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偽物令嬢〜前世で大好きな兄に殺されました。そんな悪役令嬢は静かで平和な未来をお望みです〜  作者: あいみ
最終章

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84/121

生まれる価値、生かされた理由。……言葉の本当の意味

 炎の熱さには慣れている。痛みにだって。


 死を覚悟したのに、炎の矢は消えた。


 なぜ?私は魔法を使っていないのに。


 ノアールが?今のは腐敗というより……。


 気付けば私の守るように前に出たレイの手には黒い剣、魔剣が握られていた。


 「シオン。下がっていろ」


 冷たい声に鳥肌が立つ。と、とりあえず。王太子と同じ場所まで下がろう。巻き添えを食らいそうで怖い。


 「グレンジャー公爵。お前には聞きたいこと、いや、見せてもらいたいことがある」


 魔力を放出しながら近づかれると恐怖。王族の魔力と私の加護で増えた分、その差は脳が危険信号を送るレベルでヤバい。


 人間にも備わる本能が、レイに攻撃をさせた。水と雷を融合させ、更には風魔法でスピードを速める。


 ………………レイって王族だけど、攻撃していいの?


 ふと、疑問に思うだけで口にはしない。そういう状況ではないからね。


 向かってくる魔法を切り裂いた。


 「魔剣の由来は、魔法を斬る剣だ。覚えておくといい。公爵」


 そうなんだ。魔法の剣で魔剣だと思ってた。


 「魔剣。まさかお前……貴方は、レイアークス・リーネット」


 あ、知ってた。


 レイは王族の証である金眼を持たない。暗めの髪色でもあるので、名前を聞かなければ本人だとわからないのかも。


 魔剣を持っている=レイ。そういう認識。


 表情筋が死んでいる公爵の顔が驚きに満ちている。感情がないわけではなかったのか。


 「魔女に洗脳された弱者が父上に近づくな!!」

 「やめろクローラー!このお方は……」


 言うが遅いか、クローラーは炎の玉を放っていた。見ているだけでも熱い玉は他を燃やすことはない。


 レイはそちらを見ることもなく剣を振る。


 斬り裂かれた魔法は塵となり消えた。


 「スウェロ、レクシオルゼ。邪魔者を抑えておけ。方法は問わない」


 「「かしこまりました、叔父上」」


 先に動いたのはオルゼ。一瞬でラエルとの間合いを詰めた。


 「お前相手に剣を抜くのはもったいない」


 防御が間に合わない。オルゼの強く握られた拳はラエルの頬を思い切り殴った。


 手加減をするつもりはなく体は後方へと吹っ飛ぶ。


 「立てよクズ野郎。まだ終わってねぇぞ」


 威圧されて、あのラエルが逃げようと尻もちをついたまま後ずさる。四方八方を土の壁で覆い逃げ場を奪う。


 「お前がシオンを殴った回数だけ、ぶん殴ってやるから覚悟しろよ」

 「お、おい。待て……がはっ」


 今度は顔の真正面。鼻は曲がり、それでも気を失わない頑丈さ。


 「お前みたいな野蛮な奴がシオンの名を口にするな!!」


 さっきから、何かがおかしい。ヘリオンはなぜ、私に関することで怒っているの?


