番外編 正しい世界【元グレンジャー公爵】
闇魔法が世界を救った。陛下がそう仰ったとき、なぜか胸がザワついたのを覚えている。
世界の救世主。ならば、あの娘は?闇魔法を持ち、醜い姿を持って生まれたあの娘は何なのだ。
闇魔法で私の愛する妻、エリアーナを操った。そうでなければ説明がつかない。よりにもよって、卑しい平民如きと我が高貴なグレンジャーの血筋を入れ替えるなど。
「お前達がシオンを虐待したせいで、こんなことになったんだ!!」
魔力封じの塔。罪を犯した王族と上級貴族のみが収容される監獄。
牢の中は広々としている。ベッドもソファーも何もないから。
罪人を閉じ込めるための牢は掃除が行き届いていない。多少なりとも綺麗にしたつもりなのだろうが、動けば埃が舞い咳き込む。
老朽化で建て直した割に、ここには……光がない。壁に蝋燭が設置がされているだけ。窓もないため外の景色を見ることさえ叶わない。
見張りは二人。見るからに平民。
鎧を着て剣を所持しているが、魔法を使えば簡単に倒せてしまう。
その魔法がもうないと気付いたとき、あの娘の醜悪な笑みが蘇る。
「俺はシオンを愛していた!誰よりも!!卒業して結婚したら二人で幸せな日常を送るはずだったのに」
ヘリオンとあの娘は魔力が釣り合うだけの政略結婚。愛なんて微塵もない。
幼少期の頃は魔力が低くても、秘められた潜在魔力を計る魔道具はあり、それを基準に未来の結婚相手を探すのが貴族。恋愛結婚なんて自由が利くのは平民だけ。
私もそうだった。エリアーナとは政略結婚。
次期公爵としての役割を果たすための結婚であり、面倒なことがあるとすれば他の令嬢と同様にエリアーナが私に恋をしていたこと。
容姿や五つの魔法属性に多くの令嬢は私に恋焦がれ、毎日のようにパーティーの招待状が送られてきていた。婚約をしたことで収まりはしたが、エリアーナからの熱い視線は嫌いだった、はずなのに……。
初めての顔合わせ。エリアーナはうるさく私に近づく令嬢と違って、お淑やかに私と婚約を結べたことを嬉しく思うと柔らかく微笑んだ。
慣れない反応に戸惑いながらも、私は不整脈を起こしていた。
名前を呼ばれるときは声を聞き逃してしまわないように耳をすませる。鮮緑の瞳が私以外の男を写そうものなら、得体の知れないものが体を渦巻く。
それらの感情が愛であり嫉妬と知ったとき、私はエリアーナを愛しているのだと自覚した。
結婚を義務だと考えていた私にとっては未知との遭遇に等しい。
家族から受けていた愛と私がエリアーナに与える愛は別物。どう接していいかわからないまま私は、不慮の事故で亡くなった父上の跡を継いで公爵となった。
目まぐるしい忙しさ。父上をサポートしてくれていた従者はいたが、不慣れな私は迷惑をかけてばかり。結婚したばかりのエリアーナを気にもかけてやれないほどに。
蔑ろにしているつもりはない。エリアーナも私の境遇を理解し公爵夫人として頑張ってくれていた。
一年あれば余裕が生まれて、エリアーナと過ごす時間を取れる自信はあった。だが、私が頑張れば頑張るほど忙しさは増す。
夫婦としての時間は取れず、共に食事を摂ることも無理な状況であった。月に一度の夫婦の義務、それだけは果たせたが全然足りない。
私はもっとエリアーナと……。
ワガママな願いではあったが、愛する女性といたいと思うのは当然の想い。
仕事ばかりに時間を割いていると、いつしか仕事人間と呼ばれるようになっていた。否定するにはあまりにも、そう呼ばれても仕方のない日々を送っていたのだ。
「シオンの容姿だって俺はずっと美しいと思っていた。シオンを幸せにするのは俺しかいなかったのに」
「でも、君はそれをシオンに伝えなかったのだろう?」
アース殿下が現れると見張りは背筋を伸ばして敬礼をした。
人が歩く度に蝋燭の火は揺れる。
「伝えることなく、ただ思うだけ。言葉にしなければ意味なんてないのに」
「俺はシオンを愛している!それで充分だ!!」
「シオン嬢には充分ではなかった。そうだろう?」
よく王宮ですれ違うことはあったが、殿下はこんなにも冷たい表情をする人だったか?
