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偽物令嬢〜前世で大好きな兄に殺されました。そんな悪役令嬢は静かで平和な未来をお望みです〜  作者: あいみ
第四章

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シオンの秘密。覚悟の重さ【レイアークス】

 空が光った。


 それはレディーが帰って、一時間ぐらいが経った頃。


 随分と昔。聞いたことがある。聖女の祈りが天に届いたとき、空が泣く。


 古くから言い伝えられていることで、意味を知る者はいなかった。闇魔法を持って生まれる聖女や聖人がいなかったからだ。


 今日ようやく、言葉の意味を知った。


 青々とした空が一瞬とはいえ、青黒い光が国中に降り注ぐ。


 その光は全員に見えていたわけではない。王宮の人間のほとんどは目にすることはなく、騎士団は全員が見えていた。


 あくまでも私の推測ではあるが、レディーに親しい者だけが光を見る。


 レディーが何を祈ったのか。


 ──道中、何があったのかをエノクから聞く必要があるな。


 執務室に戻ると今日の分の書類仕事を終わらせたスウェロが優雅に紅茶を飲んでいた。カップの横に置かれたクッキーはレディー……婚約者の手作り。


 お菓子作りが趣味で、よく焼き菓子を差し入れてくれる。味も見た目もよく出来ていて、店を開けるほど。


 「叔父上もどうぞ」


 進められて、正面に座りクッキーを一枚摘む。口当たりが良くしっとりした味わい。


 冷めてもこんなに美味しいのだから、焼き立てはもっと美味しいのだろう。


 いつにも増して笑顔のスウェロが不気味で、早々に追い出したい。


 せっかくのクッキーを片付けろと言うつもりはなく、せめて食べ終えてから。


 二人で食べるには量が多く、私の側近がどこに行ったのかを聞きたい。


 私の分の紅茶を淹れたスウェロ流れるように水魔法を発動していた。


 カップを目の前に起き、座り直すその姿は陛下と重なる。国王としての威厳を放ち、膝を付きたくなるような。


 これで王太子の座を譲っているのだから恐れ入る。


 魔法を教えるよりも自信をつけさせたほうが良かったかもな。


 心優しい王でも、国民の声に耳を傾けるのであれば、それでいい。独裁ではなく、国のための王を人々を望む。


 スウェロならきっとなれた。歴史に名を残す王に。


 本人が決めたことに今更、口を出すつもりはないが、もったいない思いはこの先一生、消えることはない。


 「シオンが祈ってくれたみたいですね」


 外を見ながら言った。


 室内にいてもあの降り注ぐ光には気付く。私達に向かって降っていたのだから。


 見えていない者にどう影響を与えるかはまだわからない。後で確認してみなくては。


 「それだけのために、魔法を使ったわけではないだろ?」


 隣国の王太子が編み出した防音魔法。特訓もなしに見ただけで習得してしまうスウェロの才能は妬みを通り越して羨ましい。


 本人はそれをすごいことと思っておらず、私の教育の賜物だと。


 他人を褒めることに関して嘘をつかないスウェロの発言は本心。


 私が教えたのは魔力コントロールと魔法の基礎だけで、後のことは完全なる才能。


 声を一切遮断するこの魔法を使っておきながら、たったそれだけのはずがない。


 段々と笑顔は消え、真剣な顔付き。


 「シオンの何を知っているのですか?私達にも共有して下さい」


 その内容では、誰に聞かれるかもわからない状況で話せるわけもない。扉も開かないように風魔法で抑え付けている。


 何でもない。その程度のことなら私も気兼ねなく話せるが、レディーが平民であることは軽々しく口にしていいことではないのだ。


 本人の許可があれば別だが。


 私はあの夜。レディーから“そう”であると答えを貰っただけ。口外する許可までは得ていないし、得るつもりもなかった。


 レディーの出生(ひみつ)は墓場まで持っていく覚悟。そうでなければ、本人に直線、確かめたりはしない。


 どんな思いだったのだろうか。家族と信じていた人達が、実は赤の他人。虐げられて……。ただ虐げられるだけの日々。


 幼いレディーが耐えられた……いや。耐えてはいなかっただろうが。


 グレンジャー家からの不当な扱いは全て、自分のせいで母親が死んだ負い目から受け入れなくてはならないという自責の念があったから。


 ならば。違うとわかった後は?


