシュは私が自分の属性に違和感を持ち始めた頃に現れた。


 誰かに飼われているわけではなさそうで、行く宛てもないのか私を見るその目はあまりにも綺麗で。


 両親の許可も貰い、一緒に暮らすことになった。


 もぞもぞと動いては木箱にかけられた布を取ってくれる。

 隠れるように布を被り息を潜めた。


 色んな荷物があり、どんな道でも倒れたりしないようにしっかりと固定されている。


 「ねぇザック。どこに行くの。勝手に国境を超えたら怒られるよ」

 「リーネットに行くんだ」

 「リーネット?」


 一年くらい前に世界を救った闇魔法を持つ聖女様が現れてから、格段に豊かになった国。


 魔物の出現は収まり、天災や厄災から守られる。


 王太子殿下のアルフレッド様も留学から戻ったとか。


 第三王子のレクシオルゼ様も聖剣に選ばれて、世界一の剣士となる。


 数年もすれば帝国をも超える大国になると大人はみんな噂していた。


 ──そんな国に何をしに?


 荷物の陰に隠れ、膝を抱えて体を小さく丸めるザックは真剣な眼差し。固い決意が表れていた。


 ザックは旅商人になりたいわけではないけど、いつも街に来た人とすぐに仲良くなる。異国の話は聞いてるだけで楽しいと興奮していた。


 会話の流れから次の目的地も教えてもらっているから、この馬車がリーネットに向かっていると知っていたんだ。


 五日もかかる長距離で空腹を我慢出来るかな。

 一直線に向かうわけではないから、途中の街で休憩を挟むはず。


 ──お金持ってないけど。


 計画も立てず完全、思い付きで乗り込んだようなもの。


 私の心配は数時間には解消された。


 見つかってしまったのだ。あっけなく。


 商人は頭を抱えて悩む。


 貴族の子供を乗せたまま国境を超えた。下手をしなくても犯罪(ゆうかい)


 五日後にはリーネットに到着しなくてはならないらしく、今から戻るにしても大幅な時間ロス。かといって連絡を取って迎えに来るまでの間、ずっとついているわけにはいかない。

 私達だけを残して行くのは以ての外。


 「お、俺……。どうしてもリーネットに行きたいんです!!」

 「いやぁ。そう言われてもな」

 「後でちゃんと叱られるから!!だから……お願いします」


 どうして、そんなに真剣なんだろう。


 ザックの熱意に負けた商人はリーネットまで送り届けてくれることとなった。






 私達の国は小さく、こんなにも広々とした道を走る感動は底知れない。


 ただ乗せてもらうだけも申し訳ないので、出来ることだけでも手伝いをする。


 慣れないことにかえって邪魔をしたかもしれないのに、むしろ褒められてしまった。初めてにしては筋が良いと。


 どんなことをしても褒められるのは嬉しい。


 たった五日。外の世界を知らない私達には新鮮で胸が踊る。


 大冒険にも似た五日間はあっという間だった。


 出会う人はみんな優しくて、一人一人にそれぞれの人生がある。


 「見えてきたぞ。リーネットだ」


 窓から顔を出し、ずっと向こうにある国境にザックの顔は輝いていた。


 あと少し。そう思った次の瞬間。地鳴りと共に乾いた大地はヒビ割れる。


 そこから巨大な魔物が出現。馬車は襲われ、興奮した馬を制御しきれずに転倒した。


 開けていた窓から外に放り出されてしまう。


 真紫の尻尾の先からポタポタと液体が落ちる。ジュワって地面が溶けた。


 毒だ。


 大きなギョロっとした目は私を捉える。

 逃げようと立ち上がりたいのに、足を捻ったみたいで立てない。


 ──逃げる?どうして?