 明確な敵意を向けられたオルゼは、ニヤリと笑った。そういえば、ヘリオンも対象だっけ。処刑の。


 私に止められるはずもなく、事の成り行きを静かに見守る。


 「よく覚えとけ。シオンは昔も今も、ずっと変わらず綺麗だってことをな」


  ラエルで学習したオルゼは、体が飛ばないように襟元を掴んだままお腹に強烈な一撃。


 「ふん。この程度でのびるのかよ」


 拍子抜けしたようにヘリオンを投げ飛ばし、戦意喪失したラエルからも興味を失くした。


 自分よりも強い者にはアッサリと降伏するのか。


 こんな人間でも、植え付けられた恐怖やトラウマのせいでいつもされるがまま。


 一回でもやり返してみれば、今みたいに腰を抜かして私に手を出すことはなかったのかな。


 「いい加減にしろ、シオン!!お前のせいで、どれだけ多くの人が迷惑していると思っている!!」

 「君はそろそろ黙るべきだよ、クローラー・グレンジャー」

 「待ってスウェロ。待って……」


 何かをして意識を飛ばされる前に、この男にはどうしても確認しておきたいことがある。


 聞いたからどうこうなるわけでもないけど、私だけじゃなくシオンも知りたがっていたこと。


 「小公爵様。一つだけ答えて下さいますか」


 物音一つ、しなくなった。


 レイは剣先を公爵に突き立てたまま、その公爵もまた黙って私とクローラーを見ていた。


 母……女性は空気を読んでいるらしい。


 緊張からくる喉の乾きに、誰かが唾を飲む。


 「今回、本物の公女、貴方方の妹が私ではなくユファンさんであると判明したわけですが。当然、私と同じ扱いをするのですよね?」

 「何だと?」

 「だって、貴方方の言う母親殺しは、私ではなくユファンさんだったわけですし」


 最低なことを言っている自覚しかない。


  ユファンが悪いわけではないのに、これではユファンが生まれたせいで夫人が死んだと決めつけているようなもの。


 結果だけ見たら、そうかもしれないけど原因はそれだけではない。


 ユファンの前に二人の子供を産み、公爵からの愛を貰えないことへの不安や焦り、苛立ちまでもを感じ精神的にも体は弱っていた。


 他人からの好感度なんて気にしていないから酷いことを平気な顔で言える。


 俯いてしまったユファンに心の中で謝りながらも、私はクローラーから視線を外さない。


 淀み濁っていた瞳は私を更に軽蔑する。


 「するわけがないだろう!大切な、愛している妹に!!」

 「なぜですか?私にはしたではありませんか。暴言や暴力。使用人へのいじめの命令」

 「黙れ」

 「私を焼き殺そうともしましたね」

 「黙れと言っているだろう!!」


 怒りが頂点に達し紅蓮の炎が身を包んだ。うん、怖くない。背筋をしっかりと伸ばし怯むことなく、逆に睨む。


 「期待を裏切らない答えをありがとうございます。小公爵様」


 クローラーもラエルも母親を殺した妹が憎いわけではない。私だから、憎いのだ。


 入れ替えが行われず最初からユファンが公女として生きていれば、優しい言葉をかけて自暴自棄にならないように手厚くケアをしてあげる。


 私のせいでと自分を責めようものなら全力で「そんなことない」と庇うのだろう。


 仲睦まじい優しい兄妹。家族の在り方。


 入れ替わっていたのが私ではなく、他の人だったとしても彼らはその子を責めることなく兄として接した。


 シオンだけが責められて、憎まれ殺意を向けられる理由はこの見た目。おぞましく人の形をした化け物。


 動くこと、喋ること、息をすること。私が何かをすることが気に食わないだけ。


 薄々感じていながらも、もう二度と会うことがないのなら、どうでもいいことだった。


 「お前みたいな化け物とユファンを一緒にするな!!卑しい平民の分際で公爵家と同等の立場にでもなったつもりか!!」


 身分を笠に着てやりたい放題していた過去を暴露するクローラーにカッコ良さは微塵もない。


 いかに私が最低で醜悪か、人間としての教育を施していたのだと主張。


 傷つくなんて、もうないと思っていたけど少し心が痛んだ。


 「もういいよ。黙ってくれ。不愉快だ」


 クローラーが足から凍っていく。氷を溶かそうとする炎までもが餌食に。


 おっとりとしたスウェロからは考えられないほどの殺気。


 「君が悪いんだよ、クローラ・グレンジャー。私は誰も傷つけない盾で在りたかったのに。私を矛に変えたのは君だ」


 恐怖と驚きに支配された表情のまま凍ってしまった。リアルすぎてちょっと気持ち悪い。


 凍った炎が良い感じに豪華さをアピールしているけど、オブジェとしてはいらないかな。


 クローラーのファンなら或いはほしいかも。私は絶対にいらない。置き場所に困るし。


 で、スウェロなんだよね?これをやったのは。


 魔法……?


