番外編 間違えた選択。完璧になれなかった兄 【藤】
十年前。僕は人を殺した。惜しみなく愛を注いでくれた母と、誰よりも僕を慕ってくれていた妹を。
消えないんだ。刺した感触もむせるような血の匂いも。ねっとりした生温かさは気分を悪くさせる。
時々、夢を見るんだ。死んで動かなくなった家族を、何度も何度も何度も何度も刺しては、血溜まりの中に倒れて高らかに笑う。
まるで殺すことに快楽を覚えたかのように。
生気のない虚ろな目が僕を見ていることに気が付くと、夢から覚める。
罪を犯したばかりの頃は毎日のように、壊れたテレビのように同じ光景ばかりを見ていた。色なんてなくて、白黒の世界。
目が覚める度に、なぜ僕は生きているのかと自問自答を繰り返す。
弁護士は言った。
僕はまだ若い。人生はいくらでもやり直せると。
殺した罪は一生消えることがないのに、やり直せるはずがない。
死刑にして欲しいと、縋ったんだ。
それしか罪を償う方法がないから。
弁護士は何も言わなかった。
ただ一言。僕はやり直すべきだと、そう……言ったんだ。
少年院を出た僕はその足で、よく家族で通った歩道橋に向かっていた。
桜が転ばないように手を繋いで、階段を上り下りしたのが懐かしい。
楽しい思い出は、あの日の記憶を消してくれるわけでもなく。生きていることへの罪悪感だけが、重くのしかかる。
「お前、死ぬのか」
青いつなぎを着た猫背の中年男性が、ぶっきらぼうに話しかけてきた。
「はい」
バカ正直に答えた。男性は何も言わずにタバコに火をつける。
吐いた煙が僕にかからないように風下に立って。
「落ちたら痛えぞ」
「わかっています」
こんな車の多い場所で死ぬのは迷惑でしかない。わかっていても僕に残された選択はこれだけ。
「腹、減ってないか」
「え?えっと……」
「来い。不味い飯でも食わしてやる」
「美味しいじゃなくて?」
「あ?これから死ぬ人間に美味い飯なんて贅沢だろうが」
前を歩く名前も知らない男性はタバコを消して、煙が流れてこないようにしてくれた。
見慣れた街並み。何も変わっていないことが安心をくれる。
しばらく歩いて着いたのは知る人ぞ知る店みたいな、裏路地でひっそりと営業していた。
きっと常連なのだろう。入った瞬間に「いつもの」と注文する。
こじんまりとした店内は落ち着きがあって僕は好きだ。
壁際にテーブル席が二つ。カウンターには四人が座れる。
厨房にいる店主と話しながら料理を楽しむのも良い。
「死のうとした理由。聞いたら困るか」
「いえ。……。僕は人を殺しました」
思い出す。死ぬまで忘れられない光景を。変わることのない過去は鎖となり僕を縛る。
僕がいなければ、桜と母さんは今も笑って生きていた。
幸せに溢れる毎日を送っていたことだろう。
どうして僕は、生まれてきてしまったのか。
生まれてきて……ごめんなさい。
何度も何度も懺悔した。
「はいよ。お待たせ」
出てきたのは親子丼。一口食べると、涙が零れた。
「不味いだろ」
「はい……っ」
肉は柔らかいのに、酸味や辛味やらが舌にまとわりつく。
味を良くするために隠し味を入れたのだとしたら、全然隠れていない。
あ、でも。ご飯は美味しい。それが余計に味の悪さを引き立てる。
「コイツな。普通に作ればいいものを、変なアレンジとかして不味くしちまうんだ」
「たまにめちゃくちゃ美味いのもあるだろ」
笑い合う二人には目もくれず、黙々と食べる。
いつぶりだろうか。料理を食べて、味を感じたのは。
罪人となったあの日から、何を食べても味がしなくなった。
視界から色までが消えた。
罪を償ったとして、二人が生き返るわけではない。
血みどろの記憶は二人の笑顔を赤く染める。
「お前、名前は?」
「藤。花村藤」
「綺麗な良い名前じゃねぇか」
初めての褒められ方。返しに困る。
「はは。変な奴だろう?コイツ、藤の花が好きでね。藤って付いてりゃ何でも綺麗って言うんだよ。しかも花もあるからな。兄ちゃんのことを気に入ってんだよ」
「余計なこと言ってんじゃねぇ!」
