助けて欲しい
目が覚めたとき太陽は空に昇っていた。お腹が空いているから、生きている。と思う。
窓辺には植木鉢が置かれ、陽が当たらないように布が被せられていた。
満月花。本当に持ってきてくれたんだ。王妃様と侍女にお礼しないと。
「ノアール?」
違和感はすぐに気付いた。黒くて小さくて可愛い私の唯一の家族姿がない。
──名前を呼んだら返事をしてくれるのに。
いつもいるノアールがいないことに不安を感じ、慌てて捜しに行こうとベッドから降りると上手く立てずに転倒。
──あれ?
体がめちゃくちゃ痛い。震える腕を使い、ベッドによじ登ったタイミングで開いていた窓からノアールが帰ってきた。
少し疲れていて子供達に遊んで……撫で回されていたのだろうか。
いつもどんなときも傍にいてくれたノアールが姿を眩ませていたことが信じられなくて本物であることを確かめるように抱きしめる。
【シオン?泣いてるの?】
「ノアールがいなかったから」
【あのね!ぼくね!シオンの代わりに、ありがとう、してきたよ!】
「うん。うん……」
温もりに触れていると、大きな音に慌ててメイが様子を見に来た。私の目覚めに感極まって泣いた。
メイの反応は大袈裟ではなく、私は一週間も寝込んでいたらしい。原因は魔力切れの体調不良。
本来なら魔力が切れたとしても寝込むことはないけど、今回の私はかなり特殊だった。
森で遭遇した魔物は上級の異種魔物。
相手の魔力を吸い取る。
目を見た瞬間から魔力はあの赤黒い角で吸収されてしまう。膨大な量でも過剰摂取になることはない。
自分の意志に反して、体内の魔力を無理やり引っ張り出されるのはとても危険な行為。下手をしたら命に関わる。
すぐに倒れなかったのは感情が高ぶっていたおかげでもあり、逃げている途中で意識を失わなかったのは運が良かった。
魔法を使って魔力が減るのと、他者に奪われるのでは意味合いが違うため魔力石で魔力を回復させられない。自然回復を待つしかなかった。
感覚はほとんど戻っているのに、体に激痛が走る理由は何なのか。
答えは筋肉痛である。
懐かさを感じる痛み。マラソン大会に強制参加させられた翌日に起き上がれない痛みに襲われたことを思い出す。
子供の参加者が少ないということで、町内会長に頼まれ近所のママさん達が協力し合ってほとんどが嫌々参加。
フルマラソンみたいに長距離ではなく、町内を二週するだけではあったけどそこそこ広いので、近道を探したけど至る所に係員が立っていので、結局は真面目に完走した。
途中で歩くこともせず、ひらすらに走って。
そっか、そうだよね。めっちゃ走ったもん私。
息を切らし、心臓が破裂しそうなくらいに全力で。足を速く動かし、腕を大きく振り。
樹を避けるために無茶な体勢にもなった。
そう、私は普段使わないような筋肉をフルに使い魔物から逃げ切ったのだ。
……逃げ切ってはなかったか。ぬかるみに足を取られて転けて。全てを諦めたときにレイが現れた。
白馬に乗って。王子様のように颯爽と。
あれはきっと、ときめきポイントというやつだったのだろう。
残念ながら、ときめく前に余計なことばかり考えていたせいでタイミングを失った。
ある人は「恋はタイミング」だと言い、ある人は「恋は度胸」だと言い。
人によって価値観が違うため自分に合った恋愛をするしかないのだ。
優しさに飢えていた私は優しい人を好きになるわけではなかった。ノアールより優しくてカッコ良い人がいないのも事実なんだけど。
どんなに恋愛に興味のない人でも、命が危険に晒されたときにカッコ良く登場し助けてくれる人に何かしらの感情は抱くのではないだろうか。
ここまでくると私に問題があるように思えてならない。
これでも少女漫画育ちで、キュンとする恋愛には憧れている。
その証拠に。『公女はあきらめない』をプレイしていたのだ。
でもなぁ。私にとってレイは良き友達。歳上ということもあり、相談相手みたいな感じでもある。
──私はレイを好きになりたいのだろうか?