 水と何を複合させたら凍るんだろうか。風で急速に冷えるなんてないよね。


 私だけがわかっていないみたいな雰囲気。


 魔法とほぼ一切、関わりを持たずに生きてきた女性はともかく、貴族社会にいた私がわからず、ユファンがわかっていそうなことにモヤっとするのは心が狭い証拠だ。


 魔法を学ぶ学園に通い、攻略者三人から指導でも受けて知識を広げたのだろう。


 「ありえない。その魔法は御伽噺のはずでは……」


 声が震えている。


 立ち上がれないユファンも口元を抑えながらも、必死に現実を受け入れようとしていた。


 「ごめんね、シオン。本当はもっと早くに言うべきことだったんだけど。私は五大属性を持って生まれていないんだ」

 「嘘。だって水とか風を使ってたじゃない」

 「あれは叔父上の鑑定魔法のおかげ。私の魔法はね、五大魔法とは似て異なる派生魔法なんだ」

 「派生?」


 百聞は一見にしかず。


 スウェロは空中に手をかざた。灰色の粉みたいなものが舞う。更にそれが凍り結晶のような美しさを放つ。


 遠くで座り込んでいるラエルが首元を抑えもがき苦しむ。空気を欲するかのように。


 雷のような大きな音が部屋中に響くも、私達には影響はなく、反射的に公爵は耳を塞いでいた。


 極めつけは床や壁から緑が生い茂る。


 「一つじゃないんだ。私が持つ魔法。五大魔法からなる派生、灰、氷、空気、音、森林の五つを所有している」


 派生魔法は闇と光のように希少価値は高いそうだ。しかも自身の魔法だからと必ずしも制御出来るわけでもない。


 御伽噺として後世に語り継がれてきた派生魔法はいつしか、現実には存在しないものだと人々の意識に刷り込まれていった。


 御伽噺自体も実話を元に作られている。最北端に位置する大陸はとても人が住める状態ではなかったのに、派生魔法の男の子が緑を生い茂らせ、荒んだ空気を新しいものと入れ替え、灰は肥料として活用。音で魔物の侵入を感知し、氷で撃退。


 たった一人の魔法により豊かな国へと発展した。


 世界の民が知るところによれば、以降に派生魔法の持ち主が生まれたことは一度もない。それもあって、より現実味がなくなり空想の世界の魔法となってしまったのだ。


 驚くことにリーネットはスウェロが生まれるまで、今のように緑が多くなかった。


 魔物の中には植物を根っこから枯らしてしまう異種魔物もいて、根こそぎ森林が奪われてしまう。


 レイ達が討伐をしてくれたおかげで被害は留まりはしたけど、奪われた緑は戻らない。国は随分と寂しい景色だった。それを救った救世主がまさにスウェロである。


 植物が育つはずのない土地に緑が戻っただけではなく、色とりどりの花も咲く。


 美しい景色は人々の心に余裕を与え、国はみるみる豊かになっていった。


 水の中に粒子が浮かんでいたのは氷だったわけね。いくら魔力を注ごうとも威力や水位が増えるだけで、冷たくなるわけじゃない。


 ──チートはレイだけではなかったのか。


 なんで攻略対象よりモブの兄が能力優れてるのさ。制作側の推しはメインキャラじゃなくてモブなの?


 レイにも裏設定なるものがあるそうで、もう驚かない。


 実はレイ、リーネット周辺国から魔物討伐の依頼が殺到。長く続く交友関係にヒビを入れないためにも、討伐隊は出向いていた。


 魔剣に選ばれし最強の騎士。誰もが縋り、感謝をした。厄介な上級魔物を退治してくれたおかけで、近隣の街や村は怯えることなく過ごせるようになったのだから。


 魔剣を持つ王族。レイアークス・リーネットは言わば恩人。レイがいなければ国の被害は計り知れない。


 同世代でもある公爵は当然、そのことを耳にしている。まさか恩人に攻撃をして、知らぬ間に怒りを買っていたとは夢にも思わなかったみたい。


 無礼を詫びようにもレイの威圧は指一本だろうと、動かすことを許さなかった。剣をペンダントに戻し、公爵の肩に手を置く。


 わざと力を込めているので痛いらしいが、振り払えるわけもなく大人しい。


 「鑑定が終わるまでは動くな」


 その鑑定魔法が特別だった。


 あくまで鑑定は情報を知り得るだけ。プライバシーなんてありもしない。触れてしまえば個人情報ダダ漏れ。


 鑑定中に追加で魔力を流し込めば、とあるページ、魔法属性並びに魔力数値が映し出されるページを奪い取ることが出来る。


 ページは破棄するも良し、第三者に譲渡するも良し。


 あ、なるほど。リーネットの平民の多くが魔力持ちの理由がわかった。


 譲渡は誰でもいいというわけではなく、相性というものがある。スウェロは派生魔法五つ全て持っているから五大魔法に適しているも、オルゼは土と水以外の属性は合わず新たな魔法は得られない。


