永遠の幸せがどうか、ずっと続きますように【藤】
ついに来た。この日が。
案内のハガキを片手に扉の前で立ちすくむ。
場所は懐かしの小学校。6年3組の教室。
地元ということもあり人に会わないよう警戒をしながら、迷うことなく到着。
大人になった今では何もかもが小さく見える。
階段を登って廊下の一番奥が、3組の教室で靴箱から遠いのでハズレ教室とも呼んでいた。
開けようと手を伸ばしても中途半端な所で止まる。
それを繰り返す。
勇気が出ないんだ。扉を開けて中に入る。
──怖い。
漠然とした恐怖が背後から襲ってくる。
乱れた呼吸を整えようとするも、悪いことばかり考えてしまう。
社長や従業員のみんなに文字通り、背中を押してもらったのに。
こんな僕に同窓会の知らせを出してくれたんだ。
本気で嫌ならそんなこと……。
視界が回り気分が悪くなってきた。
次があるかどうかもわからない今日を、先延ばしにすることは出来ず帰るに帰れない。
「入らねぇの?」
後ろから声がした。
振り向くと乱暴でガサツで、無神経だけど周りをよく見ている倉本が僕を見下ろしている。
相変わらず身長高いな。
百九十を超えてピアスを何個も付けた金髪男性は近寄り難いものがある。
僕よりも大きな手は軽々しく扉を開けて、ついでに肩を押されたことにより勢いで中に入ってしまう。
僕達が最後らしく、全員揃っている。
教室は一瞬で静まり返り注目の的。
突き刺さる視線。思わず息を飲む。
──僕はみんなと会ってどうしたかったんだろう?
話すことなんて何もないのに。
「藤!遅かったから心配したぞ」
俯く寸前、葉山が駆け寄ってきた。
「藤くんは嫌味なくらい記憶力良いし、迷うとかないでしょ」
「時間を勘違いするなんてこともね」
「藤ならずっと入り口にいたぞ。十分くらい」
「はっ!?っっ、おまっ……見てたのか!?」
恥ずかしかった。ただ純粋に。
そんな僕をからかうように、ここぞとばかりに数人の男子がいじってくる。
女子は笑いながら「やめなー」と言うも、「もっとやれ」と本心が隠されてもいない。
こんな僕に変わらず、前と同じように接してくれる彼らの優しさ。
人間関係に恵まれていると実感したところで、僕の罪はずっと在る。
「みんな……ごめん」
罪を冒したことにより僕と同じクラスだった生徒はネットで顔が晒されたと聞く。
視聴者数を稼ぎたい迷惑な人に付きまとわれはしたけど、冷静に対処したことで今は落ち着いている。
弁護士志望の仁井がいてくれたから。
勉強中だったとはいえ、法律の知識は大人も舌を巻くほど。
仁井にとって法律は弱き者を救う力。
実際、仁井自身も過去、法律に助けられた。そのときの弁護士に憧れて夢は弁護士一択。
「本当にごめ……」
「ちょい待ち」
「謝るの禁止な」
「え?」
「あのさぁ。俺らが藤に謝って欲しくて呼んだと思ってんの?」
「いや……えっと」
答えられないでいると、一斉にため息をつかれた。
「俺らが藤に謝りたかったんだよ」
倉本は斜め下に視線を外した。
あれは恥ずかしいときの癖。
髪を掻き毟った後、いつも睨んでいると勘違いされる鋭い目が僕を捉えた。
「藤があんなことをした理由。俺らにも責任あるんだよな」
「な、ないよ?あれは僕のせいだから」
完璧になれない自分という存在を、否定されることが怖くて。
見放されたくないから選択を間違えたんだ。
「ウチらもさ。困ったことがあると藤くんに頼りっぱなしだったじゃん」
「負担になってるって思ってもなかったんだよね」
「藤。ごめんな。お前に全部、苦しいこと押し付けて」
僕が家族を殺したのは僕が弱いから。
誰かのせいではない。
そう言いたいのに言葉が出なかった。
「だからさ。もしもまた、どうしようもなく苦しくなったら俺らを頼れ」
乱暴でガサツだけど。倉本の根っこは良い人。
不器用な優しさでいつも誰かを救う。
喧嘩っ早いとこもあって、でもそれは。守るためであり自分から喧嘩を売るような真似はしない。
それ故にクラスの中心であり、リーダー的存在。
「あ……あり、あり……がと」
無数の優しさに涙が溢れる。
必死に泣き止まそうとする僕が面白いのか、葉山達は笑う。
