番外編 伝わらないもどかしさ【ノアール】
シオンが泣いた。いっぱい泣いた。
悲しいからじゃない。ぼくにはわかるんだ。シオンは嬉しくて泣いている。
キラキラ光る涙がとても綺麗だったのを、ぼくはきっと忘れない。
シオンはずっと眠っている。いっぱい頑張ったから、ちょっと疲れてるんだって。しばらくしたら起きるって言ってたけど、しばらくっていつ?
名前を呼んでも笑顔で返事をしてくれない。ぼくの名前をこんなに呼ばない日があっただろうか。
寂しくて、どうしようもなく怖い。お母さんみたいにもうずっと、目を覚まさないんじゃないかと。
『ノアール』
ぼくの世界はちっぽけだけど、シオンがいるから楽しい。シオンがぼくの全て。
一人は嫌だ。置いていかれたくない。シオンがいるなら、ぼくはどこへだってついて行く。
朝と夜を待つだけの日々。
シオンの生きている鼓動は感じる。ドクンって音が鳴っているのは心臓。これが動いていれば生きている証拠。
でもね、変なんだ。心臓の音、変わったように聴こえるのは気のせい?
聞いてしまえば、シオンがいなくなってしまう気がして、何も聞かないようにした。
寂しくないように、ぼくはここにいるよって言うように、ピッタリ引っ付いてぼくも眠る。
早く目を覚ましてね、シオン。ぼくはシオンがいなかったら、生きていかないから。
なんだろう。よくわからないけど、シオンが目覚めるって思った。
すごくすごく嬉しくて自然と尻尾が動く。
じーっとシオンを見つめていると、ハッとした。
そうだ!シオンを助けてくれた人にお礼しないと。
シオンの傍を離れるのは嫌だけど、ちょっとだけ。ありがとうって言ったらすぐに戻ってくるからね。
いつもシオンがしてくれるみたいに、ほっぺたにちゅってした。何だか恥ずかしくて、体が熱い。熱を覚ますように外に飛び出した。
ここは風が吹くと良い匂いがする。リンゴの甘くて美味しい匂いだけじゃない。向こうの国にはなかった、人の優しくて温かい匂いまでもが漂う。
冷たい目も傷つけるだけの言葉も、暴力だってない。シオンの心が黒くなることはなかった。
シオンの名前を呼んで、優しく笑ってくれる。叩くためじゃなくて抱きしめるために伸ばされる手。
──だからぼくは、この国が好き。
みんながシオンに優しいんだ。
「お、ノアール。シオン様はまだ目が覚めないのか」
「心配だな」
【大丈夫!シオンはもう起きるから】
「そうだよな。お前も心配だよな」
ぼくの言葉はシオン以外の人には聞こえない。みゃーとかにゃーとか、猫の鳴き声。
大きな建物を守るように立っている二人の人間は頭とか背中を撫でてくれる。撫でられるのは嬉しいけど、ちょっと痛い。もっと優しくしてほしいけど、わざとじゃないから平気。
門を超えた。まずは何とかの森に行く。お礼だから、リンゴを持ってくの。
シオンが大好きでお気に入りの道を真っ直ぐ歩くと大きな樹が見えてきた。
真っ赤で美味しそうなリンゴがいっぱい。じゅるりと垂れる涎を拭って、頭をブンブンと振る。
今日の目的は食べるためじゃない!お礼にあげるため。ぼくが食べたいから来たけじゃないんだ。
どれがいいかな?赤か緑。大きさはどれも同じ。匂いもあまり違いはない。
下から見上げるように選んでいると、てっぺんに近い枝になっているリンゴにビビっときた。
──あれが一番美味しい!!