 自分よりも父親に似ている他人が現れ、その他人が実は本物の公爵令嬢。驚きよりも恐怖が勝っただろう。


 自分が何者なのか。偽物だったとしたらなぜ、あんな扱いを受けなくてはならなかったのか。


 決して見つかるはずのない答えを探そうとしては、夢であってほしい現実が突き刺さる。


 自分は偽物であると。


 公爵の隠し子である可能性はゼロ。昔から真面目で勉強や、今は仕事にばかりで家族のために時間を割くことさえほとんどない。


 そんな男が、愛人を作り、子供を産ませるなんてありえない。


 レディーも同じ考えなのだろう。だからこそ。自身が平民であることを受け入れざるを得なかった。


 光魔法の少女と出会ったのは王立学園の入学式。


 レディーはその後すぐに屋敷を出たわけではなく、頑張ろうとしたのか。真実が明るみになるまでは、せめて、本物の公女として。


 それとも。過ごした時間さえ偽物だったと、苦しみながらも外の世界のほうが居場所がないからと帰り続けたのか。


 自分を疎ましく思う人間しかいない大きな屋敷へ。


 気性の荒い兄二人に、自ら偽物だと告げればその場で首をはねられる。彼らは大義名分を得た。レディーを殺すことへの。


 真実なんて確かめもせず、普段ならきっと。レディーの言葉には耳も傾けないだろうに。


 皮肉なことに、平民である事実を鵜呑みにする。


 本来であればレディーは慕われなくてはならない。笑顔を向けられ、名を呼ばれて。


 レクシオルゼのような崇拝者もいたかもしれない。


 レディーの心があんなにも深く傷つき、ボロボロになることを誰も望まないはずだった。


 もしも、早くから不当な扱いを受けていると知っていたら陛下は助けに動いた。レディーが自国にいたいと望まぬ限りは。


 どこにでも連れて行く。賑やかな場所が嫌ならとても静かな、西の大陸には穏やかな人々が暮らす。そこなら安息の地となるかもしれない。


 人と会いたくないと言うのなら、それこそ。レーツェルの森に小さな家を建てることも難しくない。


 「知ってどうする?」


 レディーの秘密は興味本位で探っていいものではない。


 当の本人は気にしていない素振りではあったが、勝手に喋られたくはないだろう。


 甥ではなく第一王子として目の前に座るスウェロに対して、私も宰相として向かい合う。


 「宰相閣下。私は興味本位や面白半分で聞いているのではありません。知りたいだけなのです」

 「理由になっていない」


 強い信念を持った金色の瞳は一歩も引かないと意志を感じる。


 緊張して声が上ずったことは気付かないふりをするのが優しさ。


 初めてだからな。甥と叔父の関係を切るのは。


 私は早くから兄上を陛下と呼び、膝を付いてきたから公私混同はしないがスウェロ達はずっと私を「叔父上」と呼んできた。


 接し方も公の場では気を付けているが、親しみさが完全に抜けていない。


 私のほうから、かしこまらないでくれと頼んだことを忠実に守ってくれている。


 外交や他国の人間が多く集まる重要な場所だけではあるが関係性を割り切るためにも、私は宰相としてスウェロとレクシオルゼを「殿下」と。アルフレッドを「王太子殿下」と呼ぶ。


