秘密の告白【アルフレッド】
「シオンに言うべきですかね」
「言えばいいんじゃないのか」
叔父上の執務室を訪ねると僕の好きなお茶が出された。
飲みながら相談をすれば、めんどくさそうな返事が飛んでくる。
「というか。言うつもりで呼び出したのだろう」
「それは……そうですけど」
ブルーメルは予想通り死んでいた。
直接、この目で確かめたから間違いない。
異種魔物の住処には四人分の骨が散乱しており、食べられなかった髪の毛の色からブルーメルであることは明白。
僕と目が合った異種魔物は大きな欠伸をしながら無関心。
危害を加えるつもりはなく、見に来ただけの僕は襲われない。
「嫌われたらどうしよう」
聞けば。シオンは処刑を望まなかった。
僕の選んだ行動はシオンの意志に反している。
──捕縛だけにしておけば良かった。
万が一に備えて叔父上に口添えをしてもらおうと、敢えて執務室にシオンを呼んだ。
兄上は今日、シルコット嬢とデートなのでここにはいない。
叔父上は仕事を格段に減らされ暇を持て余している。
レックが他国の魔物討伐要請で出向くのは今日。
早ければ二日で辿り着く国ではあるが、討伐するのは上級異種魔物。
僕がまだ留学していた頃。レックは死にかけた。
ただの魔物であったのならレックは遅れをとらなかっただろう。
予測不能の動きをする異種魔物は厄介。
今でこそ叔父上のおかげで魔物と互角に戦えるようになったが、まだまだ未知の魔物は多い。
だからこそ。命を懸けて戦う騎士には敬意を払う。
そして……。誰よりも弟であるレックの無事を願う。
贔屓だと言われようが、弟と安全を願わない兄がいるものか。
「そんなことで嫌いになるほど、シオンの心は狭くないだろ」
否定しない。
シオンは優しくて、温かい気持ちにしてくれる。
それ故にシオンを嫌う人間なんて一人もいないのだ。
隣国の奴らは別として!
「僕は僕の正義のまま行動に移した。それがシオンのためになると信じて」
僕の正義とシオンの正義は別物。
好きな人を泣かせた代償を身を持って支払わせただけ。
喜んでもらえる確信なんてないのに。
信じたかったんだ。シオンなら喜んでくれると。
「来たみたいだぞ」
叔父上は足音で人を判別する。
特別難しいことではないと本人は言うけれど。
未だに叔父上以外、それを出来ている人を見たことがない。
天才と凡人の“簡単”は別物。
「失礼しまーす」
ノックと同時にシオンが入ってきた。
──ダメだなぁ。
シオンを見ると胸が高鳴る。
好きが溢れ出す。
初恋はそんな簡単に終わってはくれない。
フラれた当初はずっと胸が痛かったし、人前でだけ気丈に振る舞って一人になって泣くだけの日々。
何もしなかった後悔に押し潰されながらも、友としてシオンの傍にいると決めた。
本当は隣にいたい気持ちを抑えながら。
「ごめんね。急に呼び出して」
「ううん。全然いいよ」
「ノアールは一緒じゃないんだ」
「王妃様の所でお菓子を食べてる」
ノアールと戯れるつもりだった叔父上が小さく息をついた瞬間を、シオンは見逃さない。
家族にさえこんなにも素を出すことはないのに、シオンの前では自然体でいられる。
叔父上にとってシオンは特別なのだろう。
出会ったときから特別扱いをしない、引かれていた線を飛び越えてくれた唯一だから。
その“特別”が恋心か友情か。僕には判断がつかない。
生まれてこの方、誰かを好きになったこともなければ、好きかも?と思ったことさえないとか。
王族としての義務は果たすが、特別な感情を抱くことはない。
それが当たり前であるかのように割り切る。
「私単品だと、そんなに不服ですか。宰相閣下」
「その呼び方はやめろ。聖女様」
喧嘩越しに見える会話からも仲の良さが滲み出る。
僕はシオンが好きだ。
揺るぎない想いは今もこうして胸に刺さる。
それなのに。叔父上とシオンが二人の未来を築き上げていく姿を想像すると、口元が綻び笑みが零れた。
シオン自身も気付いてないだけで、ノアールと接するときのように叔父上とも接している。
それが意味するのは一つだけ。
シオンにとって叔父上は、ノアールと同じ“特別”であるということ。
好きだからつい見てしまう。
見てしまえば気付く。
もちろん。それが好きかどうかはまだ決まっていない。
特別にだって種類はある。
──僕は……どっちだったら嬉しいんだろうか?
