最後の長期休暇【クローラー】
三年間。王立学園に通った。今日から長期休暇が始まる。
一年で一番暑くなる季節。生徒の体調を考慮し、一ヵ月丸々休み。
課題があるわけではなく、各々が好きなことをする。
一年のときは魔力を増やす特訓。ずっと屋敷にいてはシオンと顔を会わせる回数が増える。
──シオンの存在が既に目障りだというのに、更なる苦痛を味わう必要があるのか?
魔力を増やすには心を落ち着かせなくてはならない。父上の許可を得てラエルと二人で領地に向かった。
どうせ来年にはラエルも入学する。一緒に増やしておいて損はない。
父上は仕事で王宮から帰ってこられない日々。
主のいない屋敷で使用人を働かせるのも忍びない。彼らには一ヵ月の休暇を与えた。
働き詰めでは体に良くない。あんなにも真面目に取り組んでいるのだから、労るのは主としての義務。
こちらの都合で休みにするのだから、当然のことながら時給は発生する。
二年では魔法の特訓。国の許可が降り、安全が保証された地区で魔物との戦闘。初級魔物しかいないため危険はないが、万が一に備えて騎士は待機している。
今年は……何もすることがない。
いや、あったはずだった。新旧生徒会メンバーで、上級魔物の討伐。
我々三年生がサポートしながら後輩が力を示す。
知識だけあっても実践に弱くては意味がない。どんな魔物と対峙しても臆することなく立ち向かうための訓練。
だが、生徒会ですらなくなった私は参加しない。出来なくなった。
ラエルも同様。次期生徒会長から外されてしまった。
私達に人を率いる資格はない。そう判断されたのだ。
──なぜ……?
元平民が流した噂如きが私達の人生に関与するなど。屈辱でしかない。
「クローラー様?難しい顔をして、どうかしましたか?」
下から覗き込んでくるユファンは私を心配してくれている。
心臓がドクンとはねた。鮮やかな緑色の瞳は真っ直ぐと私を見る。
触れたい。邪な気持ちには蓋をした。
「何でもない。まずは簡単な初級魔法から訓練をしよう」
全ての予定がなくなったおがけで、ユファンと過ごす時間が増えた。
二人きりでないことが残念だと思うのは、少なからず私はユファンに気があるということか?
生徒会から外れたのは私とラエル。そして、ヘリオン。
ユファンも候補には上げていたが平民であり、魔力も乏しい。初級魔法でさえ自在に扱えないことから見向きもされなかった。
光魔法の治癒は人間以外にも使える。
初級魔法は種から花を咲かせ、中級魔法は枯れた花を元に戻す。
上級魔法は焼け焦げた森一帯に緑が生い茂り、色とりどりの花々が咲き誇ったと記録が残っている。
いきなり怪我人ではハードルが高い。まずは種から芽を出すことから始めなければ。
鉢に手をかざすと金色の光に包まれるも芽は出てこない。
私を治したあの魔法は最上級魔法。ならば、魔力は充分にあるはず。今はまだ足りないだけなら、魔力を上げればいいだけ。
焦らずゆっくり。時間をかけて特訓をすれば必ず出来るようになる。
真面目で努力家。出来ないことをやり遂げようとする姿。
時々、思う。
ユファンこそが国で唯一の公女に相応しいのではないかと。
見た目も性格も。魔法さえ。完璧だというのに。身分一つで蔑まれなければならないユファンがあまりにも可哀想だ。
「小公爵様。よろしいですか」
「なんだ?」
ユファンに聞かれたくないのか、少し距離を取る。
「この長期休暇でシオンを捜そうと思うのですが」
自然と眉が上がった。
その名を聞くだけで不愉快になるというのに、王命に逆らってまで捜すだと?
