物騒な会議
それは、唐突だった。
いつものように魔法の特訓に王宮を訪れた日のこと。
騎士寮に向かっていると、シオン自身が鍵をかけた箱が開いたかのように、記憶が飛び出してきた。
私はその記憶を知らない。初めて見る。
悪意しかない数々の言葉が幼いシオンを傷つけては、殺した。
招待状を置いたのは嫌がらせのつもりだったのだろう。
家族でもなければ、家族として迎えるつとりもないというメッセージ。
幼稚で悪質な嫌がらせのせいで、シオンが死んだことにも気付かない。
シオンは賭けたんだ。例え嫌われていても、公爵夫人の子供として、せめて。祝いの言葉だけでも受け取ってもらえたのなら。
存在が許されなくとも、生きていけたんだ。
記憶は、まるで私が体験したかのように当時の感情が流れ込んでくる。
夫人と同じくブルーメルの血を引く人達は、家族を殺された怒りとは別に瞳の中には蔑みの色が混じっていた。
──嫌だ。何も考えるな。
必死に抗い思考を止めようとするも、ある一つの仮説を立ててしまう。
夫人は実家で出産した。ブルーメル侯爵家で。
彼らは本当に何も気付かなかったのだろうか?
子供を産んだ主を放置し、赤子を抱いて屋敷を飛び出す侍女に不信感を抱かなかったのだろうか?
誰一人として部屋の前で待っていないなんて常識でありえない。
侯爵は……知っている。シオンが本当の孫でないことを。どこの馬の骨とも知らない卑しい平民風情だと。
愛する娘の血を引く子供を罵倒し「人殺し」と責めることは出来なくとも、平民ならば何を言おうが、踏みつけ唾を吐きかけようが気にしない。
所詮は平民。高貴な生まれの貴族とは違い、下賎で穢らわしいだけの存在。
貴族からしてみれば平民なんてものは道端に生えている雑草。代わりの利く消耗品。命に価値はない。
気の済むだけ罵って、後のことは知らんぷり。
シオンは被害者だ。お貴族様のくだらない愛に巻き込まれただけ。
それでも侯爵はシオンを悪とする。そうしなくてはいけないから。
崇高で高貴な血を引く孫が愛してやまない娘を殺した現実を受け入れないために。
──痛い。心が。
息をするのも苦しくてその場に膝を付いた。心臓が握り潰されるかのよう。
【シオン?】
ボロボロと涙が溢れ出す。
ノアールに心配かけたくなくて「大丈夫」と言いたいのに、嗚咽のせいで上手く言葉が出てこない。口元を抑えても止まるわけもなく。
泣くのを我慢しようとすれば喉が焼けるように熱い。
ノアール。貴方が喋れるようになったのはシオンがいなくなったからだったのね。
何かを引き換えにしなくては、何も得られない。シオンの生と引き換えに、シオンは最も欲しかった言葉を手に入れた。
開かれた真実に体の力は抜け立つことすら、ままならない。
声にならない声で叫ぶ。心の中で何度もシオンを呼んでも、もう会えない。
闇魔法が世界を救ったと言うのなら!!なぜ世界はこんなにも!!シオンだけが苦しいの!?
