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偽物令嬢〜前世で大好きな兄に殺されました。そんな悪役令嬢は静かで平和な未来をお望みです〜  作者: あいみ
第四章

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いつかの日を思い出に【レイアークス】

 「待たせてすまない」

 「いいえ。朝から押し掛けたのは私ですから。むしろ、時間を割いて頂いたことに感謝申し上げます」


 未婚女性と密室で二人きりになるわけにもいかずナンシーを同席させたが、最初で最後のお願いで二人で話がしたいと頼まれた。


 公女として厳しい教育を受けてきたレディーらしからぬ頼み。


 断り、一般論を述べ、諭すことは難しくはないが……。


 諦めにも似た悲しげな表情に、十分だけと制限時間を設けた。


 扉を完全に閉めることは出来ずに、室内が見えない程度には開けておく。外ではナンシーが待機している。


 「先日、ハースト王国の大公家から婚約の申し出がありました」

 「存じております」


 魔力の釣り合いから考えると周辺諸国では、まず相手は見つからない。


 ただ魔力が高いだけではなく身分もある。大公家の相手のなると侯爵か公爵、もしくは王族。


 闇魔法の加護のおかげで本来の何倍にも増えた魔力は、気が遠くなるような努力をしなくては追いつけない。


 レディーは努力したのだ。毎日、忙しい時間の中で、合間を見つけては。


 ただひたすら。時にはやめてしまいたくなるときもあっただろうに。


 加護がなくなったケールレルの魔力は一気に下がり、上級貴族としての平均値を上回っている可能性さえ低い。


 「レイアークス様は、私の結婚を喜んでくれるのですか」

 「当然ですよ、レディー」


 身内に限らず結婚は喜ばしいものである。ましてや顔馴染みなら尚更。


 祝福も祝いの言葉も心から伝えられる。


 政略結婚なら愛のない結婚で、過度な祝福は控えるが新たなる門出に相応しい言葉を贈りたい。


 「まぁ。相変わらず……酷い人。私がレイアークス様を一途に想っていることを知りながら、そんなこと」


 悲しんだり怒ったりする様子はなく、私を困らせないようにただ笑う。


 レディーが髪を伸ばさないのは騎士になるためだと聞く。


 南の国は比較的、魔物被害も少なく騎士の役割は通常の護衛。魔物討伐は仕事ではない。


 私は女性だからと差別するつもりはなく素質があり、なりたいのであればなるべきだ。


 性別を理由に剣を振るのをやめさせるのは、自らの保身しか気にしていないだけ。そんな人間の言うことなど無視すればいい。


 女性は女性らしく。その言葉が可能性を狭めている。


 体を動かすこと。乗馬が趣味であったり。家族と同じ道を進みたい者もいるだろう。


 淑女になるべくお淑やかに振る舞えなどと強制してくる親のために我慢するのは違う。


 リーネットに性別の壁がないのは、私の理念を陛下が汲み取り国民に発信してくれたおかげ。


 やりたい自由、なりたいものへの自由。自分の想いに蓋をせず素直になっていいのだと。


 乗馬を嗜む女性は増えたが騎士を目指す女性は今のとこ一人もいない。


 第二騎士団はかなり過酷ではあるが、第一第三は第二と比べるとまだ優しいほうである。


 こればっかりは無理強いすることでもないので、騎士に憧れなりたい人が現れるのを待つだけ。


 「そんなレイアークス様にご報告が。私はケールレルと結婚は致しません」

 「………………あ、それは……」


 言葉に詰まった。


 全くの予想外。残念がるのも、好きな人と結婚しなくて良かったと励ますのも違うな。


 レディーを傷つけないよう頭を回転させるも、何も思い浮かばない。


 私の心中を察してか、レディーは肩を竦めておどけてみせた。


 「失礼極まりないんですよ。平民の光魔法を持った少女の魔力が息子と釣り合わなかったとき、改めて婚約しましょうなんて」

 「は?本当にそんな無礼なことを?大公家ともあろう人間が?」

 「ええ。夫人が、冷めた目で。なので、こちらからお断りしました。まぁ、最初から受けるつもりはありませんでしたが。あちらには断るために足を運んだだけなんです」


 落ち込む様子はない。むしろ、清々していた。