どんなときも誰にでも、笑顔を向ける殿下には威厳はなく、ヘラヘラしている王子。身分と魔法に恵まれただけ。これなら私の息子、クローラーのほうがよっぽど……。
ハッ。愚かな考えだった。このお方は紛れもなく王の器。
「ヘリオン。大公家に仕える使用人の記憶を見させてもらったよ」
「はい?」
「君はシオン嬢と会うといつも、屋敷で悪口を言っていたみたいだね」
「それは彼らがそれを望んでいたからだ!私の本心ではない!!」
「本当に?」
思わず息を飲んだ。
金色の瞳は鋭くなり、私達から言葉を奪っているような。
「記憶を見たと言っただろう?ヘリオン。君は……シオンを悪く言うとき、いつも顔が醜く歪んでいるよ」
「何が言いたいのですか」
「シオン嬢を愛しているという傍らで、シオン嬢を見下し軽蔑している。そういうことだ」
少しの沈黙。
どこからか吹く生暖かい風が蝋燭を揺らす。
殿下は静かに待つ。ヘリオンが出す答えを。
「何を言い出すかと思えば。俺はシオンを愛しています。記憶なんてものはいくらでも改ざんされる。感情によって」
「あぁ。その通りだよ。でもね。あの魔道具は真実のみを映す。私達が見たものは真実だ」
声が冷たい。慈悲を与えることのないような。
心臓を掴まれたかのように息苦しさを覚える。
「ヘリオン。君はシオン嬢を愛してなどいない。君が愛しているのは綺麗なままの君自身だ」
「黙れ!」
「気付いてしまったのだろう?シオン嬢を見下す自分が醜いと。だから彼女を愛していると錯覚し、綺麗な自分を作り出した」
殿下が語れば語るほどヘリオンは冷や汗をかく。
言い当てられたことへの図星なのか。段々と視線は下がっていく。
「醜いと蔑むシオン嬢を愛する自分が一番綺麗で、そんな自分を一番愛している」
「そんな戯言、誰が信じるものか!!俺のシオンに対する愛は本物だ!愛を求めていたシオンには俺が必要なんだ!!」
「シオン嬢は信じて欲しかったんだ。無実を。たった一人だけでも、そんな人間が彼女の傍にいたら、心は救えたんだよ」
握りしめていた拳は震えている。奥歯を噛み締め、まるで後悔しているかのように。
「彼女を孤独にしたのは私達だ」
「違う!お前が余計なことさえしなければ俺達は上手くいっていたんだ!たかが王族の分際で!!」
鉄格子を掴み、向こう側にいる殿下を罵倒する。
そんなヘリオンに向けられる哀れみの目。
ヘリオンはもっと賢い男だった。感情に左右されない、物事を冷静に考えられる。
ずっと口にしている、あの娘への愛。
それがヘリオンを変えたとでも言うのか。
そんなものはまやかしだ!!
