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偽物令嬢〜前世で大好きな兄に殺されました。そんな悪役令嬢は静かで平和な未来をお望みです〜  作者: あいみ
第四章

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白馬の王子様

 エイダ、可愛い人だったな。


 私よりも短い髪で、ボーイッシュな感じがした。背も高くて騎士に向いていそう。レイと並んでも違和感はなかった。


 あんなにも自分の好きなことに一途そうなエイダはヘリオンの婚約者候補、だった。あくまでも過去形。


 自国の、幼馴染みと結婚するらしくヘリオンはフラれた。好きでもない女性に。


 可哀想と思うことはない。ユファンの魔力が上がらなかったときのため、キープしようとしていたのだ。ただフラれるだけなんて優しいくらい。


 大公家ともあろう名家が、それをハッキリと口にした不自然はある。


 ユファンのため(ありがた迷惑)に周りが勝手に動いただけ。それを裏付ける証拠に、夫人の目は冷たく感情がなかった。自らの意思に反して世界が行動を起こしている。


 ユファンにさえ同じ現象が起きているのだ。攻略対象のために家族が動かされても不思議はない。


【シオン。リンゴは?】

 「ああ!忘れてた!!」


 王妃様に見送られてそのまま王宮を出てしまった。


 今から戻るのも恥ずかしいし、どうしよう。


 噴水から行くという手もあるけど、バレた後が怖い。説教はなく、笑顔で、無言で見つめられるだけの時間。地獄。


 今日はもう諦めるしかないか。


 自分の不甲斐なさにため息をついた。心臓に毛が生えて神経が図太かったら、迷わず噴水に飛び込むのに。


 「シオン様ではありませんか」


 ベンチに座り俯く私に声をかけてくれたのは、第一騎士団団長のヴィルトだった。


 いつにも増してラフな恰好。剣だけは腰に差している。


 この世界は週に二日の休みがあり、第一と第三は交代制で勤務していることを最近知った。


 討伐に向かう第二だけは休みらしい休みもない。不公平だと声を荒らげる者はおはず、入団に当たって先に説明は受けている。その上で第二騎士団を希望する者は後を絶たない。


 横にズレるとヴィルトは一礼して腰を下ろす。


 「えっと……。んー……貴方のこと、なんて呼べばいいかしら?」

 「ヴィルトとお呼び下さい。我々、騎士団員に敬称は必要ありませんので、どうぞお気軽に呼び捨てで構いません」

 「わかったわ。ありがとう、ヴィルト」


 第一騎士団団長がそう言うのだから、これからはみんなのことを名前で呼ぼう。


 騎士団に入団した人はもれなく、休日の過ごし方が分からないと判明。


 折角の休みでさえ、自主訓練に当てる者が多い。


 そして、見かねたレイに寮からも訓練場からも追い出され街をブラブラ歩くしかなくなる。ヴィルトがまさにその状態。


 趣味が鍛錬の騎士団員から剣を取り上げるとこうなる。


 何をしていいのかわからず、いつものように時間を潰すために散歩と称して見回りをしていたとこに私を発見。何やら元気がなさそうだったので心配して声をけてくれた。そういうことだ。


 正直に自分が役に立てなかったことを話すと、ヴィルトは腕組みしながら唸った。


 「シオン様。一つだけ、よろしいでしょうか?」


 柔らかな黄色い瞳の力強いこと。


 「シオン様はいつだって我々の、国民のために頑張ってくれています」

 「私は……」


 ヴィルトは首を横に振った。


 「レクシオルゼ団長を救って下さいました」


 真っ直ぐと伝えてくれる声。


 下を向いて生きるだけだった私が希望を見つけた日。


 世界と同じく忌み嫌っていた自身の魔法。こんな魔法を持って生まれなければ。何度そう思ったことか。


 でも、違う。この魔法があったからオルゼの命は救え、祈ることによりエルメの母親は視力を取り戻した。


 魔物被害に苦しんでいた領民は命の危険を脅かされずに生きていける。


 王様は言ってくれた。闇魔法は忌むべきではないと。真に言葉の意味を理解したのはあの日だった。


 自分の魔法を好きになるキッカケを与えて貰った、私にとっては特別な記念日。


 褒め上手なヴィルトに乗せられたわけではないけど、もっと自分で自分を褒めようと思う。


 至らぬ点は多いけど、私の頑張りは決して無駄ではない。


 「ヴィルトはどうして、騎士になろうと思ったの」

 「我が家は代々、騎士を輩出する名門でして」

 「おお。エリート一家」

 「物心つく前からずっと剣を振り、剣と共に成長し生きてきたので、騎士以外の道を選ぶつもりはありませんでした」

 「レイに憧れてとかじゃないんだ」

 「憧れはあります!高貴な血筋でもあるレイアークス様が汗を流し泥まみれになりながら訓練をする姿に、このお方の下につくのではなく肩を並べられる実力を身に付けたいと胸を燃やしたのが、つい昨日のことのようです」