 欲張って無理やりに属性を増やすと体は耐えきれなくなり身を滅ぼす危険もある。


 レイが魔法と魔力の講座を開いているのは、自分が与えた力を暴走させないため。常に魔力の数値は鑑定し体調を気にかける。


 魔力暴走を起こしたときには、体内から魔力を放出することで落ち着きを取り戻す。


 イメージとしては吸った息を吐く感じ。説明が噛み砕いてわかりやすいから子供でも理解する。


 ──チートが具現化され人の形を得たような人間なんだな、レイって。


 能力がてんこ盛りすぎて引くんだけど。いいよもう。魔剣持ってるだけですごいんだからさ。


 「グレンジャー公爵。お前、知っていたのか。シオンが平民であると」


 目当ての情報を得たレイの目は公爵を蔑んでいた。


 肝心の公爵は狼狽え、バチバチと音がしたかと思えば超至近距離で感電死する威力の雷を放った。


 濃い煙に包まれ、煙を風で吹き飛ばすとレイは無傷でホッと胸を撫で下ろす。


 魔剣を使った様子はなく、どうやって防いだのか。


 「叔父上は生まれながらにして炎の最上級魔法を会得していたんだよ」


 巨大で強い魔法があるなら、最上級魔物との戦いで犠牲者を出さずに済んだのでは。


 レイほど自分に厳しい努力を怠らない人なら魔法のコントロールも完璧なはず。


 語ってくれるスウェロの瞳は悲しげで、前置きとして本人ではなく兄である王様から聞いたことであると。


 そして、魔法とは成長に合わせて習得する階級を上げていくもの。生まれながらに最上級魔法を持つのはとても危険で、私達の想像を遥かに超える。


 魔法の威力は魔力で決まるもので、兄弟揃って突出した才能に恵まれたことが悲劇を生んだ。


 従者に最上級魔法を見せてほしいと頼まれ安請け合いしてしまった。まだまだ幼く、純粋な少年は何も考えずに魔法を発動させた。


 一度として使ったことすらない、最高峰の炎魔法を。


 最小限になるように魔力は抑えたにも関わらずレイの周りを焼き付くし、従者は重度の火傷を負った。


 傷つけるつもりがなかったのが幸いだったのか、大火傷を負っただけ。命に別状はなかった。


 死ななかったからと言って安心していいものではない。


 寝たきりにならなかっただけで、皮膚は爛れて瞼は半分も開けられず。耳もほとんど聞こえなくなった。笑う度に火傷が目立つ。


 第二王子の従者として傍にいることは叶わず、他の候補者が選ばれた。


 誰かが悪かったわけではない。


 悲劇はレイの心を深く傷つけ、トラウマを植え付けてしまったのだ。


 罪悪感に駆られ謝罪ばかりを口にするレイの心を軽くしたい一心で、彼らはリーネットを旅立った。


 五日ほどで辿り着く国に移住したことで、レイはいつも通りを取り戻していったが、それは人前でのこと。炎を見るだけで表情は強ばり過呼吸を起こすときもあれば、気を失うことも。