救いの一つぐらいはあっても良かったはず。
わかりきった問いの答え、それは……。
シオンが“悪役令嬢”だから。
人間の作った“設定”がシオンだけを苦しめる。
望まれない命。生きる希望すらない。
運良く私がこの体に転生しなければ、空っぽの器のままシオンは死ぬまで生きなくてはならなかった。
断罪されるその日まで。
世界も人も憎むことはなく、全ての責任を背負う必要なんてなかったのに。
もしも真にシオンを愛してくれる人がいたら。何かは変わっていたのかもしれない。
ノアールを抱きしめて……。
──この子にも話さなくては。
貴方の愛しているを伝えたかったシオンはもういないのだと。
喉から手が出るほどに欲しかった愛情を貰ったとき、シオンは絶望した。
自分のいない世界で初めて、望みが叶ったのだ。
「シオン様?どう……なさったのですか!?」
通りがかったエノクは顔面蒼白になりながら、しゃがんで目を合わせてくれた。
安易に触れることはなく、まずは怪我ないかを確認した。
外傷が見当たらないことに、ひとまずは安心していた。
「立てますか?」
返事の代わりに首を横に振った。
「エノク。首と体が別れる準備はいいか?」
ドスの効いた声の持ち主はオルゼ。背後に怒りのオーラを纏わせながら、既に剣を抜いている。
エノクの首をはねる気満々。
違う。違うのオルゼ!私が勝手に泣いてるだけだから。
【みゃー!!うみゃ!!】
エノクは何も悪くないと代弁してくれるかのように、ノアールがオルゼの足に高速パンチをお見舞いする。
「あの、団長。私が来たときにはもう……」
無実のエノクに罪を着せたくなくて頑張ってみるも、感情の制御がきかない。
大粒の涙が地面に染み込んでいく。
懸命に首を振っているとオルゼにも伝わり、どうにか殺気を抑えてくれた。
「とにかく叔父上にすぐ来てもらおう」
剣をしまい通信魔道具に手を伸ばすオルゼを止めた。力のない手で袖を掴んだ。
こんな姿を見られたくない。
身勝手な行動で困らせている。申し訳なくなり手を離した。
「団長。ここにいては目立ちます。寮にお連れしたほうがいいのでは」
「そうだな」
「シオン様。失礼します」
「なっ!エノク!!」
立てない私をお姫様抱っこしては、ノアールも肩に乗せてくれる。
大股の早歩きで誰かに見られる前にと寮まで急ぐ。
後ろでは何かを言いたそうにオルゼが念を送っているも、エノクは気にしていない。
……気にしているけど、気付いていないふりをしている、のほうが正しかった。
団員はこれから訓練場に移動するつもりだったらしく、見事に鉢合わせた。
「団長がしつこくしすぎて、ついに泣かせたか?」
「待て。副団長も一緒ということは二人してシオン様をいじめたに違いない」
敢えて聞こえるように言うのには、どんな意味が?
「ほう、お前達。そんなに俺を怒らせたいようだな」
「冗談ですってば団長。我々は信じてますから」
──信じてなさそう。
騎士寮には会議室や応接室があり、今日は広さを重視して会議室に連れられた。
個人の部屋では後々、バレたら問題になるかもしれないらしい。
会議室の用途は討伐メンバーの振り分けを話し合うためだけの部屋。
──それでこんな広いって何。
部屋の真ん中にはテーブルと一人用のソファーが四つ。
鼻の奥をスって突き抜けるような爽やかに香るミント。
私のためにオルゼが選んで淹れてくれた。本当に私の分だけ。
「団長自ら淹れたぞ」
「やっぱり団長が何かしたんだろ」
「お前達。今すぐ出て行け」
「いえ。そんな、我々のことはどうかお気になさらず」
面白がって余計なことしか言わないのが嫌なんだと思う。
意図せず悲しい気持ちが薄れた。
涙を拭いてミントティーを一口飲むと、体の芯から温まり不安定だった感情が落ち着きを取り戻す。
「泣いていた理由を聞いたら、シオンを困らせる?」
顔が強ばった。あの一日を、一瞬でも思い出すだけで。
話したら気が楽になるわけではない。ただ、心に留めておくと精神が病んでしまいそうで。
ノアールを抱き上げた。
震える声でゆっくりと、ぐちゃぐちゃになった思いを言葉にした。
途切れ途切れで、要点もまとまっていない。
話し終えると、また泣いてしまいそうで、鼻をすすりながら意味もなく天井を見上げた。
「ふ……」
団員の誰かが叫んだ。
「ふざけんな!!隣国の連中!!」
すると、他の団員も同じように声を荒らげる。
「我らがシオン様にそんな仕打ちをしてやがったのか!!」
冷静でいて欲しかったエノクでさえ、顔いっぱいに怒りマークを浮かべている。
えっと……これはつまり、私のために怒ってくれているということで間違いないだろうか?
「団長!今すぐ攻め込みましょう!!」
「ブルーメルは民衆の前で晒し首にした後、腐るまで王宮に吊るしておくのはどうですか!?」
「そんなんでは生温い!!未来永劫、奴らの悪行を語り継がなければならんのだぞ!!」
【シオン~】
燃え盛る復讐の炎にノアールが怯えていた。
第二騎士団を中心に様々な殺し方を考案する。
非道極まりない意見は即採用。
──え、何この物騒な会議は。
中心となっているのは王族であり第二騎士団団長オルゼ。
第一、第三の団長二名も参加していた。三~四十代の大柄で筋肉質な男性。鍛えているオルゼが華奢に見えてくる。
誰一人として冷静な者はいない。逆に冷静になれるな。
向こうから殺してほしいと懇願してくるような拷問まで考える始末。
人間の体を知り尽くしているからこそ、死なずに痛みを与える方法を熟知している。
私に彼らは止められない。熱なんてものは時間の経過と共に冷めていく。
口を出さずに見守っていればその内、飽きるはず。
ノアールの背中を撫でながら見物していると、熱は冷めるどころかもっと熱くなる。
白熱しすぎて引くレベル。
意地でも泣き止むべきだったと深く後悔した。
──窓を開けて空気を入れ替えたらマシになるかな?
