特別といつも通り
私はとんでもないことに気が付いてしまった。
オルゼの婚約者が決まったことに驚きながらも祝福を送る。
相手は侯爵令嬢。前々から剣に興味があり、自ら名乗りを挙げた。
男女差別がないとはいえ、一歩を踏み出すには勇気がいる。
オルゼとの婚約はキッカケということか。
政略結婚を割り切っているオルゼは令嬢をパートナーに選んだ。
メイとエノクは結婚を前提の付き合いがスタート。
誰とも付き合うつもりはなかったらしいけど、会うといつも誠実な態度で接してくれるエノクに惹かれつつあった。
他の騎士とも仲は良いほうだけど、私としてはエノクを応援していたので純粋に嬉しい。
みんなが順調に恋愛をしていく中で、私だけが取り残される感覚はなかった。
人を好きになるにはあまりにも、心が傷ついた。
近くなりすぎて、もし裏切られでもしたら。
そんな恐怖は拭えなかった。
引いた線の向こう側に行くつもりは毛頭ない。
それに。私にはノアールがいるから寂しくはない……はずだった。
スウェロの婚約者……。今はもう結婚したから妻か。
リズとのお茶会でハッとさせられたのだ。
女性だけで集まると会話の内容は自然と恋バナになる。
政略結婚だったとはいえ、当時スウェロは絶賛片想い中。
いつからリズもスウェロを好きになったのか。興味しか沸かない。
「特別に聞こえたの。彼の私を呼ぶ名前が」
初めて恋をしたかのような純情乙女の表情。
思い出しているんだ。
婚約者に愛が芽生えた瞬間を。
特別。いつも呼んでくれている人からの自分の名前が。
リーネットに来てから多くの人が名前を呼んでくれる。
当たり前のように。
皆、好意的。だから私は彼らが好き。
目を閉じて一人一人を思い浮かべる。
心臓が……強くはねた。
いつも意地悪ばかりなのに、私が本当に苦しいときは迷わず助けてくれる。
同じく暗色を持って生まれた……私を見捨てないでいてくれた人。
──いつ、から……?
あんなにもレイを好きだと思ったことはなかったのに。
藤兄のように頼りになって、私にとって兄のような存在。
異性として意識するはずがない。
考えたところで答えは出ることはなかった。
一つだけ確かなことがあるとすれば。私はヤキモチを焼いて、悲しくなったということ。
レイと王女様がキスをしたと勘違いをしたあの日。
胸のモヤモヤは全部……。私の勘違いであるとわかれば不安は取り除かれたものの、抱きつかれたことに、やっぱりモヤモヤしていた。
私がレイを好きなんて、そんなの……。「もしもの話」
現実ではなかった。
この想いは閉じなくては。
蓋をして鍵もかけて。
レイがそうしたように。
私の負担にならないよう、想いをなかったことにしてくれた。
縁遠かった感情は気分を悪くさせる。
体調が優れなくなり、お茶会は中断。
心配して送ってくれたリズに本当こことを言えるはずもなく。
よりにもよってレイを好きとか、そんな……。
迷惑をかけたくない。
「シオン?どうしたの?大丈夫?」
「大丈夫よ」
小さな体を抱きしめた。
「愛してるわ。ノアール」
現実から目を逸らすように口にした。
私の特別はノアールだけ。出会ったあの日から決まっていたこと。
【あのね、シオン。ぼくね。アークのこと好きだよ。いつもシオンのこと、助けてくれるの】
「ええ、そうね」
思えば最初から。
私をリーネットに受け入れてくれたのはレイ。
その後もずっと……。
雪のように降り積もった優しさに、いつしか心が傾いていた。
「あ……そうか。雪……」
ずっと前。あの雪の日からレイのことを。
誰に対しての言い訳を並べていたのか。
好きにならない理由ばかり探して。
向き合うのが怖かったんだ。
私を好きではない人を、好きになってしまった事実が。
「私も好きよ、レイのこと。ノアールと同じくらいに」
この恋は秘めておくべきなのだろうか。
少なくとも現段階では両想いであることは判明。
想いを伝えても迷惑にはならない……と思う。
でもそれは、卑怯だ。