 南の国は過去、闇魔法の使い手が生まれたことがあり、その加護がいかに人々を守ってくれているかを知っている。


 天候に恵まれ大地は豊かになり。人々の笑顔は終始、絶えることがなかった。


 いくら真実が隠されているとはいえ、想像を遥かに絶する扱いに腹を立てている。当の本人がいないにも関わらず、侮辱する噂は健在。


 誰のおかげで平和な国で暮らせているのか。やり場のない怒りは土魔法で作ったヘリオン・ケールレルと思われる人物を粉砕することで収めた。


 ケールレル家で暴れなかったのはまだ、冷静を保てていたから。頭に血が上っていたら今頃、レディーは罪人として投獄されている。


 こうして私と話す時間もなくなっていた。


 全員が悪意あるわけではなく、とある商会を中心にシオン・グレンジャーは悪役令嬢ではなく、家族と婚約者、使用人に虐げられていた罪なき令嬢と庇う者が半数。


 彼に関してはとても好意的で、特にフェルバー商会とは今後、縁があれば長い付き合いをしていきたいと。


 「レイアークス様。実を言うと私、プロポーズされているんです。」

 「それは……おめでとう、ございます……?」


 つい祝いの言葉を口走ってしまったが、まだプロポーズをされただけ。結婚が決まったわけではない。


 三秒前に戻って自分の口を塞ぎたかった。


 「相手は私の幼馴染みの小公爵なんです」


 一番懸念される魔力は何の問題もないそうだ。レディーの隣に立ちたくて、ひたすら前向きに努力をしてきた甲斐があり魔力に申し分はない。


 後はレディーの気持ちのみ。


 大公家から婚約を申し込まれる前日に受けたプロポーズの返事はまだ。一晩考えて返事をするつもりだったレディーには最悪の展開。


 国同士の交流戦そのものは少ないが、大公家を無視するわけにもいかない。


 最初から断わるつもりだったにせよ、手紙で断るのも後々、面倒になりそうでわざわざ出向いた。


 その結果が、スセリダ公爵家だけではなく南の国そのものに喧嘩を売るような発現で、見事にレディーを怒らせた。


 賢い大公夫人にしてはバカげた提案であり爆弾発言。偽物ではないかと疑いたくなる。


 笑ってしまうような不可解(おかし)な現実に心当たりがないわけではない。


 平民の少女が実は公女であり、魔法の潜在的才能。内に隠れた魔力。育った環境から推測するに、光魔法が持つ魅了の暴走。


 長い歴史の中でも魔力が暴走して周りの人間に影響を及ぼした例が幾つもある。


 巨大な魔力は時に、持ち主さえも飲み込むことがあり、魔力をコントロールするまでは手の打ちようがない。


 調査を行っているのだから、向こうもいずれ気付く。対処法が本人が頑張る以外にないということも。


 「受けるつもりです。プロポーズ。私のために毎日、頑張ってくれた彼を好きになりたいから」

 「ということは、まだ」

 「言ってくれたんです。今はまだ、レイアークス様を好きでいいと。いずれ絶対に振り向かせてみせるからって」


 鮮緑の瞳が細められる。思いにふけるように。


 「もう十二年前のことなんですね。私がレイアークス様に助けられたのは」


 安全なルートを通り、リーネットに観光に訪れた公爵家の馬車が魔物に襲われた。こちらの常識を覆す異種魔物。


 事前に観光に来ると知らせがあったため、ルートの確認をして国境付近で待機していた矢先の出来事。


 異変に気付くのが数秒遅れていたら、目の前で死なせてしまうところだった。


 間に合わない、助けられない。死なせてしまう恐怖に体がいつもより速く動いてくれたおかげ。


 被害は馬車と娘を守るために抱きしめていた公爵の腕のかすり傷のみ。


 かなり派手に攻撃されていたあの状況で被害が最小限だったのはまさに奇跡。誰かが大怪我をしていても、おかしくはなかった。


 「あの日からずっと、私はレイアークス様をお慕いしておりました」

 「レディー。私は」

 「わかっています。とっくにフラれてますから。もうワガママを許される子供ではないですしね。レイアークス様のことは諦めます」


 それならなぜ、悲しげに笑うのか。


 希望を持ち続けられても気持ちに応えられない。諦めてくれることは私としても助かるが、そんな顔をさせたいわけではない。


 いつだったか。東の大陸にある小国の王女に想いを告げられた。