 憧れ=部下になりたい、わけではないのか。


 肩を並べるとなると団長を目指すしかない。誰もがその座を得ようと死に物狂いで努力をする。


 剣の腕だけで団長になれるほど甘いものではない。戦術や戦略も必要になるため体だけではなく頭も鍛えている。


 他の国でも、騎士とは大体そんなものらしい。


 「レイアークス様の凄さは、それだけではないのですよ。魔剣に選ばれたのですから」

 「魔剣?」


 一撃必殺技みたいなものが出たりするのかな。


 魔法や魔道具があるのだから、魔法に関する武器があってもおかしくはない。


 魔物もいたしね。


 私のちっぽけな常識では計り知れないのが世界の広さ。


 「魔剣というのはですね。三百年前だったかな。闇魔法の使い手が作り出したこの世に一本しかない剣なんです」


 記述は残っておらず、他国の人だったため噂だけが風に乗って流れてくる。


 その人は女性で体がとても弱かった。二十歳まで生きられたら万々歳。


 病弱で床に伏せっていようと生きてさえいれば加護は続く。


 彼女は憂いていた。自分亡き後、加護を失った国の未来を。


 丈夫な体に生まれていれば、もっと長く生きられたのに。


 毎日のように青々とした空を見空けては呟く。恨んでいるのは他の誰でもない自分自身。


 病弱のせいで家族に心配をかけ、彼女を一人にしないように常に誰かが傍にいてくれる。それが申し訳なくて、受ける優しさを返すように感謝と祈りを捧げてきた。


 祈りはすぐに天に届いた。領地はみるみる豊かになる。畑を荒らす魔物はいつの間にかいなくなり、領地だけではなく国全体に安全と平和がもたらされた。


 彼女は知ってしまった。みんなが笑い合えるのは平和であるから。では、平和でなくなったら?笑顔が消え、泣く人が増えるのでは。


 耐えられない。心優しい人達が傷つくなんて。


 当時の彼女の気持ちとリンクする。自分亡き後も平和が続いてほしい。そのためには何をすればいいのか。


 考えて考えて。いっぱい考えて導き出した答えが魔剣。


 闇魔法の加護を最も受け、最強の剣でありながら大切な人を守り抜く盾ともなる。


 魔剣は剣の形をしたペンダントであり、魔力を注ぐと黒い剣へと大きさが変わる。


 それは誰もが出来ることではなく、レイ以外の人は魔力を注いでも弾け飛ぶだけ。


 魔剣は普通の剣とは違う秘密があるらしく、ヴィルトは教えてくれそうにない。


 祈花祭でレイが花の代わりに握り締めていたのがそのペンダント。間に合わなかった命は多かったけど、救えた命はもっも多かった。


 感謝と懺悔。レイは一人で苦しいことを背負っている。


 「別の国にあった物がリーネットにあるの?」

 「譲り受けたのです。どういうわけか、その国は加護が切れていなかったので、魔剣は不要だと」

 「守りたい想いが強かったのよ、きっと」

 「シオン様がそう仰っるのであれば、そうなんでしょう」


 祈りは、気持ちの強さで異なる。死しても尚、三百年経った今でも加護が切れていないのは、それほどに国を愛していた。難しい理由はなく、シンプルな想いや愛が誰かを救う。


 ヴィルトと話していると気持ちが楽にたり、今日の分はまた今度、取り戻せばいいのだと前向きになれた。


 元気になった私を見ては安堵するように小さな笑みを浮かべて、見回りの……散歩の続きへと戻る。


 「ノアール。私ね。ずっとこの国にいたいなって思ってるの」


 強い日差しに照らされながら行く宛てもなく歩いた。


 お昼にはまだ早いし、王妃様の美味しいお菓子のおかげでお腹はまだ空かない。


【ぼくはね。シオンと一緒なら、どこでもいいの】

 「私もよ。私もノアールが一緒なら、どこにでも行ける」

【でもね。ここは温かくて、シオンが笑顔でいるから好き。みんなシオンのことが好きだから、ぼくもみんなのこと好き】


 ノアールがそんなことを言うなんて。


 全くの予想外……ではない。ノアールは私を中心に物事を考える。


 私を傷つける人は許さないし、度を超えていたら守るために立ちはだかる。私の心を見抜いては、負の感情に縛られる前に相手を遠ざけようともしてくれていた。