レイを好きになったこれまでの女性に対しても、申し訳が立たない。
実らない恋があると誰よりも自分が一番、知っていた。
身分や容姿でなく、命を救ってくれたその人に恋焦がれる日々。
会えない時間のほうが長くて。
好きだと伝えるために勇気を溜めて、いざ本人を前にすると言葉が詰まる。
練習もいっぱいしたのに、上手く言えない自分が恥ずかしい。
それでもレイは、呆れることも急かすこともなく、待ってくれる。
伝えたい、きっとそれがレイを困らせる想いだとしても。
優しく温かい瞳は心を落ち着かせてくれた。
【アークに好きって言わない?】
「言えない。言ったらダメなの」
可愛く首を傾げるノアールの頭を撫でながら、気持ちをリセットするために深く息を吸う。
ゆっくりと吐く。
見えないように隠すのだから箱をイメージして、その中に押し込む。布も被せておこう。
飛ばないように重しも乗せて。
最後に蓋と鍵を掛けて完了。
これで大丈夫。明日からはいつも通り。
の、はずだったんだけど。
レイと会うなり、掛けたはずの鍵が外れる。
無理に押し込んだ分、勢いよく弾け飛ぶ。
「はぁ……」
「人の顔を見てため息か」
「そういうつもりじゃ」
レイのすごさを実感しているだけ。
芽生えた感情を刈り取るのは難しいことで、簡単になかったことにしてしまう。
その精神力を見習いたい。
話をしたいけど人前ではちょっと。
「というか……。レイが訓練に参加してるの、おかしくない!?」
仕事の量を減らさないといけない人が見事、騎士全員抜きを達成。
卑怯と言われる覚悟で休憩を与えることなく、次々と木刀が交わる。
一人で何十人もの相手をして息を切らしてないどころか、乱れてないのが怖い。
団長クラスはよく粘っていたし、オルゼの頑張りは急成長を思わせる。
ただ……それ以上にレイが強かっただけ。
世界中を隅々まで捜しても勝てる人いないんじゃないかな。
「ただの息抜きだ」
「やることなくて時間を持て余してるから、騎士をいじめてるのかなと」
「そこまで暇はしていないし、性格も捻じ曲がっていない。そんなことをわざわざ言いに来たシオンのほうが余程、暇だろう」
「私は……」
朝食を食べてすぐノアールが駆け出したから追いかけただけ。
走っている最中に何となく、向かっている場所は察しがついた。
途中で引き返さなかったのは、一欠片も余すことなく好きを封印したから。
それがまさか。
「はぁーー」
「ため息の理由なら聞いてやるぞ?」
イラッとしてる。
こうして長時間、目が合っても動揺せずにいつも通りでいられるのは、人生経験の差かな?
「来たついでだ。この後の予定は?」
「町をブラブラする」
「ないんだな」
ないよ。ないけどさ!
「薔薇の改良が終わった。持って帰って欲しいのだが」
「わかった。ノアール、行こう」
【やっ!おふせと遊ぶ】
ノアールなりに二人になれるよう気を遣って……。
待って。恋愛で好きってバレてるの?
ノアールと同じくらいに好きとは言ったけど、それは人としてって意味に捉えているものだと。
ナイスアシストって感じのドヤ顔は完全にバレていると、諦めるしかない。
「オルゼ。ノアールが遊びたいらしいの。お願いしてもいい?私は薔薇貰ってくるから」
「もちろん」
「団長だけですか!?」
「我々は!?」
「えーーっと……」
小さく口を開けて固まっているのを見るに、予想外の申し出。
盛大にジャンプしたノアールへオルゼの頭の上。
──安全地帯。
【ふぃ~】
ホッと胸を撫で下ろす可愛さに、癒しのない騎士達は触りたそうにウズウズしている。
あれはあれで楽しそうだから、離れても大丈夫そう。
温室は相変わらず綺麗な花々が美しく咲き誇っている。
二十五本の薔薇の花束を差し出すレイのカッコ良さは、これまでの非じゃない。
──限定スチルだ。
ポカポカ陽気のお日様の匂い。
風が吹いたりしたら夏を知らせてくれそうな。
「それで?私に話でもあるのか?」
もしかして。私のために温室に誘ってくれた?
