設定こそ常識である
「公女さ……シオン様」
私はもう公女ではないと伝えると、呼び方を変えてくれた。
ぎこちなさは残り、慣れるまで時間はかかりそう。
「ブレット。どうしたの」
レイの注文を受けてから、はるばるリーネットまで出向いてくれたブレット。
数日前にはハースト国で蔓延している謎の病にかかり、今では苦しんでいたとは思えないほどに元気な姿。
オルゼには心当たりがあったらしく、私にはまだその原因を教えてくれない。
ついでに、あの日。レイとスウェロがどこで何をしていたのかも。
期日まで出られない部屋なんて興味が引かれるに決まっている。しつこく問いただせば答えてはくれるだろう。
──言いたくないことを言わせるのは、相手の意志を無視した最低の行動ではないだろうか?
好奇心をグッと抑え、いずれ話してくれると信じて待つ。
自国を離れたことにより、ブレットと夫人は闇魔法の真実を知った。
知らなかったとはいえ数々の無礼を詫びられた。彼らが直接、私に何かしたわけではないのに。
隠された真実により私を悪者だと決め付けていただけ。
一歩、国の外に出てしまえば意外と簡単に全てが見えてくる。
ブレットに関しては少なからず過去に一度はリーネットを訪れているはず。
祈花祭の時期と重ならなければ闇魔法のことを知る機会は中々ないのかもしれない。
足を運んだのが私の属性がわかる前だとしたら、国民から声をかけられることもないだろうし。
色々とタイミングが悪いのは結局のところ“設定”のせいだ。
悪女でいなければならないシオンが“悪女”で在るために。
どこの国もそうだけど、自分の生まれた国から外に出る人間はほとんどいない。そう思っていたし、ゲームの補足説明にもそう書いてあった。
でも、実際はハーストの人間だけであり、他の国ではフットワークが軽いのか意外と外に出る人は多い。
国の文化はそれそれ違っていたり、貴族の半数が一つの属性しか持たない代わりに多彩な使い方をする国もある。
そういったものを勉強するために留学して、技術や歴史を学ぶことが一般的。
交友関係を築いている国同士なら、快く引き受けてくれる。留学生が王族や貴族でなくても、平民だったとしても、だ。
ゲームの舞台はハースト国であり、他国と絡むことはなかった。
そのせいで、たった一つの国の常識こそが世界の全てだも勘違いしていたのだ。
──常識さえ、設定が元になっているんだけど。
彼らは国外に出ようなんて思ったことはないんだろうな。それが当たり前だから。
通信魔道具が組み込まれたブレスレットと首輪はブレットに返却され、注文の品が完成したとブレットから届けられた。
ブレットから手渡したほうが良いというレイの粋な計らい。
ただ。重々しい空気が完全にリセットされたわけではなく、案内をされたブレットの足が止まり引き返そうとしたのを私は見逃さなかった。
「大変お待たせしました。ブレスレットと首輪をお持ち致しました」
色の指定をしたのに、こんなに早く仕上がるなんて。私の髪色で作ってくれていたから、作り直すのに時間はかかるはず。
……あ、レイの色彩魔法か。
どんな物にも新たに色付け出来るのは画期的。五大魔法以外(光と闇は除く)の魔法との出会いはさぞ度肝が抜かれただろう。二つも持っていれば尚更。
いくら国の外に出ようとも目を向けなければ意味はない。
いかに自分がちっぽけな世界で生きてきたのか。私も痛感した。
ブレスレットをはめて、ワクワクが止まらないノアールに首輪を付けた。
今までは宝石を埋め込んで豪華にしていただけで、ノアールの気持ちなんて考えてもいなかった。
頭にあったのはいかにお金を使うかだけ。
ノアールの優しさに甘えすぎていたと猛反省。これからは、ノアール本人の意見を聞いていかないと。
【お揃い!シオンと!ねぇねぇ、似合うでしょ!!】
テーブルに飛び乗ってはクルクルと回る。みんなにノアールの言葉はわからないから、「みゃーみゃー」と鳴いているようにしか聞こえない。
王族三人の目が尊いものを見るかのような真っ直ぐな目をしている。触りたいなら触ったらいいのに。