 死を直前にして私の思考はクリアになった。


 生まれてくるべきではなかった命は早々に消えなくては。


 これは事故のようなもの。両親だってきっと喜んでくれる。


 厄介者がいなくなるのだから。


 養子を迎えれば跡取り問題は解決する。私がいないほうが全て上手くいく。


 毒を纏った尻尾は私を貫こうと振り下ろされる。


 「セリシールに近づくな!」


 弱々しい水の塊が尻尾を弾く。ダメージは受けていない。


 攻撃されたことに腹を立てた魔物は狙いをザックに変えた。


 逃げようとせず、立ち向かおうとする。


 馬車の下敷きになった商人は「逃げろ」と叫ぶ。


 震えるザック。魔力が安定していない。


 どうしようもないと諦めると、黄金に光る何かが飛んできて魔物の体を貫いた。

 光を失いようやくソレが剣であると判明。


 魔物が倒れた拍子に土煙が舞い視界が悪くなる。


 起き上がった大きな影は、しっかりと形を保ったまま。


 聞いたことがある。異種魔物を超えた変異体。心臓や脳はなく、急所となる核が存在しない。


 何百年に一匹、現れるか現れないかの魔物は人を恐れ、人前にその姿を現さなかったはず。


 痛みは極限まであるのか、地団駄踏むように尻尾を地面に叩きつける。


 ギョロ目はものすごく速さで回る。見るためではなく、怒りに我を失っているみたいに。


 私はともかく、ザックや商人はこんなとこで死んでいい命じゃないんだ。

 尊くて価値のある存在。


 弱くて何も出来ない私は祈るだけ。いもしない神様に。


 どうか私以外の人を助けて、と。


 願いは紅蓮の炎となって叶えられた。


 話に聞いたことがある炎は魔物を焼き尽くす。核があろうとなかろうと、灰にしてしまえば存在の消滅と同じ。


 再生を警戒していないのか、散り散りになった灰は残り火により完全に消え去る。


 こんな高度な魔法を当たり前のように使えてしまう人。それは……


 深いというより渋い茶色の髪と世に珍しい赤紫の瞳。

 遅れて追いついたのは金髪で、王族の証でもある金眼を持った青年。


 ──レイアークス様とレクシオルゼ様だ。


 こんなにも綺麗な顔をした男の人がいることに驚きと感動がある。


 そのすぐ後ろからは闇夜でも輝きを放ちそうな漆黒の髪と瞳を持ち、黒猫を肩に乗せた美しい女性かも来た。


 このお方は世界中で今、話題の中心となっている聖女様。


 母国で酷い扱いを受けて、隣国であるリーネットに身を寄せた。


 聖女様の祈りは千年前の英雄に匹敵する力を持つ。


 「セリシール。大丈夫か」


 心配そうに差し出された手。すんなりと掴んでしまったことに違和感を覚える。


 私はここで死ぬべきだったのに、助かったことに安心する矛盾を抱えていた。


 死が直前に迫ったあの瞬間、命は簡単に捨てられたのにザックが助けてくれた瞬間、どうしようもなく嬉しかったのはなぜ?


 本当は私、生きたかったのだろうか。


 生まれてきたくはなかった。それは紛れもなく本心。


 生きることへの息苦しさ。生きていることへの罪悪感。


 家族のために私は、いなくならなくては。


 私が生きていたら迷惑しかかけないのに。


 「貴女、名前は?」


 聖女様の瞳は揺れていた。他の誰でもない、私に聞いている。


 「セリシール、です」


 答えると、聖女様の口元が綻んだ。


 嬉しさと懐かしさが混ざり合った優しい表情。


 転倒した荷馬車からブランシュが出てきた。怪我はしていないみたい。


 聖女様と黒い子猫の視線はブランシュに向けられる。


 「あの子は?」

 「ブランシュです。私が飼っている」


 汚れることを気にすることなく膝を付いた聖女様は、私を抱きしめた。


 お母様に抱きしめられる感覚とは違う。温かいのに、どこか胸が寂しい。


 「あ、あの……?」


 ──どうしてだろう。私はずっとこの人に会いたかった。


 聖女様だから?


 そんな漠然とした理由じゃない。もっと別の、私の心が、魂が。どうしようもなく泣きたくて、嬉しくて。


 愛しく感じる背中に手を回そうとすると、放り出されたときに汚れた手が目に止まった。


 このまま手を回しても怒ったりすることはない。私はそう直感していた。


 それなのに。汚したくなかった。


 綺麗なままでいて欲しい。

 

 「生まれてきてくれて、私と出会ってくれてありがとう。セリシール」


 何かが弾けた。


 覚えのない景色が頭の中を駆ける。霧がかかっていて、ほとんど見えないけど心臓を締め付ける胸の痛みに私は恐怖していた。


 記憶の扉。鍵はかかっていない。私は知りたいんだ。

 霧の晴れた世界を。


 「ダメよ」


 扉に手をかけると優しい声が響いた。


 振り向くと聖女様……いや、雰囲気は似ているけど違う。別の人が立っていた。


 その人はそっと私の手を扉から離して、悲しそうに微笑んだ。


 「貴女は思い出さなくていいの」

 「お姉さんは誰?私のことを知っているの?」

 「ええ。心優しい女の子。私は貴女に幸せに生きてて欲しいの。だからね。ここにはもう来てはダメよ。さ、戻って」


 誤ってまた私がここに来てしまわないように、お姉さんは門番のようにこの世界に留まる。


 扉を除けば何もない世界。


 私以外は来られないであろう小さな世界は、果てしない“無”


 「お姉さんも一緒に行こ。寂しいよ、独りは」

 「ううん。これは私の罰だから」

 「罰?」

 「そう。大好きな家族に罪を背負わせ、大好きな家族を殺してしまった」


 私には何を言っているのかよくわからない。


 ただ、お姉さんは本当に苦しそうで、自分の意志で魂を縛っていた。


 あの手を引けばここを出られるにしても、望まないことをしたら余計に苦しめることになる。


 「幸せになってね。……」


 今、誰の名前を……?


