諦めの悪い男
叫んだのはヘリオンだった。ようやく目を覚ましたようだ。
お腹を抑えてフラフラと立ち上がる。
捨てられそうな子犬のような目と、ひどく傷ついたような表情で私を見てきた。
「君は俺の婚約者だろう?」
「ヘリオン・ケールレル!婚約破棄は成立している。滅多なことを口にするな」
「ではもう一度!婚約を結べばいい。そうでしょう」
「そんなこと、出来るわけないだろう」
理解し難い。
婚約破棄の場に立ち会ってくれた王太子の顔は恐怖におののいていた。怖いのはヘリオンの思考。
こんなことになった今でも私と繋がりを持つだけではなく婚約を望む。一体何を考えているのか。
どう表現したらいいんだろ。ヘリオンが浮かべている笑みは邪悪というか。イケメンでも許されないよ、あの顔は。
醜悪さが滲み出ている。
「シオンも俺と結婚したいだろう?」
「いいえ」
答えなんて、それしかないのに予想を裏切られたかの如く傷つく。
公爵に負けじ劣らずの意味不明さ。
ヘリオンは語る。私達がいかに愛し合っていたかを。愛する者同士を引き裂いた王太子は恨んでいるが、私と一緒になれるならそんな些末なことは忘れると。
記憶の捏造がひどい。
手紙を送ったのは事実だけど、一度も返信がなかったから書くのをやめた。読まれずに捨てられるだけの手紙を書く時間がもったいないからだ。
デートも何回かしたけど楽しくはなかった。私を気にかけることなく前を歩くヘリオンは、私が立ち止まったことにも気付かずにどんどん進む。
最後まで聞くと悪酔いしそう。気分が悪くなってきた。
倒れないように近くにいたレイの腕に掴まらせてもらう。
「首をはねたら静かになるけど、どうする」
「オルゼの手を汚してほしくない」
「気遣いは嬉しいけどさ。すっごい鬱陶しいよ、アイツ」
──大丈夫。私もだから。
むしろこの体調不良はヘリオンのせい。
「シオン!俺は君の浮気は許す」
「……浮気とは?」
「その男のことだ」
「レイは友達よ」
「男女の友情は成立しない」
「へぇー、そう。では、ユファンさんと貴方の関係を教えてくれるかしら」
「友人だが?それがどうした」
うん。矛盾してる。
三秒前に男女の友情は成立しないと言ったのは、どこの誰?
ヘリオンはクローラーに続く賢いキャラ。こんなバカ丸出しだったなんて、ファンが泣くわよ。
ありもしない愛を語るその姿は
「気持ち悪い」
イケメンなら何をしても無罪なんて誰が言い出したんだろう。イケメンだからこれは許されないし、許していいはずもない。
しっかりと作り込まれたキャラが存在すればクズであるとクローラーとラエルで証明されていた。
ヘリオンはクズというより異常性のほうが強い。
初めての顔合わせのときから一目惚れをしていたと言いながらも、離れることになった原因は私であると責任を擦り付けてくる。
そもそも。とっくに婚約破棄したのに浮気も何もない。お互いに決められた相手がいないのだから、誰と何をするかは自由。責められ、咎められる理由なんてない。
ヘリオンだってリズと新たに婚約をしようとしていた。ユファンの魔力が上がるまで保留にしてほしいとバカな提案をしたみたいだけど。
「私は貴方を好きではないし、貴方との良い思い出だってないわ。くだらない妄想に私を巻き込まないで」
「違う!!君は俺が好きだったじゃないか!!」
「仮にそうだったとしても、今は好きじゃない」
「どうしてそんなことを……」
「私のことを信じてもくれないような人を好きでいるのは愚かでしょ」
「俺は信じていた!だが、ユファンの魔力に支配されていたから」
「つまりユファンさんが悪いと」
「そうだ!!」
「貴方、人のせいにしかしないのね。確かに魔力に当てられ支配されていたんでしょうね。その後は?噂の収拾をしてくれなかったのはなぜ」
喋らなくなり目が逸れていく。ユファンの魔力のせいだと声を荒らげないのは自分の意志で何もしなかったと認めた。
思考を止めることなく必死に全員を納得させるための言い訳を考えるも、良い案は浮かばないらしく完全に黙り込む。
私を好きな気持ちに嘘偽りがなくても、故意に評判を落とすような男に惹かれるわけもない。
ねぇ、貴方は覚えてないんでしょう?
