世界で一番愛している人
翌日。ブレットの姿はもうなかった。
夜が明ける前に出発したと聞いた。
隣国と隣接する森は別名、魔物が住む森と呼ばれるほど魔物の目撃が多い。
魔物も人間と同じで活動するのは陽が昇っているときで、明け方なら眠っている。危険を避けるためにも、早朝よりももっと早い明け方を選んだ。
人の気配を感じて起きる魔物もいるため、絶対に安全の保証はない。
そのため、第二騎士団から数人、護衛につく。
訓練をサボりたいなんて不純な動機ではなく、守りたいという純粋な思い。
許可なく勝手に行ったため、帰ってきたら盛大に怒られるだろう。
私のために行動を起こしてくれたのだから、厳しく叱らないでと口添えはするつもり。聞き入れてくれるかは別として。
今日も私は、レイの作ってくれた時間でのみ、魔法の特訓。
の、はずなんだけど。
「叔父上!お願いします!!」
私が訓練場に来たときにはもう、オルゼがレイに頭を下げていた。必死に何度も。
これっぽちも興味を示さないノアールは大きな欠伸をして、定位置で丸くなり、お昼寝タイム。
「エノク。あれは何?どうしたの?」
「ああ。シオン様はお気になさらず。団長が新しい通信魔道具を組み込んで欲しいと頼み込んでいるだけですから」
そっか。オルゼのはブレットに渡したから。
いつでも連絡が取れる物は必要だもんね。
「自分でやれ。魔道具はやる」
「う、だって……」
「レディー。来ていたのか」
「うん。で……。私に構ってもいいの?」
「君の特訓のために時間を作っている。見なくていいのであれば、私は帰るが?」
「ごめんなさい!お願いします!!」
コントロールも大事ではあるけど、まずは確実に傷を治すことが先決。
真剣で打ち合うのだから当然、傷は増える。かすり傷だけど。
集中さえ欠かなければ大怪我に繋がることはないとレイが言っていたけど、集中しようがしまいが、怪我をするときはするものだ。
天才の感覚で言っているのだとしたら、周りが可哀想すぎる。まさに天才に凡人の気持ちはわからない、だね。
「叔父上」
「はぁ……。レック」
急に愛称呼びに。オルゼの背筋が伸びて直立不動状態。
「魔道具を組み込むのって、そんなに難しいの?」
「いえ。それ自体は誰でも出来ます。団長も我々も。ただ、繊細すぎるため多少のズレで、正常に機能しなくなるんです。それこそ、通信も。音声にノイズが入ったり、向こうの声は聞こえるのに、こっちの声が届かなかったりと。不具合が生じるのです」
「誤差なく組み込めるのは……」
「レイアークス様ですね」
うん。わかってた。その答え。
しかも。ただの通信魔道具ではない。GPS付きだからこそ、より繊細な技術が求められる。
オルゼの味方をしたいけど、レイに帰られると私の特訓が終わってしまう。
心の中で頑張れと応援することしか出来ない。
「叔父上がやってくれたほうが早いし完璧ではありませんか」
「お前のために割く時間はない」
「ひどっ!なんで!?」
「私も色々と忙しい」
「でもほら!兄様が補佐になってから、仕事は捗っているんですよね」
「仕事はな。プライベートの時間が欲しいだけだ」
「「ええっっ!!!!??」」
私以外が一斉に驚いた。
至極真っ当な発言ではないだろうか。
休みは大事だよ。たまの息抜きでガス抜きをしないと。
常に張り詰めていると疲れる。頑張るのは良いことだけど、頑張りすぎるのは良くない。
「お、叔父……叔父上!体調が優れないのですか」
動揺しすぎでは?
レイが仕事人間であることはうすうす気付いてはいたよ。仕事が趣味の大人は珍しくない。
真面目な人間なほど、そうなる傾向にあると昔観たテレビで言っていたような。
言わなかったかもしれないけど。
この際、どっちでもいいか。曖昧な記憶だし。
「まさか!シオンですか!!?」
「……何がだ?」
「だって叔父上。やたら部屋から出るようになったし。魔力コントロールだって俺達より時間取ってるじゃないですか。それはつまり、シオンに好意を……」
「レック。お前がそこまでバカだったとは思いもよらなかったな」
レイが人を好きになる姿が想像出来ない。兄である王様のために人生の全てを捧げた。
私は本人から語られたからこそ、特別な感情を抱く女性を作らないと知っている。
「そういうお前はどうなんだ、レック?随分、レディーと距離が縮まったようだが」
「そうですよ団長!シオン様のことを女神様と崇めていたではありませんか!」
「恋焦がれていたのを、我々は知っているんですよ!」
「恋心と崇拝は別物だ!!」
ハッキリと断言した。
オルゼが私に向ける感情に恋心なんて一ミリも含まれていない。淀みのない崇拝心。
援護するわけではないけど、私達が友達であると告げると団員達はガッカリしていた。
訓練と討伐に明け暮れるオルゼに春が訪れたことは一度としてない。第二のレイになりつつある。
──十五歳ならそんなもんじゃない?