なぜ?そんなことをして何のメリットがあるというのだ。
シオンとの婚約を望んだこともそうだが、まさか……。あんな欠陥品に懸想をしているとでも。
いや、ありえない。
あそこまで見事に醜いのだ。人の形をしただけの化け物を本気で好きになる者がいるはずがない。仮にいたとしたら、その人間も化け物。
「小公爵様もシオンを見つけたいのですよね?」
「なぜ私が、あんな奴のために王命に逆らわなければならない」
「では、このままにしておくのですか?シオン本人に噂が嘘であると否定させれば全てが丸く収まるのに」
私もそのつもりだった。噂を流した元平民にもいずれ罰を与えるが、そもそもの元凶はシオン。
噂を収めるべく尽力するのは当然の義務。
「小公爵様。我々は別にシオンを捜すわけではありません」
「どういうことだ?」
「たまたまシオンを見つけてしまうのは王命に反したことにはなりません」
ヘリオンは魔物討伐という名目で各地を回り、そのついでにシオンを捜すつもりらしい。
確かに。それなら問われたときに言い逃れは出来るな。
実際、魔物の被害は出ているわけで。正式に任命されたわけではないが、討伐に行くことが禁じられてもいない。
「一つ不可解なことがあります。公爵家以外にシオンの居場所などないはずなのに。どうやって捜索の目を掻い潜っているのでしょう」
「それは恐らく。魔法を使っているのだろう」
「魔法?いや、しかし。闇魔法で姿を消せるなんて聞いたことはありません」
「違う。操っているんだ。闇特有の魔法で」
シオンが赤の他人の中で生きていくには、自分の都合の良いように操るしかない。
見た目と同じく、いや。見た目以上におぞましく醜い魔法。
あのプライドの塊が辺境や下級貴族の元で暮らせるはずもない。となると、グレンジャー家の領地か。
あんな奴を領地に連れて行くと領民を不安にさせるだけ。一度として連れて行こうとも思ったことはない。
道なんてものはその辺にいる人間に聞けば、どうとでもなる。シオンが歩いて行くわけもない。我が家の馬車を使ったのではないとすると、シオン専用の貸馬車を使ったのかもしれない。
魔法で操ってしまえば金を支払う必要もない。
「いつから行く予定だ」
「準備もありますので、三日後には」
ヘリオンは悲しげな視線をユファンに向けた。
「どうした?」
「いえ……。ユファンが母親にブレスレットを買うために長期休暇を利用して働くつもりだったらしいのですが」
「ほう」
母親のために自分の貴重な時間を割いてでも。
優しくて思いやりの塊。貴族令嬢には絶対に持ち合わせることのない特別な感性。
誰もがユファンを見習い手本とするべきなのに。運良く貴族に生まれただけの存在がユファンを侮辱することは耐え難い。
「ですが。噂のせいで働きに来ないでほしいと言われたようでして」
「噂?内容は?」
ユファンに関する噂など流れてはいなかった。どうなっているんだ。
「平民の間で流れているらしく」
「ヘリオン!」
バツが悪そうに視線を逸らし、口を閉ざしてしまったヘリオンに先を促した。
ヘリオンは目を閉じたまま
「ユファンが我々三人に色目を使い、関係を迫っていると」
「何だそれは!!?ユファン!!」
懸命に鉢と向き合うユファンは体を大きくビクつかせた。
大きな眼をパチパチさせながら、その表情は不安気。
「噂のことをなぜ黙っていた!?」
「噂?ぁ……」
「兄貴。一体何のことだ?」
ラエルの質問に答えてやれる余裕はない。私はユファンから一瞬足りとも目を逸らさない。
あからさまにユファンを陥れようとする内容。
皮肉にも、信用を第一にするフェルバー商会が発信源でないと私が一番よく知っている。
平民の間でのみ流れているとしても、貴族社会に流れ込んでくるのも時間の問題。早いとこ犯人を捕まえて噂を止めなくては。