木を登るのは得意だ。
目的の枝に辿り着いて、爪で軽く引っ掻けば簡単に採れる。地面に落ちる前にキャッチした。
いつもならシオンが持ってくれるけど、今日はぼくしかいないから。口に咥えて来た道を戻る。
隣に誰もいないことがこんなにも寂しいと感じるのは、ぼくにとってシオンが隣にいることが当たり前になっていたから。
通い、見慣れた建物の中を進む。時々、人間とすれ違うとみんな、シオンの心配をしてくれる。もうすぐ目が覚めるよって言っても伝わらない。
部屋の前に着くと扉は閉まっていた。しばらくじっと見つめていると、細い黒い影が伸びていき扉を開ける。ぼくが通れる隙間程度に。
中には二人いるのか話し声が聞こえた。入ろうとすると、家を造ってくれた人間と目が合う。小さな悲鳴を上げられたけど、ぼくを怖がるではなく踏みそうになって驚いただけ。
人間の行動には感情が伴っていて、その感情によって行動や言葉の意味は大きく変わってくる。
そのことに気付けたのは、世界には悪意と殺意だけが渦巻いているわけじゃなくて、悲しみと怒りに身を焦がすばかりではないと教えてくれる多くの人間と暮らすようになったおかげ。
ぼくはシオンといるだけで楽しいし嬉しい。幸せでもある。シオンだって同じ気持ち。
でも、ふとしたときに、羨ましそうな顔で人を見ているときが何度もあった。
望んでも手に入らないから、それらを口にすることはなかったけど。ぼくはちゃんとわかってるよ。
シオンが本当は名前を呼んでくれる人間の家族を求めていること。ぼくが人の姿をしていたら。シオンは喜んでくれただろうか。
叶うことのない現実に胸を膨らませながらも、ぼくはぼくのままでいいんだと自信を持って言える。
何者になれなくても、ただのノアールでいい。
いつもの位置に座っている人間もまた、ぼくを見ては驚く。紙がいっぱい置いてある机に飛び乗り、一番美味しいリンゴを差し出した。
【これ、お礼だよ】
「ルイセ。悪いが厨房で切ってもらってくれ」
「かしこまりました」
【違うー!あげるの!食べて!!】
これはこの人間にあげたの!持ってっちゃダメ!!お礼なの!シオンを助けてくれた。
取られないように守っていると、人間は不思議なことを言い出す。このままでも食べられるように洗う魔道具を持って来てほしいと。
むぅ。これじゃまるで、ぼくが食べたいから持って来たみたいじゃないか。
ぼくは、シオンに愛してるを伝えたくて喋れるようになりたかった。シオンにだけ想いが伝わればいいと思っていたのに。
人間の手を頭で押してリンゴの上に乗せた。最初は重かったけどすぐに軽くなった。
「……くれるのか?」
【そうだよ!】
伝わった!感謝の気持ちが。
これね、一番美味しいんだよ。絶対。
シオンの瞳とは違う、落ち着いた赤紫色の瞳は綺麗。見ているだけで楽しい。
人間の手が体に触れた。撫でてくれる。絶妙な力加減で気持ち良い。
違う!そうじゃない。危なかった。ぼくはお礼を言いに来たんだ。
【ありがとう、シオンのこと助けてくれて】
「みゃーみゃー鳴いて可愛いですね」
「それはそうだが。書類の上に乗られると困る」
困ったように苦笑い人間。もしかして、怒ってる!?
ぼくはシオンが泣いた理由を知っているけど、人間は知らない。
違うんだよ!シオンは嬉しかったの!心配をしてくれたことが、自分のために怒ってくれる人がいてくれたから!!
シオンの気持ちが伝わらないことが辛くて必死に訴えてもぼくの言葉は聞こえない。
「遊んでほしいのではないですか?」
【ごめんね。シオンのこと怒らないで。見捨てないで】
「遊びというか。私には何かを抗議しているように見えるのだが」
やっと見つけた大切な居場所。ここを追い出されたらシオンはまた……。
もういやだ。苦しそうなシオンを見るのは。大好きだから、愛してるからずっと笑顔でいてほしい。
「ノアール。鑑定魔法を使ってもいいか?」
かんてい?何でもわかる、魔法の魔法だ!
それを使ったら僕の言葉がわかって、シオンの気持ちも伝わるかも。
【うん、いいよ!】
人間はぼくに触れたまま何もない宙を凝視。視線だけが動く。時々、「ほう」って感心するような息が漏れる。
多分、ぼくの言葉は伝わっていない。でも、人間の感情が少しだけぼくに流れ込んできた。
シオンのことを怒っていたのは心配していたからで、それだけ。嫌いだから怒ったんじゃない。
シオンを助けられなかったらという不安に胸が押し潰さそうになっていた。今はもう安心して、早くシオンが目覚める日を待ってくれている。ぼくと同じように。
【ごめんね、ありがとう】
伝わらないからと口にしないのは間違っている。想いを口にしたら、もしかしたら。ある日突然、伝わるかもしれない。
大事にしたい想いは言葉にしなくては。伝えたいことなら尚更。
かんていが終わったのか、そっと手を離す。
その表情はどこか満足気な、納得していた。
「シオンは王妃殿下から満月花を貰ったと言っていたな」
【まんげつか?】
聞いたような、聞かないような。
「わからないか、満月花。んー、そうだな。花、ならわかるか?」
【花!】
「ふっ」
さっきまでと打って変わって雑な撫で方。
立ち上がっては棚に置いてある鉢を取り、窓辺に置いた。太陽が蕾に当たる。ゆっくりと花を咲かせた。
向こう側が見えるような透明な花。キラキラしてて、目を見開く。
「花は嫌いだったか?」
こんな綺麗な花をぼくだけが見てしまったことに罪悪感が膨らむ。
また来たらいいと言ってくれたけど。初めての綺麗なものは、いつでも一緒が良かった。
「ルイセ。少し出てくる」
「え、書類は」
「期限は今日中だ。夕方までには終わらせる」
人間は部屋を出て行く。シオンのお見舞いに来てくれるのかな。
後ろをついて行ってると人間の背中が遠くなることはなかった。足早にならなくても、その背中は見失わない。ぼくのペースに合わせてくれているんだ。
とても小さなことだけど、それはとても嬉しいこと。
頬が緩みニンマリとしてしまう。だらしのない顔だから見られたら恥ずかしい。
シオンはこの人間のことを頼りにしている。愛おしいとは別の感情。
でも、だけってわけじゃない。シオンを見ると熱を持って近寄りがたくなる人間も時々、怖くなる人間も、シオンの周りにいる人間達も頼りにしているだけじゃなくて、信頼して必要としている。
──あれ?シオンのとこに帰るんじゃないの?
