特別は愛しさに【レクシオルゼ】
いつからだろう。
シオンが呼んでくれる俺の名前が特別に聞こえ始めたのは。
女神だったんだ。本当に。
漆黒の瞳から流れる涙は美しくて。
胸の高鳴りが恋でないことだけは確か。
好意ではなく厚意。
シオンが笑うと俺も嬉しい。声を聞くと愛しさが湧く。
好き……だと、自覚してしまった。
「オルゼ?」
「え?あぁ……えっと。あ、叔父上だっけ」
「うん。なんか気を遣わせているのかなって」
「それはないよ。だって叔父上。金より銀が好きなの事実だし」
「それは本当なんだ」
俺も驚いた。父上の持つ金色ではなくて銀色なんて。
だから聞いた。どうして銀色が好きなのか。
「好きになったらいつか、嫌いになってしまうかもしれないから。金色より銀色が好きなんだって」
「ふーん。じゃあいつかは、嫌いになるんだ」
とっくに黒くなった髪を触りながら、どこか他人事のよう。
「ならないよ。嫌いには」
「どうして?」
だって銀は……白銀はシオンの色だから。
好きな人の色を嫌いになったりしない。絶対に。
叔父上はそういう人だ。
理由を語れるわけがないから笑って誤魔化す。
シオンは腑に落ちない顔をしながらも、追求はしてこない。
「それよりさ。アル兄様に会いに来たんだよね」
「うん。約束の時間はまだ先だから、オルゼに会いに来ちゃった」
「ん……」
そんな些細なことが、どうしようもなく嬉しい。
わかっている。シオンに友達に会いに来ただけ。
勝手に浮かれている俺と同じ想いなわけがない。
それでも……。嬉しいものは嬉しい。
そういう感情は素直に持つことにしている。
勢い余って感情が爆発することはないけども。
こうして一緒にいられることが嬉しい反面、アル兄様に罪悪感を抱く。
一途に大好きで身分を隠して留学するほどに、アル兄様の心にはシオンしかいなかったんだ。
帰国したアル兄様は会いに行ったシオンに告白をして……望んだ返事は貰えなかった。
二人にはこれといって接点はなく、それでもどこかで信じていたかったのだろう。
運命の相手は自分であると。
シオンの幸せの中心にいるのも、未来を共に築いていくのも。
気丈に明るく振る舞うアル兄様ではあったけど、笑顔は暗く必死に言い聞かせているみたいだった。
もう大丈夫だ、と。
恋なんてしたことのない俺が失恋の痛みなんて知るはずもなく。
無神経に聞くわけにもいかず想像するしかないんだ。
俺が生きてきた中で一番の痛みはシオンがいなくなりかけたとき。
酷いなんて表現では表せられない残酷な言葉を吐かれた。
グレンジャーの……自らの妻が冒した罪を認めるでもなく、一方的にシオンだけが悪いと決めつけて。
あまつさえ、死ねば良かったなんて、そんなの……あんまりだ。
いくら血が繋がっていなかったとはいえ十六年、同じ屋敷で過ごしてきたのに。
よくもまぁ、あんなにもスラスラと傷つけるだけの言葉が出るもんだ。
軽蔑を通り越して一瞬、尊敬さえしてしまった。
気の迷いってやつだけどね!!