思い返してみれば同級生の男子は精神年齢低くて好きになる要素はあまりなかった。
だからなのか、一つ二つしか違わない先輩がやけに落ち着いていたり、大人びて見えていたのは。
レイはまさにそれだ。落ち着きがあって、頼り甲斐があって。遠くから見ているだけで癒されるよう憧れの先輩。……癒されているかはわからないな。
ライクからラブに変わる瞬間があったとしても、想いを告げることはない。一番になれないこともそうだけど、優しいレイは相手を傷つけないように言葉を探して選ぶ。
一縷の望みさえないと冷たく突き放すにしても、非道になりきらなくてはならない。
どちらが正しいかはわからないし、どちらも正しくないのかも。それでもレイは、どちらかを選んで伝えなくてはならない。
日々、忙しさに追われているのに新しい問題を増やして頭を悩ませる鬼みたいな所業、私はしたくないな。
「シオン様。こちらをお召し上がり下さい」
メイが手にしているのはすりおろしたリンゴ。
なぜここに?
収穫したリンゴは一つ残らず差し出しているので、お土産で持って帰ってきたことはない。ノアールがレーツェルの森から持って来たとして。
メイにすりおろすという知識はない。
「レイアークス様が、シオン様がお目覚めになったら食べさせて欲しいと」
「あぁ。レイが」
謎が解けると疑問も疑いも消える。
スプーンを持つことさえ叶わない私は、さながら病人のようにゆっくりと一口ずつ食べさせてもらう。
噛まずに飲み込めるので楽だ。
椀の半分ほどで食べるのをやめた。お腹がそこそこ満たされると急な眠気が。
片付けをしたメイが静かに部屋を出る。膝の上に乗ったノアールをどうにか枕元に移動させた。
「ここにいてくれる?どこにも行かないで」
【うん!シオンと一緒!】
目が覚めて、またノアールがいなくなっていたら嫌だ。手を繋ぐように前足を握った。
万全とは言い難いものの私が目覚めたことにより、ひとまずの安心は訪れたようで。
女性のすすり泣く声が聞こえる。夢ではないと知ったのは次に目が覚めたとき。ノアールが自慢げに教えてくれた。メイがひっそりと泣いてたことを。
こんなすぐ近くにもいた。私が死んだら悲しんでくれる人。
バカなことをしたと猛反省させられる。
助けてくれたレイにお礼を言って、きちんと謝らなくてはならないのに、筋肉痛は更に四日続く。
怪我ではないため回復魔道具では治せないので大人しく痛みが引くのを待った。
病気でもないため、留守番くらい出来るのにメイは仕事を休んで家にいてくれた。
食事を運び、食べさせてくれるだけで、基本は下の階にいる。気を遣って私とノアールを二人にしてくれていたのだ。
「馴染みの者が馬車を出してくれると仰っていますので、お言葉に甘えたほうがよろしいのでは」
今度こそ完全復活を遂げ、王宮に挨拶に行くと告げると朝からずっとこの調子。
「いいの。ずっと寝てばかりだったから歩かなきゃ。でも、ありがとう。心配してくれてるんだよね。私はもう大丈夫だから。行ってきます」
【みゃー!】
久しぶりの空の下。いつにも増して青々としている。
丘を下りると私の姿を見た人達が一斉に集まってきた。
もう体はいいのか、怪我はしていないか。辛かったらいつでも頼って。微力ながらにも力になりたい。
私を森に誘ってくれた二人は気まずそうに遠くに立っていた。親に叱られしょんぼりしている様子はなく、ただ責任を感じているだけ。
倒れたのは私のせいであり、あの子達は何も悪くない。
私は卑怯者ではないので、誰かに罪を擦り付けたりするものか。
歩き出そうとすれば、左右に分かれて道を作ってくれる。
さて、なんと言おうか。
もう大丈夫だよとか、元気になったとかでは引きずらせてしまう。
悪くないのに謝らせたくない。
「また今度、洞窟に咲く花、見に行こうね」
二人は一瞬、顔を見合わせる。
すぐに笑顔を作り少し目に涙を浮かべたまま大きな返事をした。
「「うんっ!」」
通い慣れた道はたった一週間歩かなかっただけで、すぐに疲れる。
体力ってそんなすぐに落ちるのか。知らなかった。
盛大にゼェハァ言うわけではないけど、息が上がるのが早い。
休憩を挟みながらも王宮に辿り着くと、謎の感動が生まれた。
足が悲鳴を上げながらも、立ち止まることなく懸命にゴールを目指すドキュメンタリーにも似た視聴者を感動の渦に巻き込む、あの番組の企画を体験したかのような。
「シオン様。お体のほうはもう大丈夫ですか」
私が寝込んでいたことは門兵にまで伝わっていた。
「この通り、元気だよ」
顔パスで通してもらい、とにもかくにもレイにお礼と謝罪が先で執務室に向かう。
事前に連絡しておいたので、おもてなしに紅茶と焼き菓子が用意されていた。
これが気遣いではなく嫌がらせであろうことはよくわかる。
真顔で「バームクーヘンが好きなんだろ?」と聞かれ「好きなだけおかわりするといい」とまで言われたら嫌がらせとしか思えない。
──食べるよ!美味しいもん。バームクーヘンに罪はないから残したらもったいないし。