「こんないかつい顔で花が好きなんて、腹がよじれるほど笑えるわ」
悪態をつきながらも、どこか楽しそうだった。親友、というやつなのだろう。
四~五十年の古い付き合い。壁に貼られている写真は店のオープン初日。肩を組んで笑い合うその姿に、面会に来てくれた友達、葉山のことを思い出した。
涙ながらに何度も何度も謝って。
僕が人を殺したのは僕の責任であり、他の人が悪いことなんてない。
精神的な不安や心のSOSに気付けば、僕が罪を冒すことはなかった。
何も気付こうとしない自分こそが罪人なんだと。
後悔に震える声で、そう言ったんだ。
そのときようやく、苦しいと声に出して助けを求めて良かったんだと知った。
僕は完璧なんかじゃないと素直に告白していれば……。
そんなことで幻滅するほど桜は僕を嫌いじゃない。
──なんだ。ちゃんとわかっているじゃないか。
相談したら一緒になって悩んでくれることも、弱いところを見せても受け入れてくれることも。
完璧を求めていたのは僕自身。完璧でいられないなら、家族にだけは見放されたくなくて。
一番最悪な選択をしてしまったんだ。
頭の中で警報が鳴り響いた。まだ引き返せると必死に脳が僕を止めようとしてくれていたのに。
止まれなかった。
怖かったから。愛する家族に見放され拒絶されることが。
「なぁ藤。まだ死にたいか」
「いいえ。僕は……生きたい」
「そうか」
ビールの栓を開けながら他人事のような返事。
グラスに注いでは一気に飲み干す。
「じゃあ、うちの工場で働け。そんなにデカくはないが、従業員が一人増えても給料は払える」
「い、いや!僕は人殺しで……!!」
犯罪者を雇うなんて評判にかかわる。
僕のことはニュースでも連日放送されて、地元に住む人はみんな僕を恐れるようになった。
唯一、葉山だけが僕から目を逸らさずにいてくれる。
これ以上、僕のせいで他人に迷惑をかけたくない。
「ガキが余計な心配してんじゃねぇよ。温かい飯を食って泣けるってことは、お前は悪人じゃないってことだ」
ꕤ︎︎
あの日、偶然にも社長と出会わなければ僕は歩道橋から飛び降りていた。
命を捨てることに抵抗なんてなく、罪を償う方法がそれしか思い浮かばなかったんだ。
──僕はまた選択を間違えるところだったのか。
小さな町工場は信頼と信用を充分に得て、大手工場にも引けを取らない技術を持った従業員が多い。
大金で引き抜きが行われたときもあったが、ここにいる人は皆、社長に恩があり裏切るなんて最低な真似はしないと突っぱねた。
社長の人徳もあり仕事がなくなることもないので、工場は潰れない。
ある日の昼休み。
目の前には僕の平常を狂わす男が立っていた。
「ふーじーくーん。金あんだろ?とりあえず、五十でいいからさ。恵んでくれよ」
馴れ馴れしく肩に回った手を払う。
優しい工場の人を巻き込みたくないから、二人で話せるように出てきた。
「随分とつれねぇ態度じゃないか。父親に向かって」
「父親?お前みたいなクズが?」
この男は、桜がまだ二歳のときに酔った勢いで人を殺して刑務所に入っていた。
自分から喧嘩を売っては、同じ店にいたサラリーマン一人を殺害。二人に後遺症が残る大怪我まで負わせた。
反省することなく、酔っていて記憶がない。罪に問われるなんておかしいと裁判で主張。
相手を殺したことに関しては、ちょっと頭をぶつけただけで死んだ奴が悪いと鼻で笑ったそうだ。
裁判に来ていた被害者遺族にも、保険金が入ったんだから感謝しろ。最低でも半分は貰わないと割に合わないなんて、無茶苦茶なことまで言い出す。
最早、判決など待たずして判決が決まったようなもの。
母さんはすぐに離婚を言い渡し、意外にも男はすんなり応じてサインをした。
刑務所暮らしなら衣食住は揃っているし、うるさいガキの声も聞こえず静かに過ごせると清々していたらしい。
どうしてそんなクズと結婚したのか、一度だけ聞いたことがある。
昔は誠実で優しい人だった。僕が生まれたときもまだ、父親らしい一面も残っていたのに。
桜はまだ幼く記憶も曖昧。父親は事故で死んだと嘘をついた。