「オルゼは今日から行くんだよね。討伐」
「うん」
リーネットでは魔物の被害はもうない。
闇魔法の加護とは別にシオンが毎日、祈ってくれているからだ。
大雨の日も、雪が振ろうとも欠かさずに。
そのおかげなのか予想よりも早く被害は減っていき、今では平和そのもの。
天候だって国民が望むように左右される。
病は祈りとリンゴで流行ることはなくなった。
怪我はどうしようもないけど、街や村に多くの回復魔道具を置けるようになり、更には魔力石もこれまでの倍予備があるので最悪の事態は免れる。
俺が討伐に行くのは国内ではなく国外。
叔父上がしていたことを引き継ぎ、要請があった国に第二騎士団総出で向かう。
もうないとは思うけど、万が一に魔物が現れても叔父上がいるから安心。
「危険……だよね」
「異種魔物の巣窟だからね。でも、大丈夫。俺も団員も強いから」
泣いてしまいそうな顔で心配されると、「大丈夫」しか言えない。
心優しい、傷ついた少女。
無意識に抱きしめていた。
「好きだよ、シオン」
隠しておかなくてはならない思いが溢れ出す。
討伐で怖いのは死。
自分ではない。部下の命が目の前で失われていくことがだ。
実力で団長の座を勝ち取ったとはいえ、俺は叔父上のように“最強”ではない。
第二騎士団が討伐隊と呼ばれていた頃、隊員の死は最上級魔物と戦った一回だけ。
それ以外の討伐では負傷することはあっても、命が消えることはなかった。
実力があるのは当然のことながら、叔父上の指揮や連携の高さ。
それらは全て並の努力では手に入れられない。
──あの討伐だって!討伐隊は負けていない。
叔父上は勝ったんだ。確かに。魔物の頂点に君臨していた、最上級魔物に。
犠牲は出してしまったけど……。
絶対にあれは負けじゃない。
「えへへ。なんか改めて言われると恥ずかしいね。私もオルゼのこと、好きだよ」
恥ずかしいと言いつつ、照れた感じはない。
慣れているわけではないけど、好意ではなく厚意だと思っているからだ。
俺としても深く考えられると困るので、その返しは助かる。
体を離しても温もりは消えない。
それは俺に勇気を与えてくれた。
「そろそろ行かないと」
「オルゼ!!」
立ち上がると手を掴まれた。
「嫌だからね。オルゼのあんな姿を見るのは」
瀕死だった俺を思い出しては手が震えている。
出会いが最悪だったからな。
あのときの俺は俺に出来る精一杯をしただけ。
目の前で部下が死ぬくらいなら、喜んで命を差し出せる。
全身に火傷を負い、痛いや熱いを通り越して感覚はなかった。
指の一本でさえ満足に動かせず、死を受け入れた瞬間。
俺でさえ諦めた俺のことを救ってくれた人がいた。
いつだって死が遠のいていく。
新鮮と驚き。安心さえもが押し寄せてきたのを覚えている。
「お願いよ、オルゼ。約束して」
震えているのは手だけではない。
今にも泣いてしまいそうな声。
自惚れてしまいたいな。
さっきの「好き」が俺と同じ想いだと。
「俺は聖剣の持ち主だよ?大丈夫。負けないから」
どんな魔物が相手だろうと、意表を突かれることはもうない。
叔父上との稽古で確実に強くなった自信はある。
死の恐怖を忘れさえしなければ、同じ失態は繰り返さない。
聖剣は魔剣と同じく魔法をも斬り裂く。
特別な能力が宿っているわけではない。
正しい心が強ければ強いほどに、斬撃の威力が増すくらいかな。
「オルゼの強さは信じてる」
この目だ。
力強く真っ直ぐと俺を見てくれる目を、俺は好きなった。
王族でも団長でもない。レクシオルゼと接してくれるシオンは特別で。
好きの想いを持ちながらも、傍にいて話が出来るだけで満たされる。
──俺の恋はスウェロ兄様やアル兄様と違うのだろうか?
結果としてアル兄様はシオンを諦めてしまったけど、本当は誰よりも傍にいたいし、シオンの特別になりたかったはずなんだ。
「シオン。もしも嫌じゃなかったら、祈って欲しい。一人も欠けることなく帰ってこられるように」
「嫌だなんてそんな……!!祈るもよ!!」
俺の手を包んでは、祈ってくれるシオンの体が淡く光る。
流れ込んでくるものは温かく、不快感など一切ない。
魔力が増え、体が軽くなった。今の状態を表すなら無敵。
頭でイメージした動きを完全に再現出来そうな。
「ありがとう。おかげで負ける気がしなくなった。行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
向かうは東に位置する国。
魔物被害が相次ぎ、異種魔物が巣を作った。
今も数は増え続けている。
恐怖はない。
俺は魔物から人を守りたくて第二騎士団を希望し、団長の座まで上り詰めた。
命可愛さに背を向けることない。
シオンの祈りと加護が与えてくれた力。
自分でも怖いくらいに冷静だった。
視界はいつもよりクリア。語感が研ぎ澄まされている。
心は穏やかで、風に流れる雲のよう。
好きな人を泣かせる趣味はないから、俺は生きて帰ってくる。
胸に誓って、リーネットを出発した。