同じく目に涙を溜めながら。
「え!藤って工場で働いてるの!?うわー、似合わねぇ」
「悪かったな」
「青いツナギ着てた」
「何それ。面白っ!」
「面白くない。作業着だし」
久しぶりに顔を会わせて近況報告よりも、みんながどんな仕事をしているのかという話題になった。
みんな無難に社会人をやっていて、倉本と三田の職業は聞き返してしまう。
倉本は友達と立ち上げた会社が意外にも上手くいって今じゃ大企業の社長。
三田はなんと。『公女はあきらめない』の制作会社勤務。
途中参加ではあるものの、ifの制作にも携わっていた。
飯島さんを知っているか聞くと、シオンに対する熱がすごい人、と認識をされている。
周りを置いていく熱量。
レイアークスの隠れ恋愛ルートを攻略した暁には自国の、グレンジャー家三人とヘリオン、シオンの実母が幽閉されたエンディングを無理やりねじ込んだとか。
隠れ恋愛ルートとは。
友情エンド攻略中に恋愛ルートに突入すること。
ストーリーを上手く進めていくとヒロイン、ユファンと友達になれる。
それがルートを開く条件。
もちろん、友情エンドなのだからシオンとレイアークスは互いを意識していない。
が、その日常に終わりを告げるかのように小さな恋心が芽生えてしまう。
ここで注意が必要なのは、恋愛ルートだからといって必ずしも結ばれるわけではない。
互いに恋心を秘めた、両片想い状態でエンディングを迎えるか、両想いになって最高のハッピーエンドを迎えるかは頑張り次第。
それら全てをたった一人で考えた妹さんがいかに、シオンを推しているかがわかるエピソード。
工場の先輩の妹だと教えたところ、騎士団のモデルとなった兄に興味津々。
写真を見せると引きはしなかったが、言葉は失っていた。
「タイムカプセル!掘り起こさないと」
そろそろお開きムードになってくると誰かが思い出したかのように声を上げた。
小学校は廃校になっていて、来週から取り壊しの工事が始まる。
卒業生は学校がなくなる前に、過ごした六年間の思い出を刻むために時間を作って集まった。
僕達もその内の一組。
担任だった白木先生は四年前に亡くなった。
高齢で病に倒れ、家族に看取られながら……。
本当なら先生もここにいたはずなのに。
教室を片付けて、グラウンドに出た。
「で。どこに埋めたっけ?」
「こういうときの藤だろ」
ゲーム感覚にするため埋めた場所も、ヒントさえも残していない。
──場所はみんなで決めたんだけどな。
「ここだよ」
飼育小屋の横に植えられたイチョウの木。
男数人で掘り起こすと、誰が用意したのか女の子向けのアニメ缶が顔を出す。
用意した本人以外は大爆笑。
みんな入れたい物が多すぎて、大きいサイズがこれしかなかったんだ。
蓋を開けてシートの上に広げた。
懐かしの物から、なぜそれを入れた?と思うような物まで、ぎっしり詰まっている。
「あっ!このフィギュア!失くしたと思ってたやつ!」
「絶対に価値があるからって、入れてたよ」
「マジかよ」
「マジだね」
「誰だよ!夏休みの工作入れた奴!」
「無理に押し込んで壊れてるね」
悪い点のテスト。ポエム帳。父親のタバコとライター。漫画の付録。遠足で拾った松ぼっくり。
他にも色々と。
僕が入れた物は……。
細長いお菓子の箱を探した。
今はもう販売が終わってしまったキャラメル。
中身はお菓子じゃなくて。
色褪せることのない三枚の栞。
桜。藤。そして……楓。
町内会の催し。手作り体験コーナーで作った。
桜は不器用で絵心もあまり……。
それでも頑張って、藤の花を描いた。
僕は母さんの楓を。母さんは桜を。
二人共、栞は本を読む僕にくれた。
僕の宝物。
失くしてしまわないように、未来の僕に伝えたかった。
過去の僕は幸せだ。
未来の僕も同じ幸せが続いていることの証明として、この栞を託す。
そんな意味を込めた。
手紙は……真っ白。何も綴られていない。
書こうとした形跡はある。
僕自身、書くつもりでいた。
ふと、思ったんだ。書いても未来の僕は、手紙を読まないんじゃないかと。
根拠のない漠然とした思いが未来を暗く染めた。
──あの頃の僕には、こうなる未来が見えていたのだろうか?