 金色のフワッとした髪が印象的。お淑やか……ではなかったが活発で明るいよく笑う女の子。


 もちろん、告白は断った。歳のいった私ではなく同世代のアルフレッドやレクシオルゼを好きになったほうがいいと。


 取り乱すことはなかったが、静かに涙を流しては、一欠片の希望もないのかも聞かれたんだ。


 王女に「ない」と断言するのは酷だった。


 私の態度から察した王女はただ泣いていた。


 傷つけた罪悪感は石のように重くのしかかる。忘れてしまえば楽に生きられるが、それは覚悟と勇気を踏み躙る行為。


 皆、顔を真っ赤にしながら震える声でたった一言「好きです」と伝えてくれる。


 返事をする少しの時間、高鳴る心臓の音が私にも聴こえてきそうで。祈りにも似た、自然に胸の前で両手を組む仕草に私はこれから彼女を傷つけるのだと自覚する。


 だから私は女性が泣くのが苦手だ。


 ──レディーに泣いてほしくないのも、そういうことか。


 泣いている理由は違えど、泣いている事実は同じ。


 これまでに私が泣かせてきた彼女達と重なり心がザワつく。


 なんと声をかけたらいいのかわからない。引き裂かれボロボロになった心を救える力を持ち合わせていないのだ。


 数年後、彼女達は国や家の利益になる夫の元へ嫁いだ。式に招待される間柄ではないので、結婚して落ち着いた頃に手紙を貰う。


 幸せに暮らしていると内容ではあったが、本心かどうかまではわからなかった。


 手紙では嘘がつける。感情が表れない文字は本心を悟らせないようにか、天気が良すぎることや花が綺麗に咲いたこと。


 日常の一部を切り取ったかのような内容が空白を埋め尽くす。


 私は綴られた言葉を信じて、笑顔で日々を過ごしているのだと想像するばかり。


 一度でも泣かせ傷つけた身としては、助けを求められたら助けるつもりでいる。


 その旨を手紙に書き返事を送ると、まるで示し合わせたかのように全員から「やはり貴方は優しくて、酷い人」だと更なる返事を貰い、二枚目の便箋には嘘ではない彼女達の日常が記されていて笑みが零れた。


 あの日、泣かせてしまった彼女達は本当に幸せなのだと知った。


 結婚生活の最初は私への想いを断ち切れなかったが子供が生まれる頃に私は初恋だったと、過去の人間として思い出になっていた。


 私の助けはいらない。思い出に縋り甘えるのは嫌だからと、返事は無用、手紙も処分してほしいと最後の願いが綴られていた。


 手紙は自分の手で確実に燃やした。灰は風に飛ばされ空を舞う。


 誰の目にも触れることのなくなったことを確認して、私もまた彼女達のことを思い出として記憶に刻んだ。


 気持ちに応えられない。どんな言葉で取り繕っても結局は皆に同じことを言ってしまう。


 「こんな私を好きになってくれてありがとう」と。


 「レイアークス様。一度だけ私の名前を呼んで下さいませんか?」


 声が震えている。平静を装っているが体は強ばり緊張しているのが丸わかり。


 力強い鮮緑の瞳は自信を失くしたかのように段々下げられていく。いつも伸びている背筋は気のせいか、丸まっているようにも見える。


 期待をされているわけではない。過去にも同じお願いをされたが断った。


 名前を覚えていないわけではない。ただ、呼ぶとなると……。


 少なくとも私を特別に想ってくれている女性は呼べない。


 目にいっぱいの涙を浮かべながら、ナンシーのことは呼んでいると叫んだ少女はもういない。


 スセリダ公爵夫妻は少女を必死になだめ、何度も私に謝った。


 幼く、厳しい教育を受けている途中の少女は人目を気にすることなく泣いていた。


 全員が戸惑う中で私だけが冷静だったと思う。


 泣きじゃくる少女を更に傷つける覚悟で本音を告げるか、建前で本音を隠すことが優しさか。


 悩んだ末に私は……。


 ナンシーは私の側近。それが理由である。


 目線を合わせて少女を大人として扱い、しっかりと伝えた。


 あまり納得はしていなかったが、駄々をこねても私を困らせるだけだと、無理やりに納得してくれた少女の頭を撫でたのが、もう随分と昔のことのよう。


 昔はやることが多く(今でも多いが)、余裕がなくとてもじゃないが名前を覚えるまでいかなかった。ほとんど毎日、顔を会わせていた王妃殿下は陛下が呼ぶのを聞いている内に自然と覚えた。