 よく聞き取れなかった。


 振り返るとお姉さんの後ろに、よく似た歳上の女性が肩に手を置いて微笑んでいる。


 ──独りじゃなかったんだ。


 良かったと安心していると強風が吹いたかのような衝撃に煽られ、気付けば私の意識は現実世界へと戻っていた。


 「私、祈るから。セリシールが幸せになるように。笑顔を絶やすことなく生きていけるように」


 宝石のように美しい涙。


 私は聖女様に……泣いて欲しくない。


 ハンカチで涙を拭った。キョトンとした聖女様は笑いながら「ありがとう」と言ってくれる。


 「その子と知り合いなのか」

 「ううん。そういうわけじゃないけど」

 「怪我をしているようだな」


 商人はレクシオルゼ様に助け出されていた。

 頭から血を流していたものの、致命傷ではない。すぐに回復魔道具を使い傷が塞がる。


 レイアークス様も私に回復魔道具を使ってくれた。


 足を捻っただけなのに、なんてもったいない。

 数日もすれば治るのに。


 厚意には感謝を伝えるのが常識。


 私はまだまだ淑女とは程遠いけど、家庭教師に教わった所作を取る。


 「レイアークス様、ありがとうございました」

 「私はシオンの予知夢に従ったまでだ。お礼は私ではなくシオンに言うといい」

 「は、はい」

 「素直に受け取ったらいいのに」

 「他人の手柄を横取りする趣味はないだけだ」


 あの聖女様と対等に話している。現代の英雄と呼ばれるレイアークス様ならお似合いだ。


 「あ、あの!レイアークス様!!」

 「どうした」

 「俺の魔法を取って下さい!!」

 「……は?」


 眉間に皺を寄せて怪訝そうにしているレイアークス様にはお構いなしに、ザックは続ける。


 「レイアークス様は他人の魔法を奪えると聞いたことがあります。だから……」

 「待て!!」


 必死になりすぎて周りが見えていないザックの肩がビクッとはねた。


 魔法を奪って欲しいなんて、何を考えているのか。


 不機嫌になることのないレイアークス様は理由を話して欲しいとお願いする。


 ザックは私を一瞥し、唇を噛み締めたあと勇気を振り絞るように息を吸った。


 「セリシールが……。魔法がないことをすごく悩んでて。俺も魔法がなくなれば同じ欠陥者になるから」

 「あ……」


 私のためにリーネットに行こうとしてたってこと?


 私……なんかのために魔法を捨てようとしている。敬愛する兄様と同じ属性で、あんなに喜んでいたのに。


 「欠陥者って?」

 「魔力はあるけど魔法を持たない人のこと。どっかの国のバカな王族が、言ったんだよ。貴族なのに平民より価値のない人間は、欠陥者だって」

 「何それ。最低ね」

 「言っていたのはその連中だけで、国民を見下し続ける王を息子が討つことで国は平和への道を歩み出したんだ」


 現代までその言葉が残っているということは、今もどこかで使われている。


 エーフェリル国には私のような欠陥者が一度も現れることはなかった。私が初めてであり、ウィステリアの名に泥を塗ったただせではなく、国の歴史にまで傷をつけてしまったのだ。


