祈りを捧げる
カフェにはお客さんがまばらで、混んでいるわけではなかった。
持ち帰りの人もいれば、ここで食べていく人もいる。
席はまだ開いていた。私はシャーベットを、エノクはいつものサンドウィッチを注文してから席につく。
メイは厨房ではなくオーダーを取ったり料理を運んだりするので、姿が見えなくなることはほとんどない。
姿勢を正しながら私と向かい合うエノクの視線は、かならず視界の端にメイを捉えている。
常人より視野が広いからだろう。三百六十度を見渡せるわけではないけど、なるべく視覚がないように心掛けている。
好きオーラ全開ではないけど、よっぽど好きなんだなと思う。
ぬいぐるみのふりをするノアールの顎を撫でてると、「うみゃあ」と力なく倒れた。
ここはペットの同伴が許されているので、自分を偽る必要なんてない。
一口サイズにカットした魔物のお肉を目の前に出されると、無我夢中でかぶりつく。
小さなお腹がぽっこりと膨れると満腹の証。満足そうにゴロンと横になる。
「寝る?」
【やぁー】
嫌がりつつも目はトロンとしている。上の瞼と下の瞼がくっつくもの時間の問題。
「初めて見たときから思っていましたが、ノアールはシオン様によく懐いているんですね」
「ええ。私達は唯一の理解者で、家族だから」
似たような境遇に立たされ、同じく母親を亡くした。
命を奪ったのは私達ではないけど、自分のせいだと深く罪の意識を背負う。
殺していないのに、死んだのは自分が生まれたせいだと、周りの態度や言葉が「お前のせいだ」と責め立てる。
反論したくても誰にも声は届かない。飲み込んだ言葉は体の中をグルグルと回る。
いつしかそれは、暗示となり、全て自分が悪いのだと受け入れしまう。
心も体もボロボロに傷ついていたときに出会ったもう一人の“自分”
あの頃はまだシオンは生きていたとはいえ、限界寸前。いつ心が崩壊してもおかしくない状態。
「前の彼女もメイに似てたの?」
湿っぽくなる前に話題を転換した。
今日はエノクとメイの距離を縮めるために来たのに、私の過去を話すとまた怒りに身を焼く。
騎士寮や王宮でならともなく、こんな人の多い所で感情に流されるのは良くない。
「う……。それは……。はい。お淑やかで芯のある強い女性でした」
思い出を懐かしむように、遠くを見つめる目は閉じられた。
「結婚したと知ったのは討伐から帰ってからでしたので、祝うのが遅くなってしまいましたが」
「後悔してるの?」
「していなかったと言えば嘘になります。甘えていたんです。彼女の優しさに。結婚なんてしなくても、いつまでも隣にいてくれるだろうと。バカですよね。彼女が結婚したがっていることを知りながらも、自分都合で避けていたのに」
「でもそれは、彼女を悲しませたくなかったからでしょう?」
口をギュッと噤んだ。「そうだ」と即答出来ないのは、彼女を理由に結婚を先延ばしにしていたからだろうか。
結婚願望そのものはエノクにもあったはずなのに。
「友人が死んだのです。目の前で」
ポツリと呟いた。震える声を悟られないように振舞ってはいるものの、隠し切れない恐怖が全面に押し出ている。
「私がまだ団長の頃でした。決して油断をしていたわけではありません。レイアークス様が考案した三人一組の陣形を崩さず三百六十度、常に警戒していたのに」
下唇を噛み締めた。加減をしていないせいで血が流れる。
怒りや悲しみではない。友人を助けられなかった悔しさが、まるで罪のように重くのしかかっていた。
魔物の多くは地上で姿を現して生きている。ただ全部ではない。
土の中や水の中。暗い場所を好み洞窟から出てこない魔物もいる。
当時のエノク達が対峙したのは地上で生きつつ、命の危険を察知すると土の中を移動し攻撃を仕掛けてくる異種魔物だった。
今でこそ、その生態は明らかになってはいるものの当時はまだ異種魔物という言葉自体がなく、討伐隊は戸惑うばかり。
土の中に潜られると目で追えない。高度な土魔法なら辺り一面をひっくり返すことも出来るけど、魔力的にも実現不可能な魔法。必要になるのは王族並の魔力。
魔力を増やす訓練をしているとはいえ、一気に跳ね上がるわけでもない。平均値を超えていれば優秀と見なされ、第二騎士団は全員が平均値を大きく上回っている。
それでも未知の魔物と戦うには情報がなさすぎた。
顔の傷もそのときに出来たもの。致命傷ではなかったため、即死だけは免れた。
あくまでも即死は。隊全滅の危機には陥っていた。
レイが応援に駆け付けなければ、エノクが私の前に座っていることもない。
二名の死亡者と五名の重軽傷者。初めての異種魔物との戦にしては上々と言ってもいいのではないだろうか。
常識を覆す魔物相手に気が動転しつつも、必死に部下を守ろうとした結果。
「それでも!守りたかった」
握り締められる拳の中から零れ落ちた命。戻ることの出来ない過去を悔やんでは、どうすれば良かったのかと自問自答を繰り返す。
友人には恋人がいた。この討伐から帰ればプロポーズをするはずだった。指輪も買っていて、お守りのように大切に懐にしまっていた。
どんな指輪かは見ていない。一番最初に恋人に見せたいからと、頑なに箱を開けることもなく。