雑な扱いをしなければノアールだって怒らない。
首を突き出して首輪を見せた後は、私の手を頭でグイグイと持ち上げた。
【ほら!ぼくと同じ色!!】
嬉しそうに「うみゃあ」と鳴くから言葉が通じなくても最大級の喜びは伝わる。
「通信魔道具を所持している者とは連絡が取れるようにしている」
「ん?いっぱいいるよね。特定の人だけに連絡するのは無理ってこと?」
「魔道具に魔力を流しながら相手を思い浮かべたらいい。魔法と同じだ」
試しにやってみた。
魔道具に魔力が流れたら淡く光った。このタイミングで人物を思い浮かべる。
オルゼのループタイも同じような淡い光を放つ。
おお、面白い。受けた側はそうなるのか。
通信魔道具が光れば、向こうも魔力を流すことで会話が出来る。
魔力を切れば通話は終了。
大量の魔力を消費するわけでもなければ、長々と繋ぐわけでもない。あくまでも緊急を知らせるための物。
第二騎士団にレイが時間をかけて改良してくれた。
「シオン様。私と妻はそろそろ国に帰ろうと思います」
「なんで急に」
「いつまでも店を空けるわけにはいきませんので」
「出張手当ては出すが?」
レイが言った。ブレットは激しく首を横に振る。
「皆様のご厚意に甘えるわけには」
「でも、帰ったところでまた病にかかったらどうするの?今度こそ、命が危険かもしれないのに」
左胸を抑えるのは、あの苦しみを思い出しているから。震える手を後ろに隠した。
死ぬかもしれない恐怖に襲われたから。
額から流れる汗を拭い、商人特有の上辺だけの笑顔を浮かべた。
「ご心配ありがとうございます。ですが、大丈夫です」
私には無理に言い聞かせているようにしようか見えない。
病で死ぬようなことがあっても、それは受け入れるべきことであると言うかのように。
もしブレットの思いが“帰りたい”ではなく“帰らなくては”なら、ゲーム設定の力が働いている。
別世界から新しい魂が宿り、別の人間が入ったシオンにゲームの力は通じない。
私がストーリー通りに動かない代わりに周りの人間が修正しようと、ゲームと同じ、或いは似たような行動を取る。
ブレットの意志は固く、私には覆せない。
永遠の別れでもないのに、こういう場合なんと言えばいいのか。言葉に詰まる。
──桜のときはどうしてたっけ?
引っ越す友達はいなかったけど、小中で一緒だった友達が遠くの高校に進学を決めたとき。
会う回数は減ったけど、会えないわけではなかった。
「フェルバー子爵。陛下から子爵に渡してくれと頼まれた」
「これは?」
「許可証だ。我が国に入国するための。今はもう人の出入りを厳しくチェックしているからな。これがあれば、検問はすぐに抜けられる」
「その様な物は頂けません!」
「“シオン嬢の大切な人は、我々にとっても大切な人である”陛下からの言伝だ」
一国の王にそこまで言われて受け取らない勇気があれば、何も恐れることはない屈強な精神の持ち主となる。
黙って見つめるオルゼとスウェロの圧も中々。最早、無言の脅迫。
観念してレイから許可証のカードを受け取る。裏には王族の印と、ないとは思うけど誰かが偽装してもすぐわかるように、王様とレイの魔力を込めている。あれも魔道具なんだ。
「自国が嫌になれば、いつでも来るといい。歓迎しよう。フェルバー商会を」
「シオン様の笑顔が増えた理由がわかる気がします。こんなにも優しく温かい人達に囲まれていたのですね」
私の手助けをしたことが間違っていなかったと、喜びを噛み締めた。
別れの挨拶も作法も習っていないため、自分の気持ちに素直な行動を取る。
立ち上がりブレットの正面に立つ。
「また貴方の店に、商品を注文してもいいかしら。以前のようにドレスや宝石みたいな、高額な物は買えないけど」
必要のない物を買うのはやめた。着飾るための派手なドレスも大きなアクセサリーも、私には一切必要ない。
これからは身の丈に合った生活をしていく。
「我がフェルバー商会は貴族以外の方にもご利用頂いております。皆様がお求め頂く商品を提供することをモットーとしておりますので、シオン様が必要となさる物をご購入下されば、それだけで構いません」