 それは最早、罪でしかない。


 罪を犯した私が償わなくてはならないのに、ザックまでもを欠陥者にしてしまったら私は……。


 どんな罰で償えばいいのかわからなくなる。私の罪は、私の命で償えるはずだった。


 「俺が欠陥者になったら、セリシールはもう独りじゃなくなる!泣かずに済むんだ!!」


 残酷なまでに優しい願い。


 普通(じょうしき)を捨ててまでもなぜ、私のためにそこまでしてくれるのか。


 「残念だが私は罪人から魔法を奪うつもりはない。悪いが諦め……」


 一雫の水滴がレイアークス様とレクシオルゼ様の髪を濡らす。


 「お、俺。王族を攻撃したから、これで罪人……」

 「はぁ……」


 ため息をついたレイアークス様は無鉄砲さに呆れていた。


 国に関わらず王族を攻撃したら死刑。魔法を奪われるだけでは済まない。

 罪人として扱うのであればザックだけではなく、一族全員が対象となる。


 こんな無茶苦茶なことを受け入れられるはずもない。


 「魔法がないというのは本当なのか?」

 「っ…はい」


 失望されるよりも愛するウィステリアの名を汚したことのほうが私には辛い。


 努力ではどうにもならない、突きつけられた現実。


 私を産んでくれたことを申し訳なく思う。


 「レディー。鑑定したいので君に触れてもいいだろうか」


 レイアークス様のようなお方が私と目線を合わせてくれる。

 赤紫の瞳もまた美しい。


 「レディー」なんて大人の女性を表すような言い方にドキッとしてしまう。


 「私のときはそんな聞き方しなかったじゃん」

 「いつの話をしている。意外と根に持つタイプか」

 「一年前だよ。ねぇ、ノアール」

【みゃっ!】


 あの子も人間の言葉を理解しているのだろうか。


 ブランシュはよく私の言葉に返事をくれる。


 寂しいときや落ち込んでいるときによく、私の元に来てはフワフワの毛並みをギューッとさせてくれた。


 私にはブランシュの言葉はわからないけど、一度だけ……。多分、きっと夢だったかも。ブランシュが喋ったことがあった。


 大人びた綺麗な声。寄り添ってくれては何があっても傍にいると約束してくれた。


 レイアークス様の大きな手は私に触れる。勝手に冷たいと思っていたから温かくてビックリしてしまった。


 声は抑えたけど表情には出てしまったかも。


 「やはりそうか」


 呟くレイアークス様は微笑む。ザックの額にデコピンをお見舞いしては、先程の無礼はこれで不問にすると。


 「それじゃダメなんだ!!俺はセリシールを独りにしたくない!!」


 感情的に熱くなるザックを止めたのは子猫……ノアールだった。肉球がポンっと頬に押し当てる。


 愛らしい笑顔で「みゃあ」なんて鳴くから熱は一気に冷めた。


 「ナイスだ、ノアール」

【うみゃあ!!】

 「ついでに空間を繋いでくれないか。場所は訓練場だ」

 「執務室じゃないんだ」

 「魔法を発動するのに室内では狭すぎる」

 「私、魔法があるんですか?だって鑑定では」

 「その魔道具は五大魔法を調べるための物であり、五大魔法を待たぬ者には無反応だ」





『やっぱりあの子は……』

『まず間違いないだろう』

『そう。なんて説明すればいいのかしら』




 あの会話は私が五大属性ではない、別の魔法を持っている。そういう意味だったの?


 魔法の基本は五大属性。闇と光は基本ではないものの過去に他国で誕生している。


 ──でも、光魔法が生まれた話は聞かないかも。


 悪の象徴として語り継がれる光を持って生まれたら、世界のために消されてなかったことになるのかもしれない。


 千年前の歴史と新たに生まれる命は関係ないのに。


 人々を恐怖に陥れるには充分すぎる悪行であったことも事実。

 正常な判断を奪われることは当然、なのだろうか?