結婚するということを仲間内で自慢していたらしい。
報告した日は祝福と妬みの嵐。妬みと言っても冗談交じりであって本気ではない。
木製の指輪ケースだけはよく目にしていて、魔物の攻撃が直撃したときにポケットにしまっておいた、幸せの扉を開ける愛の象徴でもある指輪は砕けた。
友人の受けた傷は深く、回復魔道具だけでは完治しない。手の施しようがなかった。
団長に任命されたことで有頂天になっていたわけではない。ただエノクは信じていた。
自身の積み重ねた努力と少しの才能を。レイに認められた騎士としての実力を。
目の前で友人を失う悲しみが私にわかるはずもなく、慰める言葉が出てこない。
砕け原型を留めていない指輪の欠片を広い集めては、帰還後。
エノクから恋人の手に渡った。酷ではあっても、プロポーズをするつもりだったと、亡き友人の想いを添えて。
泣き崩れて、体調を壊し数日寝込み、また泣き崩れたその恋人は、未だに訪れる胸の痛みと苦しみと共に、一人で生きている。
新しい恋に踏み出そうとした時期もあったけど、思い出すのはもういない彼のことばかり。生きているときには気付けなかっただけで、どうしようもなく愛していたんだ。
世界で一番。他の人では決して寂しさは埋められない。
ある人は言った。なぜ人は失わないと大切さに気付けないのか。
私は思う。失ったからこそ、気付くのだ。ずっと愛していた人の突然の死。覆らない現実。
何度生まれ変わっても同じ人を好きになり、愛して。死ぬまで傍にいてほしいのはただ一人。
来世でまた巡り会えると信じている。
愛した人が残してくれた指輪を完全に復元することは無理で、欠けた宝石を再利用してピアスを作った。
リングは大切に指輪ケースにしまっている。
「シオン様。こちらをお使い下さい」
土を表現したであろう茶色い無地のハンカチ。受け取って頬を濡らす涙を拭う。
愛にも様々な形がある。スウェロとリズのようなお互いを尊重し合う愛もあれば、もう会えない最愛の人をいつまでも想い続ける純愛。悲恋ではない。絶対に。
恋人が死に、会えないことは悲しいことかもしれない。でもそれは。悲しい結末ではないのだ。自分達の都合で誰かを“可哀想”と思うのは最低である。
目には見えないだけで心の中で生きているんだ。思い出を、存在を忘れない限り。本当の意味で死んだことにはならない。
「ありがとうエノク。洗って返すわ」
手洗いではなく魔道具を使うけど。
洗濯機に似ているけど、違うのは完璧に乾燥までしてくれる。莫大な魔力を消費するので、上級貴族だけが持つ魔道具。
魔力はあるけどお金のない貴族が。使用人を雇えない、もしくは人と接するのが苦手で雇わない人も珍しくはない。
私は家を建ててもらったときに、魔石と魔道具を貰ったから持ってるだけ。
メイの魔力量では扱えないため、埃を被らないように箱の中で保管。
私なら難なく使えるけど、魔道具に魔力を込めすぎると暴走する恐れがあるので私はなるべく触れないようにしている。
「祈花祭で祈りを捧げるあの建物って、やっぱり施錠してるよね」
「いえ。普段から祈りの場所として解放されています」
「そっか。ありがとう」
運ばれてきたシャーベットを一気に食べ切った。
私の感情が伝わったかのようにノアールは眠たい目を擦りながら起き上がる。
「シオン様!?」
お代を三人分置いてカフェを出た。
エノクとメイの距離を縮めたくて、二人が仲良くなる手伝いをしたかっただけなのに。
ごめんね。ごめんねエノク。私から行こうって誘ったのに勝手に飛び出して。
私を家まで送り届ける使命を仰せつかったエノクの慌てる声が後ろから飛んできた。
説明をしている暇はない。一秒でも早く行かなくては。
何かに急かされるように来た道を戻る。息を切らしながら全力で。
貴族特有の派手なドレスじゃなくて良かった。あれでは動きずらくて、こんな風に走るなんて出来ない。
建物に到着すると、なぜか扉が一人手に開く。
中に入りゆっくりと奥まで進む。
熱気が漂う祭りのときとは違い、妙に冷たい空気が流れている。
祭壇以外に何もないため、狭いはずの空間も広く感じた。
教会に似ているけど、目を引くようなステンドグラスもチャーチチェアもない。薔薇を置くための祭壇と光を差し込むための窓だけ。
祭壇の前で膝を付き、両手を胸の前で組む。ノアールは私の隣で背筋を伸ばしながらペコリとお辞儀をする。
幸せになってほしいのは今を生きる人達だけではなかった。過去に生きた人達、そして。これからの未来で生きていく人達。全員である。
痛みや苦しみが取り除けるわけではない。私は祈り願うだけ。
笑顔と同じように涙を流すことだってある。毎日を幸せで過ごすなんて不可能。
人間に等しく平等に与えられているのは“死”
誰にも死を克服することも、避けることも出来やしないのだ。
だからこそ私は祈る。残された人達のために。愛する人を残してこの世を去った人達のために。
その日。リーネットには奇跡が起きた。多くの人が夢を見たのだ。
もう会うことの叶わない愛している人が会いに来てくれた。家族や恋人。友達。大切で特別な存在。
私の祈りが天に届いたと知るのは、翌日。レイとスウェロを訪ねたときである。