醜いだけの娘に好意を抱くはずがない。感情を支配されている。それだけだ。
偽物のありもしない恋心を本物と思い込んでしまうほどに、今のヘリオンは周りが見えていない。
強力で邪悪な闇魔法。
ユファンの光魔法ならば洗脳は解ける。私とエリアーナの娘だ。
魔力も申し分ない。平民如きの魔法など、簡単に打ち破れる。
「明日。レイアークス殿が来るだろう。そのときに君達の処分が決まる」
「処分?」
ラエルの力ない声が響く。
「まぁ、処刑方法だね。平たく言えば」
「はぁ!!?なんで俺らが処刑されなきゃいけないんだ!悪いのは全部、シオンだろうが!!」
「王族を攻撃しておいて、何を言っている?あの場で首をはねられなかっただけでも、御の字だと思うけどね」
レイアークス・リーネット。
黒き翼の最上級魔物を倒した伝説の騎士。
魔剣に選ばれし英雄。
王族でありながら金色持たない偽物。
彼を表す言葉は色々とある。
隣国に赴くこともなければ、会う機会もない。
実際に顔を見てもすぐにピンとくることもなく、魔剣の所有者だと知り何者であったかを悟った。
──そのときには既に遅かったが。
哀れみを向けるかのような瞳は閉ざされ、もう何も言うことはないと踵を返す。
炎が揺れると影も揺れる。
暗い闇の中に飲み込まれ姿は見えなくなっていく。
ꕤ︎︎
殿下は再び足を運ばれた。
時間の感覚がないため、今が朝か夜かもわからないが、一日が経ったことは間違いない。
ここに来たということは話し合いが終わったということ。
殿下の表情はどこか暗い。
──残酷な処刑方法でも言い渡されたか?
卑劣極まりないあの娘が洗脳し、自分の意見を押し通したに違いない。
「君達の処刑なんだけど。中止になった」
ほう。洗脳が解けたのか。
王族なのだから、闇魔法如きに負けられても困る。
「え?あ……はは、当然だ!俺達は裁かれることなんてしていない!!」
「罪人だから投獄されているんだけどね」
呆れたようにため息をついた殿下は、話し合いで決定したことを伝える。
私達は死刑ではなく幽閉。死ぬまでここを出られない。
食事は与えられる。病気になれば医師の手配も。
ただ生きるだけ。暗く狭いこの牢獄で。命尽きるその日まで。
言われのない罪、冤罪で処刑されるよりかは妥当な判決。
きちんと調査してくれれば、無実はいずれ明らかになる。
労働を強いられることもなく、暮らす場所が変わっただけ。
体を清める魔道具もある。好きなときに使えるわけではないが。
味や量は落ちるが、まともな食事も出てくる。
着るものはこれまでと違いラフなもの。白一色で、汚れでもしたら目立つ。
通常の罪人は濡らした布で体を拭くだけ。食事も味のついていないスープ一杯。
衣服も袖が通るように切っただけのボロ布。
それらと比べると今の私達はマシな扱いを受けている。
「一つだけ聞きたい。君達はシオン嬢に謝罪するつもりはある?」
「謝罪?ご冗談を」
向こうが謝るならともかく、なぜ私達があのような者に謝罪をする必要がある。
くだらない被害妄想のせいで、無実の罪を着せられ収監させられているのだぞ。
レイアークス殿も私達の無実を信じてくれているからこそ、処刑ではなく幽閉に刑を変えてくれた。
──一日も早く、無実を証明して欲しいものだ。
「クライド。君は……シオン嬢にあんなことを言わせたことを、何とも思わないのか?」
「あんな、とは」
「生まれたくなかった。あれは……人として……人の親として言わせてはならない言葉だ」
「殿下……。アレに生まれてくる価値など、なかったでしょう?」
あんな醜くおぞましい姿。
私なら図々しく十六年も生き恥を晒しはしない。
無知なんて言葉で表すには優しすぎる。
アレは無能なバカだ。
自らの命に価値があると勘違いをした。
「シオン嬢が生まれ、闇魔法を授かったことで我が国に平和がもたらされた」
「それは闇魔法による記憶の捏造。貴方は洗脳されているに過ぎない」
「そう、か。君は……君達は。そういう人間だったね」
ひんやりとした空気が漂ってくる。これは冷気?
まさか殿下も派生魔法を手にしたとでも言うのか。
体内に入り込んだ冷気は内側から急激に体温を下げる。
指先が凍ってしまったかのように動かない。
肌を刺す空気は痛みよりも先に違和感を感じさせた。
「頼むよ」
牢の開く音。
数人の騎士が入ってきては私達を拘束した。
手錠には重たい鉄球が付けられていて簡単に身動きが取れない。しかも、後ろ手に拘束されたため横たわったまま立ち上がることも。
「でん……っ」
口も縛られる。
──なんだ。何が起きている?