「どういう状況だ。これは」
時間になっても誰も来ないことを不審に思ったレイが様子を見に来た。今日はスウェロも一緒。
熱気に呆れつつある二人に、近くにいた団員が説明する。
大袈裟に盛っている部分もあるけど、間違ってはいないので訂正はしない。
火に油を注がれたように再び大炎上。本当に建物が燃えてしまうのではないかと心配になってしまう。
長いため息をつくレイと笑顔のスウェロ。かなり対象的。
「スウェロ。これが以前、報告してくれたレクシオルゼの暴走か?」
「いいえ。今回のは初めて聞きました」
「叔父上!兄様!是非とも俺にブルーメル一族とケールレル一族、ラエル・グレンジャーの処刑を任せて下さい!!」
「団長だけズルいです!我々だってシオン様を泣かせた連中の死刑執行を行いたいです!」
次々に声が上がる。
彼らの死刑は確定しているらしく、異様な盛り上がり。
罪状は……そう。“シオンを泣かせた罪”
どんな謝罪でも許されるものではなく、死を持って初めて許される。
罪人の死体を弔うなんてとんでもない。肉が腐り、なくなり、骨になるまで放置。
お腹を空かせた魔物の前に放り投げ餌とする。
ありとあらゆる残虐行為を嬉々として語った。
騎士道に反しすぎている。強さは弱者を守るためのもの。決して弱者に力を使っていいはずがない。
頭を抱えるレイを横目にスウェロがみんなの頭を冷やすべく滝のような水を降らせた。
床は一滴も濡れておらず、騎士団だけがずぶ濡れ。
これが魔法のコントロール。
「落ち着いて」
ふんわりとした雰囲気なのに、第一王子としての威厳が垣間見える。
一同は口を閉ざす。
「殺して何になる。それでシオンの心が晴れるわけではないだろう?」
おお、流石はレイを崇拝しているだけはある。至極真っ当な意見。
まともな判断をしたことにレイは安堵している。もしかしたら、オルゼに便乗するのではと不安が漏れていた。
「殺すこと自体が生温い。死んで苦しみから解放するよりも、永遠に苦しみを与えるほうが効果的だよ」
──スウェロは何を言っているのだろうか?
見慣れた笑顔がドス黒く見える。
鳩が豆鉄砲を食らったかのようにオルゼの口は開きっぱなし。
熱くなり我を忘れる人を窘めるのが、いつものスウェロの役目。
そのスウェロがまさかの過激発言。これにはレイも頭を抱えた。
「た、確かに!兄様の言う通りだ!」
「レクシオルゼ!!黙っていろ」
事態の収拾がつかなくなる前に団員達を訓練場へと追い出した。
不満を口にする団員は多かったけど、レイのひと睨みにより、すぐいなくなった。イケメンの凄みは恐ろしいものがある。
心臓がキュッと縮こまった。一言でも発しようとするのであれば、眼力だけで心臓が止まってしまう。
部屋に残ったのは私と王族三人。
窓を全開に開けると風が吹き抜ける。部屋中の熱をさらっていくような。
熱が収まったことによりノアールはゴロンと体を伸ばす。仰向けになりお腹を向けられると撫で回したくなる。
「まず。レディーは連中に仕返しを望んでいるのか?」
オブラートに包んでくれているものの、要は復讐したいかの確認。
温厚なスウェロが怒りを隠さないほどに、最低な仕打ちをされたのだ。
シオンならどうするだろう。
家族になりたかった人達からの拒絶。伸ばした手を振り払うのではなく、斬り捨てた。
その場にうずくまるしか出来ない弱い者を見下すのではなく、唾を吐き捨て踏みつけた。
嘘でも「愛している」と言ってくれることはない。希望なんて最初からないのに、縋ってしまうのは、それほどまでに苦しかったから。
彼らは救いようのないクズではあるけど、シオンはそういうことを望まない。
仮にするとしても。ちょっと痛い目に合わせるだけで、死は避ける。
せいぜい、爵位の返上ぐらいが妥当。
オルゼ達はそれだけでは怒りが収まりそうにないけど。
