婚約破棄
こんな顔では学園に行くことも出来ず、今日はもう休むことにした。
ベッドで横になり傷を冷やしているとノアールがお腹に飛び乗る。
軽いから「うっ!」ってなることもない。
【シオン、大丈夫?痛い?】
「大丈夫よ。ありがと」
【アイツの首!ガブってしてやる!】
「あはは、いいのよノアール。そんなことしなくても」
癒される。
顔や背中を撫でてると次第に殺気は薄れていく。
リラックスしたように体の伸ばす。
「ねぇノアール。貴方、魔法が使えるの?」
長男の傷跡。あれは……ノアールが引っ掻いたもの。
ノアールは普通の猫のはず。魔法を、しかも闇魔法使えるなんて、一体どうなっているの。
闇魔法の詳細を隠している王族なら答えを知っているかもしれないけど、秘匿情報を簡単に教えてくれるわけもない。
そもそも、私が王宮が行けばそれだけで騒ぎになる。
会う約束を取り付けるために手紙を出したところで、すぐに返事がくるわけでもない。
王様に届く前に処分される可能性が高いのだ。闇魔法からの手紙なんて呪われていると、何かと理由を付けて。
【魔法?】
首を傾げすぎてコテンと倒れた。
この様子では魔法を使った自覚すらない。
もしかしたら、私が無意識に発動したのかもしれないから、この件を考えるのはやめよう。
闇魔法で生死を彷徨った長男が光魔法によって命を繋がれた。
それが事実であり真実。
【シオンはここを出て行かないの?ここの奴はみんな、シオンを泣かせる奴ばっかりだ】
「そうね。お金があればすぐにでも出て行きたいわ」
感情的に屋敷を出ても、泊まるためのお金も、ご飯を食べるためのお金もない。
結局、お金が全て。
働く予定ではあるけど、雇ってもらえるか。何でもやると意気込んだところで、闇魔法というだけで邪険にされる。
いざとなれば、畑を耕して自給自足をすれば生きることには困らない。私に畑仕事が出来るかが問題だ。
幼い頃に農業体験に参加したことはあるけど、あれは収穫だけ。一番大変な作業をやったわけではない。加えて知識もない。失敗する未来しかないのでは?
「国を出たらいいんだ」
私もシオンも、外の世界のことなんて何も知らないけど、ここよりはマシかもしれない。
ずっと遠く。どこかにあるはずだ。偏見なく受け入れてくれる国が。
【シオンの宝石はお金にならないの?】
「……それよノアール!」
【みゃ?】
ドレスはどこぞの執事がダメにしてしまったけど、宝石とアクセサリーを売ってしまえばいい。
いつも買っている商人なら、現物がなくてもどんな物かわかってるはずだから彼に買い取ってもらおう。
賢いノアールのおかげで、お金の問題は解決した。
彼らが私を放っておいてくれないのなら、私がいなくなればいい。
明日にでも商会に行こう。
そう、思っていたのに……。
翌日。予想外の来客が訪れた。
応接室には私と、(一応)家族三人。こうして並ぶと美形揃い。目の保養とは、まさにこのこと。
向かい側には婚約者様とその父親。そして……ニコニコ顔のアース王太子様。
──いや、ほんとなに。この空間。
見覚えのある赤髪の騎士と青髪の騎士が部屋の中で待機をして、使用人は全員追い出された。
テーブルには人数分の紅茶が用意されていて、良い匂いが漂う。
紅茶に詳しくない私でも、王太子に出された紅茶が高級品であることはわかる。
私が応接室に入ったとき、確認したのは王太子と騎士の二人だけ。その他は扉が開いたことを気にも留めなかった。
「グレンジャー嬢」
「は、はい」
「大丈夫かい?」
王太子は自分の右頬を指差した。それが何を意味するのかすぐにわかった。
──あ、私の傷のことか。
婚約者様は今頃、気付いたようで少しばかり驚いていた。
婚約を望むのに、目立つ顔の傷には気付かないのね。
どれだけ私に興味がないのかを物語っている。
心配してくれた人は初めてだ。
ノアールもしてくれたよ!?めちゃくちゃ!怒りのあまり全員の首を噛みちぎるなんて物騒な発言してくれたし。
あくまでも人ではってことで。
「大丈夫です。ご心配、ありがとうございます」
「王宮の治癒魔道具を手配しよう」
「いいえ。この程度の傷なら、安静にしていれば治りますので。お気遣い感謝致します」
私の対応に噂とは違う、と内心思っているであろう騎士二人は目を丸くしていた。
そんな反応をされると貰うべきだったのではと不安になる。
厚意を一度、断っただけで不敬になるなら私はとっくに処刑されている。既に弁明の機会を跳ね除けたんだから。
「そうか。本題に入る前に公爵。其方は王宮からの手紙には目を通しているか?」
「もちろんです。それが何か?」
「そう。それは……残念だ」
王太子は本当に残念そうに目を伏せた。
言葉の意味は騎士の二人も理解しておらず、僅かに視線を交わせる。
どうやら手紙の内容が重大な鍵となっているようだ。
公爵が問いただす前に本題とやらに入った。
「本日、このときを持って、シオン・グレンジャーとヘリオン・ケールレルの婚約を白紙に戻す。反論は認めない。これは王命だ」
「なっ……!!殿下!!おふざけが過ぎるのではありませんか!?」
「落ち着け、ヘリオン」
興奮して立ち上がった婚約者様をなだめて座らせる。動揺が表に出ているのは婚約者様だけで、それ以外は皆、平静を装っているだけ。
当然だ。
王族との婚約で王命が下ることがあっても、貴族同士の婚約破棄に王族が絡んでくることも、ましてやそれが王命なんて前代未聞。
私を王太子の新しい婚約者にする企てがあるわけでもない。王太子が婚約破棄をしたなんて話をまだ耳にしていないのが何よりの証拠。
「理由をお聞かせ願えますか」
声が震えている。婚約者様は爪が食い込むほどに強く拳を握り締めていた。
「わからないのか?本当に?」
笑顔が消えた。鋭くなった目に空気は一変する。
「私とシオンは上手くやっています」
「ふ……ははは!君の言う上手くとは、婚約者の名誉を失墜させることか?グレンジャー嬢がユファン嬢を突き落とそうとした。その噂の原因は君だろう?」
「その件に関しては私の誤解であったと、シオンに謝罪はしています」
「では、噂の収拾は?自分の勘違いだったと周りに説明をしなければ、いつまでたってもグレンジャー嬢の汚名は返上されない。わかっていながら君は何もしなかった。しようとしなかった。婚約破棄の理由としては充分すぎると思うが?」
正論。
婚約者様は口を開くもすぐに閉じた。
力なく項垂れた婚約者様を横目に公爵と大公は王命を受け入れた。
逆らう理由がない。下手なことを言って王族の怒りを買うぐらいなら、従ったほうが賢明。
必要な書類は既に用意してくれていて、すぐに婚約破棄の手続きが行われる。
──え?それはつまり、私達は赤の他人に戻るってこと?