 陛下との会話では必ず、出てくる名前だったから。楽しそうに、嬉しそうに。全身で王妃殿下が好きだと言っていたようなもの。


 交流が深くなるであろう家門の令嬢の名前さえ覚えていなかったときには、パーティーを欠席したかったが立場上、許されるはずもなく。


 一言も話さないまま乗り切ることも不可能で。苦肉の策として「レディー」と呼んだことで切り抜けられたことが、名前を呼ばなくてもいいのだと、私に安心感を与えた。


 ──今にして思えば、あの頃の私は愚かでバカだったな。


 事情を知っている陛下や王妃殿下は笑い話として時折、酒の肴にしているが当事者である私は呆れるばかり。


 記憶力は悪いほうではなかったし、リストアップしてくれた名前は見てすぐに覚えた。顔がわからない点を除いて完璧に。


 「申し訳ないが、私を特別に想ってくれている女性の名は呼ばないことにしているんだ」

 「それは、あの日の答えですか?」

 「あぁ。そうだ」


 伏せられた目が次に開いたときには悲しみの色はなく、突きつけられた現実を受け入れた。


 「では……いつか。レイアークス様が私の思い出となる日がきたら、そのときは……」

 「レディー。一度でも特別になった以上、私は君の名を呼べない。その代わり。約束する。君が困ったら助けになると」

 「ふふ。ズルいです。レイアークス様は。ご自身で希望を砕いたのに優しくするのは」

 「だからこんな男のことは早く忘れて、笑顔溢れる幸せな日々を送ってほしい」

 「こんな素敵な人が誰かのものにならないのが、せめてもの救いかぁ」


 天井を見上げながら唇を噛み締める様に、ただただ願うばかり。


 今は胸の痛みに苦しむかもしれないが、彼女達同様にいつか隣にいる男性と何気ないことで笑い合える愛しい日々を過ごすことを。


 揺れる瞳から涙は零れなかったが、まだ熱は帯びている。


 想いを抑えようと必死なレディーにこちらから声はかけられない。


 「ところで。ずっと気になっていたのですが。そちらは?」


 他の話題に振ってくれたのはレディーだった。


 テーブルの隅に置いてあるチョコレートに視線が向けられる。


 「チョコレートだ。レディーの意見を聞きたくて持って来た」

 「チョコ?これが?」


 世間一般に知られているチョコレートは長方形の板。割って食べやすくするときは形は変わるが、それでも原型は留めている。


 クッキーのような形をした茶色い物体に顔をしかめていた。リボンを解き一粒食べてもらうと、感動したように両手で口元を覆う。


 味は変わらないはずなのに形が違うだけで別物に感じているのか。


 「これを我が国の特産にしたいと考えている」

 「あら。つまりは私に広めろと、そういうことですか?」

 「話が早くて助かる」


 レディーは交友関係が広く、一週間あればチョコレートの噂は各国に浸透していく。


 ハート型は定番。他には星や月。色んな花の形もあり、メインとなるのはノアールの顔。ルイセの想像で作られた顔は表情豊かで、どれも愛くるしい。


 作り方は企業秘密……。


 私の説明に耳を傾けずに感心と興味はチョコレートだけに注がれていた。型を使いくり抜いたにせよ、角のない綺麗な丸みを帯びたハートを作れるわけがない。


 溶かして新たに固めるなんて発想には驚かされる。良くて砕いて焼き菓子にふりかけるだな。思いつくのは。


 「す、すみません、レイアークス様」


 ふと我に返ったレディーは顔を上げた。


 「いや、夢中になる気持ちはよくわかる」


 これの正体を教えてもらっていなければ、鑑定魔法を使わずにずっと悩んでいただろう。


 食べたところでチョコレートとわかるかは不明。私自身、あまりチョコレートを食べないので味では判断がつかない。


 「これは話題になりますよ。リーネットでしか買えないんですよね?」

 「作り方を知っているのは我が国の者だけだからな」

 「フッた相手にわざわざこんなこと。レイアークス様はほんと……」

 「こんな最低で酷い男など、さっさと忘れるといい」

 「レイアークス様が酷い人なのは、ずっと昔から知っています。それ以上に優しい人であることも。そうやって自身の評価をわざと下げようとするのも、私がレイアークス様への想いを完全に断ち切れるためでしょう?」

