裁かれる罪人は私だった
「レーツェルの森に行くの?」
「うん。リンゴ採らなきゃね」
「シオンがいっぱい採ってくれたから平気だよ」
すりおろしたリンゴを各村や街に届けるのも順調。一家にひと瓶はまだ実現していないため、私はもっともっと頑張らなくてはならない。
「もしかして。何も聞いてない?」
「何を?」
オルゼは首に手を当てて気まずそうに、何かを恐れるかのように私から目を逸らす。
短い沈黙の後、レーツェルの森に行こうとわざとらしい笑顔を作る。
「待って。気になるんだけど」
行こうとする腕を掴んだ。オルゼもムキムキの筋肉マッチではないけど、腕の筋肉は固くかなり鍛え上げられていることがわかる。
成長すれば当然のことながら背も伸びる。ガタイも今より良くなるだろう。
簡単に振り解けてしまう私の手を優しく剥がしては、耳を疑う信じられないことを述べた。
「リンゴ……増えてるんだ」
──増える、とは?
私の解釈、想像……。何にせよ、思っていることが正しければ、一つのリンゴが二つ三つになっている。そういうことになるわけだけど……。うん、それで合ってるみたい。
──で、結局どういうこと?
誰かが複製魔法みたいなもので増やしているわけでもなく、神のイタズラの如く増え続け、すりおろし作業が間に合っていないとか。
すってもすってもなくならい。終わりの見えない作業に疲労困憊。ある種の拷問。
善意で採ってくる私に、もう採らないでとも言えなかったみたい。
──言って!?やめるからさ!!
レイが鑑定しても増える謎についてはわからないまま。
レーツェルの森は別空間にあるためか、奇跡の樹から採ったことにより分裂しているのか、単にリンゴという特別な果物がそうなるだけなのか。
リンゴは秘匿性があるため王宮内の限られた人間でのみ作業が行われる。新たに人を雇えないのが痛手。
配るときもリンゴであることは伏せて、免疫を高める薬と銘打っている。万能薬だし、薬と言えば薬。
仮にリンゴであると、ついうっかり口を滑らせてしまっても、人々が思い浮かべるのは赤くて丸い果物。
原型を留めていないすりおろされた物では信じる人は誰もいない。
「わかった。保管してあるリンゴがなくなるまでは採らないことにする」
「ごめん、ありがとう。助かるよ」
「えーー、じゃあどうしよう。することなくて暇だ」
「図書館は?王立図書館。広くて大きくて色んな本があって退屈しないよ」
「本かぁ。うーん……。あ!それならさ。魔物のこと教えてくれない?」
と、言うことで。王立図書館にレッツゴー。
国最大の図書館は一階建てではあるけど、広さが充分すぎるほどある。数字で表せる頭を持ち合わせていないので、ざっくりと言えば貴族の屋敷とほぼ変わらない。縦ではなく横に広げている感じだ。
壁一面に本棚が設置、倒れたりしないように固定されている。誰でも取りやすいように四段。そのため、通常の図書館よりも本棚が多い。
魔法、魔物、歴史、作法、物語などなど。それぞれ分かれており、各分類を読むためのスペースも設けられていた。
大勢で読むために大きめのテーブルと椅子が三つずつ向かいあっている。
一人で静かに読みたい人には個別テーブル。左右を仕切られているため周りを気にすることもない。
司書の女性はノアールをペット扱いすることなく、「可愛いですね」と褒めてくれた。
学校がないリーネットでは不定期に行われるレイの講座を除けば、図書館に通い学ぶしかない。家庭教師はいるものの、自分達で調べ理解することも大切だと教わった。
自主性が高く、あまり裕福ではなく家庭教師が雇えない下級貴族や平民に率先して上級貴族の子息や令嬢達が文字の読み書きまで教えている。そのため、毎日のように図書館は人でいっぱい。
身分や階級で差別することなく人で溢れかえる現状に、ハーストでは絶対にありえない光景。だって彼らは人は差別するものであると根っから信じている。
下々の者は見下して当たり前。貴族でもない平民は道端に生えている雑草扱い。なるべく同じ空気を吸いたくないので、王都に足を踏み入れることすら嫌悪する。
「ここ、空いてるね」
歴史スペースに空きがあり、流れるように椅子を引いてくれる。オルゼは魔物に関する本を選んで正面に座った。
開いたのは魔物図鑑。最新版。
「えっと。魔物のことを知りたいっていうのは、具体的にどういう」
「そのまんまの意味よ。例えば、ほら。初級、中級、上級って分かれてるでしょ?見分け方は?」
「魔法を使えないのが初級魔物。怪我を負わせるのが中級……」
「それは知ってる。聞いた。じゃなくて。見た目で判断出来ない?」
「見た目……」
そんなに頭を悩ませないといけない質問だったかな。
歴戦の勇士なら一目見るだけで強さがわかってしまうのだろうけども。騎士団長は武力だけでなく頭も鍛えているんじゃなかった?