「ブレット。貴方の優しさにもっと早くに気付けば良かったと、後悔しているわ」
「そんな……!私のほうこそシオン様を助けるべきだったのに」
「いいえ。助けてくれていたじゃない。ずっと。だから今度は、私が貴方を助けたいの。困ったことがあれば手紙を出して。すぐに……とは言えないけど、なるべく早く駆け付けると約束するわ」
「手紙だと時間がかかる。これを持って行くといい」
オルゼは自身のループタイを外し、ブレットの手に握らせた。
「国境を超える分、音声は聞き取りづらいかもしれないが、子爵からシオンに連絡がいくのは危険なとき。そう思っておけばいいだろう」
「許可証まで頂いて、レクシオルゼ様の持ち物まで……」
「俺は隣国の連中が嫌いだ。いくら真実が隠されたからといって、シオンに対する残虐非道の数々。許すつもりもない。だが、お前はシオンのために公爵家をも敵に回した」
ブレットの眉が片方だけ上がる。図星か。
視線が私から逸れる。
同じ貴族でも、同じだからこそ公爵家に逆らうことが何を意味するのか。わからないわけでもないだろうに。
もしや、見えない所に怪我をしているのでは。
魔道具にだってピンからキリがあり、高性能は上級貴族が独占。
長男や次男の魔法をまともに食らって無事なわけがない。
賢いブレットがなぜ、公爵家を敵に回したのかは置いておいて。怪我をしているのなら早く治さないと。
「大丈夫だよシオン。フェルバー商会は今や、王妃御用達の店。たかが公爵家如きでは手を出せなくなっている」
「王妃様、が……?有名な店は他にもあるのに」
私が顧客になったことで、上級貴族用の商品を数々取り扱うようになったとはいえ。
初めて会ったときと比べると店の規模も大きくなった。人気店の証拠でもある街の真ん中に移転するほど。
もちろん!どれも素晴らしい商品ではあるけど、王妃様のお眼鏡に適うとは思えない。しかも、御用達になるなんて。
「王族はシオンのことを知っている。そのシオンが、他の店に目もくれずフェルバー商会だけを贔屓にする。そりゃ王妃も気になるさ」
「ま、待って!頭が追いついてないのは私だけ?」
聞かなくてもそうだ。
私の好む物は好かれて当然らしい。
あまり大きな店ではないため、公にしてしまうと店に迷惑がかかる。配慮してお忍びで買いに行くことが多い。
いくら変装し忍んでも、国母である王妃様のオーラが隠し切れるはずもなく。
初来店されたときはさぞ、ブレット達驚き慌てふためいたことだろう。
来てくれたお客様に真摯に対応することを心掛けている身としては、動揺を悟られず接客に専念したに違いない。
──移転の理由は王妃様が常連になったからだな。
「フェルバー子爵。我々はね。味方にはとことん甘いと自覚している」
スウェロの言葉は、何かあればいつでも頼れ。そう言っていた。
理不尽な目に合うようなことがあれば、自分達を頼るようにと。
小さな商会がこんなにも王族から贔屓にされることは、まずありえない。
感情を上手くコントロールして表情が読めないようにしている。
貴族でなくても接客のプロなら感情を表に出さない練習はしてるか。
微かに水色の瞳は揺れていて、動揺しているのは間違いない。
私ならあたふたして、色々と全力でお断りしては、最終的に圧に負けて受け入れてしまう。
ブレットは緊張した動きで丁寧に頭を下げた。スウェロの申し出を受け入れたのだ。
王妃様の後ろ盾があろうと、その事実が公になっていないのだから、いついかなる理由で攻撃されるかわからないからこそ味方は多いに越したことはない。
リーネット王家が贔屓にしている店だと一目でわかるように、紋章の刻まれた物を店頭に飾ろうという案は即却下。
店側に迷惑のかかる行動を取らないことを条件に、フェルバー商会を庇い守ることを約束した。
「シオン様。闇魔法の正しい真実を必ずハースト国に広めます」
「いや。それはやめたほうがいい」
意気込むブレットをレイが止めた。
「真実を隠したのは英雄ヘルトの意志を汲んだ王家だ。報告や許可もなく勝手なことをしたらどうなるか。よく考えろ」