 そんなレイを支えたのが、やはりと言うべきか、兄である。


 一ヵ月もしないうちに症状は緩和され、私達がよく知るレイに戻った。


 でも、傷が癒えたわけではない。


 以降のレイは自分の魔法を鑑定と色彩のみとし、炎魔法は封印した。


 特訓のために魔法を使おうとすれば、記憶が掘り起こされ視界が眩む。あの日の情景に体は硬直。周りに人がいなくても使うことを躊躇してしまう。


 強くて完璧なレイは実は脆い。その欠点は軽々しく口にしていいものではなく、触れないことが暗黙のルールとなった。


 魔法がなくても剣の実力は本物のため、隊長として部下に慕われている。今でも。


 「なぜ一つの国に特別な魔法がそんなに存在するのだ」


 五大魔法を全て持つのは特別。公爵は特別な人間のばすだった。今、この瞬間までは。


 完全に魔法をコントロールしたレイは紅蓮の炎で公爵の魔法を焼き尽くした。矛先を変えれば公爵自身が灰となる。


 「公爵。選ばせてやる。話すか死ぬか、好きなほうを選べ」


 話す一択しかないよね、それ。選ばせてあげてる風ではあるけど、実際には脅迫。


 公爵の額から汗が流れた。暑いわけではない。これまで無縁だった恐怖により緊張している。


 隠しておきたい秘密は見つからないように奥のほうにしまい、何重にも鍵を掛けて開けられないようにした。


 秘密は見つかっただけではなく、鍵は壊され、もうなかったことにはならない。


 誰もが公爵が喋るのを待つ。


 言い訳をするか、開き直るか。どちらにしても私は……。


 逸る鼓動を抑え、取り乱さないように冷静なふりをする。私の感情はノアールにだけは伝わっていて、そっと寄り添ってくれた。


 「話す前にクローラーの氷を解いてもらう」

 「貴方が条件を出せる立場だとでも?」


 静かな怒り。




『殺すこと自体が生温い。死んで苦しみから解放するよりも、永遠に苦しみを与えるほうが効果的だよ』




 いつか、そう言っていた。


 氷漬けにされた人間が元に戻る方法は一つだけ。スウェロが魔法を解除するしかない。使い手であるスウェロが死んだとしても、氷は溶けることなくそのまま。


 恐ろしいことに、凍ってしまった人間には痛みはあり、腕の一本でも砕こうものなら治まることのない激痛に襲われる。


 壊れた体の一部が治ることもないので、死ねないまま痛みと共に生きていかなくてはならない。


 誰かが割ってしまいバラバラになってしまったとしたら……。


 ──まさに永遠の苦しみ。


 「構わない。スウェロ、解いてやれ。その男も知る権利はある」


 やれやれといった感じで肩をすくめた。氷はキラキラした粒子となり宙に舞う。


 外気に触れたクローラーは生を確かめるべく左胸に手を当てる。感じる鼓動に安心していた。


 これで話す条件は揃った。


 凍っていたクローラーにも意識はあり、取り残されることなく現状を把握している。


 公爵は私を一瞥し、ゆっくりと口を開いた。


 「わからないわけがない。愛する女性が命懸けで産んだ子供かどうかなんて」


 頭を鈍器で殴られた衝撃。それとも心臓をナイフで一突き。どっちでもいい、そんなこと。


 私の驚きを表す言葉はない。


 二人は政略結婚でお互いの間に愛はなかった。だから夫人はあんな真似を……。


 違う。公爵が夫人を愛していたことは本人のみぞ知る事実。愛を求めていた夫人に伝えたことはなく、仕事ばかりで顔を会わせた日を言えるほどの回数しか一緒に過ごしていない。


 全身から血の気が引いた。


 熱が奪われるように体は冷たい。苦しいのは酸素が薄いからかな。


 「シオンが偽物だと知っていたならなぜ、お前は本物を迎えに行かなかった」

 「妻がそんなことをした理由もわからないまま、正常に戻すなんて出来るわけがない」


 夫人の専属侍女なら理由は知っていたはず。聞けば良かったのでは?


 「侍女は既に侯爵家に戻っていた。私が訪ねたり呼び出したりすれば、義両親が何かに気付くかもしれない」

 「最初から全てを知っていたのに、何に気付くと?」

 「何も知らない可能性があった」


 そうか。この人……。家族も愛しているんだ。夫人と子供だけではない。


 夫人の家族である侯爵家も公爵の大切な家族。血が繋がっていなくても。


 赤ちゃんの取り替えを知っている確率のほうが高くても、絶対と言い切れないのであれば不容易に行動を起こすわけにはいかない。


 ただでさえ最愛の娘が死んでしまったのに、孫が平民と入れ替わっているなんて……。


 悲しみに暮れる人を絶望に突き落とすような非道なことは出来なかった。


 侍女は夫人の死後、侯爵家の屋敷からほとんど出ることがなくなり、偶然を装っての接触も簡単ではなかった。


 愛しているのに、何を考えているかわからない。公爵は諦めて私を公女とした。その意味は?