「そうだ。瞳の色だ。初級魔物は青色、中級魔物は黄色、上級魔物は赤色って感じになってる」
信号機みたいだな。青は進め、すなわち安全。黄は注意して進め、油断するな、気を付けろってところ。赤は止まれ、危険。
「この前の角が生えてた魔物は?」
色なんて付いていたかな。気が動転してパニック起こしていたし、記憶に自信があるわけではない。
「異種魔物には色がないんだ」
「あー……なるほど」
もう一冊の図鑑には異種魔物だけが載っている。今現在までに遭遇したのは十匹にも満たない。
異種魔物は魔法が使える使えないがバラバラ。人間を見たら一目散に逃げる馬のような魔物もいれば、先日のように魔力を奪う魔物もいる。
あの森には一本角の魔物しか住んでいない。普段は住処である洞窟から出て来ず静かに暮らしている。というか眠ってるのだとか。
人間が森に入っても姿を現すことは滅多にない。踏み入れたのが魔力持ちの人間でなければ。
魔力を主食としているため、魔力に敏感。私の魔力を感じ取り目が覚め、喰らうために洞窟から出てきた。
「あの魔物は魔法が一切効かないから、剣の腕を磨くには丁度いいんだ」
「……はい?」
「あの森……魔物は第二騎士団の特訓相手でもある」
一本角の魔物を倒すには心臓を真っ二つに斬らなくてはならない。普通の剣では外傷があるものの、魔剣なら心臓だけを正確に狙える。
魔力によって形を成すため一撃で仕留めなければ元のペンダントへと戻ってしまう。レイの腕なら早々、失敗することない。
魔力が吸い取られるのは目が合ったとき。勝負を一瞬で決める実力に団員の憧れは増すばかり。
「あれ?でもさ。森に住んでるのはあの魔物だけなんだよね。同じのが何体もいるってこと?」
「ううん。あの魔物は再生するんだ。角に蓄えた魔力を使って」
なんと!不老不死。
再生には数分要するも、回数を重ねるごとに強くなるので今はもう騎士団でさえ近づくことが禁じられた。
魔物自身が森から出ることはないので、街への被害は皆無。それだけは良かったと言える。
「魔物の中で強いのはどれになるの」
ページをめくる。個体差があるとはいえ階級によって体の大きさは違う。
「今はもういないんだけどね。最上級魔物かな、やっぱり」
「オルゼが倒したの?」
「まさか!叔父上が討伐隊を率いていた時代だよ。その魔物は空を飛ぶんだ」
「空を?」
「背中に羽が生えていて」
ドラゴンではないだろうか?
「真っ黒で深紅の瞳。全身が鱗に覆われて鋭い爪と牙を持つ」
ドラゴンだよね?