 私以上に朝から晩まで神経を尖らせていたノアールが、私以外の人を好きになり懐いた。彼らは私に危害を加えることなく、幸せを願ってくれている。


 「聖女様~!」


 遠くから男の子二人が手を振ってくれている。振り返すと元気よく駆け寄ってきた。


 「聖女様!今、暇!?」

 「暇だよ」

 「じゃあじゃあ。一緒に来て」

 「どこに?」

 「内緒!」


 小さな手が私の手を掴む。

 いたずらっ子のように、にひひと笑いながら走り出す。


 中腰になりながらも走り、二人が得意げに胸を張ったのは森の前。


 かなり薄暗くホラー感満載。映画とかなら殺戮が起きそうな雰囲気。


 不気味なくらいに静か。


 「ね、ねぇ。ここって入ってもいいの?」

 「大丈夫大丈夫」


 根拠のない大丈夫が一番怖い。


 立入禁止なら看板が立っているだろうし、それがないってことは危険はないということ。


 「綺麗な花があるんだ。洞窟にしか咲かない花」

 「そ、それでね。エルメにあげたいなった」

 「ふーん。そっかそっか」


 手をもじもじさせながら顔を真っ赤にする子と、私に見せたくて連れて来た子。


 正直、怖さしかないけど純粋な想いを無下にしたくないから勇気を持って一歩を踏み入れる。


 瞬間、全身が震えるような冷たい風が吹く。


 夜の森より明るいはずなのに、先が見えないからか、より暗く感じる。


 二人を見失わないようにしっかりと手を握り、ノアールは頭の上で警戒。


 何があってもバラバラにならないようにひと塊になっていたほうがいい。


 時折、木々が揺れる音に背中がビクっとなるも、歳上として情けない姿を晒すわけにもいかずどうにか堪える。


 「あった!洞窟!」


 目的地が見えると張り詰めていた緊張の糸が少しだけ緩んだ。


 当然のことながら光は差し込まない中は真っ暗。ここまで勇敢に先頭を歩いていた二人も尻込みをしてしまい、先に入る権利を譲り合う。


 この暗さは明かりがあっても足は竦む。


 二人は何を思ったのか、勢いよく振り向いては小動物のような目で訴えてくる。


 いやー、これは無理。誰かもう一人、怖い物がなさそうな強い人を連れてリベンジするに限る。


 提案を飲んでくれて、今日のところは一度引き返すことに決まった。


 不気味な森は早く抜けた新鮮な空気を吸いたい。


 「せ、聖女様」

 「どうし…」


 洞窟の奥からキラリと二つの目が光った。ゆっくりと現れたソレは、ライオンに似た風貌に、赤黒い角を額に生やしている。


 唸り声を上げながら恐怖を与えるように一歩ずつ近づく。


 足にしがみつく二人には怪我をさせない。


 両手をかざしイメージを具現化するように魔法を使ったのにブラックホールは不発。


 それだけで頭はパニック状態。


 大きな体を包み込むのだから魔力はコントロールしていない。失敗しないようにイメージだってハッキリしていた。


 何度試しても魔法が発動することはなく、魔物との距離だけが縮まる。


 待って、これどうするの。ヤバい、死ぬ……。


 魔物の開かれた瞳孔は他には目もくれず一直線に私だけを見る。


 ──これって上手くいけばこの子達は助かるんじゃ。


 ハッとした。私の命を囮にしたところで成功する保証なんてないのに。


 バカな考えは捨てて逃げればいいんだ。


 囮になって生き残れるのは物語の主人公だけ。こんな一大事に魔法が使えないような私じゃ、すぐに食べられて終わり。


 「私の合図で走って。出口まで。いい、何があっても振り返ってはダメ」


 保証がなくてもやるしかなかった。私には二人を抱えて走れない。


 だったら一か八か、賭けるしかないでしょ。


 「ふぇ……?」


 未知なる生物に今にも泣き出してしまいそう。


 「大丈夫。二人のことはノアールが守ってくれるから」


 根拠のない大丈夫が背中を押す。


 はぐれないように手を繋がせてノアールを肩に乗せた。


 「ノアール。二人をお願いね」

【みゃっ!!】


 永遠の別れではない。また後で会える。


 希望は捨てない。


 「走って!」


 出口に駆け出した。私は反対方向に走る。魔物は一瞬だけ視線を動かし三人を見るもすぐに私だけを捉え追ってくる。