 「そんな魔道具あるの?」

 「ハーストでいうところの水晶だね。国によってやり方は様々だけど。エーフェリル国は五歳で魔法を得るために、専用の魔道具で鑑定をするんだ」

 「それで何か変わるの?」

 「自分の属性を強く意識して自覚を持つことで、開花するって昔から信じている国なんだよ」


 魔法を早くに習得すればするほど特訓に時間を当てられる。


 才能だけで上級魔法が使えるようになるほど魔法は甘くない。

 上級貴族に生まれたからと訓練をサボる人も中にはいるけど、大抵は真面目に取り組む。


 新しい魔法を習得した喜びは計り知れない。


 両親はよく話してくれた。魔法を一つ一つ、使えるようになると自身の成長と頑張りが認められたようだと。


 《スウェロ。そっちに客人がいるはずだ。訓練場に案内してくれ。それと、お前の客人も来ている》


 懐中時計に話し出した。固まっていると、通信魔道具であると聖女様が教えてくれる。


 国によって魔道具の形は違う。その人に合ったベストな形をしている。


 エーフェリル国は技術がそこまで発展していないので、日常生活で使う物に組み込めない。


 魔物討伐に出向く騎士が持ち運び出来るサイズではあるけど、どれも同じ形をしている。たまに自分のがどれかわからなくなるときがあると悩んでいた。


 物に組み込める魔道具を作れるなんて、リーネットの職人は腕が良い。


 あんな風に自分専用だったら、そんな悩みはすぐに解決する。


 「セリシール?どうしたの?」


 みんなが空間の向こうに行っていた。聖女様は私を待ってくれている。


 差し出された手は、私が空間を飛び越えることが怖いのではと心配してくれているみたい。


 私には姉兄がいないから、歳上の人と手を繋ぐのは新鮮。


 訓練場はとても広い。早くに王太子の座をアルフレッド様にお譲りしたスウェロ殿下を先頭に騎士団が整列していた。


 レクシオルゼ様とあまり似ていない。気の抜けた笑顔は威厳がなく、存在を知らなければ王子様と言われても信じないかも。


 「君達二人の客人はあそこに。叔父上の客人は後で合流しますので」

 「私の?」

 「ええ。商人は連れて行っても構いませんか?私の客人ですから」


 彼らはスウェロ殿下の婚約者、リズシャネル様へのプレゼントの品を運んでいた。

 今日が誕生日で毎年、この日に間に合うように出発する。


 特に今年はお二人にとって特別な年。結婚式を挙げるのだ。

 他国から招待されている人は少ないようで、お祝いの品だけが届いている。


 スウェロ殿下と共に商人は頭を下げながらこの場を去って行く。


 今度はいつ会えるかわからない。ザックと二人で、リーネットまで連れて来てくれたお礼を言った。


 「セリシール!!」

 「お、お母様。お父様まで」


 エーフェリル国にいるはずなのに。


 「突然、行方を眩ましたかと思えば」

 「セリシールを怒らないで!!俺が無理やり連れて来たんだ。セリシールはなんにも悪くないから」

 「ザック!!人様の大切な娘を無断で連れ出すなど言語道断!!」

 「に、兄様……」

 「私が!!」


 視線が飛んでくる。人によって様々な感情を乗せて。


 不思議と俯かずにいられるのは、ブランシュがすぐ傍にいて安心させてくれているから。


 「私が欠陥者だから。私のために自分の魔法を……」

 「欠陥者?誰がそのようなことを!!?」


 お母様が声を荒らげるなんて、らしくない。温厚なお父様も怒りを隠さずにいる。


 「レディー。先程も言ったが君は魔法を持っている。故に欠陥者ではない。そもそも。この現代において、そのような侮辱をする者がいるなら遠慮することはない。顔を引っぱたいてやれ」

 「ちょ、レイ。そんな悪質なアドバイスしないで」


 なんて言いながらも聖女様は笑っている。


 「引っぱたくのは頂けないけど。そんな酷いことを言われたら、すぐ教えて。私が絶対に許さないから」


 冗談交じりのレイアークス様より、本気のトーンで目が笑っていない聖女様は怖い。


 許さないで具体的に何をするのか口にしない辺り、聞かないほうがいいのだと察した。


 「だから……だからね、セリシール。命の価値を下げることだけは言わないで」


 私の過去を、想い(こころ)を見透かしたような、まるで自分のことのように傷ついた顔をする聖女様はまた泣いてしまいそうで。


 「もしも間違ったことを考えていたら、思い出して。貴女に何かあったら悲しむ人がいるって。私は……それを間違えたから。ずっと傍にあった優しさにさえ気付けなかった。貴女にはそうなって欲しくない。お願いセリシール。約束して」