薔薇を渡したかったのもあるだろうけど、そんなのは後でナンシーに届けてもらえばいいだけ。
さりげない優しさに心が揺れる。
「ねぇレイ。今から困ること、言ってもいい?」
「困ることは確定なのか」
「うん」
「言わない選択肢は?」
「ないかな」
「はぁ……。わかった、いい」
お許しを頂いたことだし、腹を括るしかない。
「どうやら私、レイのことが好きみたい」
「そうか」
それだけだった。
もっと動揺したり慌てふためく姿を想像していたのに。
返事をしてくれたということは、聞こえていないわけではない。
大袈裟な反応を期待していたわけではないけど、聞き流されるとは。
「恋愛の意味で、だよ」
好きの意味を友達としてと捉えていそうで、言葉を付け足すと赤紫の瞳に動揺が広がった。
僅かに、だけど。
「それで?」
「え?」
「私が好きで、シオンはどうしたいんだ」
「どう……」
考えていない。
だって私は、レイが好きなだけ。それ以上でも以下でもない。
答えに悩んでいると今度はレイが、私が困ることを口にした。
「私もシオンが好きのようだ」
「うん。知ってる」
「は?」
「いや、ほら……。スターチスをくれたとき。レイの感情がなぜか流れてきて、それで」
「私が魔力を流したからか。なるほど。新しい発見だ」
「好きだけど、想いに蓋をしてくれたんだよね。私のために」
「困らせるつもりはなかったからな」
会話はそこで途切れた。
要件は終わったため、みんなの元に戻ろうとするレイの袖を無意識に掴んだ。
不自然に下がった視線が、私の行動を教えてくれる。
「ごめん」
すぐさま手を離した。
「一応は両想いらしいが、シオンは私と付き合いたいのか?」
「それは……全然」
当然、結婚したいわけでもない。
欲を言えば他の人より少しだけ甘やかして欲しいだけ。
あとは……特にないな。
私の好きな人が、私を好きであるという奇跡が起きているのに。
ラブラブやイチャイチャをしたいわけでもないし。
私の都合で縛るつもりはないから、レイの気が向いたときに二人で出掛けられれば。
「つまり、今まで通りでいいと」
「逆に聞くけどレイは私と付き合いたい?」
「いいや」
お互いの意見が一致。
周りにバレると絶対に面倒だからと、秘密にすることが決まった。
勘の良いスウェロ辺りはすぐに気付くかもと、嫌そうにため息をつく。
噂が広がれば、結婚を急かし、望む人も増える。
想像だけでもう疲れていた。
──仮にバレたとしたら、私のせいか。
レイは完璧に感情をコントロールしてるし。
不意にドキっとさせられなければ、私もいつも通り平常を保てる。
「シオン。目を瞑れ」
「え?う、うん」
言われるがまま目を閉じた。
あれ?この流れはもしや……。
──ちょ、待っ……。私達はそういう関係を望んでないはずでは!?
少女漫画のキスシーンは胸きゅん満載。
ロマンチックだったり、乱暴だけどそれが良かったりもした。
でも!!私はレイとそういうことが、した……いわけ、では……。
額に温もりを感じる。
不思議に思いながらそっと目を開けると、レイが額に口付けを落としていた。
目を細めて微笑むレイは今までで一番綺麗で、心臓が破裂してしまいそう。
この笑みは私にだけ向けてくれている。
「この程度のスキンシップは許してくれるか」
「は、はい……」
鼓動が鳴り止まない。
確信犯のように小さく笑うレイにさえ、動揺するのが情けなくて。
やられっぱなしは嫌なので、腕を引っ張って頬に唇を押し当てた。
らしくない私の行動を奇行と思ったのか反応がない。
「今のは……何だ?」
「キ、キスだけど」
「なぜ?」
なぜ?とは?