 この国の未来を担うのは我々ではなく彼らであると示すために。


 「らしくないな。女性の秘密を暴こうとするなんて」

 「覚悟はあります」

 「覚悟?」

 「嫌われる覚悟です。人様の秘密を勝手に暴こうとしているのですから、嫌われて口を聞いてくれなくなるかもしれない」

 「スウェ……」


 思わず関係が元に戻りそうになった。


 紅茶と一緒に言葉を飲み込み、作り出された雰囲気を壊さないようにした。


 私にとってスウェロは子供だ。成人を迎えようとも。


 陛下に似て甘い考えをするときもあり、いつまでも目が離せない。


 だがそれは、勘違いだった。スウェロは成長している。心身共に。


 責任を背負う覚悟がある。

 ほとんど毎日、一緒に過ごしていたのに成長を見逃していた。


 「それに。シオンが泣く理由を知らないままでいたくない」

 「その秘密が、泣く理由とも限らないのにか?」

 「十中八九、違うでしょうね」


 空になったカップに手を伸ばし、何も入っていないのに口を付ける。中身がないのだから味があるわけでもない。


 恥ずかしさのあまり顔を赤くして目が泳ぐ。


 動揺しているのかカップを置く際にカチャリと音が鳴る。これも、らしくないミス。


 レディーに嫌われることを想像してなのか、こっそりと息をつく。


 それが合図であるかのように、空気は割れて肌をチクチク刺していた独特の雰囲気は消える。


 ──十分は持たなかったか。


 第一王子としてのスウェロと真剣な話が出来たことは楽しかった。


 「シオンの痛みや苦しみを理解するなんて私には無理だ。家族に愛され周りの人達にも恵まれて。育った環境が違いすぎる」


 レディーは国を出る前にやり返しても良かったのだ。殺さない程度に。手足の一本や二本、奪ってやれば良かった。


 英雄ヘルトの願いとはいえ、後世に生まれる闇魔法がこんな扱いを受けていたと知れば、甘んじて罰を受ける王族も怒りを隠さないだろう。


 こちらから密告しなくとも、遅かれ早かれハースト王国は終わりを迎える。フェルバー夫妻が謎の病を発症したのがその証拠。


 レクシオルゼから症状を聞いたとき、思い当たる節があった。


 貴族や平民、身分関係なく。病はゆっくりと蔓延する。感染するわけではないので、どんなに隔離しても意味はない。ハーストに住む全員が対象なのだ。


 いずれ王家にも発症者は出る。救える方法は二つあるが、その内の一つはレディーの力が必要になるので、黙っておくつもりだ。


 あの病で死にはしない。例外はいるが、ほとんどの者は痛みで苦しむだけ。放置して罪悪感を抱くことはない。


 もう一つは光魔法。こちらも無理だろう。公女として幼い頃から魔法の訓練を受けていれば、可能性はあったかもしれない。


 貴族として生まれ平民として育った少女が本格的に魔法と触れ合うのは学園に入学した今年から。初級魔法でさえ禄に使えないのであれば、希望を抱くことすら無意味。


 あの国は等しく罪を背負わなくてはならない。


 レディーを虐げ傷つけてきた国民。


 自由にさせなくてはならないという、古くからの義務を守るべく事実確認を怠った王族。レディーが悪役令嬢だと噂が流れた時点で調べるべきだった。噂の真相ではなく、レディー本人を。