ついたのは剣を持った人間がいっぱいいる所。きしりょうって、シオンが言ってた。
「団長ともあろうお前が部下を心配させるな」
「俺がもっと強かったら、シオンは助けを求められてはずなんだ。俺が弱いせいでシオンは……!!」
「その理屈なら私も弱いということになるな」
「叔父上は強いです!!強くてカッコ良くて騎士の憧れです!!」
「そんな力説しなくてもいいのだが」
外は良い天気で、ついあくびをしてしまう。ついでに体も伸ばす。
何を話していたか聞いていなかったけど、不意に名前を呼ばれたから返事をした。
「ノアールもお前が無茶をすることは望んでいない」
【なぁに?呼んだ?】
ぼくに用事があったわけではなかったみたい。すぐまた二人で話し始める。
しばらく待っていると、とんでもないことを言い出す。
「私はレクシオルゼと稽古しているから、お前達はノアールを退屈させないように遊んでやれ」
──なんと!?
背筋が凍った。
バッと振り向くと微妙に距離が近づいてきる気がする。
ぼくを囲んでいた怖い顔をした人間は、顔が怖いだけで、ぼくに酷いことをした人間達とは違う。
──でも!!怖い!!顔が!!
わかってる。ここにいる人間はみんなシオンが好き。シオンを傷つけないし、シオンも一緒にいることで笑顔が増えた。楽しそうに笑って、人と接することが嬉しそうで。
時々、そんなシオンの変化に寂しくなるときはある。いつかシオンはぼくに見向きもしなくなるんじゃないかって。
ぼくは……それがシオンにとって幸せなら、それでもいい。本当はすごく寂しいけど。
シオンが笑顔で幸せになってくれることが、ぼくにとっての幸せ。
例えば、シオンの望む幸せにぼくが必要なかったとしても、ぼくはそれを受け入れられる。
初めて会ったあの日から、ぼくの名前を呼んでくれたあの日から、ぼくはシオンが大好き。愛してる。
シオンとの日々がぼくを強くしてくれた。
もしも本当に、そんな未来が来るとしたら、もう少しだけ待ってほしい。寂しいを我慢出来るようになるために、シオンの傍でいっぱい、愛しい時間を胸の中に貯めておくから。
どんなに遠く離れていても、ぼくは一番にシオンの幸せを願う。
「レクシオルゼ、昼までなら稽古をつけてやる」
「本当ですか!?ありがとうございます」
【シオンのとこ帰るのーー!!】
「ノアール。こっちは危ないから、向こうにいるんだ」
輪の中から外れようとする人間の裾を引っ張った。足にしがみつくようにしていると大きな手が、ぼくのお腹を持ち上げた。一瞬にして足が地面から遠のく。
──ふぅ、これで帰れる。シオンがぼくを待ってるんだ。
安心していると、今度は土の人形を作ってくれた人の手の中。
帰ることはなく、顔の怖い人に囲まれて身動きが取れない。助けてくれる二人は木の棒を打ち合う。
ぼくには見向きもしなくなった。
みんな優しい人間だとはわかってる。でもやっぱり、怖いものは怖い。顔が!!
助けを求める視線には気付きもしないで、目の前にいる人間に集中していた。
【は、はくじょうもの~~!!!!】
どんなに叫んでも、ぼくの言葉はシオン以外には伝わらない……。