撮られるのが嫌いな人だったから、写真は一枚とないとも。
当時、かなりニュースやネットで騒がれていたからな。万が一にもバレることを恐れるのは当然。
近所の目もあり、遠く離れた今の街に引っ越した。
縁はとっくに切れたと思っていたのに。
ニュースを観てわざわざ僕を捜したのか。
「はははー。言うねぇ。家族殺しの藤くん?」
ドクンと心臓がはねた。ニヤニヤと笑いながら再度、肩に手を回してきては金を寄越せと脅迫してくる。
「職場の連中にお前が人殺しだってバラしてもいいのか、あ゛ぁ!?」
きっと、それは恐れるべきことなんだろう。
でも、残念ながら僕がそれを恐れることはない。
だって……。
「みんな知っているよ。僕が家族を殺した最低のクズだって」
怖がられたり、いじめを受ける覚悟はあった。
人を殺した犯罪者。それが僕だから。
過去を隠すことはしたくなくて、自己紹介のときに自分から告げた。
どんな反応をされるだろうと内心ではドキドキしていると、「だから?」と、これまた反応に困る返し。
『俺らのことも殺すのかよ』
『い、いえ。そんなわけ、ないです』
『んじゃ別に、いいじゃんか』
『そうそ。お前は反省も後悔もしてんだろ?』
『俺らの目の前にいるのは、社長に不味い飯を食わされて従業員になった花村藤だ』
温かい記憶。つい笑みが零れる。
脅して金が取れないとわかった男は盛大な舌打ちをして離れた。
僕を睨んでいた男は何かを思いついたのかニヤリと笑う。
「人殺しが働いている工場が何日で潰れるか試してみるのも面白そうだな」
「お前っ……!!」
胸ぐらを掴んで今度は僕が睨む。
「その目。俺とソックリじゃねぇか。やっぱクズの息子はクズだな。あ!!てことは、アレだな。娘もクズってことか!!」
「おい……」
「いやー、クズな兄に殺されたクズな妹。最高に面白くね?まぁ、本性がバレる前に死んで、妹も喜んでるだろうから、お前は胸張って生きろよ。な?」
「桜を俺やお前と一緒にするな!!」
人の痛みや悲しみに共感して、嬉しいことは一緒に喜べる。桜は母さんの優しさだけを受け継いで生まれてきた。
コイツのクズの遺伝を継いだのは僕だけ。
「おい藤。いつまで休憩してんだ」
帰りの遅い僕を見に来た社長はいつにも増して仏頂面。
男を掴んでいた僕の手を離させ、仕事に戻れと背中を押す。
「あんた。コイツが人殺しだって知ってんだろ?なんで雇ったのか教えてくれよ」
「飯を食うには金がいる。金を稼ぐには働くしかない。だから雇った。それだけだ」
シンプルで正当な理由。
「たったそれだけの理由で!人を殺した犯罪者を!?いいか!コイツは人を、家族を殺したんだ!最低なクズだ!!」
「あぁ。藤が家族殺した。それは事実で変えようがない。コイツが弱いから道を誤った。で?それが何だっていうんだ?人は弱ぇ生きもんだろうが!だから助け合って生きてんだよ!!」
社長の凄みに男は下がった。酒の力がなければ、自分より強い人間と戦うこともしようとしない。
絵に描いたようなクズっぷり。僕にも同じ血が流れているんだと思うと笑えてくる。
「お前らに血の繋がりが、あろうがなかろうがどっちでもいい。俺にとって藤は大切な従業員で、従業員はどんな奴だろうと俺の息子だ」
堂々と胸を張って言い切った。こんな僕を家族だと。
人と関わらず生きていくなんて、この現代では到底無理だ。
多くの人が行き交う世界で、僕だけが歩みを止める。すれ違い、深く入り込むこともなく、色のない世界で孤独に生きていくんだと思っていたのに。
関わること、触れ合うこと。まだ僕の手を離さないでいてくれる人がいる。
純粋に嬉しかった。
「どうしても藤と話がしたいってんなら、後ろの奴らも同席させな」
振り向いた先にいたのは、同じツナギを着たいかつい集団。
工場で働く人達は、その……通報されるレベルの強面が揃っている。
ただ歩いているだけで職質されたり、本当に通報されたことも数えられないほどに。
泣く子がギャン泣きするほどの睨みを利かせる。
──根は良い人達なんだよ!顔が怖いだけで!!
