願いと空っぽの心
ノアールが選んでくれたのは手入れの行き届いてない長年放置された陽当たりのいい部屋だった。
広さは前の部屋と同じぐらい。家具は必要最低限の物を新調すればいい。
埃まみれのベッドで寝るのは嫌だな。
掃除をさせるにしても私の言うことなんて誰も聞かない。私を孤立させて楽しんでいる。
「ここで何をしている?」
嫌な奴は空気も読めない。
空き部屋しかないこの廊下にわざわざ足を運んだのは私を捜していたのか。暇人め。
次期公爵なんだから、部屋にこもって勉強でもしていればいいのに。
罪のない執事を罰したとでも言うのかしら。
目に見えない言葉や態度で傷つけることが許されるこの屋敷では、私のやることは全て目障り。
このまま無視を決め込むのもいい。
私なんかとは言葉を交わしたくないはずなのに、こうやってちょっかいを出してくる。
私が嫌い=敵。そんな方程式を編み出したノアールは私の前に出ては長男を威嚇する。
本当に良い子。私のために小さな体で戦おうとしてくれるなんて。
ノアールを傷つけられたくないからそっと抱き上げた。
いいのよノアール。そんなことしなくて。
顔を撫でながらキスをすると恥ずかしくなったのか全身の力が抜けて私に身を委ねた。
──あぁんもう。可愛いんだから。
「それで。小公爵様は私に何かご用ですか」
「それは私が聞いたのだ」
「お答えする義務はないかと」
口答えされたことが気に食わなかったようで睨んでくる。
私は今、どんな顔をしているだろう。
怯えることもなければ、笑っているわけでもない。きっと冷めきっている。
言葉を交わしたくないから。
「今日からここは私の部屋です。出て行って下さい」
「お前の部屋はここではない」
めんどくさいな。
あの部屋の惨状を見たら次男みたいにグレンジャー家の名前が傷つけられたと怒って、さっさと認めてくれるはず。
「ここを私が貰う理由は、元の私の部屋にあります。見てきたらどうですか」
どうせ暇なんでしょ。
長兄は無言で私を見たあと、耳を疑う発言をした。
「元はお前が元凶なのだろう?」
長兄は……コイツは、私の部屋を見ていながらあそこに戻れと言った。
私はゴミに囲まれた生活がお似合いだと言っているんだ。
何なの。ほんと意味わかんない。
──私がお前に何をした?シオンが何をした?
ただ生まれて生きているだけなのに、そこまで嫌われる理由って何?
喋ってる長兄の言葉なんて耳に入ってこない。
静かな場所に行きたい。誰もいない、私とノアールだけの世界。
【またシオンを泣かせた】
腕から飛び降りたノアールは長兄に威嚇を始めた。
「獣同士、馴れ合うのはお似合いだが。身の程を弁えろ」
私に対して魔法を使うことを躊躇わない。
闇魔法が特殊とはいえ、魔力に差があれば結局は負ける。あんな炎に焼かれてしまえば、小さなノアールはひとたまりもない。
私の心配をよそにノアールは長兄に飛びかかった。向かってくる炎をもろともせずに。それどころか炎を喰らった。
動揺する長兄の顔に鋭い爪で引っ掻く。咄嗟のことだったのに顔を腕で庇った。
【シオンを泣かせた。許さない!!】
ちょっと待って。長兄の属性って炎と何だっけ?
プロフィールには書いてあったけど、実際に使うのは炎ばかり。
流れる血を見て逆上したのか、次の攻撃はとんでもなく大きい。私を包んでもまだ余裕がある。
長兄の視線の先にいるのは私ではなくノアール。
魔力をコントロール出来る人は対象以外を傷つけることはない。ノアールを灰も残さず燃やすつもりだ。
さっきは威力も大きさも抑えていたから無事だったかもしれないけど、今度は本当に消されてしまう。
あんな上級魔法に対抗する魔法を私は持っていない。でも!!ノアールがいなくなるかもしれないのに指をくわえて見ているだけなんて出来ない。
長兄の生死などお構いなしに、ノアールを守りたい一心で魔法を発動した。
一瞬だったとはいえ、屋敷全体を闇が覆う。長兄の魔法は闇に飲み込まれたのか消えていた。
巨大な魔法を使ったことによる反動なのか視界が回る。足に力が入らなくなりその場に座り込んだ。
「ノアール。おいで」
小さな声で呼べばクルリと振り向き、私の胸に飛び込んできた。ノアールの温もりは安心する。
抱きしめて、優しく強く抱きしめた。
長兄は舌打ちをして部屋を出て行く。見逃してくれたわけではない。私に関わるのが面倒になっただけ。それなら最初から視界にも入ってこないでよ。
「危険なことはしないで。置いて行かないで。私を……独りにしないで。お願いよ」
ノアールがいなくなったら私は生きていけない。
私が死んだらアイツらはみんな喜だろう。それはすごく癪だけど、ノアールのいない世界は孤独。
心が崩壊する。自ら命を絶ってしまう。
どうして誰も私を放っておいてくれないの。私は静かに暮らしたいだけなのに。
生まれたことが罪だと言うのなら、生まれたときに殺せば良かったじゃない。
生かしたのはアイツらの判断なのに、私ばかりが苦しい。
尊厳を踏みにじられるほど私の、シオンの命が重罪であるかのように平然と心を踏み潰す。
アイツらは知らない。言葉は凶器となり、人を殺すということ。
シオンの心は何度も殺され、ついには空っぽになってしまった。




