準備
一日や二日で顔の腫れが治るわけもなく、私は今日も学園を休む。
私に興味を持たない人達には、私が何をしていようが見えないも同然だ。
制服を着ていなくても疑問に思う人はいないだろう。
「問題は髪よね」
これから向かう商会は多くの人で賑わう街の真ん中にある。人気の証拠。
そんな所に行ったら嫌でも目立つ。
帽子があるから、それを被るつもりなんだけど、髪が隠れきれない。
この世界では髪染めがないからね。
──よし、切るか。
長い髪に憧れや執着があったわけではない。女は女らしくという概念から貴族令嬢は髪を伸ばすのが当たり前になっているだけ。
平民は女性でも短い髪をしている。
鏡の前でほぼ勢いに任せて切った。ずっと見ていたノアールは「うみゃあ!!?」と驚いた声を出す。
首が見えるほど思い切ってみた。
これなら仮に、帽子が風に飛ばされても私だと気付かれないはず。
ロングもいいけど、ショートヘアもよく似合う。
プライドの高いシオンが男みたいな変装をしているなんて誰も想像していない。
切った髪は魔法で消し去った。
闇魔法って使い方次第では掃除に便利よね。
「さ、行こっか」
ノアールを連れて、いざ街へ。
学園をサボっていることに罪悪感や後ろめたさも全くない。私が望んでいた学校生活と違うからかな。
友達とお揃いの制服を着て、勉強や恋で盛り上がって。
部活は何をするか話し合いながらも結局は帰宅部で放課後に遊びまくる未来があったのかも。
もしも、部活に入るとしたら文化部だね、絶対。私も含めて友達もそんなに運動神経が良いほうじゃない。
吹奏楽に入って、真夏に野球部のために演奏している未来もなくはない。
そんな数ある未来から、好きな未来を選んで青春を謳歌したいと願っていた。
貴族の学園があんなにも楽しくないことにビックリ。
ハッキリと身分がある以上、純粋な友達なんて一人も出来るわけがない。打算で繋がるだけの他人。
王都の街は朝から賑やか。
王族の生誕祭なんて、これの何倍も盛り上がり、とにかく熱がすごい。
朝一番に商会の扉をくぐる。
出迎えてくれたのは、いつも商品を売りに来てくれる店長のブレット。他の店員は自分の仕事に取り組んでいる。
帽子を脱いで正体を明かすと、笑顔のまま数秒は固まった。
店内がザワつく。店員同士でヒソヒソと話す。
ノアールの耳はピクピクと動くが、腕の中でじっとしていた。
「公女様……。お顔をどうなさったのですか!?」
「ちょっとね。大したことではないから気にしないで」
「か、かしこまりました。本日はどのようなご用件で?新作はまだ入っておりませんが」
「違うの。今日は買うんじゃなくて売りに来たのよ」
「売る、ですか」
「ええ。貴方から買った物なんだけど」
ブレットは店の奥に案内をしてくれた。お得意様専用の部屋。
長居するつもりはなく、飲み物は断った。
「買い取るのは構いませんが、理由をお聞かせ願えますか?」
「お金がいる。それだけよ」
信じてない。
公女がお金に困っているなんて誰が信じるのか。
「私個人のお金が必要なの。すぐに」
「国を……出て行かれるのですか?」
「な、なん……!?」
ブレットは震える唇を噛みしめた。
動揺し緊張したせいで喉が乾く。気持ちを落ち着かせるためにハーブティーを頼むと、ブレットと二人分が用意された。
香りに釣られてか私の膝の上でゴロゴロしていたノアールが立ち上がり、カップに鼻を近付ける。
【これ何?】
「ハーブティーよ。リラックス効果があるの」
【ぼくも飲む】
「ダメよ。ノアールは飲んだら」
「公女様は猫と話せるのですか?」
や……やってしまった。
つい、いつもと同じように会話をしてしまった。
どうやって誤魔化そう。
「いえ。私は何も聞いていませんので、今のは忘れて下さい」