こんなにも嬉しいことが、この世界にもあったなんて。鼻歌を歌いながら踊りたい気分。
書類にサインをして、手続きは完了。
私を縛る鎖が一つ、解けた気がした。
「すまないがグレンジャー嬢以外は席を外してくれ。二人で話がしたいんだ」
優しい言い方をしているけど、これは命令だ。
護衛騎士も退室を余儀なくされる。ノアールは対象外。
長男には絶対に暴れるなと念が送られてきたけど、私は分別のつかない子供ではない。攻撃をしてこない相手に魔法を使ったりするものか。貴方達とは違うのよ。
王太子は会話が外に漏れないように水の箱を作った。
水中にいるのに息が苦しくない。空気はあるし言葉もハッキリしている。
水属性持ってたんだ。へぇー。知らなかった。
王家の血筋は代々、光魔法を受け継いでいるものの、ユファンのような圧倒的回復力は持ち合わせていない。
そりゃそうだよね。攻略キャラでもない王太子の力がユファンよりも強かったら話が繋がらない。
平民であるユファンが特別だからこそ意味がある。本当の身分は公爵だけど。
でも確か。王太子の光魔法は人体には使えない。動物だけに限定されていたような?
「どうして婚約破棄を命じられたのですか?殿下には何の利益もないはずです」
「借りを返しただけだよ。グレンジャー嬢が声を出さないでくれたおかげで、セインに見つからずに済んだ」
あの日のことを言っているのだろう。
たまたま偶然、道で出会っただけ。束の間の自由を求めて逃げ出した王太子は私と共に姿を消し護衛騎士をやり過ごした。
「それだけ、ですか……?」
「うん。そうだよ」
たったそれだけのことで。
王命ということは、これは王様からの命令。逃亡を手伝ったわけでもない私のために、王様を説得したということになる。
あんな一瞬の出来事のために、貴族の婚約に口を挟んでくるなんて相当なお人好し。
根はものすごく良い人なんだろうか。
「待って下さい。借りを返す?私が婚約破棄を望んでいたこと、なぜ知っていたのですか」
「それは秘密だ」
追求したところで答えてはくれないだろう。
教えられない理由があるみたいで、困ったような笑みを浮かべている。
婚約破棄が出来ただけでも感謝しなくては。深入りしすぎるのは良くない。
ここは厚意に甘えておく。
「グレンジャー嬢は千年前の出来事は知ってるかな?」
「闇魔法が世界を滅ぼそうとしたことですか」
そして、闇魔法が世界から拒絶され、忌み嫌われるようになった。
世界が黒く染まる寸前、目が眩むような光によって闇は葬り去られた。
一人は平民。一人は王族。
二人の魔法使いはこの国で生まれ育った。だからなのだろうか。闇魔法の詳細が語られずに、隠されているのは。
「そう。世界は光が照らされ救われた。それこそが、世界の歴史」
王太子はカップに手を伸ばし紅茶を一口飲む。
「だが、もしも。真実が逆だとしたら?」
「え?」
驚く私に、王太子は目を伏せた。そうであって欲しくなかった現実を突きつけられたかのように。
「闇ではなく光が世界を滅ぼそうとしていた。それが真実だよ。グレンジャー嬢」
静寂の中に私の心音だけが聴こえる。
王太子は至って真面目。嘘なんてついていない。
「それじゃあ、グレンジャー嬢。これで失礼させてもらうよ」
魔法の解除と共に立ち上がった。
「もっと早く、会いに来たら良かった」
懺悔のように呟き、扉が開けられる。
──待って……。
光が世界を滅ぼそうとしたのなら、闇が世界を救ったということ。
光魔法の使い手が王族だったから真実を捻じ曲げたの?
もしそうだとしたら、闇魔法というだけで疎まれ蔑まれてきたシオンの人生は何だったのか。
聞きたいのに声が出ない。
「グレンジャー嬢。私個人の判断で話せるのはここまでだ。だが、これだけは覚えておいて欲しい。君を縛るものなど存在しない。君は自由だ。君の決断を受け入れこそするが、否定し責任を擦り付けることはしない。絶対に」
知ってか知らずか、王太子の言葉は私の背中を押してくれた。
ずっと止まっていた足が一歩、前に出る。小さくとも大きな一歩が。
この国を出よう。
ノアールと二人で、静かに暮らしたい。
そう、思った。