「レイ、ごめんなさい。私……」
「謝罪はいい。あの日、言いたいことは言ったからな。それより……」
ズラした視線の先には不貞腐れたオルゼがわざとらしく、そっぽを向いたまま。スウェロは呆れているものの仲介に入ってくれるつもりはないらしい。
優雅に紅茶のおかわりを淹れる姿が王妃様と重なり、常に見られることを意識していて指先さえ洗練されていた。
手付かずのオルゼの紅茶と交換して、スウェロは冷めた……湯気が立ってるんだけど。
あ、魔法で温めたのか。
そういえば私。みんながどの属性持ちか聞いたことがない。
聞いてはいないけど、スウェロは水と風だよね?水魔法はよく見たし、風魔法も使っていた。複合魔法で感知センサーみたいな魔法を編み出していたし。
もしも魔道具ではなく魔法で温め直したのだとしたら、三つ目の属性、炎魔法を持つことになる。
公爵はモブとはいえ父親だし、欠かせないかはさておき、そこそこ重要キャラ。息子が異なる属性を二つ持つための設定。うん、納得いく。
スウェロが三つ……いや、でも別に、私が知らないだけで新たに人物設定が追加されているかもしれない。
──おかしくはない、の、かな……?
攻略対象アルフレッドの兄だし。
色々と考えるのは後にして今はオルゼに機嫌を直してもらわないと。
「ごめんねオルゼ。私、みんなが思うよりバカだからさ。助ける方法があれしか浮かばなくて」
「それでシオンが死んだら……!!」
最悪の状況を想像して、オルゼの目は真っ赤。こうして話をすることも出来なくなっていたかもしれない。
多くの死を目の当たりにしてきた成長途中の子供にとって、死がトラウマになるのは当然のことだった。
人前で気丈に振る舞うのは騎士団長としてのプライド。泣かないように強がってはいても、耐えるように肩が震えている。
「本当にごめん」
「俺、シオンと友達なのに、ピンチのとき助けられないのがすごく嫌だ」
「うん」
「お願いだから、助けてって言って」
「うん。言う」
「絶対!約束だから!!」
約束の証として小指を絡めて指切りをした。
この世界に指切りの風習はなく、行動の意味がわからず困惑していたけど、約束を破らない誓いであると説明すれば屈託のない可愛らしい笑顔になった。
「でもね。さっきも言った通り、私って結構バカだかさ。また間違えるかも。みんなのこと不安にさせたり、また心配もかけるかもしれない。もちろん!そうならないように気を付けるよ」
三人の目を順番に見た後、お願いをする立場として頭を深く下げた。
「気付かない内に私が間違っていたり、どうしようもなく苦しいのに助けを求められない状況になったら……助けてほしいの」
「助けるよ。頼まれなくても。放っておいてって言われても、シオンが苦しいなら私達は助ける。絶対に」
“当たり前”みたいにスウェロは即答して、すぐにレイとオルゼに同意を求めた。
「約束しよう。必ず助けると」
「もっかい指切りする?」
お願いをするまでもなかった。改まったことが急激に恥ずかしくなり紅茶が冷めるという理由で席につき、おもてなしを受ける。
「それと。これからシオンには、レクシオルゼと共に行動してもらうことになった」
「……はい?」
バームクーヘンを味わって、ノアールにも分けていると暇を持て余しているのか本を読みながら、思い出したかのようなトーンで言った。
顔を上げることもなく次のページをめくろうとしたレイにノアールをけしかける。勢いよく飛び、本の上に着地。
絶対に無視出来ないとびきりの笑顔で「みゃあ」と鳴く。そっと退かそうとする手に前足を乗せて、「うみゃあ」と鳴きながら上目遣いからのキラキラ光線。
ノアールに構ってもらえる。そう解釈したオルゼとスウェロは羨ましそう。
「ごめん。今の何?」
「何、とは?」
「オルゼと行動を共にするって」
「昨日決まったことだ」
「もしかしてレイ、めちゃくちゃ怒ってる?」
「まさか。陛下と王妃殿下の心遣いだ」
ノアールを執務机に移し、本には栞を挟んで閉じた。
「目の届かない所で死なれても困るからな」
「でもほら!騎士団長の手を煩わせるわけには」
「俺は友人としてシオンが心配なだけだよ」
「いやぁ……」
「シオンはレクシオルゼの優しさを無下にはしないだろう?」
スチルにもなりそうな爽やか笑顔。
ゲーム画面で見る分には「カッコ良い」と言えるのに、直に見ると胡散臭さしかないのはなぜ?警戒レベルが最大まで引き上げられる。
「嫌なら嫌でも構わないが」
「構わないが、の後に続く言葉は?」
「言ったろう?この決定は国王陛下夫妻の心遣い、つまりは命令だ。いくら息子と言えど、逆らうことは許されない」
この人、鬼だ!遠回しに脅してくる。
直々に命令が下ったわけではないだろうけど、捉えようによっては提案ではなく命令。私が断りこれまで通り、ノアールと二人で行動をすることで大きな罰が与えられることもない。
それなのに……。オルゼから騎士団長を辞めたくないと子供のような駄々にも似た圧が飛んでくる。
──大丈夫だから、そんな目をしないで!!