 「まさか。買い被りすぎだ。私は元からこういう人間だよ」

 「そういうことにしておきます」

 「これは売れそうか?」

 「絶対に。リーネットでしか買えないとなると、殺到しますよ」


 リーネットには特産がないだけで、観光に訪れる人は多い。外から人がやってくるという意識が国を綺麗に保つ。


 外交官にもよく言われる。リーネットの美しさは世界一だと。人々も常に笑顔で、明るくて活気に溢れている。こんなに気持ち良く仕事が出来、訪れることが楽しみの国は他にない。


 ──努力を認めてもらうのは嬉しいものだな。


 正しく評価してくれる人がいるからこそ、彼らはもっと頑張れる。


 「レイアークス様。よろしいですか?」


 ノックと共に外からナンシーが声をかける。些か声に緊張があり、何かあったのではないかと不安が押し寄せてきた。


 いや、これは不安ではない。嫌な予感だ。


 出来ることなら部屋を出たくはないし、嫌な予感の正体をナンシーの空間魔法でどこか遠くに追いやって欲しい。


 レディーに一言断り、対応すべく様子を見に出る。


 そこにいたのは何やら悪巧みを考えていそうな王妃殿下と、明らかに巻き込まれたであろうレディー。


 訳もわからずただ、楽しいことが起こることを期待さたノアールの三人。


 つい、ため息をつきたくなるのを我慢して、私に何か用があるのかを聞いた。


 王妃殿下は、すっかり見慣れた関わりたくないと思わせる笑みのまま


 「シオン嬢が貴方に話があるそうよ」

 「レディーが?」


 つい数十分前までは一緒にいた。話があるなら、そのときにすれば良かったものを。


 やや疲れきったようなレディーの表情から察するに、王妃殿下に無理やり連れて来られたのだろう。


 苦労をかけたことを心の中で謝った。


 「全然。大したことじゃないから。また今度で……」


 本題に入らず、この場を立ち去りたいレディーの腕をしっかりと掴んだまま。その華奢な腕のどこにそんな力があるのか。


 私に助けを求めてくるレディーには悪いが、本題に入らなくては腕は離してもらえない。


 王妃殿下に悪意があるわけではないので、ノアールにもレディーを守る意志は生まれないようだ。


 「シオン嬢はね。レイに名前で呼んでほしいそうなの」


 室内にいたレディーにも王妃殿下の声が聞こえ、挨拶をするために出てきた。


 タイミングが悪いもので、呼ぶのかとレディーの目が向けられる。


 驚き、困惑、嫉妬等の感情はなく、純粋な興味のみ。


 「呼びません」

 「あら。どうして?」


 特に理由はない。


 《《それらしい》》納得する理由を考えていると、王妃殿下はレディーの背中を軽く押して一歩前に出した。


 困ったように振り返るレディーを勇気づけるように小声で「ファイト」と伝える。ノアールも「みゃあ!」と鳴くものだから、レディーも引くに引けなくなった。


 「レイ!」


 覚悟を決めたレディーは叫ぶように私を呼ぶ。


 「名前で呼んでくれないなら、これからレイのこと。宰相閣下って呼ぶから」