逃げるように立ち去った男の背中が見えなくなるまで睨むとこが怖いんだよね。
「藤。なんかあったら、迷わず頼れ。学歴はねぇが、一緒に考えて答えは出してやれるからな」
「っ……はい。ありがとうございます」
その数日後のこと。あの男が最大限の嫌がらせをしたと知ったのは。
高い技術を誇る工場の未来のために融資していてくれた銀行が手を引いたのだ。
理由は……僕。
社長のことは信頼している。ここの技術も世界に誇れるもの。ただ、人殺しがいるとなると話は別。
いつ、どんな問題が起きるかもわからない状態で金を貸すのはリスクが高い。
銀行側の意見は納得がいくもので、立場というものもある。
──罪を犯すということは周りの人間も不幸にするのか。
僕が辞めたらまた融資をしてくれる。狂った歯車は正常に戻るんだ。
「久しぶり、藤」
「葉山。どうして……」
「お前を助けに来た」
「え?」
「なんて、カッコ良いことが言えたらいいんだけどな。社長はいるか?融資の件で話がしたい」
葉山は大手銀行で働いていた。
出所してから音信不通だった僕の居場所を知ったのはつい最近。
あの男が片っ端から銀行に、人殺しを雇う工場に金を貸すのは間違っていると貼り紙をしたからだ。
ご丁寧に名前付きで。
そのおかげで見つかったから良かったと笑いながらも、男のしたことは敷地内への不法侵入。利用者の出入り口に貼り紙を貼ったことから営業妨害と軽犯罪法違反で警察に通報した。
捕まるのも時間の問題。
少なくとも葉山が勤める銀行は被害を出すそうだ。防犯カメラに映像は残っているし、顔も映っている。
あの様子では他にも余罪はありそうで、しばらくはまた刑務所暮らしに逆戻り。
葉山が提示した融資額はこれまでの二倍。裏があるんじゃないかと勘ぐっていた社長も、気付けば葉山と打ち解けていた。
帰り際、葉山は言った。
もう二度と僕が間違った選択をしないように、小さな異変も見逃さないと。
僕が勝手に独りになろうとしても、周りは僕をすくい上げようとしてくれる。
諦めて、自分から引いた線を飛び越えるには勇気がいるけど、差し出された手を掴むことが許されているのであれば……。
人は独りでも生きているが、一人では生きていけない。
その日の夜はお祝いだと、社長は焼肉に連れて来てくれた。
食べ放題なので各々が好きな物を頼む。
──焼肉屋で肉よりも先にライスを頼む人って珍しいのでは?