 シオン・グレンジャーがなぜ、悪役令嬢と呼ばれるようになったのか。それさえ調べていればレディーへの仕打ちは、変わっていたのかもしれない。


 罪の重さは同じ。何もしていないとか、関わりさえなかったとか、どうでもいい。全員が罪人。


 病を発症しないのは本人は当然のことながら、ノアール。そして、まぁ、話を聞く限りいないだろうがレディーの存在を否定しなかった人物。


 黒を忌み色として嫌うハーストの人間が闇魔法と黒い瞳を持ったレディーを好む者はいない。


 その姿を見ていなくても噂だけで判断しているからこそ、会ったこともない平民も発症している。


 「友達なんです。シオンは。友達が苦しんで泣いているのに、安っぽい言葉をかけて慰めたくはない」


 スウェロの感情に左右され水は揺れる。小さな振動ではあるが、魔法が崩るのも時間の問題。


 「シオンは優しいから、私達が聞いてもきっと、何もないと笑って答える。本当はずっと、苦しんでいるかもしれないのに」

 「スウェロ。お前に話すつもりはない」

 「叔父上!!」


 魔法が崩れた。


 バケツをひっくり返したかのような水の量は私達も床も濡らさない。不安定だったにも関わらず被害がないのは流石としか言いようがない。


 水は次第に消えていく。


 私の紅茶もなくなり、あまり減っていないクッキーは保存用の缶にしまい、仕事の息抜きに食べる用にここに置いておけばいい。


 ルイセとナンシーもレディーの作るお菓子は好きで、いつも楽しみにしている。


 この紅茶も香りは薄いが味はとても良く、スッキリとした口当たりから甘いお菓子に合うと評判。


 立ち上がり缶を棚に戻す。スウェロは入り口を塞ぐように扉の前に立つ。


 ここは私の執務室。外に出るとしたら私ではなくスウェロのはず。


 「知らないままではいたくない。知ったところでシオンの苦しみを半分、背負えるわけでもないけど」

 「スウェロ。夕食後、食堂に残るよう陛下と王妃殿下に伝えてくれ。レクシオルゼも呼んでおく」

 「それはつまり……」

 「私の言い方が悪かった。お前だけに話すつもりはない。そういうことだ」


 ふむ。やはりスウェロは子供だな。


 こんなことで幼い頃を思い出させる満面の笑みを浮かべて。


 ……そうか。スウェロにとっては、こんなこではないのか。


 変わることのない甥っ子の頭を撫でると、無駄に目を輝かせては、もっとと要求してくる。


 調子に乗ったスウェロに、これ以上居座るのであれば何も教えないと脅したところ、すぐに部屋を出た。


 「とことん甘い、か……」


 全くもってその通りだ。


 闇魔法の使い手が来たと知らせを受けた日。興味が湧かなかった。一欠片も。


 世界を救ってくれた魔法だからこそ感謝はしている。闇が光を覆い隠してくれなければ、今でも世界はハースト王国に跪き命も魔法も、尊厳さえも差し出していた。


 レディーは英雄ヘルトの子孫でもなければ生まれ変わりでもない。


 彼は自分の全てを闇の中に飲み込み消滅させた。遺品などない。髪の毛一本も残さず、この世を去った。


 希望をレディーに押し付けるのは違う。彼女はただのシオンで、英雄ヘルトと同じ魔法を持っているだけ。


 過度な期待は生き方を制限させる。


 あくまでも自由に、が信条。


 「こんなにも他人を気にかけるのは初めてだな」


 特別な感情があるからではない。


 レディーが私を特別扱いしないから。


 王弟であること。宰相の座に就いていること。魔剣を所有していること。たったそれだけで皆が私を特別だと言う。


 身分なんてものは運にすぎない。私はたまたま第二王子として生まれただけ。


 宰相になれたのも努力したから。陛下を支えたい一心で。


 魔剣は……。正直、私がなぜ選ばれたのかが未だにわからない。それも運が良かったと言えばそれまで。


 皆は悪意なく私を慕ってくれているのはわかるが、特別だと線を引かずに気軽に超えてきて欲しい。


 隣で共に、何気ない日常を過ごしたいとワガママを口に出来る性分でもなく、一度でも断られたらまた同じことを言う気にもなれなかった。二度目は上司からの脅迫となってしまうから。