「炎属性なんだろうね。炎を口から吐くんだ」
うん、ドラゴンだね。それ。ラスボスだ。
「そんなに強い魔物を倒したなら、もっと広まっててもいいんじゃない?功績というか」
「うん。そうなんだけとね。その戦いが一番、犠牲が多かったから」
「あっ……」
「でもね!強かったんだ。歴代最強の部隊と謳われるほどに。彼らでなければ全滅もありえた」
暗く沈まないように両手を広げて、会ったことのない勇敢な戦士達を語る。
空を飛ぶ相手と戦うには、こちらも飛ばなくてはならない。が、そんな魔法を使える者はいるはずもなく。ただ見上げるだけだった討伐隊はレイの一言により勝利への活路を見出した。
「飛べないなら、叩き落とせばいい」
それはそうなんだけどね。
私はオルゼの語る物語のような実話に夢中になっていた。
最近、常識が少しバグっていたけど、基本一人の人間が持つ魔法は一つ。五大魔法をそれぞれ一つ持った人が多くいたのが幸い。
吐かれる炎は水魔法で防御し、風魔法で羽を動かなくさせた。
炎と雷を融合したいくつもの槍を降らせる。
雄叫びのような悲鳴を上げながら降下。ある程度、落ちてきたら土魔法で作った高台から背中に飛び移り魔物の急所とでも呼ぶべき心臓の中にある核を破壊。
死闘を制したのは討伐隊。
と、そんなに上手くいかないのが現実。勝利の余韻に浸る間もなくドラ……最上級魔物は大爆発を起こした。
流れる血は刃物のように鋭くなり爆風により飛び散る。
死ぬ前の、死ぬからこその悪あがき。一人でも道づれにしようと辺りを巻き込む。
隊員達は最後の一滴まで魔力を振り絞り、レイと魔物の間に立ち、魔法と肉の壁で見事に守りきった。レイを除けば生き残ったのはたった三人。それも、彼らも守る盾となっていたため大きな損傷を負った。
衝撃と熱のせいで隊員のほとんどは体の一部も残らないまま跡形もなく消え去った。
最上級魔物の血はひとたび触れてしまえば溶ける。溶岩のようなものだったのか。
東部に位置する山は半壊し随分と見通しが良くなりすぎてしまった。今でもそこは緑がないまま。
遺族に渡す遺品など当然なく。
冷静沈着なレイはついさっきまで、そこに立っていた場所の砂をかき集めては風で飛ばされないよう魔道具にしまう。
強いと思っていた隊長の泣く姿に、ただ強く在ろうとしてくれていたのだとわかってしまった。
声を必死に抑え、流れる涙は綺麗で。
平和な未来を信じ戦った隊員は、未来を作るためにはレイが必要不可欠であると悟り、直感で死ぬとわかっても尚、引くことなく守ったのだ。
死ぬ直前の自爆も、流れる血が普通でないことも、考えられる可能性の一つであったのに。
その場にうずくまり懺悔ばかりを口にするレイに声をかけられないまま、時間だけが過ぎていき太陽が沈み夜の訪れを知らせるように明るい空は暗くなっていく。
陽が沈み切る前に立ち上がったレイは放心状態。後にも先にも、あんなレイを見たのは一度きり。
しばらくは部屋から出てこれないほど憔悴しきっていた。
無理もない。目の前で死ぬだけではなく、髪の毛一本も残らなかったのだ。どんな無神経な人でも堪える。
同じ過ちを繰り返さないため、レイは図鑑を作ることを決めた。植物図鑑を参考に魔物の絵と魔法属性、主にどこに生息しているか。
これがあれば魔物の特徴や得意とする攻撃も知った状態で挑めば、想定外が起きない限りは負けない。
騎士団員の命を奪うのは上級魔物より異種魔物のほうが断トツ。同じ個体から突然変異でもしたのか、ずば抜けて性能が高い魔物が紛れているときも多々ある。
実際に魔物に触れて鑑定。幾千もの情報を記憶し書き写した。なるべく多くの命を救いたいから。
──だからこの図鑑、手作りなんだ。
本はどれも手作りなんだけどね。
図鑑に色は付いておらず、インクの黒一色。新たに発見された魔物情報を付け足せるように表紙はなく、糸で綴じている。
「昔は今と比べると魔物の数が異常だったんだ。最上級魔物を倒してからはマシになったらしい」
安心して暮らせていたわけではないけど、魔物のほうから街に下りてくることはなくなった。
自然界で生きる魔物は本能でレイの強さを理解し、身を守るための防衛本能。
年月が過ぎ、宰相として忙しくなってきた最強の武人があまり戦いに参加しなくなり、魔物達はまた各地で暴れるようになったとか。
「泣くんだ。レイって」
想像が出来なかった。少なくとも部下の前ではいつも通りでいて、一人になって泣くのだとばかり。
レイは砂ではなく隊員の痕跡を拾い集めて、この世にいたことを証明したかったのだろうか。それとも、遺品がなかったから遺族に返すために?