「なぁ藤。お前さ。ゲームってやるか?」
僕の世話係でもある飯島さんは向かいの席から隣に移動してきた。
「そんなには」
どちらかと言えば本を読むほうが好きだし、桜がやっているのを見てたくらい。
僕自身がやったことはないかも。
「これ知ってるか?“公女はあきらめない”」
「…………めっちゃ知ってます。妹がどハマりしてたんで」
ライバルの悪役令嬢、シオンだっけ。そのキャラがムカつくって、しょっちゅう腹を立てていた。
ストーリーも絵も最高。でも、シオンだけは最低最悪。
国で唯一の公女。ワガママで傍若無人。悪女の中の悪女。こんなに嫌われる人がいるのかというほどに嫌われている。
「これはその続編っつーか……ifの世界なんだけどな」
「if?」
「あぁ。シオンが生きている世界」
驚くことに、この乙女ゲーム開発に飯島さんの妹が携わっている。『公女はあきらめない.if』にも。
というのも、飯島さんの一言で配信が決定した。
実際にプレイした人の生の声。
シオンが可哀想すぎないか、と。
ヒロインをいじめたことや自分勝手な振舞いは認めるべき行いではないけども。
そうなった原因は愛情不足。誰からも愛されないシオンは、無条件で愛されるユファンを憎んでいた。
自分の『家族』からの愛を一身に受けるヒロインと、母親が死んだことを恨まれ嫌われ続ける悪女。
悪いのは果たしてシオンだけなのだろうか?
率直な疑問。
そもそも。公爵夫人が亡くなった原因が娘を生んだことであるなら、攻略対象である兄二人とハッピーエンドになるはずがない。
彼らは母親の死の原因を作った『妹』を恨んでいるのだから。
次に。ゲームの世界は暗い色を忌み嫌う。シオンの髪色は見ようによっては暗色かもしれないが、見る人が違えば美しい白銀。
そんな髪を、おぞましいとか醜いとか蔑んで平気で傷つけてきた。
悪意ある言葉と殺意だけを向けられて生きていたら、心が荒むのも当然。
それなのに!シオンだけがバッドエンドを迎えるのはあまりにも理不尽ではないか。
ヒロインはともかく、婚約者がいる身でありながら他の女性にばかり構うヘリオン・ケールレル。
事あるごとに醜い化け物と暴言を投げかけるクローラー・グレンジャーとラエル・グレンジャー。
赤子のすり替えに手を貸した本当の母親でさえ咎められることはなかった。
罰を受けるべき人間が笑顔で幸せに暮らすことに納得がいかない。
ゲームのエンディングなんて、そんなものだと割り切れれば良かったんだろうけど、あまりにも理不尽が過ぎた。
悪は必ず滅びるを体現しすぎている。
目に見えての悪だけが裁かれて、見えない悪は悪にすらならない。
全ての罪をたった一人に押し付けるのは間違っているのではないだろうか?
強くそう思ったのには、訳がある。
他の人も似たような違和感は覚えていたかもしれないが、それ以上に。シオンにムカついていたため、ざまぁをされたことにより些細な考えなど吹き飛んだ。
「ゲームが終わった後にさ。ほら、あるんじゃん。制作に携わった人の名前が出るやつ。あれを全部を見て、んー……五分くらいだったかな。真っ暗な画面が急に切り替わってさ」
飯島さんは大ジョッキのビールを一気飲みして、ドン!とテーブルに置いた。
口についた泡を拭って、結んでいた口を開く。
「シオンが出てくるんだ。そんでな。言うんだよ。“生まれてきてごめんなさい”って。どのエンディングを迎えても必ず。なぁ!おかしいよな、絶対!!」
「おい、落ち着けてって」
「藤がドン引いてるぞ」
「だからな!言ってやったんだよ!シオンが幸せになる世界があってもいいんじゃないかってな!!」
なるほど。それがifの世界。
元々、妹さんはシオン推しでもあり、扱いが酷すぎると進言したものの悪役はこれでいいのだと跳ね除けられてしまう。
そこで。密かに一人でシオンが幸せになるストーリーを考えることにした。
自分だけでもシオンを幸せにしたいという強い想い。
そこに兄からの意見。
これはもうifを制作するしかないと奮闘。
制作チームを説得し、いかにシオンが不幸かを語る。
その熱に飲まれてチームは再結成。
不当な扱いを受け続けた悪女の物語。
気になってゲームの詳細を読ませてもらうと、本編では明かされないシオンの苦しみや孤独が書かれていた。
公爵家からの長きに渡るいじめと虐待。婚約者からの放置。祖父祖母からの誹謗中傷。
取り巻きの令嬢達も陰ではシオンを化け物呼ばわり。
世界のどこにも味方はいなかった。
孤独に独りで生きる選択しか、シオンにはなかったのだ。
──というか、これは完全なるifのための設定では?