「君達が生かされたのはシオン嬢の温情あってこそ。感謝して、その命を大切にするといい」
冷たく見下ろす瞳。
鍵は再び閉められた。
「私はもうここには来ないよ。罪を償い、この国を守らなければならないからね」
蝋燭の火を吹き消した。
騎士の一人が炎属性を持っているようで、その明かりで光の出口へと進む。見張りも連れて。
待て、どこに行く。
叫びたくとも罪人専用の猿轡、魔道具が邪魔をして声を出せない。
足音が遠ざかる。完全に聞こえなくなると、視界は闇へと覆われた。
まるで孤独。
心臓がやけにうるさい。
どうにか立ち上がろうと地面を擦る音が聴こえるだけ。
まさか死ぬまでずっと、こんな毎日を過ごさなくてはならないのか?
その疑問が、これまでになかった孤独と恐怖を呼び起こす。
何もせず、家族と過ごす時間を望んだ。
環境はどうであれ、クローラーとラエル。息子二人と家族の時間を過ごし、ここを出たら娘であるユファンを迎え四人で暮らす。
エリアーナはいなくなってしまったが、最愛の家族を失った悲しみは同じ。
その辛さを分かち合いながら、生きていくはずだった。
一切の自由を奪われ、ただ生きているだけ。これではまだ、死刑を待つ罪人のほうが人としての尊厳を保たれている。
この程度の拘束、以前の私なら難なく解いていた。
──魔法さえあれば。
誇ってきた物は奪われた。悪の根源により。
自らの手は汚さずに他者を利用するなど、卑劣極まりない。
どうにか外そうと試みるも、やはり専用の鍵を使わなければ外れなかった。
私はなぜ、こんな所で人ならざる扱いを受けているのか。
──どこで何を間違えた?
私が、私の家族が。こんな屈辱を浴びせられることなど許されるわけがない。
間違い……。
そうだ。あの娘、シオンさえ生まれなければ……。
おぞましい闇魔法で人々の記憶や思考を捏造し洗脳した。
世界中の人間を騙せても、私達にだけはその魔法は効かない。
私達だけが、正しく正常な世界を知っている。
時間の流れはわからない。起き上がることも出来ずに、ずっと横になったまま見張りが来るのをひたすら待つ。
食事が運ばれてくる間隔は不定期。
暗闇にいるせいで時間の流れを正確に把握出来ずにいる。
何日経ったのか。季節は幾つ過ぎて、国はどんな風に変わってしまったのかを、私達には知る術はない。
あの日を境に、殿下は来なくなった。
食事を運んでくる騎士は喋ることなく、課せられた業務だけをこなす。
こちらから話しかけても返事はない。
隙をついて牢の外に飛び出そうとしたヘリオンは足の骨を折られて、しばらくは安静を余儀なくされた。
時間が経てば綺麗に治るように折ったため、しばらくは痛みに苦しむだけ。
鎮痛剤は与えられない。
一度だけ、殿下の護衛騎士であるグラン伯爵が来たことがあった。
彼はただ、これまでの自分を恥じていることを語り、私達にも過去を顧みるべきだと説教じみたことを言う始末。
そのための時間が、私達にはあるからと。
──反省するべきは易々と洗脳されたお前達のほうだ。
伯爵が語ることで最も、腸が煮えくり返ったのはあの娘……女が幸せに暮らしていると聞いたとき。
不自由なく笑顔で日々を過ごす。
私達をこんな場所に閉じ込めて、悠々自適な生活を送っている。
裁かれるべき罪人が陽の下で生きていることを当たり前に受け入れていることにショックを隠せない。
この国の人間はもっと利口で、常に正しい選択をしていると思っていた。
喋れないまま睨むと、それ以上は何も言うことなく立ち上がった。
闇を照らす光は足音と共に遠くなっていく。
そしてまた、暗闇が訪れる。