 「わからないのは貴方よ」


 感情のない声はやけに耳に残る。


 平民が公爵にタメ口だったのが気に食わないクローラーが、私の態度を咎めようとするも器用に口だけを凍らされ喋れなくなった。


 実力で邪魔をしようものなら、クローラーは再び氷漬け。


 「本物の居場所もわかっているのに、偽物を公女とするなんて」


 私を見る公爵の目は強気で、それでいて侮蔑の色が伺える。


 「クローラーとラエルは私よりも妻といる時間が長く、妻を失った悲しみは計り知れない。やり場のない感情は悪影響だ」


 その先は聞くまでもない。数人が「黙れ」と言うよりも早く続けた。


 「それならば、怒りも悲しみも元凶にぶつけたほうがいいに決まっている」

 「だからシオンへの虐待もいじめも容認してたのか?子が子なら親も親かよ。クズの家系はどこまでもクズばっかだな!!」

 「貴方は私が息子の手によって殺されることを望んだの?」


 私の疑問が癇に障ったのか、美しい顔が怒りで醜く歪んだ。


 「私の、私達の息子が、お前のような卑しく薄汚い平民如きのために手を汚すだと?どこまで愚弄すれば気が済むのだ」

 「では!ただ苦しめたかっただけだと!!?陰口や暴力、陰湿ないじめ、地下に閉じ込められるときもあった。そのまま忘れ去られて、死にかけたことが何度もあった」

 「そのまま死ねば良かったのだ」


 表情だけでなく、言葉にも含まれた殺意。こんな場面で冗談を言うようなお茶目な性格をしていてもゾッとする。


 「お前が死ねば、私はすぐに自分の娘を迎えに行けたのに」


 傷つけられているのは私のはずなのに、公爵のほうが悲しみ傷つく。


 「お前さえ生まれなければ、私達家族が引き裂かれることはなかった。お前さえ、いなければ……!!お前の価値など、死以外にありはしない!!」

 「納得するとでも?お前の息子がそれを!!突然、連れて来た子供が本当の妹であると!!」

 「闇魔法の性質は皆が知っている。生まれたときから魔法を使い洗脳し、自らが公女になるように入れ替えさせた。その説明で充分だ」

 「いや、充分じゃねぇよ。真実捻じ曲げて、シオンを悪者にしやがって」

 「魔法を使っていない証拠など、どこにもない」


 都合の悪いことは私のせいにして責任を押し付ける。悪女に悪事が加算されたところで、どうだというのか。


 悪びれることもない公爵はクローラーの親であることを実感させられる。プライドの高さはクローラーのほうが上だけど。


 その息子が私を殺そうとしたと報告を受けたとき、さぞ私を憎んだだろうな。大人しくサンドバッグに徹していればいいものを、余計なことを言ったかでクローラーを怒らせただけでなく殺させようとした。


 魔法で焼き殺そうとしたから手は汚れていない?公爵からしたら、そういう次元の話ではなかった。


 殺したらダメなのだ。愛の結晶でもある愛する息子が、平民なんて掃き溜めで生きるしかないような最下層の人間なんかを。


 関わっただけでも人生の汚点なのに、殺したとなればクローラーの輝かしい未来に傷がつくかもしれない。


 だから……私は自殺をしなくてはならなかった。苦しみに耐えきれなくなって。


 闇魔法の詳細を誰も知らないことが好機であり、私が死んだことにより洗脳が解け、血の繋がった本物の娘を迎え入れることが出来る。


 「こた、えて……。私の罪は……何?こんなにも貴方に恨まれ憎まれることを……した?」

 「お前の罪だと。そんなこと知れている。生まれたこと、お前のその穢らわしい命こそが罪だ。お前のような醜い化け物かグレンジャーの名を語っていたなど……汚点でしかない」


 これはレイにとっても予想外。私を傷つけるだけなら、レイは公爵に話させなかった。


 鑑定で見たのはあくまでも、公爵が私の出生を知っているかどうか。


 何を思い考えていたかまでは読まなかった。


 だってまさか、そんな……。人として最低なことを思っていたなんて誰が想像する?