 外からやって来たレディーは私を、レイアークス・リーネットではなく、ただのレイアークスとして接してくれる。


 これまでになかったこと故につい、気にかけてしまう。


 その正体が実は単純に、レディーと友人になりたいだけであるとわかっているからこそ、距離感を間違えられない。


 ──異性の友人は一人もいなかったからな。


 陛下がやたらと私をレディーに近づけさせるのも私の距離感に問題があったかららしい。


 最近、ナンシーから指摘を受けて、私の距離感がおかしいことを自覚した。それならそれで、もっと早くに言ってほしかったのだが。


 ルイセもおかしいとは気付かず、普段の私だという認識。


 普段から誰に対してもその距離感でいたのなら、本当にもっと早く注意をしてほしかった。


 女性と接する機会が少なかったのも、周りを勘違いさせた一つなのだろう。


 外交の場を設けると必ず、他国からは女性が何人もいて、彼女達はいつも好意的な視線を向けてくる。


 私の瞳の色を気にせず、外見と身分と地位だけを好きになる人が圧倒的。政略結婚を視野に入れていた昔なら、それでも良かったが今はもう困るだけ。


 中には本気で好意を抱いてくれる女性もいて、毎回のように告白を断るのが心苦しい。


 泣かれるのが嫌だ。


 一番じゃなくていいと必死な彼女達の希望を打ち砕くように冷たく突き放す。


 私の一番は陛下が大切にするこの国であり、二番目の特別は必要ない。


 スウェロが終わらせてくれた書類を見直して不備がないかを確認する。


 完璧だった。これならもっと重要な書類を任せても良さそうだ。そしてそのまま、宰相の座をスウェロに譲るのが最適。


 代わるのはアルフレッドが玉座に就いたとき。


 「スウェロ殿下はお戻りになられたのですか」


 書類を整えているとルイセが戻ってきた。ナンシーは一緒ではなかったのか。


 すぐ後で、呼んでおいた従者が来てカップを片付けてくれた。


 今日は食堂に行くのでリラックス効果のあるミントティーを五人分用意するように伝言を頼むと、何とも不思議な顔をされた。


 私は普段、食事を自分の部屋でしか摂らない。今日もいつもみたいにここに運ぶよう頼んでいる。にも関わらず、食後のミントティーを食堂に。


 返事までの間が長い。五人が誰なのかを考えている。


 食堂で食事を摂る人物は決まっている。レクシオルゼは騎士寮で生活しているため、重大なことがない限りこちらには来ない。


 五人中三人は悩むことはなく想像がついている。四人目も思い浮かび最後の一人だが……。


 「食後ではなく食事もご一緒すればよろしいのでは?」


 至極真っ当な意見。同意するようにルイセも頷く。


 「食事は一人がいいんだ」


 昔は家族で食べていたが、宰相に就いてからは時間節約のために食べる量を減らし、手で食べられる軽食ばかりを頼むようになった。


 栄養が偏らないように工夫はしてくれているので、体調を崩したことはない。


 たまにはちゃんとした食事も摂るようにと小言を言われることもある。


 私も週に……いや。月に五……いや、二回ほどは時間に余裕のある夜に、ちゃんとした食事を作ってもらう。


 軽食すら食べる時間がないときは常備しているポーションで済ませる。側近や従者に見つかると説教にも近い小言が待っているので、一人でいるときに。


 従者が部屋を出て行くと、ルイセは心配そうな表情を浮かべていた。


 「最近は何かと忙しい日が続いていますが、お体は大丈夫ですか」

 「気にするな。いつものことだ」


 忙しさは何も変わらない。レディーの魔力コントロールの特訓は増えたが、私にとってあの時間は息抜き。休息だ。


 夜まで特にすることもなく、図書室で本の状態をチェックしておく。


 入れ替わりでナンシーが戻ってくるかもしれないのでルイセは待機。


 側近として能力の高い二人は実に優秀。誰に自慢しても恥ずかしくないレベル。そんな二人は両想いにも関わらず、どちらからも告白せずに仕事仲間の関係で留まる。


 ナンシーはルイセの後に入ってきた後輩で、指導を受けている内に自然と目で追うようになり、ルイセも新人後輩から一人の女性として意識するようになっていた。


 仕事中は至って真面目。恋愛感情を醸し出すわけでもないので結果を見守っているが、キッカケがないとずっと仕事だけのパートナーになりそうだ。


 私も気を利かせて二人にすることは多いが、恐ろしく進展がない。


 独身である私が人の恋愛沙汰に首を突っ込めるわけもなく、どうしたものかと頭を悩ませる始末。




 夜になり、食事が終わった頃合を見計らって食堂に足を運んだ。


 タイミングが良かったのか、ちょうどミントティーがカップに注がれたところだった。


 使用人を全員下がらせて、スウェロに防音魔法を張ってもらう。


 「お話の前に、陛下。こちらを付けて下さい」


 手渡したのは魔力切断のブレスレット。魔力が高い人間用に私が改良したので陛下にも効くはず。


 「冷静になってもらわねば困りますので」

 「私が取り乱す内容か?」