ここまで壮大な過去が隠されているなら、本編で少しだけでも触れているはず。
絶対に飯島さんの妹さんが考えたな、これ。
本編では登場していなかった黒猫、ノアールが常にシオンの隣りにいて心が壊れていかないように繋ぎ止める大切な存在。
しかも。闇魔法は世界を救った英雄の魔法。
闇魔法の加護があるおかげで国の平和は保たれていた。
シオンのための物語だからね。明かされていない設定を後付けをするのはいいんだけど。
妹さんがゴリ押ししている姿しか想像出来ない。
これを適用するってことは、本編でのクローラーとラエルのエンディングはかなりマズいのでは?
ifを作る予定はなく、悪役に相応しいバッドエンドを考えた結果なんだとは思う。
ま、まぁ仕方ないよね。もう作ってしまったんだし。
それに。本編でのシオンは実際に手を出してしまったのだから結末としてはそれ相応というか。
あ、注意書きがある。
なるほど。本編とifは別世界の物語なのか。
だから、シオンが断罪されても国に厄災は起きない。そもそも加護が存在していないから。
この設定も活かせるわけだ。
「あの……。これ乙女ゲームですよね」
「そうだが」
「攻略対象が二人しかいないんですけど。隠しキャラとかいるんですか」
「いない」
「いない!?」
飯島さんの説明はこうだ。
元々、恋愛対象キャラは一人だけだった。
名前はレイアークス・リーネット。王弟であり宰相。
魔剣に選ばれし騎士でもある。
基本の魔法は鑑定と色彩。生まれながらに炎の最上級魔法を持っているが、過去のトラウマにより秘密にしていた。
鑑定魔法には特殊な使い方があり、鑑定した人間の魔法と魔力を奪うことが出来る。奪った二つは他者に譲渡も可。不要ならば破棄。
宰相になる前は討伐隊を結成し、仲間と共に魔物を討伐していた。
それが現第二騎士団。
最上級魔物を倒し英雄の称号も手に入れた。
「すいません。このキャラ、チートすぎません?」
「シオンを支えるためのキャラだからな」
心がボロボロに傷つき、人間不信にまで陥ったシオンには、同年代より歳上がいいんじゃないかという飯島さんの発言で誕生した。
父親とほぼ同世代。歳の差はあるかもしれないが、成長するために必要な欠片を幾つも失ったシオンの手を取り、幸せに導いてくれるのは大人だけ。
対象が一人だけというのも寂しいので急遽、第三王子であるレクシオルゼ・リーネットが追加。
隠しキャラではないものの、ルートを開く条件はレイアークスを一度でも攻略すること。
恋愛、友情は問わない。
レイアークスと比べてレクシオルゼには色々と設定が詰め込まれていなかった。
強いて言えば、聖剣の持ち主であり第二騎士団長である。
第一王子のスウェロ・リーネットは好感度を教えてくれるサポートキャラ。
両想いの婚約者がいるので対象にはならない。
身内にはかなり甘いらしく、特に尊敬する叔父のレイアークス 、大切な弟のレクシオルゼ、新たに友人となったシオンの恋を邪魔する奴は許さないとか。
詳しく書かれていないとこがスウェロの非道さを物語っているように思えてならない。
「ふふん。実を言うとな。ゲームに出てくる騎士団。隣国のほうな。モデルは俺達なんだぜ」
「え、すごい!え?モデル?」
本編のほうは確か、イケメンが揃っていると桜が言っていたような。
ifの世界線でもイケメン主体にするのなら、相当美化しなくてはならないのでは?