 「…………待て。なぜそうなる」

 「当然じゃない?自分だけ愛称で呼ばせておいて、相手のことは名前で呼びたくないなんて」

 「ですからそれは……」


 王妃殿下は昔からこういう人だ。普段は物静かで淑女の鏡なのに、こうと決めたら一直線。


 名前を呼びたくないわけではない。レディーと友達になりたい身としてはそのほうが自然。


 だが……。名前で呼ぶことを断った相手がすぐ隣にいるこの状況で、呼べるはずもなく。


 宰相閣下と呼ばれることのほうがかなり嫌ではあるが。どちらを選ぶべきか悩む。


 今でこそ私を王弟と呼ぶ者は少ないが、代わりに宰相と呼ぶ者が増えた。身分や役職で呼ばれるのは本当に嫌で、個人的な法律を作りたいくらいだ。


 淀みなく一点に私を見上げる漆黒の瞳。


 「私が呼ばなくとも、レディーのことは皆が呼んでくれるだろう?」

 「うん。レイ以外」

 「なら……」

 「でも。友達には呼んで欲しいから」


 私は今、どんな顔をしているだろうか。


 スウェロの魔法の才能。アルフレッドの初恋と留学。レクシオルゼの騎士団入団。


 驚きと衝撃を受けたことは過去に何度もあったが、これを超えるものはなかった。


 驚きが強すぎてか、笑っていた。


 「初めてだ。そんなことを言われたのは」

 「バカみたいって思ってる?」


 ムッとしたような言い方。


 「いいや。レディーらしいなと」

 「やっぱバカにしてるよね」

 「していない。……はぁ、私の負けだ。これからはシオンと呼べばいいのか?」

 「うん!!」


 眩しい太陽にも似た笑顔。幼き日の陛下のように、近づきすぎたら身を焦がしてしまいそうな。


 「では、友人であるシオンに一つ頼みがある。聞いてくれるか」

 「いいよ。何?」

 「私はどうも他人との距離が近いらしくてな。シオンにもそういう距離感で接していることがあるらしい。近いと感じたらすぐ教えてくれ」

 「いいけど。あ、だからさっき。手が止まったんだ」

 「自覚があれば止めるんだが、ほとんど無自覚でやっているからな」

 「気付くのが遅いのよね、レイって」

 「知っていたなら教えてくれませんかね、王妃殿下」

 「嫌よ。完璧なレイの抜けている部分を埋めるなんて」

 「あ、あの!」


 レディーは少し頬を赤らめながら子供のように目をキラキラ輝かせていた。


 会話に割って入ったことに申し訳なさそうにしながらも、顔も声もどこか嬉しそう。


 「間違っていたらごめんなさい。もしかして、シオン・グレンジャー様ですか?」

 「いいえ、違います」

 「え、あ……そう、ですよね。あの方は美しい銀髪だと伺っておりますし」

 「私はただのシオンですから」


 身分を捨てたシオンはグレンジャーではない。そう言った。


 賢いレディーは意味を理解し、失言を詫びた。


 「それでは、シオン様。私からも一つ、お願いがあるのですが」

 「私に出来ることなら」

 「初対面で失礼だと思いますが……私ともお友達になってくれませんか!?」


 この少女は……誰だ?