 「わかりません。ですが、万が一のためです」


 ブレスレットの鍵は私が持っているため、これで安全のはず……だと信じたい。


 陛下が付けてくれたのを確認して、次にミントティーを飲むように勧める。


 スっと鼻を抜ける爽やかな香り。甘みと苦味がマッチして奥深い味わい。


 ──レクシオルゼには早かったな。


 紅茶と違い多少クセがあるため、好き嫌いがハッキリ分かれる。


 一口目で無理だと判断し、備えてあるミルクを入れた。


 「先に言っておきますが、レディーに嫌われても私のせいにしないで下さいね」


 いくらレディーが優しくとも、隠しておきたいであろう出生(ひみつ)を自分の知らないとこで知られたら。絶対に良い気分はしないだろう。


 話したと素直に言えば、嫌な顔はしないだろうが嫌な思いはする。


 教えた側の私にも責任があるため、次に会ったときは誠心誠意謝罪をするつもりだ。


 夜になるまで時間はあり本人に確認する機会はあったが、今はダメだと思った。


 図書室での仕事も終わり、帰ってきたエノクから事情を聞くとレディーが祈ってくれた理由が何となくわかった。


 会ったこともない、ましてやもうこの世にいない他人のために涙を流し、きっとそんな彼らのためにも祈りを捧げてくれた。


 ──優しすぎるな、レディーは。


 エノクが見た涙は宝石のように輝いていて、言い伝えにある優しさの塊のような人であると熱がこもっていた。


 レディーはまさに、優しさが具現化したような温かい心の持ち主。


 虐げてきた連中は一人残らず抹殺すべきだとも付け加えていた。


 レクシオルゼに負けじ劣らずの崇拝っぷり。


 あの物騒な会議でも第二騎士団の盛り上がり方は異常だった。全員が熱狂的信者。


 第二騎士団の監視も仕事になりそうで、それだけは全力で断りたい。


 「大丈夫です。そのときは叔父上に口添えしてもらいますから」

 「お前は私を過大評価しすぎだ」

 「そんなことありません!父上だって叔父上のことを頼りにしているんですから。ねぇ?」

 「レイは昔から頼りになる弟だ。本来であれば王の座も其方が就くはずだったんだぞ」

 「いいえ。私にはその意志はありませんでした。陛下こそが王の器だったではありませんか」

 「レイ。公務はもう終わったのだから、その呼び方はやめないか」

 「そうですよ。それに、父上のことを陛下と呼ぶなら、私達のことも殿下と呼ぶことになるんですよ」

 「私はそれでも構わんが?」

 「ほんと叔父上は意地悪ですね」


 いじけるスウェロを見て王妃殿下は小さく笑う。


 幼少期から陛下の婚約者に選ばれ、ほとんどの時間を王妃教育に費やしてきた王妃殿下とはよく顔を会わせていたため他人という感覚は薄い。


 歳上であはるが、そんなに歳が離れているわけでもないのに美しく洗練された所作。淑女としてお手本のような人。それが第一印象。


 「兄上。決して感情を爆発させないで下さい」


 さっきよりも空気が刺々しい。私が本題に入ると察して背筋が伸びる。


 「レディーは……平民です」


 発言して数十秒。陛下の怒りは徐々に上がっていく。


 魔力を抑えているはずなのに魔道具を壊しかねない圧に空気が震え揺れる。並の者ならまず耐えられない。


 大幅に改良していなければ魔道具はとっくに壊れている。


 「たった……たったそれだけのことでシオン嬢を虐げてきたと!?」


 スウェロから陛下へと、レディーが受けた仕打ちは報告が上げられている。


 息子達のように怒り狂い攻め入るなんて暴走しなかったのは王妃殿下のおかげ。燃え盛るはずの炎を事前に消し止め、笑顔一つで制御した。


 他の誰でもない。王妃殿下だから可能な技。


 闇魔法の重要性を知っていながら使用人ぐるみで虐待していじめていただけでも陛下の怒りを買うには充分。


 それだけでなくレディーが平民となれば……。陛下だけではない。全員の思考が一つの答えに導かれる。


 レディーへの日常的な暴力は闇魔法を持ったからではなく、高貴な自分達を差し置いて平民風情が闇魔法を持っていることへの怒り。


 味方にはとことん甘い。それは最も、陛下に当てはまる。


 一国を統べる王として、陛下は国民を家族と考えている。皆が息子であり娘。


 生まれは違えどリーネットで暮らすレディーもだ。


 大切な娘が理不尽な目に合っていた理由が、身分などとくだらない理由だったことに怒りは収まることを知らない。


 魔力封じの魔道具がなければ今頃、ハーストは最悪の人為的天災に見舞わている。


 「落ち着いて下さい、兄上。グレンジャー家がレディーの出生を知っているとは到底思えません」


 美しい金眼に落ちていた黒い影が完全に引くことはない。感情的になりすぎて理性が追いついていないのか。


 「奴らの性格なら、レディーがこうして生きていることはありえないのです」

 「レイの言う通りだわ」

 「それに!謎が残っています。本物と偽物がなぜ入れ替わったのか」


 可能性があるとすれば公爵夫人が入れ替えた。


 なぜ?