どんな理由にせよ、拭い切れない罪悪感に苛まれて、今も生きている。苦しいことを苦しいとも言えずに。
──似ているな、藤兄に。
能力が高くて周りからは期待をされて。弱味を見せないように強く完璧に在り続ける。
……そうか。だから藤兄は相談をしてくれなかったんだ。
私達が藤兄に完璧を押し付けたから。失望させないように、理想で在るために。ずっと一人で苦しんだ。
吐き出したい言葉を何度飲み込んだのか。
──許されないのは私のほうだった。
私の口癖でもある「藤兄は完璧」
言われる本人からすれば呪い。解ける日が来ることはなく、死ぬまでまとわりつく。
正常な判断が出来なくなるほど追い込んで、一線を越えさせてしまった。私は殺されても文句を言える立場でもなければ、むしろ当然だった。
藤兄を都合の良い存在にしていたのだから。
これでは彼らと同じだ。最低で卑怯者。
──ごめんね藤兄!謝るのは私のほうだったのに!!
どんなに後悔しようと私の想いが藤兄に届くことはない。私は大好きな兄に人殺しをさせてしまった罪を償えないまま、可哀想な被害者として扱われる。
会いたい。藤兄に。会って謝りたいのに、その術はもうない。
いつも笑顔でいてくれた藤兄に甘えて心を知ろうとしなかった。桜として裁かれることのない私は、いつか前世の罪を償える日はくるのだろうか。
「どうしたのシオン。急に黙って。叔父上のことで胸を痛めてる?」
「それもある。自分がいかに愚かだったか痛感してるだけ」
罪を背負わせてしまった現実は変わらない。揺るぎない真実として、記憶や感情に深く刻まれた。
「オルゼ」
「はい」
私のピリっとした空気を感じ取ったのか背筋が伸びた。
「大丈夫なだけじゃ足りない」
「え?」
「レイはいずれ壊れるかもしれない」
人を殺すという意味ではない。過度な期待を当たり前のように背負う。周りのために努力を怠らない。
最初はしっかりした地盤でも、崩れない強固な物はない。ヒビが入ったことにも気付かず新しく背負っては足元が不安定になる。
重量が超えたとき一気に崩れ去り奈落の底へ。
「オルゼもスウェロも。気にかけてあげて」
第二の藤兄にならないように。
縋るように手を包んだ。
私も気にかけるけど見逃すこともある。でも、みんなが注意深く気にしていれば。些細な心情や表情に気付くことが出来たら。最悪の事態は防げるんだ。
私はレイを好きになりたいのではない。
ただずっと、無意識に。藤兄に重ねていただけ。恋人でもなければ父親でもない。
私にとってレイは……兄のような存在だ。
「シオンはノアール以外に大切な人がいたの?」
「え?」
「いや……。大切な人が壊れたから、叔父上を壊したくないって言ってるように聞こえるから」
「……うん。大切、だったよ」
そして、大好きだった。
誰、とは深く聞いてくることはなく、オルゼはうなずいてくれた。