 優しさ。悲しむ人。目を閉じれば浮かぶ。


 五年間。両親から受けた愛は本物。


 優しいだけではなく、ちゃんと叱ってくれる厳しさもあった。

 病気になったら寂しくないように手を繋いでくれる。


 私はちゃんと知っていた。


 もしも死んでしまったら泣いて悲しんでくれる人がいること。


 例え魔法がなくても、私を見捨てたりなんてしない。同情するわけでもなく、くるかもわからないいつかを信じて待つ。

 それでも魔法が私の中に存在しなくても……変わらずたった一人の娘として愛してくれる。


 「レディー。両手を地面に付けて大木を思い浮かべるんだ」

 「は、はい」


 言われるがままに両手を付いた。みんなは数歩、後ろに下がる。


 頭に思い浮かべた瞬間、体中の魔力が手に集まっていく。


 初めて経験する。魔法。発動するには魔力を使うことを。


 「これは……」


 誰かの驚きと感心の呟き。


 見晴らしの良かった景色は大きな木がそびえ立つだけで別物。


 背伸びをしても届かない高さに、鮮やかなピンクの花が咲き誇る。


 「これがレディーの桜魔法だ」


 私にもあった。魔法。両親の属性は受け継いでなかったけど。確かにあったんだ。


 嬉しくなって振り向くと、聖女様だけが悲しげに桜を見上げていた。

 その姿がお姉さんと重なる。


 目を擦ってもう一度見ると、そこにいるのは聖女様だけ。お姉さんの面影はない。


 なぜだろうか。両親でもザックでもなく、私は誰よりも聖女様に喜んで欲しかったと思うのは。


 風が吹いて花が散る。

 桜吹雪によって聖女様の姿が隠れた。


 心臓が叩きつけられたような痛みが走る。


 足は自然と動き駆け出す。消えてしまわないように、そこにいる聖女様に抱きついた。


 衝撃はある。体温も。聖女様は消えていない。


 「どうしたの?」


 柔らかく笑いながら聞いてくれた。


 「聖女様がいなくなってしまいそうだったから」

 「私が?ふふ、どこにも行かないよ。大切な人を置いて」


 漆黒の瞳の奥には悲しげな光が宿っていた。


 それでも。ノアールを見る目は温かい。


 「レディー。君が望まないのであれば、魔法を入れ替えることは出来る。君は水と風。二つの属性と相性が良い」


 私が望めば普通の魔法を得られる。選んでいいんだ。私が。


 「私は……。セリシールには桜魔法を持っていて欲しい」


 ヒラヒラと舞う花びらを一枚掴んだ。

 祈るように手の平に収める。


 「貴女の名前、セリシールも桜って意味でしょう?ピッタリだと思うんだけどな」


 差し出された花びらには聖女様の加護が付与されていた。


 「これは私の単なるワガママ。桜魔法を捨てて欲しくないなんて」

 「捨てません。例えば、私が光魔法を持っていたとして。家族もザックも、私に失望したりしない。私はそれを知っているから」


 受け取った花びらは熱で氷が溶けるかのように、手の中に飲み込まていく。


 私は私だ。魔法があってもなくても。


 ありのままの自分を受け入れたことで、聖女様……シオン様は子供のような屈託のない顔で笑った。


 「ザック。ありがとうね。私のために大切な魔法を手放そうとしてくれて」

 「べ、別に。俺はただ……セリシールに泣いて欲しくなかったから」

 「ザックはセリシールのことが好きなのね」

 「…………うん」


 耳まで真っ赤にしながら、小さくうなづいた。


 いつも元気いっぱいのザックらしくない反応。


 好きの意味が厚意ではなく好意だとしたら?


 私の顔も急激に熱を帯びていく。言葉を失うとはこのこと。


 熱くて、ザックのほうを向けないでいる。


 「俺はセリシールが好きだよ。セリシールを幸せにしたいって思ってるし、泣かせないように守りたい」


 ──そういう告白は二人きりのときというか、もっとこう、ムードとか大切にするべきじゃないかな!?


 私だけがあわあわしている。

 どうやらザックの気持ちに気付いていなかったのは私だけ。


 「桜と水で相性も良いし、私はお似合いだと思うよ」

 「ううん。相性じゃなくて、セリシールの気持ちだよ。俺はセリシールが好きだけど、セリシールが俺を好きじゃなかったら諦める。セリシールの幸せに俺はいらないってことだから」