叔父上は何もしなかった僕と違ってシオンが苦しいとき、手を差し伸べて助け出した。
何よりも欲しかった言葉を……伝えたんだ。
僕なんかよりも叔父上に惹かれるのは当然。
シオンが幸せに笑っていてくれるなら、誰が隣にいてもいいはずなのに、それは僕でありたかったと未練がましく思う。
「そうだアル。私に話があるんだよね」
「え、あ……うん」
どうしよう。まだ心の準備が出来ていない。
用件を忘れたと嘘をついて先延ばしにするのは簡単だ。
一度でもそれをしてしまうと都合の悪いことは全部、先延ばしの癖になる。
積み上げた信頼を自らの手で壊すほど、僕は愚かではない。
嫌われたくないからと逃げるのは卑怯者。
僕自身が向き合うことじゃないか。
心臓が妙に高鳴る。
緊張……しているのかな。
「ブルーメルのことなんだけど」
シオンの眉が動く。
名前を聞くだけで過去の出来事を思い出しているんだ。
「リーネットに帰ってくるときにね。ブルーメルを森に放置したんだ。魔物に喰わせるために」
段々と声は小さくなっていく。
シオンの顔が見られずに俯いてしまう。
打ち明けた。土壇場になって閉ざしたかった秘密を。
嫌われて……しまっただろうか。
「アル」
名前を呼ばれてそっと顔を上げる。
シオンは悲しそうに目を伏せた。
「私のせいで苦しい思いをさせてごめんなさい」
「謝らないで!だって……悪いのは全部」
僕だから。
勝手な思い込みでシオンの気持ちも確かめないまま……。
シオンを言い訳にしたんだ。ブルーメルを断罪するための。
優しさが具現化されたようなシオンは、僕のしでかしたことに心を痛めてくれる。
「私ね。多分……彼らのことが一番嫌いだったんだと思う」
「うん」
ブルーメルはシオンが血の繋がらない孫だと知っていながら、人殺しと罵り続けた。
溺愛する娘が死んで気が動転していた、なんて通用するのは一度だけ。
その後だって何度も、憂さを晴らすかのように幼いシオンの心を傷つけた。
「もう二度と会わなくて済むのならって、思うときもあったわ」
「うん……」
「だからね。何が言いたいかって言うと。ありがとう」
淀むことのない純粋な謝意。
川を流れる水のように清く透き通っている。
僕は感謝をされることなんてしていない。
昔、どこかの国の誰かが言った。
感情は目に見えないと。
その通りだと思った。
感情とは主観的な気持ちや感覚であり、形としてこの世に存在しない。
でも……。僕の周りには優しい人が溢れていて、その優しさは目に見えていた。
シオンの持つ優しさは、他の人と比べ物にならないくらいに優しくて。
綺麗なんだ。シオンは。
僕なんかと比べることさえ、おこがましいほどに。
叔父上は言った。
父上は太陽みたいな人。近づきすぎると身を焦がす。
まさにそれだ。
太陽のように眩しくて、月のように綺麗なシオン。
特別な感情を抱くには充分すぎた。
そんな優しい人を利用にしてまで僕は……。
「アル。泣かないで」
困ったように笑いながら差し出してくれるハンカチを受け取ると、得体の知れない黒い物体が刺繍されていた。
意識はすっかりそっちに向いてしまい、涙は止まる。
黒い丸……?いや、尖った部分があるぞ。ということは生き物。
シオンの傍にいる黒い生き物といえば
「ノアール?」
「そう!わかる!?」
「や………ごめん。ノアールには見えない」
正直な感想を述べると心底落ち込んだ。
──え、そんなに?
意外に不器用なんだ。初めて知った。
悔しそうに刺繍とにらめっこをするシオンに思わず吹き出す。
この一枚を仕上げるのにどれだけ苦労したのか。
時間がかかっても丁寧に、愛しくて大好きなノアールのことを想いながらひと針ひと針縫ったに違いない。
慣れないことにも一生懸命に頑張る姿を想像するだけで、愛しさが湧く。
「刺繍ならさ。叔父上に教えてもらいなよ」
「え……出来るの?」
「上手だよ。聞くところによれば、刺繍が苦手な母上に教えたのも叔父上だとか」
「レイってなんか、もう……色々と……」
「ふふ。だって叔父上は完璧だからね」
「いつまで居座るつもりだ。もう用が済んだら早く出て行け」
無視しているとその内、不機嫌になるので退室を余儀なくされる。
「レイ。怒ってたね」
「叔父上には関係のない話だったから」
いて欲しかったんだ。誰かに。
シオンに嫌われて落ち込む僕を慰めて欲しくて。
「アル。本当にありがとう。私のために嫌な役目を引き受けてくれて」
太陽よりも眩しい微笑み。
──やっぱり好きだなぁ。
僕がシオンを忘れられるのは、まだまだずっと先。
もしかしたら一生、忘れられないのかもしれない。
アユラはそれでいいと笑う。
好きな人を、好きだった時間を忘れる必要なんてないと。
僕達の心が互いに向き、惹かれ合うことがないとわかりきっている未来を築く。
軽視しているからではなく、尊重しているからこそ。
一度きりの人生で、自分の全てを懸けてまで愛したいと思う人と出会えるのは奇跡だから。
例えそれが、叶わない恋だとしても。