 逆ならわかる。本物がレディーだった場合。黒を持つレディーを受け入れられなくて、同じ日に魔力を持って生まれた平民の子供と入れ替える。


 公爵は五大魔法を全て持っているので、どの属性になっても怪しまれることはない。


 が、現実は違う。本物は最初から貴族としての色を持っていた。入れ替える理由も必要もない。


 公爵夫人はとっくに亡くなっていて、真実は闇に葬られた。“公爵家”を大事にする公爵が入れ替えに加担しているとは考えにくい。


 公爵家に恨みがある人間が使用人として忍び込んでいた可能性は恐らくないだろう。


 雇うときに身辺調査は行うだろうし、仲介業者も公爵相手に適当な人材を紹介するはずもない。


 全ての可能性を潰した結果、公爵夫人自らが入れ替えたということ。


 「その理由とやらを知れば、私は納得するのか?」

 「……いいえ」

 「レイ。どんな理由があろうとも私は、家族が家族に傷をつけることは許したくないのだ」


 甘いのは優しい証拠。


 陛下に命令をさせてはならない。どうにか考え直してもらわなくては。


 ひとたび命令が下れば私は拒むことなく遂行する。誓った忠誠心は絶対。


 「陛下。どうかレディーを隣国に攻め入る理由にしないで下さい。レディーは復讐を望んではおりません。奴らのことなど忘れて、我がリーネットで生きたいと思ってくれているのです」