 ──大丈夫だよ。レイが悪いわけじゃないから。


 どんな理由なら許せたのだろうか。


 ただ知っていただけなら良かった?夫人のことが嫌いで、似ている娘と顔を会わせることが苦痛でたまらない。


 だからずっと、入れ替えたままだった、とかなら、ここまで怒り心頭することもなかった。


 でも、現実なんてそんなものだ。想像を遥かに超えることのほうが多いし、思い描いた通りに事が進まないからこそ人は生きることを楽しむ。


 今回ばかりは多少なりとも思っていた答えが返ってきて欲しそう。


 クローラーが寝込んだとき、公爵が様子を見に来た時点でその可能性は視野に入れておくべきだった。設定にこだわりすぎて、つい忘れてしまいがち。


 彼らはここで生きている人間であると。心や感情があり、思考を持って動く。


 仕事人間が実は家族を愛していましたなんてのは、不思議でもなかった。


 家族。


 ずっと憧れていた。


 わかっている。偽物は本物にはなれない。羨み、求めたところで、偽物に用意された未来は破滅。


 私がいなければユファンは本物の家族に愛されて、唯一の公女としてその生を祝福された。


 この国に住む人々だって、こんな風に苦しみ痛みを負うこともなかったのだ。


 人の上に立つべき王太子だって、平民如きに頭を下げなければならない現状を作り出した私のことを恨んでいるかもしれない。


 私と出会うこともなければ、レイ達は嫌な思いをしなかったのだろう。


 私さえいなければ、誰かが不幸になることはなかったし、みんなが笑顔を絶やすことなく平和で幸せに生きていられた。


 加速する胸の痛み。泣かないように必死で堪えた。


 「最低!それでも人の親なの!!?自分達の勝手でシオン様を傷つけて、開き直るなんて!」

 「生まれながらに高貴なお前と平民では、命の価値が違う!!」

 「同じです!!人の命は等しく平等に尊いのです!!」

 「私達家族を引き裂き、唯一の公女であるお前を平民に突き落とした悪女など、人間ですらない」


 私は生まれてくるべきではなかった。


 せめて公爵が、何も知らずにただ私を憎んでいるだけなら、痛みには耐えられたのだろうか。



『………………もしかして………シオン……か……?』



 あれはまだ生きていたのかという、疑問だった。


 だって、公爵が家族を愛しているなんて、そんな情報どこにもなかったじゃない。


 公爵は私の死を望んでいた。首吊り、餓死、手首を切るのもいい。どんな死に方だろうと私が死ねば万々歳。


 私と顔を会わせることなく、ただずっと。待っていたんだ。私が自ら命を絶つその瞬間を。


 夢を見ていた。本物の娘を迎え、家族として過ごす時間を。


 夫人が手塩にかけて育てた花々が咲き誇る庭でテーブルを囲み、家族でお茶会を楽しむ予定だった。


 絵に描いたようなアットホームな家族。使用人は微笑ましく、その様子を遠くから見ては完璧な家族だと憧れる。


 邪魔者がいなくなった世界は幸せに溢れ、色が消えることもなく順風満帆な人生を歩んでいくのだろう。


ほとんど無意識に、私は呟いていた。



 「生まれてきて、ごめんなさい」

 「っ、シオ……」


 目の前が真っ暗になった。


 生まれた価値、存在理由、生きる意味。全てなかったのだ。


 祝福されずに生まれてきた存在が図々しくも他者と同じように愛されたいなどと。勘違いも甚だしい。


 回りくどいやり方をしなくても、家族のために死ねと直接言ってくれたら、喜んで命は差し出した。


 どんな残酷な命令(ねがい)だったとしても。最初で最後、家族が望む本気の願いを叶えたら死後、家族として認めてもらえるのではと希望に縋れた。



『生まれてこなければ良かった』



 シオンの言葉(おもい)が重くのかかかる。


 決して交わることのない二人の魂が触れ合ったことにより、私達は多くの真実を知り得た。でもそれが、同じものとは限らない。


 シオン、貴女は……この未来を視たの?それとも公爵の隠された思惑を?


 胸が張り裂けそうだった。痛くて、ただ痛くて息が出来ない。


 傷ついたわけではない。傷つくほど何かを期待していたわけではないからだ。


 ただ……痛いだけ。


 痛みが心臓を貫き、痛いの感覚すらなくなる。


 フラフラと数歩前に出ては、膝から崩れ落ちる。空なんか見えやしないのに上を見上げた。


 白く高い天井。青い空でも見たら気持ちが落ち着くとでも思ったのだろうか。


 フッと自嘲の笑みを浮かべた。静かに涙が零れる。


 一滴の雫が零れ落ちると下から現れた黒い影が一筋の光を通さないように私を隠した。


 「生まれたくはなかった」


 自然に口から出た。今頃になってようやく、言葉の意味に気付くなんて。やっぱり私はバカだ。


 生まれてくる価値も生きる理由もない私は、世界に必要とされていない。邪魔者で、弾き出されていた。


 人並みの幸せさえ夢見ることは叶わず、人形で在れば良かっただけ。


 奇しくも私は、私を嫌う彼らの願いを叶えようとしていた。


 色のない世界に映るものは何もない。


 目を閉じ、次に開けたとき、どこか見たような暗く黒い世界に立っていた。

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