そんなに心配しなくても王族なら、いずれ結婚相手は見つかる。
私だって好きな人はいないし。
「シオンは叔父上のような人はどう?」
「どうって……。前にも言わなかったけ?素敵な紳士だと思うよ」
オルゼには言ってなかったかも。レイ本人が歳の差を気にしていたから、素敵な殿方を答えた。
「それだけ?あんなクソ野郎よりもシオンにお似合いだよ」
ふふ。ヘリオンのことをクソ野郎なんて。汚い言葉遣いにレイが睨む。
苦笑いをしながら頬を掻く。レイと目が合わないように背を向けた。
私は誰も好きにならないと言ったはずなのに、私とレイがお似合いだなんて。
「私ね。好きな人はいないけど、愛している人はいるわ」
「誰!?」
身を乗り出してきた。
両肩を掴まれて逃げ場がない。あまりの迫力に思わずたじろぐ。
私を取り囲む団員達の目も大きく見開かれている。
──みんなレイを習って!!
一人距離を取り、お昼寝を楽しむノアールの背中やお腹を撫でる。
あれ!あれでいいの!適正な距離感!!
眠りの妨げをしない手付きに、ノアールは気持ち良さそう。
イケメンの割合が多いとはいえ、いかつい面々もいらっしゃるわけで。その筋の人に追い詰められているみたいで怖い。
それぞれが相手を推測し始める。
リーネットで私が接した異性は限られていて、まずはそこから絶対に違うであろう人を除外していく。
王様は結婚しているしスウェロには婚約者がいる。
レイとオルゼ。一番可能性がありそうな二人も。
ハースト国民は眼中にすら入っていない。
騎士団に務めているほとんどは独身。エノクも。
出会いがないと嘆きながらも、恋愛に臆病になっている。命を懸ける仕事だ。幸せにしたい最愛の人を、自分の死で不幸にしたくない。そんな優しさが未だに独身を貫かせていた。
「その男は俺達も知ってる奴?」
「ええ。当然」
益々、わからないという顔。
難しいことはない。深く考えないで、普段の私を見ていると想像がつくのに。
──というか私、前に言ったような気がするんだけど。
肩を掴む手に力が込められる。
面白がって黙っていると、ヘリオンに未練があるのではと呟いた。
「それはない!絶対に!ありえないから!!」
全力で否定した。
ヘリオンはただの政略結婚の相手。愛があってたまるか。
将来、屋敷の外に連れ出してくれるという利点があっただけで、陰で「おぞましい姿」などと中傷するような男。万が一にも、好きになりたくもない。
「他に誰が……」
「もう。いるでしょ、一人」
「んー……。アル兄様?」
残念ながら会ったこともない人こそ対象外。
首を傾げるオルゼは、どうやら答えが導けない。
「ノアールよ」
【わふぅ……呼んだぁ?】
とろんとした目をパチパチさせながら、おぼつかない足取りで歩いて来る。
途中でレイに抱っこされていたけど。
「すまない。起こしてしまったようだ」
「ううん。私が名前を言ったから、聞こえたんだと思う」
ノアールを受け取った。
太陽をいっぱい浴びた体はポカポカしている。干した布団のようなお日様の匂い。
人前でなければ、この体に思いっきり顔を埋めていた。
「私はノアールを世界で一番愛しているの。だから、他の人を好きになったりしないわ」
オルゼはどこか納得したように手を離してくれた。同時にレイに視線を向ける。
レイもほぼ無意識にオルゼを見ていて、二人の視線が交わった。
なぜ、だろうか。二人が今、何を思っているのか気になってしまう。
団員達は安堵して、私とノアールがお似合いだと盛り上がる中で二人だけが悲しみにも似たような表情を浮かべているんだ。
発言を取り消すなんて私には出来なくて。言わなければ良かったと後悔もない。
ただ……気になってしまうだけで。
「レディー。そろそろ特訓に入らないのか」
私の視線に気付いて話題を変えた。
触れないほうがいいのか。
これでも空気は読めるほうだ。触れて欲しくない、触れてはいけないことに首を突っ込むつもりはない。
私を仲間外れにしているつもりではないからこそ、不貞腐れる理由なんてどこにもないな。
オルゼは何かを思い出したかのように「あっ!」と叫んだ。
「叔父上!魔道具!!」
まだ諦めていなかった。というより、諦めるつもりがない。
頼み事があるときは一方的にやってもらうのではなく、こちらが相手の利になることをして交渉したらいいんじゃないかな。
私も昔は、お菓子やオモチャを買ってもらおうとお手伝いを頑張ったものだ。
オルゼも何かしらの対価を払わないと。
宰相の仕事を手伝うとかさ。
「自分でやれ」
冷たく突き放された。
私の特訓からかなり脱線してしまい、傷を負った数人を前に呼んだ。
血はすっかり止まっていて、数日もすれば傷跡も残らない。
両手をかざして傷口と一緒に腕も包み込む。このときに治すことだけに意識を集中させる。
そうしないと腕ごと消してしまうから。
かすり傷程度なら余裕で治せるので、ちょっと調子に乗っているとレイにとんでもない課題を出されてしまった。
「魔道具の組み込みはレディーにやってもらうとしようか」
「……はい?」
ドSのような黒い笑みは背筋を凍らせる。
──貴方の叔父上、めっちゃ怖いんですけど!?
嫌と言えば金輪際、特訓に付き合ってくれないだろう。
そんな大人気ない真似をするわけがないだろうけども!
助けを求められる強者は皆、明後日の報告に目を向ける。頼みのオルゼは驚きながらも、レイの発言に胸を踊らせている様子。
待ってオルゼ。よく考えて!
私は魔道具を組み込めることさえ知らなかったんだよ!?
ど素人中のど素人に任せたら失敗しかしないって、わかってるよね!?
断れない、いや。断らさせないオーラに私は喜んで引き受けるしかなかった。