客が望む物をよくわかっているからこそ、この商会は常にトップを走り続ける。
少し冷静を取り戻したブレットは、ハーブティーで一息ついた。
「それでは公女様。私が公女様にお売りした商品を全て、買取ということで構いませんか」
「ドレス以外よ。お願い出来るかしら。数が数なだけに持ってきてはいないのだけど」
「かしこまりました。物の状態だけ教えてくださいませば、明日にはお金をお渡しに行きますが」
「あー……。その、買ったまま一度も……使ってないの。だからほとんど新品に近いかな」
商品はお金を払って買った時点でその人の所有物となる。どう扱おうが買った人に決める権利があるとはいえ、商人からしたら複雑だろうな。
私みたいな面倒な客の相手をするだけではなく、買ってもらった商品が一度も使われていないなんて。
欲しいから買っていたわけではないからな。
「それでしたら、公女様のご期待に沿える額をお渡し出来るかと」
「…………いいの?」
「と、言いますと」
「私が言うのも何だけど、見てもいないのに高額買取なんて、口約束でもしないほうがいいんじゃ。私が嘘をついていたら……」
「構いません。公女様の助けになるのなら」
ブレットは私に怯え、私を嫌っていたはず。屋敷を訪れては、私と目が合うことなんてほとんどない。
いつも早く帰りたそうにしていたし。
「最初は……よくいる貴族のご令嬢だと思っていました」
ポツリと呟く。
「グレンジャー家の異質さにはすぐに気付きました。公女様のことを、あろうことか使用人が見下しているのですから」
落ち着いた気持ちがまた揺らぐ。ブレットの震えは声だけではない。組んだ手も震えていた。
「きっとこの方は、無茶な買い物をすることで自身を慰めているのだと思いました」
惜しい。正しくは家族と顔を会わせるため。
「見ていられなかったのです。会うたびにどんどんと瞳から生気がなくなっていく公女様が。ですが、たかが商人。どうすることも、助け出すことも出来ないまま、見て見ぬふりをするしかなかった」
爪が深く食い込む。何も出来ない自分に憤りを感じているような。
「だからこそ!決めていました。公女様が私に助けを求められたときは、どんなことでも力を貸すと。例えそれが、罪を犯すことになったとしても」
ブレットはずっと知っていたんだ。シオンの不遇を。
どうにかしたくても一介の商人が相手に出来るほど公爵家は甘くない。
私の記憶ではシオンは、いつもブレットにキツく当たっていた。
自分は公女で、相手はただの商人。立場的にもシオンのほうが上。
言い返さない相手に、怒鳴り散らし、時には物を投げ付けたこともあった。
それら全てが子供の癇癪であると見抜かれていたのか。
「ブレットにはずっと迷惑ばかりかけていたのね」
「迷惑だなんてそんな……!!」
「これが最後の迷惑よ。お金を受け取り次第、貴方の前に私は姿を現さないと約束する」
「どちらに行かれるのですか」
「まだ決めていないわ」
「それでしたら隣国はどうでしょう。あそこはとても豊かなんですよ」
隣国か。近すぎるけど……灯台下暗しという言葉もある。
案外、近場のほうが誰にも見つからないのかも。
ふっ…笑ってしまう。私が姿を消したところで、誰が捜すというのか。
誰も彼も両手を上げて大喜びするに決まっている。
それどころか。すぐに私がいたことさえ忘れ去られ、のんびりとした日常を送ることだろう。
世界は今日も平和であると思うはず。青空でも眺めながら。
ブレットは適当に言っているわけではない。隣国に足を運び、その目で見て感じたからこそ、私にオススメしてくれているんだ。
「王都近くの街に丘があるんですけどね。そこから見る景色は美しいです。夜になれば数多の星々に感動しました」
「そんなこと言われると、見てみたくなるわね」