「葉山は何を書いたの。未来の自分に」
「……言わないし見せない」
他のみんなも即座に手紙を隠す当たり、子供らしいことを書いたんだと察しがつく。
仁井はめちゃくちゃ人生設計しっかりしてるから涼しい顔。
倉本は寂しい目をしていた。手紙にはたった一行、「人を救うヒーローになっていますか?」とだけ。
「なれてるよ。倉本はヒーローに」
「え?」
「さっきもさ。僕の背中を押して教室に入れてくれたじゃないか」
「あれは別に……」
「つーかさ。倉本は普通にヒーローだよな」
「うんうん。ネットでよく呟かれてるよ。倉本くんのこと」
ちょっと気になったから検索してみた。
大企業の社長ということもあり顔と名前はほとんどの人が認識している。
──この形だからな。嫌でも覚えるか。
誰でも出来る“人助け”を当たり前のようにやってのける姿は好感を持たれている。
ヤラセや偽善。そういったアンチがあるのも事実。
世間の意見を気にすることもなく、友達である僕達が違うと信じてくれるだけで、それだけでいいと言ってくれた。
「じゃあな藤。また連絡するから」
名残惜しくも同窓会は終わる。
僕の新しい連絡先を交換したから、会おうと思えばいつでも会えるようになった。
とても気分が良い帰り道。
心が穏やかというか。
夜空に浮かぶ大きな満月は綺麗で、手を伸ばしたら掴めてしまう気がした。
「そっちじゃない。こっち」
どこからか聞こえてきた。
凛とした大人びた声。頭の中で響く。
空耳かと思いそのまま行こうとすれば、小さな手に掴まれたような気がした。
「あっちだよ。フジ」
何もない暗闇に白銀の髪が見えたような……。
誘われるがままに足は進んでいく。
声はしないし、掴んでいた手もない。
それでも僕は。“そこ”に行かなくてはならなかった。
二十分くらい歩いて、児童公園に到着。
ベンチの近くに山を上がる階段がある。
山と言っても親子で楽しめる小さなハイキングコースのようなもの。
手摺も設置されているし、疲れたら休憩出来るように脇道にベンチもある。
ここを登り切るとクローバーの絨毯。
子供が元気に走り回れる広さ。
そして何より。ここから見る景色は綺麗だ。
地元の人だけが知る、絶景デートスポット。
昼間もいいけど、夜は夜で美しい夜景が飛び込んでくる。
「ふぅ……」
最後に見たのはいつだっけ。
あのときは昼間だったから、夜景は今日が初めてか。
声の主は僕をここに連れて来たかったのだろうかと、考えていると視界に映る景色が変わった。
見覚えのある街並み。
多くの人で賑わっていた。
僕の意識は正常かと問いたい。
だって、そこには……。作られたはずのキャラクター、シオンがいて。
その隣にはメイド長だったメイも。
「あ……っ、ぁ…」
姿形は違うけど。僕にはわかった。
あの二人は紛れもなく……。
膝から崩れ落ちて、乾いた地面を涙が濡らす。
僕が理不尽に奪った命は、ここではない世界で生まれ変わっていた。
異世界転生なんて非科学的にはありえないこと。
そうであって欲しいという僕の願望かもしれない。
それでも。確信しかなかった。
「ごめんね藤兄。私のせいで罪を冒させてしまって」
「わたしがもっと頼りになる母親だった、貴方一人に苦労を押し付けることもなかったのに」
「大好きだよ藤兄。もう私達のことで、苦しまないで」
「もういいのよ。前に進んでも。誰も貴方を責めたりしないから。愛してるわ、藤」
……目の前で宙に浮く、白銀の髪をした少女。
痛いくらいに悲しく微笑む。
闇よりももっと黒い闇色が少女を飲み込もうとする。
「生きて……。幸せになってね」
その言葉を最後に、僕の目には現実しか映らなくなった。
真っ当に生きた人の魂は、廻り巡って新しい魂になる。
前世の記憶を思い出す確率のほうが低いだろう。
「生き、てて……良かった」
殺した僕が思うようなことではないかもしれない。
心の底から良かったと思う。
生きててくれたことを。
優しい人達に囲まれて、温かい国で、幸せに。
「どうか理不尽のない、優しい人と共に、今度こそ幸せな未来を……」
僕のことなんて忘れて。
幸せな記憶で過去を塗り潰して欲しい。
二人に新たなる生を授けた神様に捧げた。
願いと祈りを。
図々しく身勝手であると承知の上で。
どうか生きて欲しい。
明日を望めるような幸せな毎日に彩られて。
新しい世界で。
「僕は……やり直しても、いいんだろうか」
前を向いて生きていくのに、その先に進むことだけは躊躇ってきた。
わかっている。やり直す資格が僕にはないことは。
消えない罪を背負い罪人として生きていく。
それはやり直すことなく、今の僕のまま生きて死んでいかなくてはならない。
わかって……いるのに。
変わらずにはいられない。
それを望む家族がいるから。
「僕を産んでくれてありがとう。僕の妹に生まれてきてくれてありがとう。」
届くことのない感謝は夜空に消える。




