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公爵令嬢

「お嬢様。いつまで寝ているんですか」


 ノックもせずにメイドが入ってきた。


 言葉使いは雑。態度もデカい。敬意を払うつもりは微塵も感じられない。


 いつものことだ。


 使用人の勝手な振る舞いを咎める者はいない。


 公爵様は仕事人間で、もう数年も顔を見ていなかった。いや……。会ったことすらない。たまに帰ってきた公爵様を遠くから見るだけ。


 声をかけることはない。公爵様の瞳に私が映ることはないだろうから。


 兄は二人いるけど、どちらも私を嫌っていて、何をされていても口を出さない。冷ややかな目で見たあと、無言で去っていく。


 たまに、意地の悪い笑みを浮かべて「自業自得」や「ざまあみろ」というような顔を浮かべることも。


 体を起こして鏡の自分と目が合った。毎度の事ながら気味が悪い。薄汚れたような白い髪。手入れはしているから艶はあるものの、暗めの色は誰からも受け入れられない。


 一番最悪なのは瞳。


 暗黒の色。忌色。世界の悪。


 黒はそう呼ばれる。そう……私の瞳は黒。笑ってしまうほどに黒く、私の見た目は化け物そのもの。


 自分の姿を消すように目を閉じた。次に目を開けると、今日はもう気にならない。一種の暗示のようなもの。


 こうでもしないと私は“今日”を生きられない。


 たかが見た目。そうやって割り切れることが出来たら、どれだけいいか。


 「さっさとしてくれませんかね。こっちも暇じゃないんですよ」


 このメイドは私が公爵令嬢であるとわかっていながら、汚れた湯おけに水を入れただけ。


 水も汚れ、ゴミまで浮いている。恐らく、雑巾を絞った水。


 ついにここまで酷い扱いを受けるようになったのか。


 腕を組んでイライラしたようにため息をつく。


 これで顔を洗えば、メイドの私を見る目は更に低くなる。


 湯おけに手を伸ばし、やっとかというようにボロボロの手触りの悪いタオルを投げてよこした。


 勘違いしている頭の悪いメイドの顔に、それをかけた。


「な、何をするんですか!?」

「それはこっちの台詞よ」


 今までは大人しくしていたけど、私は明日から王立学園の生徒となる。正式な貴族の一員になるわけで。


 デビュタントを終えて王立学園に入学することで貴族として認められる。卒業をして成人式を迎えると大人の仲間入り。


 たかが平民のメイド如きにいつまでも舐められるわけにはいかない。

 このメイドは貴族となる私に、《《相応しい》》扱いをしているだけ。


 淑女?