 なんでそんなことを言うのか。諦めるとか、簡単に言わないでよ。


 理解あるふりをしたところで、私もザックも所詮は子供。無理して大人になろうとしなくていい。


 ザックの服をちょこっと引っ張った。


 告白をされたことなんてないし、家庭教師にも習ったことがないから正解の返しがわからない。


 不正解だったとしても、ザックの想いには本音と本心を伝えなくては。


 「私も好きだよ。ザックのこと」


 厚意ではなく好意で。

 友達ではなく異性として。


 傍にいてくれて心安らぐブランシュとはまた違い、一緒にいるだけで安心する。

 いつも元気をくれるザックに惹かれていた。


 好きな人と結婚なんて夢を見ていい立場ではない私は、想いに蓋をするしかなかったのだ。


 想いを伝えたら迷惑をかけて困らせてしまう。


 貴族なら誰もが通る道。私だけではない。


 好きでいてもいいのなら、閉じた蓋を開けてもいいのではないだろうか。


 私達が婚約出来るかどうかは親が決めること。ただ、帰ったらワガママを言ってみようと思う。


 ずっと貴族令嬢らしく振る舞うために駄々をこねたことは一度もなかった。


 「ねぇザック。セリシールを好きな気持ちに嘘偽りはない?」

 「もちろん!!」

 「将来、別の女性を好きになってセリシールを傷つけないって、私と約束してくれる?」


 まだ婚約もしたわけでもないのに。その言い方はまるで、婚約中に浮気をしないでと釘を刺している。


 その不可解さを誰も指摘しないのは、私達には理解出来ないだけで意味があるのだと深読みしているから。


 「俺の好きは全部、セリシールに対してだよ。世界で一番可愛いのも、幸せになって欲しいと願うのもセリシールだけ」

 「うん、そっか!」


 私のことなのに、あんなにも嬉しそうに喜んでくれるシオン様は私の未来が今よりもっと、幸せになると断言した。


 私とザックの無事を確認したお母様達はリーネットの観光へ。

 そう簡単に来られる距離でもないので、このまま帰るのはもったいないらしい。


 私はシオン様ともっといたいから、ここで待たせてもらう。今度は勝手にどこにも行かないと約束して。


 ブランシュもノアールのことが気に入ったのか、傍を離れようとしない。

 まるで親子のような仲の良さ。


 「レイアークス様?」


 フードを頭から被り、目から下に黒い布を巻いた男性二人は訓練場に入ってきた。


 元々、声があまり出るほうではないので、口元を覆うことで声は更に曇る。


 でも、レイアークス様にはちゃんと届いていた。


 静かに涙を流しては、目元を手で抑える。地面が濡れて、涙を拭うことなく二人を抱きしめた。


 イスクとラントはレイアークス様の元側近候補。事故のせいでやむなく傍を離れることとなった。


 全身火傷のせいで塞ぎ込むようになり、人と関わることを避けていた二人をウィステリア家とフィオーレ家が影として雇い、表に出せない仕事を頼む。


 能力は高く、安心して任せられると信頼はある。


 不快にさせるからと、全身をマントで隠し、布で目以外の顔を覆う。とにかく皮膚が第三者の視界に入らないように徹底していた。


 なるべく声を出すこともなく、会話は筆談。感情のない人形に徹していた。


 「レイアークス様はそんなに泣き虫でしたか?」


 そんな二人が喋った。人前で。


 「お前達が知らないだけだ」


 自発的にフードを取った。布を外し顔を見せる。


 差し出したハンカチを受け取ったレイアークス様は昔を懐かしむような、大人とは程遠い幼さ残る笑顔に、イスクとラントもまた子供のように無邪気に笑う。


 「彼らがレイの……」


 最初の街に着いた商人が両家に手紙を出していたおかげで、一日遅れではあるけど私達の後を追って出発した。

 通る道が違っていたから途中で出会うことがなかったのだろう。


 ラントは高速魔法を持っていて、あらゆる物体を速く動かせる。


 加減を間違えると速さに耐えきれずバラバラに弾けてしまうので、人間には使えない。


 常に馬が光の速さで走っていたら、乗っている人間にもそれなりに危険が及ぶので使う時間は七秒だけ。それ以上は本当に危ないのだ。


 「感動の再会に口を挟んで申し訳ないんだけど」


 気まづそうに手を挙げながら、おずおずと声をかけた。


 聖女の噂はこちらにも届いているので、黒髪黒眼がシオン様であると今時、子供でも知っている。


 慌ててフードを被ろうとする二人を止めた。不快ではないから、自分から価値を下げる真似をしないでとお願いまでして。


 優しすぎる心に私もシオン様のように、相手を思いやれる大人になりたい。


 「火傷なんだけどさ。私が魔法で治せばいいんじゃないかな?」


 ──そんな器用な使い方が出来るんだ!!


 すごいなんて、ありきたりな褒め言葉だけでは失礼だけど、すごいしかない。


 すごいなぁ、憧れる。


 「この一年で私、魔力コントロールは身に付いたんだから」

 「調子に乗って私の執務室の机を消し去ったのは、どこの誰だ?」


 睨まれることは想定内だったらしく、顔を背けるスピードが速かった。


 「悪かったと思ってる。ごめん」

 「そういや。十日くらい叔父上と兄様が部屋から出てこない時期があったけど、それって……」

 「書類のやり直しだ。全てのな」

 「だから、ごめんってば。悪気があったわけじゃないんだよ。ちょっと手元が狂っただけで」

 「当たり前だ。悪気があってやられたら金輪際、王宮には立ち入り禁止にしている」

 「う……レイなら本当に出禁にされそう」


 喧嘩しているのに仲の良さが伺える。むしろ、仲の良さしかない。


 ──友達にしては距離が近いような?