頭が混乱していると自慢げに画像を見せてくれた。
これは……。まんま怖い顔。
「ちなみに。俺は副団長でもあるエノクのモデルだ」
「あぁー……」
飯島さんは一番怖くない顔をしている。この中では。
エノクもそんなに怖い顔はしていない。この傷跡も飯島さんが事故で負った右頬の傷を再現している。
──ここまでは大きくないけど。
余談ではあるけど、第一騎士団の団長は若かりし社長がモデルだとか。
店に貼ってあった写真を思い浮かべながら団長の顔を見比べると、確かに面影がある。
リーネットの王族は身内には甘く、それも社長の性格だ。
「で、これ。友情エンドしか迎えてないみたいですけど」
プレイ状況が見られるようになっているので、ちょっと覗かせてもらう。
肝心のハッピーエンドクリアがない。
「俺には……シオンを幸せにする権利はないのか!?」
「と、言うと?」
「恋愛ルートを開くには条件があるみたいでさ」
「俺らもやらされたけど見事に友情エンドばっか」
友情エンドは幾つもあるため、まだ見たことのないストーリーなら喜ぶも、恋愛に発展しないことにショックを受けているのも事実。
会話に選択肢はなく、自分なりの言葉で進めていけるのがifの醍醐味。
──まぁ、正確にはシオンを幸せにするのは攻略対象であるレイアークスかレクシオルゼだけど。
「藤。俺はお前に賭けるぞ」
「え?」
「お前ならやれると信じている!」
「諦めろ。俺らも全員やらされた」
「……全員?社長も?」
「はは。無理やり押し付けられてた」
「恋愛でも友情でもない、ある意味レアなノーマルエンドを達成していた」
飯島さんのためになれないゲームを一生懸命やったんだろうな。
想像するとちょっと面白かった。
ゲームは初めから。隣国へと続く北の森を無事に抜けたところから物語はスタート。
レクシオルゼは一応、ルート解放しているけど、レイアークスの全エンドをクリアするまでは攻略しないと決めていた。
ちなみに。レクシオルゼの始まりは瀕死状態から。
魔物に襲われ死にかけていたのをシオンが救う。
ずっと否定されてきた闇魔法で命を助けることが出来た。
生まれて初めて、大嫌いだった自分の魔法をほんの少しだけ好きになれた瞬間。
この時点ではまだ恋愛ルート解放されていない。帰還パーティーで再会してからが物語の幕開け。
ただし。注意が必要なのはパーティーでファーストダンスをレクシオルゼ以外の踊ると友情エンド確定。
シオンを女神と崇め讃えることとなる。
「頼むぞ藤!俺にはもうお前しかいないんだ!!」
飯島さんはシオンのファンで、推し。本編からシオンだけを支持している数少ないファン。
ifをプレイした多くの人もシオンの幸せを願うようになり、どうにか恋愛ルートを解放しようと周回しているが未だに未開放。
まだ配信されてそんなに日は経っていないし、公式もプレイヤーに楽しんでもらいたいからとヒントだけを公開した。
──レイアークスは王族の色を持たない、か。
これがヒントらしい。
たった数日でダウンロード数は国内トップ。二人に一人はifをプレイしている状況。
口コミやネットから瞬く間に広がり、今では本編よりifのほうが興味を持たれている。
これは完全にシオンを幸せにするゲームであり、悪役令嬢なるものは登場しない。
ちょっとした試練みたいなものはあるけど、上手くクリアしたら好感度や親睦は深まるのでやり甲斐はあるようだ。
「これ、そんなに難しく考えなくていいんじゃないかな」
思いついた言葉を入力すると、顔を赤らめたレイアークスのスチルをゲットした。
うん。恋愛ルート入ったな。
ここからは本人に任せる。目を見開いた飯島さんは力の加減を間違えたまま肩を強く掴む。
痛い痛い!砕ける!!