この大丈夫には根拠と自信しかない。
身分ではなく実力で団長の座に就き、団員からは慕われ国民からは信頼を寄せられている。そんなオルゼを団長から外すなんて、よっぽどのバカでない限りは心配することもない。
あと私は、そんなわざとらしい演技に騙されるようなお人好しではないのだ。
オルゼの可愛こぶった顔は可愛いけどさ。
「諦めたら?」
なんて他人事。次期宰相としてレイから色んなことを学んでいるスウェロは本件に一枚噛んでいそう。
両手を広げたスウェロに飛びついたノアールの顎を撫でる。本当に他人事だ。
ここに私の味方はいないのか。
「私に拒否権がないこと、よーーくわかったわ。国王陛下夫妻の有難い心遣いは受け入れるとして」
オルゼのことは嫌いではない、友達と過ごす時間は楽しい。
私が引っかかったのは、私といるせいでオルゼの訓練の時間が減ってしまうこと。
ヴィルトが言っていた。オルゼも休日には木刀を手にして訓練場にやってくる。
魔物討伐で嫌というほど剣を振っているにも関わらず。
騎士として誇りを胸に抱くだけではなく、部下の命を預かるという点ではトップが強くなくてはならないのだろう。
魔物の恐ろしさは身をもって体験した。魔法が効かない魔物には剣の腕が必要になることも。
「その代わり、条件があるわ」
「何でも言ってくれ」
「レイ。大丈夫じゃないときは、大丈夫じゃないって言って」
「は?」
「だってレイは、何でも一人で背負うんでしょ?」
抱えきれない荷物で自身が潰れてしまっても、助けを求めずに自力で立ち上がろうとする。
そうなってからでは遅い。潰れる前に荷物を分けて欲しいのだ。
オルゼを救ったあの日。苦しみを半分、背負ってくれると言ったように。
他人の苦しみを背負ってくれるのであれば、自身の苦しみも預けて欲しい。
「いいねそれ。叔父上はいっつも一人で無理をするし」
交渉の条件を聞かなかったふりをしようとレイにいち早く気付いたスウェロは、名案!とでも言うように手を叩く。
半ば強制的だった自覚はあるようで、顔をしかめながらスウェロを睨む。崇拝者からの熱い視線に怖気付く様子はない。
──強いな。
「レイの大丈夫は、大丈夫じゃないよ」
心当たりがあるようで。珍しく反論がない。
多くの仕事をこなしているとはいて、まるっきり一人というわけでないはず。
スウェロのように補佐として手伝ってくれる人がいなければ回らない。
それでもレイの負担が大幅に減っているわけでもないから、疲れは溜まる一方。
頑張ることは凄いし、努力を怠らない姿勢は尊敬する。でも、それは無茶をしていい理由にはならない。
そりゃあ私は、胸を張って頼れなんて大口は叩けないよ。助けてもらう側だし。
でもさ。全く助けられないわけでもない。束の間の休息くらいは取れるように頑張れる。
「わかった。なるべく心掛ける」
「だけじゃなくて、ちゃんと言って。言うって」
嘘偽りがないからこそ、頼ることなく心掛けるだけだと断言出来る。
「チッ」
「ちょ……舌打ちしたよ!?」
「するよ、叔父上は」
「仲良い人にしかしないから、シオンは叔父上と仲良くなったってことだよ」
──その判断基準は嫌だな。
素を見せるという意味では一歩踏み込んだ仲良しになれたのかもしれないけどさ。
悪態つかれるのは違うでしょ。