 傷ついた心は簡単には癒せない。


 十六年は長すぎた。人を信じられなくするには。


 レディーはとても交友的ではあるが、必ずどこか一歩引いている節がある。


 信じることに恐怖し、築き上げた小さな世界で身を守るしかなかった。


 それを責めるつもりもなければ、レディーにとってはそれこそが正しいのだと肯定したくなる。


 「過ぎた十六年は取り戻せませんが、二十年三十年と続くレディーの未来を守り、幸せにするのではいけませんか?」


 レディーが祈り私達を守ってくれる分、笑顔を増やしていきたい。


 いつかずっと、遠い未来でもいいからレディーの幸せを願うのがノアールだけではないと、わかってくれたのなら。


 陛下の目が伏せられると同時に揺れは収まる。子供のような笑みを浮かべてはレディーのために、を理由に誰かを傷つけることはしないと約束してくれた。


 あくまでも本人が望まない限りは。スウェロと違って言葉巧みに誘導するわけではないので、ひとまずは安心。


 ブレスレットを外すと、すっかり冷めてしまったミントティーを飲んだ。


 気持ちが落ち着く。心のどこかでは私も奴らに仕返しをしたい思いはあった。


 仮に。本当に闇魔法が世界を滅ぼそうとした巨悪だったとしても、それは千年も前のこと。無関係のレディーを悪にするやり方は間違っている。認めていいはずがない。


 他人の幸せを踏みつけ、笑顔を奪う権利など神でさえ持ち合わせていないのだから。




 他人の秘密を勝手に話してしまったからなのか。今日は眠りにつくのに時間がかかった。


 暗く何もない世界。ここが夢であると理解するのに時間はかからない。


 死んだ人間が何人も目の前にいたら、少なからず現実ではないとわかる。


 彼らは私に気付いていないようだ。声をかけるべき迷う。


 私がもっと強ければ、死なずにすんだのだ。自分の力を過信していたわけではない。ただ……魔物よりも人間のほうが強いのだと、思っていたし信じていた。


 「あ!隊長!おーい、隊長ー!!」


 その場に立ち尽くす私に気付いたのは当時、最年少で討伐メンバーに選ばれた期待の新人。


 末っ子気質で、よく隊員からは甘やかされていた。本人は子供扱いされることに不満を抱いていたが、紛うことなき子供だったのだ。


 「どうしたのですか、隊長」


 当時の副隊長は感情の変化にすぐ気付くほどに周りをよく見てくれていた。


 最期のその瞬間まで背中合わせに一匹でも多くの魔物を倒してくれた実力者。


 他にも若くしてこの世を去った隊員達。昔と変わらない懐かしさを思わせる笑顔に、ずっと胸の奥底にしまっていた想いが蓋を開ける。


 ずっと伝えなくてはならないことがあった。伝える機会など、もう二度とないと諦めていたのに。


 やけに心臓がうるさい。柄にもなく緊張しているのか。


 私を茶化そうとする皆を副隊長が止めた。睨むだけで背筋を伸ばし口を固く結ぶのだから、上下関係は相変わらずハッキリしている。


 「隊長。聞きますから、ちゃんと」


 急かすことなく、穏やかな声。


 鼓動が鎮まる。爆発しそうだった蓋の開いた想いは、冷静さを取り戻した。


 「未熟だった私に命を預けてくれたことを感謝する。お前達がいなければリーネットは今も魔物に怯え暮らしていた」

 「何を仰いますか。隊長がいたからこそ我々は、臆することなく戦えたのです」

 「そうッスよ。隊長が責任を感じることなんて、なんもないじゃないですか」

 「私を……恨んでいないのか?」

 「恨んで欲しいのですか?」

 「そういうわけではないが」


 誰も私を責めることはなかった。


 家族も友人も恋人も。私と共に命を懸けて戦った。讃えることはあっても非難する理由などあるわけがないと。


 私は責められることで安心したかった。私のせいで多くの命が奪われた。


 その責任を取れないからこそ、背負うことで許されようとした。最低だ。


 自分のために彼らの想いまで捻じ曲げて。心のどこかで恨み憎んでくれていたのならと願う。


 「すまない。すまな……」

 「隊長。泣かないで下さい」

 「そうですよ。隊長が謝ることなんて一つもありません」

 「むしろ、俺達が弱いから隊長に重荷を背負わたことのほうが罪です」

 「違う!私が……」


 討伐隊を作らなければ。陛下の地位を確固たるものにしたくて。口では国のためなんて言いながらも、私は兄のために彼らを犠牲にした。


 「隊長。貴方は最初に言いました。命の危険があるため、無理強いはしない。大切な人を悲しませたくないなら、降りることもまた強さであると。それでも、残ったのがここにいる者達なのです。皆が自分の意志で戦うことを選んだ。死んだのは誰のせいでもない。実力が足りなかった。それだけです」


 私なんかよりも彼らのほうがよっぽど強い。


 謝ることは死を冒涜する愚行であった。


 「隊長はいつまでも我々の誇りです!貴方と戦えたことは。生まれ変わったらまた、貴方の部下になることを認めて下さいますか?今度こそ貴方の……レイアークス様の後ろではなく隣で戦えるよう強くなりますから」

 「こんな私に、まだついてきてくれるのか」

 「当然です。レイアークス様は憧れであり目標ですから」

 「ありがとう。お前達に失望されぬよう、しっかりと生きていかなければならないな」


 夢の終わりは私の目覚めではない。


 一人一人と握手を交わし、そのまま強く抱きしめた。


 温もりは本物。彼らは私の中でずっと生きている。


 「ありがとう。お前達が部下で良かった」


 世界に光が差す。終わりが近い。


 崩壊していく世界は私を無理やりに現実世界に引き戻す。


 ハッと目が覚めた。


 最初に見慣れた天井が目につく。上半身を起こし、ここが寝室であることを確認した。


 夢にしては随分と現実的だったな。


 「これが君が祈ってくれたことか」


 ポツリと呟いた。


 生きている人間だけではない。死んだ者にさえ幸せになってほしいと祈りを捧げてくれる優しさ。


 レディーの優しさがいつの日か、彼女自身に返ることを願いながらも、このリーネットがレディーの居場所となるように尽力することを誓った。


 痛みや悲しみを切り離すことは叶わないけど、笑顔がいてくれたらそれでいい。


 「今日はやけに眩しいな」


 泣いてしまうのは朝日が眩しいからだと、誰もいないのに言い訳をしたくなった。

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