慌てて周りの人が引き離してくれたら大事にはならなかったけど、まだ骨がズキズキしていた。
「ヒントっていうか、答えだと思いますけど。皆さんは初対面のとき、どんな言葉をかけましたか」
「そりゃあ、王族に必要な金眼を持ってないんだから、“私は貴方の色が好き”とか、とにかく肯定するもんだろ」
「そこに付け加えるんです。“私の色と違って綺麗だ”と」
シオンは白銀の髪と漆黒の瞳を受け入れられたことはない。
否定と蔑みだけを味わい続けたシオンが、自身の色を好きでないことは明白。
そんなときに現れた。暗色の色を持つ人が。それも王族。
色を恥じることもなければ堂々と胸を張って生きている。周りからは愛され、必要ともされていて。
暗色がダメなんじゃない。自分の色がダメなんだと解釈してしまった。
「だから……まぁ、シオンの色をシオン自身が否定することから、恋が始まるのかなって」
ただ褒めるだけでは友情エンドしか迎えられない。
それはもう、みんなが証明してくれている。
大事なのは攻略中ではなく、初めての出会いから。
自嘲を含んだ微笑みはあまりにも綺麗でドキッとした。白銀の髪が光る演出も見事で、もしも実在する人物なら多くの男性を虜にしている。
飯島さんよりも先に特別なシオンの表情を見てしまったことに罪悪感を抱く。
スチルはあくまでも攻略対象のみ。一緒に映ることはあってもシオン単体では、多分ない。
だってまさか、シオンがアップになるなんて想定外。
わかっていたら台詞だけ教えて、飯島さんに後は任せたのに。
「おい。いつまでゲームで盛り上がってんだ。肉食え、肉」
社長が直々に焼いてくれた肉は皿いっぱいに盛られていた。
休むことなくどんどん焼くから増える一方。
いかついだけでなく、体格も良いので育ち盛りと同じくらいに食べる。
みるみる減っていく様は圧巻。
「そうだ藤。葉山さんがお前にって」
「同窓会の案内?」
僕達が住んでいたあの家は売家となり、今は誰も住んでいない。
音信不通。行方不明。そんな僕に届くはずのないハガキをポストに出せるわけもなく。
いつ再会してもいいように持ち歩いてくれていた。
「僕が行ったって困らせるだけですよ」
嘘をつくとき人は笑う。誰かが言った。
その通りなのか、僕は笑っている。すっかり慣れてしまった、お手本のような顔で。
──《《僕の本心》》は必要ない。
世間の常識こそが絶対であり全て。
人を殺した犯罪者と仲良くする理由はない。
一緒にいることで好奇の目に晒されるかもしれないのだから。
「葉山さんな。言ってたぞ。本当はみんなでお前に会いに行きたかったけど、負担になるかもしれないから代表して自分だけが会いに行ったって」
記憶が……蘇る。
地元にいるほとんどが小学校からの付き合い。
同じ中学に入学するのに、クラスメイト全員で色紙に一言ずつ書いたのを覚えている。
色紙の真ん中には『ずっと友達。6年3組』なんてありきたりなことを書いて。タイムカプセルと一緒に埋めた。
同窓会を開いたら、みんなで掘り起こそうと約束をして。
「なぁ藤。怖いかもしれないが、一歩だけ踏み出してみないか。世の中、お前が思うほど悪くはないはずだ」
人は……独りでも生きていける。一人では……生きていけない。
知ってしまったから。
人と関わる素晴らしさを。
人は支え合って生きているのだと。
「あ、社長が藤を泣かせた」
「なんだなんだ。肉が嫌いだったか?仕方ねぇな。お兄さんが食ってやるから渡しな」
「それは藤の分だバカ。お前はライスでも食ってろ」
僕なんかが真っ当に生きている彼らと会いたいと思うのは、罪ではないだろうか?
どんなに会わない理由を探しても。僕が会いたいと願っていた。
「行ってきても……いい、ですか」
「お前の気持ちに俺達の許可はいらない。会いたいなら、会って来い」
僕の歯車が狂ったのは、僕が弱かったからだ。
僕に勇気がなかったのも原因。
選択を間違えて道を踏み外した。
「社長。あの日、僕を見つけてくれて、ありがとうございます」
でも、間違った僕を正しい道に導いてくれる人がいるのも確か。
未来がどうなるかなんて、誰にもわかりはしないのだ。
過ぎてからでなければ、歩んだ道が間違いだったのか、選択が正しかったのか、判断はつかない。
後悔ばかりの人生になるのかも。
命はやり直せないし、還ることもない。
世界中を捜しても僕が家族に会える日はこないのだろう。
それでも生きていく。
許されたいからではない。
愛した家族を殺した罪を背負い、一生許されない罪人として。




