痛みの記憶〜エゴは願いではなく祈り〜【セリシール】
夢……にしてはやけにリアルで、現実にしてはすごく痛かった。
私は顔が黒く塗り潰された少女で、夢の主人公といったところ。
詳しい背景はぼんやりとしていたのに、しっかりと覚えていることはある。
それは、息が出来ないほどの苦しさ。
鮮明に浮かび上がってくる感情に耐え切れない。
大粒の涙が溢れる。止まらない。
痛い。痛くて……苦しい。
「お嬢様!?どうなさいました!?」
ノックしても返事がない私を心配した侍女が様子を見るために入ってきた。
震える体を抱きしめるように、泣くだけの私に駆け寄っては背中をさする。
その手は優しくて温かい。
「泣いてるの?」
それは……優しい声。
顔を上げるとシオン様がいた。
驚きながらも涙は止まってくれない。
シオン様がいるわけがないからだ。
これは夢。そうだ、夢の続きに違いない。
「あ……」
指が私に触れた。涙を拭ってくれる。
悲しそうに笑うから……。
私の胸は締め付けられた。
「少しだけ三人にしてもらってもいいかしら?」
「三人?」
シオン様の後ろからノアールが現れた。
黒髪黒瞳がシオン様であることは、この国の人なら皆、知っている。
私達だけではなく、レイアークス様の側近候補でもあったイスクとラントが、シオン様を存分に語った。
見た目の美しさだけでなく、清い心を持っていて、誰かの幸せを一番に祈ってくれる。
聖女と女神が合わさった存在。
聞き手も大袈裟だと笑うことはなく、すんなりと受け入れたのはマントの下から覗く火傷を綺麗に治してくれたから。
どんな物も飲み込んでしまう闇魔法をあんな風に使いこなすのは、並の努力ではない。
イメージをハッキリとさせても、万が一のことを考えたら失敗する。
それどころか、その万が一が起こりうるかもしれないのに、完璧なまでにやり遂げた。
不屈の精神を持った人でも難しいことされることを。
人は誰でも恐れる。自分が誰かを傷つけてしまったらと。
恐怖や不安は失敗への一歩。
ではなぜ、出来たのか。
シオン様が優しくて、救いたい気持ちが何よりも強いからである。
失敗したら……なんて考えない。目の前にいる人を救い助けたいだけ。
優しさの化身。
侍女は深々と頭を下げて退室。この場をシオン様に任せてた。
「あ、あの。どうやってここに?」
現れるタイミングがあまりにも良すぎる。
入り口から入ってきたわけではなさそうだし。
本当に突然、そこに現れた。
国を行き来する魔道具があったとしてと、五日もかかる長距離では一回使えば溜めていた魔力は空になる。
莫大な魔力が溜まり、魔道具として使えるようになるまで何ヵ月かかることか。
「ノアールの空間魔法よ。セリシールに呼ばれた気がして、急いで来たの」
【みゃっ!】
確かに私は会いたいと思った。
何を話すわけではない。
無性に会いたくなっただけ。
──私のためにわざわざ来てくれたんだ。
その事実だけが嬉しくて……。
「何があったのか教えてくれる?」
話した。夢の内容を。
震える声で、ゆっくりと。
ぼんやりとしか記憶にないのに、鮮明に覚えていることに疑問すら抱かない。
「大丈夫よ、セリシール。それは夢。ただの夢よ」
話し終えると抱きしめられた。
そこにある確かな温もり。
穏やかな声は安心をくれる。
夢の少女は全てを諦めていながらも、愛されたいと願っていた。
独りが嫌だと誰かに縋りたい気持ちを隠す。
言葉を飲み込む。
生まれてきた罪悪感に苦しみながらも、生きなくてはならない辛い日々。
生きることを否定するのであれば、いっそ
「死んでくれと、言ってくれれば」
望んでさえくれたら、喜んで命は捨てられた。
人生でたった一度でも役に立てる。そんな嬉しいことは他にない。
「(生まれ変わってもこの子はシオン。魂が前世を記憶しているのね)」
少女の人生が本当に夢であってくれたのなら……。
【なぁう】
ブランシュが体を擦り寄せてきた。
私はこの温かさを知っている。
寂しいときにはいつも隣にいてくれて。
私よりももっと、泣きそうなシオン様に伝えたいことがあった。
唐突で、なぜこのタイミングなのかは私にだってわからない。
ただ、伝えたいんだ。
「私はシオン様の髪の色、好きです!」
「え?ええ、ありがとう」
「綺麗だと思います!瞳の色だって」
シオン様と少女が重なる。
想いは口にして初めて伝わる。
秘めておくだけではダメなんだ。
「私も好きよ。セリシールの髪色」
割れ物を扱うかのように優しく、シオン様の手が髪に触れた。
愛おしそうな瞳にドキッとしてしまう。
漆黒の瞳に吸い込まれそうになっていると、元気いっぱいのノアールが飛んできた。
【みゃあ!!】
「ふふ。ノアールも大丈夫って、言ってくれてるわ」
肩の上に乗ったノアールをブランシュの隣に寝かせた。
──私の膝が天国に……!!
贅沢。嬉しさのあまり顔がニヤけてしまうのが抑えられなかった。
うう、だらしがない。
「その様子だと痛いのは吹き飛んだみたいね」
「えへへ」
夢だと割り切って、あの少女は私ではない。
そう思ったところで感じた痛みが簡単に消えてくれないから、困るんだよな。
ブランシュとノアールを抱きしめてると癒されるけど。
「シオン様。シオン様が生まれてきた理由はきっと、ノアールと出会うためです」
「ん?どうしたの、急に」
「知って……欲しいから。シオン様は独りじゃないって」
声が小さくなっていく。
言っている途中で気付いた。
シオン様は独りではない。ノアールがいて、周りには多くの人もいる。
溢れんばかりの幸せが降り注ぐ。
シオン様の家を囲むように咲き誇る四つ葉のクローバーの数よりも、もっといっぱいに。
イスクとラントの五感が治るまでの間、リーネットに滞在。
私はシオン様の家に泊まらせてもらい、すぐ隣に桜を咲かせた。
ずっと見ていて欲しかったから。
鮮やかで目を奪われる桜を。
私のエゴを押し付ける形になったのに、嫌な顔せず喜んでくれたシオン様にはこの先ずっと、笑顔でいて欲しい。
もちろん。未来の見えない人生を幸せだけで生きていくなんて不可能。
間違いや正解を繰り返しながら、時には後悔だってするだろう。
何度失敗しても、独りじゃなかったらやり直せる。
痛みや苦しさに押し潰されそうになっても、半分を背負ってくれるなら……。
「セリシール」
「は、はい」
「ありがとう。私の幸せを願ってくれて」
「願うだなんて、そんな……」
これも私のエゴ。
そしてこれは、願いではなく祈り。
今が幸せだとしたら、今よりも幸せになって欲しいと。
痛みや苦しみで泣いて欲しくはない。
「セリシールの生まれてきたのは、きっと幸せになるためよ」
──あぁ、このエゴは……。
最大級だ。私の持てる力や時間、命さえも懸けて純粋なまでにシオン様には幸せになって欲しい。
生まれてきて良かったと、ありふれた言葉を胸に。