 そんなの関係ない。


 私は公女。何をしても許されるべき存在。仕えることが仕事である彼女達は私に媚びを売り腰を低くして生きていかなければならないのだ。


 そんな私への、これまでの愚行を見逃してやっていたのだから感謝して欲しい。


 ──正確には今日まで我慢していた、だけど。


 いくら忙しい公爵様といっても入学式の日ぐらいは帰ってくる。


 子供の入学式に仕事にかまけていると、周りからの視線はよく突き刺さる。


 昔、領地でずっと仕事をしていた貴族が、息子の入学式にも帰ってこなかった。


 当の本人は仕事で行けなかったことを残念がっていたけど、本当は幼馴染みの女性と不貞行為に励んでいた。


 以来、入学式の日に帰ってこない貴族は不貞行為をしているとみなされるようになり、誰もが帰るようになったとか。


 時間に余裕を持ちたい公爵様はその前日、つまり今日はもう屋敷に到着して自身の書斎にこもっている。


「ボサっとしてないで掃除しなさい。貴女が汚したのよ」


 湯おけで顔を引っ叩いては這い蹲らせた。


「返事もロクに出来ないのね。拭くものなんてないから貴女のその雑巾……あら、ごめんなさい。そのダサい服で拭いてくれるかしら」


 ここまでしても公爵様は決して私を罰しない。


 興味がないのよね。私にも誰にも。


 だからこそ公爵様が家にいるときだけ憂さを晴らす。


 だってそのほうが面白い。


 私がこんな出来損ないな娘に育ったのはあんたの教育方針が間違っていたからだと知らしめることが出来る。


 ──仕事に没頭しすぎて報告が聞こえているから不明だけど。


 文句を言いたそうなメイドをさっさと部屋から追い出した。


 これで今日の私の食事は運ばれてこない。メイドなりのささやかな仕返し。


 別にいいけどね。


 人間、一日ぐらい何も食べなくても死ぬわけでもないし。


 空腹には慣れている。


【みゃー】


 一人になった部屋で本でも読もうかとベッドに腰を下ろすと、果物をくわえたノアールが窓を叩いた。


 ノアールは私が小さいときに下町で拾った猫。まだ子猫なのに、黒いというだけで忌み嫌われて怪我を負わされた。あんな小さな命を平気で奪える人間を、ノアールはきっと怪物に見えた。


 言葉が通じないから「やめて」とも言えない。


 私と同じだと思った。


 居場所はなく孤独。


 そんな私だからこそ、たかたが使用人如きにここまで舐められているのは、小公爵様には私を殺すだけの力があるから。


 いつだったか。


 私の近くにいたメイドが勝手に階段から転げ落ちたときに、言い分など聞かずに私が突き落としたのだとロクに魔法を使えない妹を本気で焼き殺そうとした。


 熱くて、息が出来なくて。


 メイド長だったかな。止めに入ってそのまま有耶無耶になった。


 どうせならあのまま殺してくれれば良かったのに。


 邪魔な妹。煩わしい娘。


 公爵家の力なら事故として簡単に処理出来るだろうに。


 何を躊躇うの?いらない物は捨てる。それが貴族の在るべき姿。


 ──私の存在は貴方達にとって不要なんでしょ?


 ーコンコン


 いつからだろう。


 私の部屋の前に温かいスープとパンが置かれるようになった。


 最初は毒でも入ってるのではと警戒したけど、何もなかった。私に食事を運んでいるだけ。


 食べ続けても体調に変化はない。本当にただの食事。


 笑わせる。


 この屋敷に私の味方がいると?


【それ。いつものやつ?】

「そうよ」


 不思議なことに私はノアールの言葉がわかる。


 他の人にはこの声が聞こえないらしく、私はそのことを誰にも言わない。


 頭がおかしいと思われるのがオチだし、万が一にも信じられたらノアールが殺されてしまうかもしれない。動物が人の言葉を話すのは普通じゃない。


 この子を守れるのは世界で私だけ。


【誰が犯人か調べないの?】

「犯人って……。別にいいわよ。興味ない」


 今ではすっかりコントロール出来るようになった魔法で食べやすいようち一口サイズにカットした。


 これぐらいは出来て当たり前。


 褒められたいわけじゃないから人前で披露するわけでもない。


 そういう無駄なことは大嫌い。


「そうだ。これノアールにプレゼントよ。宝石を埋め込んだ首輪」

【またこんな高い買い物をしたの】

「お金は使うためにあるの。それに私がいくら使おうと公爵様がすぐに稼いでくれるわ」


 家族の顔や存在を忘れるほどの仕事人間。


 まともに顔を合わせたことも、向き合ったこともない。


 私はとうに公爵様の顔なんて忘れた。覚えていても意味がないから。


「シオン!!」

「これはこれは小公爵様。明日の準備のために今日はお戻りにならないかと」

「何をした?」

「はい?」

「メイドが泣きながら報告してきたぞ。怪我をさせられたと。もっと公女としての自覚を持ったらどうだ」

「使えないメイドを教育するのも務めでは?」

「毎日毎日飽きもせず、身に付けもしない宝石ばかり買うのもか?」

「私はあのヘリオン様の婚約者。未来の大公妃ですわ。それ相応の物を持っておかないと。恥をかくのは嫌ですから」


 小公爵様はバカじゃない。


 自分の妹が学園に入学すると噂が流れている以上、下手に怪我をさせてグレンジャー家の名前に傷をつけることはしない。


 プライドの塊なのだ。運良くこの家に生まれただけのくせに。


 苛立ったまま部屋を出て行く小公爵様を見送ることなくさっさと扉を閉めた。


 せっかく良い気分だったのが台無し。


 春物のドレスの新作が出てたはず。


 その辺を歩いていたメイドにすぐ商人を呼ぶように命じた。

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