「しかし……。このままではずっと、シオン様が悪になってしまいます」
「ブレット。私のことは気にしないで。大事なのは貴方達の未来でしょ」
「シオン様!!」
「信じてほしい人達に信じてもらえたら、私はそれでいいの」
リーネットの国民やフェルバー夫妻。ハーストの国民や家族は私にとっての大切な人には入っていない。
「ではせめて。従業員にのみ伝えることはお許し願えますか」
泣いてしまいそうな表情。震える声は、断らないでと必死に訴える。
闇魔法の真実を語る許可を、私が与えられるわけがない。勝手な判断をして、裁かれるのは語ったブレットなのだから。
国民全員が無理なら、自分の周りだけでも。ブレットの強い思いに首を縦に振りたくなる。
心が揺らぐとノアールが指を噛んだ。とはいっても甘噛み。全然、痛くはない。
「ダメ」って言ってくれている。大切な人だからこそ、危険な目に合わせてしまうかもしれない軽率な言動は控えなくては。
「誰にも他言しないのであれば、いいんじゃないかな」
私が答えるよりも先にオルゼが口を開く。
ことの重大性をよく理解しているはずの王族からの援護。
レイとスウェロはこれ見よがしにため息をついた。
私だって口外しないのであれば言ってもいいのでは?と考えたけど、あくまでも思うだけ。口にはしなかった。
予想外の味方にブレットの笑顔は明るい。
「フェルバー商会の人間だってバカじゃない。この件が外に漏れることをシオンが望んでいないとわかれば、仲間内だけの秘密にしてくれますよ」
「仮にそうだとしても、レック。私達の安易な発言のせいで危険を伴うのは彼らだ」
「兄様は心配しすぎです!信じることから良好な関係を築くのだと、いつも言っているではありませんか」
「今回は訳が違うだろ」
「信じるという意味では同じです」
両者一歩も引かない。約一名は頭を抑えたまま。
オルゼがブレットについたことで二対二になった。二人から期待が込もった眼差しを向けられる。
「シオンは黙っていることを望んだはずだよ」
「あ、いや。私は……」
咄嗟に飲み込んだ。レイとスウェロが正しい。自分に言い聞かせた。
信じてほしい人。その中にフェルバー商会の人も入っているなんて、そんな……。
店を訪れた私を見る彼らの目。何かを必死に我慢していた。それは決して、怒りではなくて。
必死になって気付かないふりをしてきた。彼らは私を否定なんてしていない。
髪を切ったときも、次男に殴られた顔を見たときも。
ヒソヒソと話していた内容にノアールが激怒しなかったのは、きっと……。私を心配して、公爵家への不満を漏らしていたのだろう。
ブレットが店主を務める店。私が日常的に虐待やいじめを受けていたことを告げられていても、おかしくはない。
公爵夫人が死んだことを差し引いても、私への行き過ぎた不当な扱いは、どちらが悪かハッキリさせていた。
本当はフェルバー商会の全員に知っていてほしいなんて、虫が良すぎる。
完全に私が黙り込んでしまったことにより、どちら側の意見を支持したいか悟られてしまった。
「まぁ、本人が望んでいるのであれば、もう何も言うことはない」
折れた。二本の鉄が。
「フェルバー子爵。約束しろ。今ここで。闇魔法に関することを商会の外に漏らさないと。他ならぬレディーが君達の身を一番に案じていると忘れるな」
「はい!誓って家族や友人に口外しないよう、言い聞かせます。シオン様がずっと我々を守ってくれていたこと、心より感謝致します」
「私は何もしていないわ。ただ、闇魔法を持っているだけ」
選ばれただけ。“悪”に。
「シオン様?」
ブレットの両の手を包む。
帰るのだ。これから。原因不明の病が蔓延する生まれ育った国に。
隣国とはいえすぐに最短でも駆け付けるのに一日はかかる。
ならば。私に出来るのは祈ること。
レイが教えてくれたのだ。聖女の祈りは特別だと。
幸せや不幸を願うのではない。
病で苦しまないように祈るだけ。ブレットだけではない。私にとって大切な人達には苦しんでほしくないから。
私の祈りは届くと信じている。聖女だからではない。彼らを想う気持ちが本物だから。