 そうか。レイアークス様がシオン様を名前で呼んでいるからだ。


 女性を名前で呼ばないことで有名なレイアークス様がシオン様の名前を当たり前のように呼ぶ。

 きっと特別なんだ。


 魔法ではなく性格や人柄を重視するであろうレイアークス様、シオン様の素敵な所をいっぱい知っている。


 シオン様は二人に両手をかざし、集中し始めた。


 魔力が可視化されている。煌めく黒いオーラがシオン様を包む。


 五分もしない内に火傷は完全に取り除かれた。

 治ったといっても火傷が消えただけで、失われた視力や聴力は元に戻らない。


 それでも。これで少しでも人と関わってくれるようになったら。


 「五感はユファンさんに治してもらったらいいんじゃないかな」

 「はぁ?」


 論外。そう聞こえた。レクシオルゼ様からも笑顔が消える。


 ノアールはブランシュのお腹に乗って甘えていた。あの空間だけ、のほほんとしている。


 かなり対照的。


 珍しいな。ブランシュはあまり人に心を開かない。人間を怖がっているようにも見えるけど、ウィステリア家の人間には自分から寄っていく。


 他の猫にも同じだった。友達が猫と遊びに来てくれたときも部屋から出ようとはせず、専用のタオルにくるまっているだけ。


 ノアールが特別なのだとしたら、他の猫との違いは何なのだろうか?


 「ユファンさんは悪いことをしてないんだから、邪険にしないでよ」

 「お人好しのバカが」

 「事実じゃん!ねぇ!オルゼ!」

 「え……うん。そうなんだけどさ」


 あまりシオン様の味方ではない。


 首に手を当てて困ったように笑っては、援護はなかった。


 それが予想外だったらしく、シオン様はちょっとふくれている。


 はわわ、可愛い。


 「たく。レディーを王宮に呼び出して、そこで治してもらうなら、まぁ問題は起きないだろう」

 「修道院に行けば会えるよ?」

 「お前がいなくなったことで、隣国は外から入ってくる人間に敏感になりすぎている」

 「なるほど」


 闇魔法の加護は人知を超えている。


 その国に生まれて魔法を得た日から天災や魔物被害は収まり、痩せて乾いた土地は潤い、平和が訪れた。


 平和の終わりは突然であり、当たり前に続いていた毎日が終われば心の平穏も終わる。


 自業自得だと非難する声も上がっているみたい。


 ユファンさん?に治してもらうことで話がまとまり、イスクとラントの帰る日程が伸びるため、私達ももう少しだけ滞在することなった。


 安全地帯を通るとはいえ、魔物に襲われないだけで人間に襲われる可能もある。


 時に人間は魔物よりも恐ろしい生き物。シオン様の説明はやけに理にかなっていた。


 「あの……。もしかしてシオン様はレイアークス様の婚約者でしょうか?」

 「「は?」」


 イスクは恐る恐る思っている疑問を口にした。一秒の間もなく二人は眉間に皺がより顔をしかめる。


 「イスク様。レイが婚約者だなんて……絶対にありえませんわ」

 「シオンが婚約者?絶対にありえない」


 全く同じことを同じタイミングで言うなんて。照れ隠しでは?と無粋な詮索をしたくなる。


 ──歳の差を除けばお二人はお似合いなのに。


 余計なことを言うとまた不機嫌にさせてしまうので、グッと飲み込んだ。


【みゅあ!】


 ノアールの元気な声が響いた。ブランシュに毛繕いをしてもらいすごくご機嫌。


 シオン様は口元に両手を当てて可愛さに感激していた。


 写真に収めたいなんて、よくわからないことを言いながら。


【なぁう】


 今度はブランシュが鳴いた。これも珍しい。


 ザックでさえ、ブランシュの鳴き声を聞いたことがないかも。心を許しても、開いているわけでもないためザックが遊びに来たときは静かに傍にいるだけ。


 「ええ。ノアールのことは世界で一番愛しているわ。だからね。安心して、ブランシュ」


 まるで言葉が通じているかのように返した。

 頭を撫でられるのも嫌がる素振りはない。


 「ブランシュもセリシールの傍を離れないでね?」

【なぁー】

 「ふふ。うん、約束」


 ゆっくりと起き上がったブランシュは私の元に歩いてくる。

 ここが自分の居場所だと、シオン様に教えるかのように。


 私の世界は小さく狭かった。


 世界がこんなにも広いと知ったのはザックのおかげ。手を引いて連れ出してくれたから。


 「生まれてきて良かった」


 心からそう思える。だってこんなにも、愛しい人達に囲まれて私は生きているんだ。


 生まれたくなかったなんて、それは……。私を想ってくれる人達を侮辱しているのだと、ようやく気付いた。


 生きていける。もう世界が怖いものでないと知ったから。


 愛している人達が私を愛してくれる。


 それが私の生きる理由。

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