 憧れの人間を目の前にしているからなのか、やけにテンションは高く感情が抑えきれずに表に出ている。


 目を丸くしていたシオンはすぐに持ち前の明るい笑顔で大きくうなづいた。


 新しい同性の友人を得たシオンの喜びはレディーにも負けていない。


 温かく柔らかい空気が辺りを包み、背景には無数の花が咲き誇っていた。


 一目でシオンを気に入った王妃殿下はコロコロと表情が変わるのを楽しそうに見守る。


 娘にしたいとよく本音が零れながらも、アルフレッドとの結婚は本人が望まぬ限り絶対に認めないと陛下と共に最後の砦になっていた。


 我が子よりシオンか。アルフレッドが気の毒だな。


 「エイダ嬢ですよね?エイダって呼んでも……いいですか?」

 「もちろん!私もシオン様のこと、シオンと呼びたいのですが」


 互いの呼び名と話し方が決まり、友人となった二人にぎこちなさはない。


 レディーはこれから忙しくなるため早々には会えなくなり、しばらくは手紙で親交を深めることとなった。


 魔道具はまだ余っているし、祈りのお礼としてはささやかではあるがシオンが喜んでくれるのなら、それに越したことはない。


 上機嫌で戻っていく背中を見つめながら


 「レイアークス様。私、応援しています」

 「何をだ?」

 「レイアークス様の恋です。好きなんですよね?シオンのこと」

 「君までそう言うのか。やめてくれ。シオンを異性として意識したことはない」

 「そうなんですか?レイアークス様があんな風に笑うなんて初めて見ましたけど」

 「シオンは友人だ。数少ない、異性の」

 「それは失礼しました」


 どこまでわかってくれたのか。


 確かに。私の髪と瞳の色を見ても肯定的な意見をくれた。


 色のことで苦労してきたシオンだからこそ、色如きで人を判断することは無意味で愚かだと思っていたのだろうか。


 褒めれたときは嬉しくて胸の奥に光が灯ったように温かくなった。


 第三者に認められることは、私が生まれてきて良かったのだと、存在を認められたように嬉しくてたまらない。




『レイの髪は温かみがあって、とても素敵な色ね。それに瞳も。赤色の暖かさに紫の穏やかさ。優しい人にピッタリの色だわ』




 あの日。実は泣きそうだったことを私は一生忘れることはない。


 「私、髪を伸ばすことにします」


 宣言は硬い決意だった。


 レディーの髪はいつも肩より上にあり、剣を振るのに邪魔にならないように切られていた。


 「そうか。残念だな。その髪型、レディーにとてもよく似合っているのに」

 「本当に酷い人。今まで一度も褒めてくれたことなんてなかったじゃありませんか」


 何も言わずにいればレディーはまた「酷い人だ」と小さく笑う。


 胸の痛みが思い出となるとき、私との会話も全てが笑い話になればいい。


 求められた握手に応えると屈託のない笑顔で


 「貴方のような優しい人を好きになれて良かったです。十二年前、命を助けて頂き、本当にありがとうございました」


 レディーは真っ直ぐとした芯が強い女性だった。身分ではなく、レディー自身を好きになる異性は必ずいると確信が持てるほど。


 プロポーズの返事をしたいからと、昼前にはリーネットを経つ。見送りは拒否され、私は執務室に戻る。


 次々に増える書類を難なく片付けるスウェロの優秀さを横目に、私的な質問をした。


 「私は異性に好かれる要素が多いのか?」


 手が止まり、遅れて私の言葉が聞こえたかのようにゆっくりと首が上がる。




『おかしかったら笑ってくれてもいいから。その……私って……美人、なの?』




 それはいつかのシオンと同じ質問。


 私と違って笑うことはしないが、瞬きなく見てくる。質問を取り消したかったシオンの気持ちがよくわかる。


 「叔父上はとてもカッコ良いです。頭も良くて優しい。相手を思いやる心があって。剣を振る姿なんて憧れそのものです。それに……」

 「もういい。聞いた私が悪かった」

 「みんな叔父上が好きですよ。憧れか恋愛かの違いはありますけど」


 意気揚々と続きを語ろうとするスウェロを、少し早めの昼食のため部屋から追い出して、椅子にもたれながら深く息を吐く。


 ルイセは苦笑いをしながら書類を整える。


 今日はまだまだ続くというのに、一気に疲労が溜まった。


 このまま休みを取りたいが、そういうわけにもいかない。


 とりあえず。窓を開けて空気を入れ替えれば頭は冷えて冷静になれた。


 重要書類は全てスウェロが終わらせてくれたおかけで、残りは猶予のあるものばかり。


 急いでやる必要はなく、久しぶりにゆっくりと本を読んでいると通信魔道具が光る。相手は第三騎士副団長で、その声はとても切羽詰まっていた。


 立入禁止区域でもある一角の森に続く道に真新しい足跡が三人分発見されたと。足跡の大きさから子供二人と女性であると推測されている。


 「ナンシー!!」

 「繋いでいます!」


 通信を聞いていたナンシーはすぐに騎士寮に空間を繋いだ。状況は既に伝わっており、厩舎から馬を連れて来ていた。


 今回行くのは私とレクシオルゼとエノク。この森は剣の腕のみが必要となり、魔物討伐の経験がある二人を召集。


 一角の森の中に空間を繋げることは出来ずに入り口に通り抜ける。

 まだ昼間だというのに、闇夜の如く先が見えない。


 薄暗い森に足を踏み入れれば空気が変わる。上から重圧をかけられるような息苦しさはあるが、悠長にしている暇はない。


 足跡は真っ直ぐと洞窟に向かっていた。手遅れになる前に馬を走らせる。

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