「公女様の期待は裏切らないかと」
「楽しみね」
「隣国に行くなら北の森を進めば一日で到着しますが、最近は魔物の目撃情報が相次いでいますので、時間はかかりますが遠回りしたほうがいいかと」
え、この世界。魔物いるの。知らなかった。
ゲームでは魔物の「ま」の字も出てこなかったからな。
魔法が存在するなら危険な生き物がいても不思議ではないか。
魔物は、下級、中級、上級に分かれていてよく目撃されるのは下級。弱いけど数が多く、倒すのは意外と面倒。
王都まで侵入してくることはないけど、森に近い領地や平民の街にはよく出没するらしい。
十年以上前から、なぜか魔物の出現はピタリと止まり、大勢を派遣していた騎士も今はどこも二人体制の見回りに切り替えた。
魔物が消えたわけではなく森の中には生息しているため、北の森から隣国に行くのは危険と判断されている。
私の魔法なら一瞬で片をつけられるから、時間をかけて遠回りをする必要はない。
心配されることがこんなにも嬉しく、むずがゆいとは。なんだか照れる。
「森を突っ切るおつもりですか」
「ええ。早いほうがいいから」
「森の前に馬車を待機させておきます。私が信頼している御者なので、必ず公女様を隣国までお連れしてくれます」
「いいわよ!そこまでしてもらわなくて。歩いてでも行けるんでしょ」
「餞別代わりです。私の気持ちを汲んでくだされば有難いですが」
餞別の品は私がこの国のことを思い出さないように渡せないのだろう。
私のことを考えて敢えて移動手段を選んでくれた。
こんなにも優しい人を傷つけていたのだと後悔する。
ほんの少し勇気を出して話していれば、何かが変わっていたのかもしれない。
「私はそろそろ帰るわ。よろしくね、ブレット」
「明日の朝、お伺い致します」
帽子を被り、ノアールを抱き上げた。
シオンの周りにいる人間が全員、最低なクズじゃなかったとわかっただけでも、シオン本人の心は少しだけでも救われたかな。
翌朝。商品のカタログを持ってブレットは屋敷を訪れた。
買取を悟られないために、商品の紹介という名目で。
平日の朝から商人を呼んだことに激怒していた次男に顔の腫れを見せつけたら大人しく黙ってくれた。
そうよね。貴方のせいで私は人前に出られないのだから、この程度には目を瞑ってもらわないと。
廊下の壁を蹴って、さっさと私の前からいなくなった。物に当たるのはどうなの。紳士として。公爵家の人間として。
いつもと違う部屋に案内されたブレットは悲しそうな目をしていた。ついには部屋を追い出されたのかと。
あの惨状を話すともっと気に病んでしまいそうで、敢えて口にはしない。
昨日のうちに売る物はこちらに移動させておいた。形式的に商品の確認はするけど、念入りにではない。
買った値段より高くなることはないけど、それでも高額なお金を渡された。
その中の一部を取り出し、ブレットに渡す。
「貴方を怪我させたことがあったわね。今更だけど、治療費と慰謝料よ」
「い、いけません!これは公女様の大事な資金ではありませんか!!」
「心残りを消しておきたいの。だから、受け取ってくれないと困るわ」
ブレットは手を伸ばし、すぐに引っ込めようとするから無理やりにでも握らせた。
「私はずっと自分が一番不幸で、味方なんて誰もいないのだと思ってた。優しに気付こうともしないで。ブレット。怪我をさせた私のことを、どうか許さないで」
「そんな……!!私は気にしておりません!!」
「私は悪女だから誰かに恨まれるぐらいが、ちょうどいいの」
目に浮かぶ涙をポロポロと流しながら、ブレットは小さく「はい」と返事をした。
「公女様の未来が今よりも、よりよいものになると願っております」
「今までごめんなさい。そして……ありがとう」