甘いと言われようとも、たったそれだけのことで彼らのプライドを引き裂けるのだからかなりの代償。
「悩んでいることがレディーの答えだ。以後、勝手な盛り上がりでレディーを困らせるな」
「しかし、叔父上」
「レクシオルゼ。返事はどうした?」
「はいっ!!」
「スウェロ?」
返事を催促した。
緊張で固まっているかのように背筋を伸ばしたまま動かないオルゼに対し、スウェロはにこやか。
背もたれに背中を預けて深く座る。かなりのリラックス状態。
「つまり。シオンが望めばいいということですよね」
まだ諦めていないことに、レイの額に怒りマークのような物が一瞬見えた。
あくまでもポーカーフェイスを崩したくないのか、内心ではイラッとしてそうなのに怒りを表すことを我慢している。
「スウェロ。お前はレクシオルゼを説得した身だろ。無理やり望ませることは、愚かだ」
「レックからシオンのことを聞いたとき、確かに私はレックを止めました。ですが、今回ばかりはあまりの理不尽さに私も連中を許せない」
大量の魔力が放出され空気が飲み込まれた。圧倒的威圧感。
危機感を感じてすぐさまレイとオルゼも同じように魔力を放出した。
三つの似て異なる魔力がぶつかり合うことにより息苦しさはない。
これが王族の魔力。
どこの国の王族も同じような魔力量を持っているのだろう。
上級貴族がこれだけの魔力を持っていてら、あんなに傲慢にもなるわ。
「ここにリズがいたら、同じことを言いますよ」
ブルーメル侯爵のことがリズの耳にも入れば……。
背筋がゾッとした。侯爵の屋敷に落雷でも落ちて、住んでいる人は皆、感電死することだろう。屋敷を突き抜け正確に人間だけが丸焦げ。
人為的なものなのか、自然の力か。判別は難しい。
真っ先に疑われるのは侯爵を恨んでいる人間。
私とシオンは侯爵と会ったのはあの一度きり。ほとんどを屋敷で過ごしてきたから噂さえも耳に入ってこない。
自分主義で横暴。家族には甘く、味方には施しを与え、敵には……。わかりやすい人だ。
甘い汁を吸わせてもらっている人達の中には、その乱暴且つ横暴さに我慢している人も少なからずいるだろう。
もし疑われるなら、そういう人が集められるんだろうけども。問題は雷魔法を使えるかどうか。
雷魔法は十人に一人、いるかいないかの五大魔法きっての希少価値が高い魔法。
魔法を持っているだけでは容疑者にもならない。確実に感電死させられる莫大な魔力を持っていなければ。
まさか隣国の人間が会ったこともない侯爵を手にかけるなんて発想に至るわけもない。
運の悪い事故死として処理されてしまいそうだな。
「スウェロ。私は彼らと関わりを持たないだけで幸せなの」
私としてもつい、色々なことを考えてしまったけど最終的に思うのはこれだ。
この記憶によってまた長い時間、苦しむことになったとしても。
残りの人生でもう二度と会うことがないのであれば、この痛みは薄れていく。もちろん。薄れるだけで完全に消えるわけではない。
ふとしたときに、思い出すのかも。苦しみを忘れさせまいと夢に出てくる可能性だってある。
張り裂けそうな胸の痛みに耐え切れなくなっても、世界は優しいと知ってさえいれば。
「そっか。それなら私達が手を下すのはお門違いだ」
空気が和らぐ。いつものスウェロに戻ったからだ。
相殺するために放出されていた二人分の魔力も消えた。
肌に突き刺さる感覚だけはまだ消えていない。体が震えてしまわないように必死に耐える。
争いを好まないスウェロがもし、オルゼ達と共に攻め入ったら?半日と持たずに侵略してしまうのでは。
どんな攻撃も防ぎ、どんな防御も貫く。スウェロこそ最強の矛と盾。
“怖い”の常識が覆る。
圧倒的な力で攻撃してきた長兄達よりも、力を隠し制御する人のほうがよっぽど……。
スウェロを怒らせないようにしよう。そう思った日である。