その質問の意味がわからずに頭が混乱してきた。
真面目に考えようとするレイの背中をバシバシ叩く。
「レイがしたからだよ!!」
「は?私がしたらなぜ、シオンもするんだ」
「だから……」
バカ正直に動揺させたかったと答えれば、どうなることか。
いや、待って。この顔……。バレていると絶対の自信を持って言える。
「それで?理由は聞かせてもらえるかな?」
ニッコリとした、甘ったるい笑顔は恐怖。
喋り方も胡散臭く、逃げる決心をつけた瞬間、頭を鷲掴みにされる。
「どこに行く?」
「や、ほら……薔薇を生けなきゃいけないでしょ」
「それもそうだな」
わざとらしく納得してくレイは手を離し、雪星花を管理する一室に足が向かう。
──拗ねた……?
そんなわけないな。だってレイだもん。
今の内に逃げて、次に会ったらどんな怖いことが待ち受けているのか想像もつかないので、動かずにじっとしている。
出てきたレイは青いカーネーションを手にしていた。
季節関係なく色んな花が咲くこの世界で、カーネーションだけ温度の低い場所で育てる必要ある?
前に見たときは雪星花以外は何もなかった。
「花に魔力を流して雪星花の近くに数日置くと、花に模様が浮かび上がるんだ」
「わ、本当だ」
薄くではあるけど、小さな雪の結晶が刻まれていた。
よくテレビとかで目にしていた、樹枝六花の形。
異種花で唯一、花が影響を受けるらしい。
「置く期間が長ければ、他の形にもなるんだがな」
「へぇー。そうなんだ。で、敢えて聞くけど、これ。私の誕生日にくれるつもりだった?」
早いもので、来週はもう私の誕生日。
隠すことなく周りの人は私に欲しい物を聞いていくる。
「さぁ。どうだろうな」
髪に差し込んでくれる手付きは慣れているようにも感じる。
そのまま青色を白銀に変えては
「ノアールの分もある。後で付けてあげるといい」
「あ、ありがと。似合う?」
「シオンは何でも似合うさ。髪を伸ばすのであれば、簪をプレゼントするが?」
「残念でした。私はもう、ずっとこの髪型よ」
国を出るために髪を切った。
もったいないとは思わない。
シオン・グレンジャーはとっくの昔にいなくなっていて、私は私で前に進むために必要だったから。
「はぁーー。ならせめて、欲しい物のリストを作れ。もう考えるのも飽きた」
「それを本人に言えることがすごいよ。尊敬する」
レイだって言わないくせに。自分のことを棚に上げて私を責めないでもらいたい。
「時間はまだあることだし、考えてはみるが」
「嫌そうなのやめて!?」
私達は恋人と呼ぶにはあまりにも歪な関係性。
結婚はしないし、恋人らしいことを望むわけでもない。
ただお互いが、好きな人の傍にいられたらそれでいいと。
それだけしか望んでいないのだ。
むしろ。傍にいられるだけで幸福。
「レイ。本当にありがとう」
辛く苦しい、痛いだけの記憶。
生まれたことを後悔し、罪だと思うことは……もうない。
私は……
「生まれてきて良かった。このリーネットで、みんなと出会えて幸せよ」
「まだ足りない。言っただろう?降り積もるクローバーよりも、幸せにすると」
「うん。そうだったね」
人並みじゃなくていい。
普通の人が与えられる、ほんの一欠片の幸せをこの手に。
愛しくて、愛している人達と一緒に歩いて行こう。
先の見えない未来へ。
幸せが待っていると信じて。
そう……。未来は見えない。誰にも。
神獣であるノアールの言葉が突如、私以外の人に聞こえるようになったこと。
それ故に、聞こえた私達の会話の内容から付き合っていると勘違いして、オルゼ達にとっくに伝えていること。
そして……。時すでに遅し。
人から人へ。私達のことが広まったと知るのは、温室を出てすぐであること。
私達が心からの祝福を受けるのは、数秒後の……未来。
ノアールの言葉が届くようになったのは、引いた線を私が飛び超えたからだと知るのは、再びレイが鑑定したとき。