初めての顔合わせで、私をおぞましい姿と言った貴方の顔は汚らしいゴミを見るような目をしていたことを。
それからも、何度か顔を会わせたけど隠すことのない激しい嫌悪感は言葉を飲み込むには充分すぎた。
あのときはまだユファンと出会ってすらいなかった。
ゲームの力が働いたと思うにはあまりにも……。
ヘリオン。貴方は私を愛していない。
見下し傷つけて、何をしてもいい人形としか見ていないのよ。
貴方にとって私は人の形をしただけの存在。人間として扱ってくれたことは……一度だってなかった。
どれだけ私を好きだと言っても、あの表情こそが本心。
私のことを心底嫌い、自らの醜さを隠すために感情を利用しているだけ。
「俺以外に誰が君を幸せにすると!!?」
ようやく口を開いたかと思えば、謎の質問を投げかけられた。
幸せ……。最も縁遠い言葉。幻。決して手に入らない。夢のような世界。
外から羨むだけで私は仲間に入れてもらえないのが理。
私にとっての幸せはノアールと二人で、この国を出ることだった。
今は……。リーネットでずっと暮らしたい。自分で引いた線を飛び越えるのはまだ怖いけど、いつか……。みんなは待っててくれるから。
無理やり手を引いたり背中を押したりすることなく。私のペースで焦ることはないと声をかけてくれる。
少なくとも私を幸せにしてくれるのはヘリオンでないことだけは確か。
堂々と胸を張って言い切るヘリオンが持つ謎の自信。
聡明な次期当主の愚かさを目の当たりにした国王陛下夫妻は絶句している。これは大公家の育て方が悪かったのか、ヘリオン自身が異常なのか。両方だね。
「お前、さっきから何を言ってんだ?」
オルゼはバカにしたように鼻で笑った。頑張ってヘリオンが作り上げた空気感をぶち壊す。
「シオンの幸せはノアールがいることだろうが」
「そんな獣が?」
「獣じゃない。家族だ。シオンの笑顔の中心であり、愛するたった一人の」
「俺がいる!夫としてシオンを支えるんだ」
「いい加減にして!!私は貴方を好きではないと、何度言えばわかるの?」
「この国以外に君の居場所なんてないだろう」
世間知らずのワガママ令嬢が、見知らぬ土地で生きていけるわけがない。確信を突いたかのように勝ち誇るヘリオン。
「うん。ないと思ってた。でもね、あったのよ。この国では得られなかった私の居場所が。私の名前を呼んでくれる優しい人達がいる国があるの」
何が悲しくて私を虐げるだけの国で一生を過ごさなくてはならないのか。
好奇の目に晒され陰口を叩かれるだけの毎日。心が疲弊する。
生きることが辛くなるんだ。
「それなら二人でどこか、静かな所に行こう。シオンが望むならその獣が暮らすことは許可する」
優しい夫気取り。ノアールの名前を呼ぶこともなければ動物以下の呼称、獣だなんて。
ヘリオンには悪気がないんだ。これならまだ、意図的に攻撃されたほうがマシ。
「もうわかるだろ。シオンの幸せは俺といることでしか得られない」
「いいや。シオンの幸せにお前は不要だ」
「シオンの幸せはノアールと共にある。そして、その幸せは俺達が守る。お前達の存在は、これからの未来にいらない」
「シオン!!どうせその連中も内心ではお前を見下している!そんなおぞましく汚らしい色を、本気で美しいと言うはずがないだろう!!お前は騙されているんだ!!いずれは捨てられるに決まっている!!!!」
「心配しなくても、ちゃんと本気で思ってるよ。シオンの髪も瞳も、女神の如く美しいってな」
「捨てる?シオンは物じゃない。そんなこともわからない君如きが、シオンを幸せにするなんて、天と地がひっくり返ってもありえない」
あれ、ちょっと待って。この立ち位置……。背景や人物は違うけど。
ヒロインを先頭に、その後ろには攻略対象の三人がいる。まるでゲームのトップ画面。
気付いたときには視界は回る。ノアールの空間魔法が発動した。
これまでのように一瞬で目的地に着くわけではなく、随分とゆっくり。張られた結界がそうさせているのかも。
駆けて、止めようとしたヘリオンを拘束したのは王太子の魔法。
「見苦しいぞ、ケールレル」
「お前が邪魔さえしなければ!!シオン!俺は本当に君を愛している!君がいてくれたらそれで……!!」
「もう終わったんだ!シオン嬢の未来に我々ハーストの国民は必要ない!!」
うーん。これはもしや、破滅というやつでは?
誰もが羨み尊敬する力は奪われ、恐らく爵位の返上も余儀なくされる。あんなにも忌み嫌っている平民に落ちて、やっていけるのかどうか。
高みの見物をしたいところではあるものの、彼らの生活には何の興味も湧かない。
国民に後ろ指を差されながら生きていくことになる。
そんな辱めを受けて、これまでと同じような態度でいれば非難の的。
必死に手を伸ばすヘリオンには目くれず、不安を背負い込むユファンに微笑んだ。
「貴女なら大丈夫よ」
この国は変わるだろう。多分、悪いほうに。
最初のうちは慣れない災害や病に苦しみ、苛立ちから怒りを誰かにぶつける。被害者として、永遠に責め立てるのかも。
でも、それは私には関係ない。
国を出て、新しい人生をスタートさせた私が幸せを望むのはリーネットの人々。
「シオン嬢。此度の一件、感謝してもしきれない」
「陛下。感謝はアース殿下にお願いします。私はアース殿下の願いを叶えただけですので」
「これまでのこと、本当にすまなかった。謝って許されることではないが、このまま謝らないのは道徳に反する」
国のツートップが深々と頭を下げる。
この人達が私に関わってこなかったのは自由にさせるとは別に、ゲームの力が働いていたのかもしれない。
公爵が手紙を読まなかったのも真実を知ってしまえばシナリオ通り、私が悪女にならず受け入れ認められ、家族になってしまうかもしれなかったから。
全てはヒロインであるユファンのための駒として、私は悪女にならなくてはいけなかった。
『噂よりもおぞましい姿だったな』
『お前のような欠陥品』
『元はお前が元凶なのだろう?』
『そのまま死ねば良かったのだ』
『詫びながらさっさと死ね!!」』
まるで走馬灯のように脳内を駆け巡る。苦しいだけの日々は吸い込まれるように箱の中に収まっていく。
きっとこれが、永遠の別れになるからだ。もう二度と会うことはない。
背後に現れた空間は自動で私達を向こう側に連れて行こうとしてくれる。
このまま黙って去るのは味気ない。せめて一言だけでも、何か言ったほうがいいよね。さよならなんて、大して親しくもない人にかける言葉ではない。
やはりここは、私らしい言葉でお別れをしたいな。
私は悪女。悪に愛され悪を纏う。生き続けるだけで罪が重くなる。
私が最後に、彼らに向けるべき顔は……
「それでは皆様、ごきげんよう」
悪女らしい笑顔。それに限る。