 地面はぬかるんでいて走りにくい。


 暗さに目が慣れてきたとはいえ、デタラメの間隔で生えている樹が突然、目の前にならないように現れたら減速してしまう。


 魔物は思ったよりは速くないとはいえ、何回もスピードを緩めたらいずれは追いつかれる。


 魔物は障害物お構いなしに突っ込んでくるから差は広がらない。むしろ、縮まっていく。


 ──怖い。


 それだけが足を止めることなく私を動かす。


 私が時間を稼げなければ森を抜ける前に三人が食べられてしまうかもしれない。


 それが何よりも怖かった。


 全力疾走なんて滅多にする機会もなく体力の限界。息も荒く心臓がギュッと掴まれたように痛い。


 ぬかるみに足を取られ、しまったと思ったときにはもう遅い。体はバランスを崩し倒れた。


 ぬかるんでいて助かった。おかげで顔や体が汚れただけ。傷なんてついていない。


 立ち上がろうとするも、そんな元気はなく尻もちをついたまま迫ってくる魔物と対峙する。逃げ場はなくなり、死を待つのみ。


 バッドエンドしかない悪役令嬢に転生して、死ぬよりも苦しい日常を送っていたせいか、今はそんなに怖くない。


 ──ノアール達は逃げられただろうか。


 それだけしか頭にない。


 乱れていた呼吸は整い、最後にもう一度だけ魔法を使うも、やはり不発。


 思い出が頭の中を巡る。幸せなものばかりで、空っぽのまま死んでいかないことに幸福感さえある。


 狙いを定め、大きな口を開けた魔物は向かってきた。


 どんな痛みもシオンが死んだ痛みに勝るものはない。


 覚悟し、目を閉じた。


 視界が閉ざされると聴覚が優れる。どこからか、何かが駆ける音が近づいてきた。


 音の正体を確かめるべく目を開けると、一頭の白馬が背中に誰かを乗せて目の前に飛んできた。


 ──白馬の王子様。


 子供向けの絵本にしか登場しない人物。存在していてことに感動する間はなかった。


 王子様が現れるのはお姫様を助けるだけ。私は綺麗なドレスを着たお姫様ではないため状況を飲み込めないでいる。


 私以外にも森に迷い込んだ女性がいて、その人が本物のお姫様なら納得。


 周りに人の気配は全くないので、その可能性はゼロ。


 それまで薄暗かったのに、僅かに差し込んだ光が彼を照らす。


 私を食べようとする魔物を斬りつけたのは黒い剣。


 ──レイ。


 私がその名を呼ぶよりも早く、魔物は血を流すことなく倒れたまま動かなくなる。一撃で倒したんだ。


 角が形を失うように灰となる。


 ポカンと固まっていると、毛並みの美しい二頭の馬がそれぞれ子供を乗せてこちらに走ってきた。


 黒い剣はペンダントに戻っていて手の中に握られている。首にかけ直して、汚れた私を気にすることなく抱き上げて白馬に乗せてくれた。目配せ一つでオルゼとエノクは頷く。


 私が落ちないように後ろから抱きしめてくれたかと思えば、風を切るスピードで駆ける。絶叫アトラクション並の体感。


 周りを警戒しながらもスピードが落ちることはなく、あっという間に森を抜けた。


 入り口では回復魔道具を手にしたナンシーがいて、第一声は怪我をしていないかの心配。


 私は転んだけ。見ての通りだ。ノアール達にも傷はなく、逃げている途中でオルゼとエノクに出会い保護してもらった。


 「レイ。助けてくれてありが……」

 「死にたかったのか?」


 赤紫の瞳が鋭くなると同時に、冷たい魔力が放出される。


 伸ばされた手にクローラーやラエルに叩かれたことを思い出し、とっさに身構え目を瞑った。


 いつまで経っても痛みはなく、大きな手が肩に置かれていた。


 「なぜ助けを求めなかった!?何のために魔道具を渡したと思っている!?」


 声を荒らげるレイは冷静さを失い、怒っている。


 失念していた。ブレスレットは通信魔道具。せめて森に入る前に連絡をしていればあの事態は防げた。発信機がなければ間に合わず、私は死んでいた。


 肩に置かれた手に段々と力が入る。


 「そんなに頼りないか?私達は」

 「違っ……!!」


 みんな頼りになる。実力は既に証明されている。