ユファンは両手で口元を隠しながら、次第に緑色の瞳は揺らぎ潤み、美しい涙が頬を伝った。
「クローラー、様……」
「す、すまない。怒っているわけではないのだ」
「違うんです。噂を流したのは……シオン様なんです」
「なっ……」
「いいえ!今のは忘れて下さい」
健気だ。戸籍上のみ、家族にすぎないシオンのことを気遣い口を噤もうとするとは。
両肩を掴み、風邪魔法で俯いた顔を上げさせた。
「あ……」
色づかない瞳。ひどく胸がザワつく。
お前は誰だと問いたい。
ユファンの姿をしているが、私には別人に見える。
違和感は口にしなければ。
「なぜ……シオンが犯人だと」
実際に出た言葉は全く違っていた。
「見たんです。シオン様が正体を隠して、噂を広めているとこを」
子供のように泣き出すユファンを前にすると、さっきまで感じていた違和感が些末なことに思えてしまう。
ユファンはユファンであり、それ以上でも以下でもない。
「もっと早くに言わないといけなかったのに、私のせいで皆さんに迷惑をかけると思うと……」
「迷惑?そんなこと、あるわけないだろ!シオンの奴、ふざけた真似しやがって!!」
「ラエル様。シオン様を怒らないで下さい。平民である私が図々しくも偉大な光魔法を持って生まれたせいなんですから」
「魔法は個性だ!身分によって蔑まれていいはずがない!!」
「小公爵の言う通りだ。ユファンのことを否定する権利など誰にも、シオンにもないのだ」
「皆さん……」
シオン・グレンジャー。ただでさえ不愉快で目障りな化け物が、人ならざる行動で弱き者を陥れるなど。
あんな欠陥品に私達と同じ崇高で高貴な血が流れていると思うと吐き気がする。
頭に血が上りずきて、いつもの冷静な判断が出来なくなっていたのは言うまでもない。
身分を笠に着て好き勝手していたシオンが人を介さずに、自分で平民と話すなんてありえないのに。
元平民は、平民の血筋ではあるが今は子爵。一応は貴族であるため、直接話すことにあまり抵抗はなかった。
ユファンも平民ではあるものの、魔力を持ち魔法を使う。平民という感覚が低いのかもしれない。
何より。ユファンの話には矛盾がある。
遠くで見た、正体を隠していた人物がシオンであると見抜いたのであれば当然、その本人と話をした者も気付くはず。
フードを被り髪を隠したところで、瞳の色までは誤魔化しきれない。
そう……。私はそのことに気がつき、指摘するべきだった。
だが、今の私はユファンを傷つけ泣かせたシオンを、憎み恨むことが正しいと信じ込んでいる。
次期公爵として厳しく正しく育てられた私と、生まれたことさえ間違いのシオン。
私達はずっと、正反対の世界で生きてきた。
父上には期待され、ラエルには羨望の眼差しが向けられてきた。
そうだ。私が間違えるはずがない。
大事なのはユファンが何者かではなく、シオンがユファンを傷つけた事実。
シオンを見つけ出す。頭の中にあるのはそれだけ。
湧き上がる殺意を悟られないように感情を押し殺し、ラエルとユファンに長期休暇の間、魔物討伐に行くことを提案した。
本来の目的がシオンを捜すことであることは伏せて。
ラエルは私と違い感情的になりやすい。討伐よりもシオンを優先されるのは困る。道中、ユファンの魔力コントロールの特訓も兼ねるつもりだ。
種と鉢さえあれば、いつでもどこでも。特訓は出来る。
実践訓練以上に効率的なものはない。それに。領地のことも気がかりだ。
水害が収まったかと思えば、今度は干ばつ。土が乾き地面が割れるほどの日差しの強さ。
雨を降らせることは無理だが、水の魔石を使いなんとか凌いでいる状況。魔石も無限にあるわけではない。
早く手を打たなければ。他領のように我々の領地は補償されないのだから。