 ただ、頭がパニックになって魔道具のことを忘れていただけ。


 私が魔物と戦う方法は魔法しかない。その魔法が使えなくて。せめてノアールと子供達だけは助かってほしかったから。


 口を開いても何も言えなかった。何を言っても言い訳にしかならない。


 「シオンが死んだら悲しむ者がいる。頼むから、一人で危ないことはしないでくれ」


 それはこれまでの痛みとは全くの別物だった。


 私を怒鳴りつける彼らはいつだって、私の死を望む。


 生きていることを叱責する。早く死ねと本音を隠すことなく。


 レイの言葉はそれらと真逆。


 「ご、ごめ……ごめんなさ……」


 涙が溢れた。ボロボロと零れる涙をいくら拭っても止まらない。


 死ぬかもしれないことで怒られるなんて、思ってもみなかった。


 目の前にあるレイの胸に顔を埋めて我慢することなく、ただ泣いた。


 私の命の価値など所詮はその程度。


 命は有限であり尊いもの。それは生まれてくる価値があった人のための言葉。


 踏みつけられるだけの雑草には平等は与えられない。


 例えば、私が首を吊って死んだとして。その死体はぶら下がったままで降ろされることはない。


 異臭がしないように魔道具を設置して、部屋には鍵をかけて、何もなかったように変わらない日々を過ごす。


 例えば、私が手首を切って死んだとして。その血が廊下まで流れようものなら、穢らわしい血で公爵家を汚すなんてと悪態をつく。


 どんな死に方をしようとも、いい気味だと嘲笑う。悼むことさえなく、邪魔なゴミ、くらいにしか思わない。


 死しても尚、厄介者扱いをされる。死者を冒涜しているつもりなんてない。


 ただこの世界に、私が生きていたという事実が消えただけ。彼らにとってそれは、なんら変わりない日常。


 盛大なパーティーを開くかもしれない。私が死んだことは記念すべきことである。ブルーメルとケールレルを一同に集め、声を上げて笑う。


 いかに私が無価値で、早く死ぬべきだったかを語る。笑顔で。


 「ごめんなさい。ごめんな、さい」


 いつだって謝罪は生きていることへの懺悔であり、いつしか許しを乞う形だけのものとなった。


 死だけを望まれていた私にとって、死を否定し、ましてや怒ってくれる人などいるはずがない。


 リーネットの民が私を温かく迎え入れてくれたのは偉大なる闇魔法があるからで、私自身に価値があるわけではなかった。


 勘違いしないように、心の片隅に現実を縫い付けていたのに。


 今日ようやく、愚かな間違いをしていると気付かされた。闇魔法ではなく、私を受け入れてくれていたのだ。最初からずっと。


 人の優しさに気付くと、間違わないように生きていきたいと誓ったはずなのに。どうして私は目を閉じていたことに、気付かなかったのだろう。


 嫌われていようが命は平等。私だって生きていていいのだ。


 理不尽に怒鳴られ責められていた頃とは違い、私のために怒ってくれていることが嬉しくてたまらない。


 不謹慎ではあるけど、流れる涙には喜びも混じっている。


 「聖女様は悪くないよ。僕達が無理やり」

 「だから、怒らないで!」

 「怒っているんじゃなくて、心配しているんだよ。シオン様がお一人で無茶をするから」


 優しく諭すエノクは森の危険性を説明していたけど、泣いてばかりいる私には聞こえなかった。


 ひたすら謝るだけ。勝手な行動を取ったこともそうだけど、自らの命の価値を低くし軽率だったことを。


 私のことを大切に想ってくれているみんなの気持ちを無視したこと。


 みっともなく、ぐちゃぐちゃになった顔が誰にも見られないように黙って胸を貸してくれるレイの優しさ。


 声が枯れるまで泣いて、陽が傾きかけた頃にようやく涙は止まった。


 手で擦ったせいで目は腫れ、嗚咽だけはまだ止まらない。


 助けてくれたお礼を言いたいのに声は出ず、泣き疲れたのか視界が真っ白に全身の力が抜けた。


 膝が折れて倒れる寸前、レイが受け止めてくれたのを最後に、今日の私の記憶はここで終わる。

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