罪の重さ。義務として……【ブレット】
「ということで。ブレットと友人になったからよろしく」
昼過ぎ。スウェロ殿下が店を訪れた。
贔屓にしてもらっているので来てくれることは珍しいことではない。
そう。来てくれること自体は。
殿下はいつも笑顔だ。
おおらかで朗らか。誰にでも優しくて平等。
婚約者をとても愛していて、魔法の才能も兄弟の中で優れている。
御伽噺だと思っていた派生魔法の持ち主。
王の器だと言う人もいた。
そんな雲の上の存在でもある殿下と私が友人?
どんな都合の良い耳をしていたら、そう聞こえるんだ。
そもそも聞き間違いか?今のは。
どう反応するのが正解かわからず、しばらく固まってしまう。
わざわざ冗談を言うためだけに来るような人ではない。
レイアークス様の跡を継いで宰相になるため日々、努力を怠らない真面目が売りのような人だからな。
「ブレット?」
「あ……すみま、え……?仰っている意味がよく……」
生粋の貴族ならともかく、私は平民上がり。
婿養子で、男ということだけでフェルバー商会の店主を任せてもらっているだけ。
そんな何も持たない私が恐れ多くも殿下と友人になるなど……。
あってはならないこと。
「難しく考えなくていいんだよ?」
「殿下。お気持ちだけ受け取らせて頂きます」
「嫌かい?私と友人になるのは」
「い、いえ!そういうわけでは」
なりたくないのは、そういう風に捉えられるのだろう。
ハースト出身である我々、フェルバー商会がこの地に温かく迎え入れられたのはシオン様の温情と王族からの口添えがあったから。
そうでなければシオン様を虐げてきた国の人間を、受け入れてくれるはずがない。
シオン様はずっと苦しんで生きてきた。
愛されることも、存在が認めらることもなく。
望まれることは“死”のみ。
誰かに助けを求めることさえ許されず、ただひたすらに独りぼっち。
見て見ぬふりが愚かであると知りながら私は手を差し伸べることもしなかった。
保身に走り、守るべきもののために小さな女の子を無視して傷つけることを選んだ。
国を出ると聞いたとき、せめてもの罪滅ぼしとして私が持つ情報を広めた。
下級貴族から始まり、どんどんと国に浸透していく。
小公爵様に睨まれたときは肝を冷やしたが、不思議と恐怖はなかった。
本当に怖いのはシオン様の名誉を傷つけることに加担すること。
噂を撤回するということは、そういうことなのだ。
虐待やいじめはない。シオン様にまつわる噂は真実である。
私の口からそう言わせて噂の上書きすることで、自分達こそ被害者であると印象付けようとした。
小公爵様達は知らないのだろう。
存在を無視されることの辛さや、望まれぬまま生きることの痛みが。
生まれたときから人より優れ、人の上に立つことが決まっていた。
魔力だって王族をも超えると多くの人から羨望の眼差しが向けられる。
特別だったあの方達からすれば、闇魔法を持ったシオン様は蔑み憎むべき相手だったのかもしれない。
それでも……!!
生まれただけだった。シオン様はただ、この世界に。
せめて弱味を見せないようにと、強く振る舞うことで悪女になってしまっただけだと私は思っている。
あんな劣悪な環境で育てば、考え方は歪み、生き方は間違ってしまう。
間違っていることを教えてくれる大人がいないのに、正しく成長出来るはずがない。
「ブレット。私はね。君を尊敬しているんだよ」
「はい?」
聞き間違い……にしてはハッキリしていた。
──だとしたら今のは願望?
そっちのほうがありえないだろ。
すぐさま否定した。
自らの立場は理解している。
私が殿下を尊敬することはあっても、殿下に尊敬して欲しいなどと思ったことは一度としてない。
当然だ。
私のような……罰を受けていない罪人が高貴なお方と対等を望むなど。
分不相応どころか不敬。
ハーストの国民は王族も含めて皆、罰を受けている真っ最中。
私達だけが国を出て、シオン様の加護に守られた新しい国で悠々自適な暮らしを送っている。
罪の重さなら、私が一番なのに。
知らなかった彼らよりも、知っていた私のほうが罪は重く、誰よりも先に裁かれなくてはならなかった。
「君は自分よりも強い者に立ち向かった。理不尽に抗う様に。正せなかった間違いを正そうとするように」
呟くような優しい声色。
「誰にでも出来ることではない。そんな君の勇気を私は尊敬しているんだ」
芯の強い瞳は私の心を揺らす。
目を……逸らせなかった。
穏やかなのに、空気が肌に刺さる感覚。
開けていた窓から吹き抜ける風が心地良い。
隠していた本音が引き出されるかのように、口を開いていた。
「何もしなかったから……。罪悪感を減らしたかっただけです」
シオン様のためと言えば聞こえはいいが、本当は自分のため。
私が、許されたかったのだ。
何せずに傷ついていくだけのシオン様から目を逸らしてきた事実を。
私は婿養子で、妻の実家や従業員に迷惑をかけたくないと最もらしい言い訳を並べて。
何もしてこなかった自分を正当化するだけの日々を。
罪滅ぼし?そんなもので私の罪は消えない。
両手で顔を覆い、泣いてしまうのを悟られないように俯いた。
下を向いてしまったことにより涙が溢れ出す。
「ブレット。君はずっとシオンを助けていたじゃないか」
声がすぐ近くで聞こえる。
顔を上げれば正面にいたはずの殿下が隣に移動していた。
驚きと緊張により、涙は止まる。元からそんなに流れていたわけではないが。
「シオンが地下に閉じ込められていたとき、用もないのに屋敷を訪れていたのはなぜ?」
「それは……。シオン様が祭りの日は必ず、地下に閉じ込められると聞いたから」
初めは偶然だった。
喜んでもらえるかもわからない商品を持って訪ねると、部屋はものけのから。
しばらく待っても誰も来ない。
不審に思い、当時のメイド長を捜し声をかけると、すぐさま他の使用人から居場所を聞き出した。
小公爵様によって地下に閉じ込められていたシオン様の状態はあまりにも……。
一体どれだけの間、閉じ込められていたのか。
あと数時間、発見が遅れていたら確実に死んでいた。
魔力を封じる魔道具を付けられていたせいで、魔法を使って扉を破壊することも不可能。
本気で殺すつもりだった。幼い少女を。
誰にも見つからないような地下に閉じ込めて。
その日の帰り際、たまたま耳にしてしまった。
これから祭りの日は地下に閉じ込めて、外に出さないようにすると。
全てはグレンジャー家の名誉のために。
話していた使用人はいい気味だと笑っていた。
何十回と繰り返すつもりなのだ。今日みたいなことを。
それでもし、シオン様が死ぬようなことがあっても悲しむ者などいない。
存在なんてすぐに忘れ去られて、地下で死体は腐っていくだけ。
そんな当たり前を想像すると胸が痛かった。
だってそうだろう?
シオン様があんなワガママな性格になったのは、あの屋敷にいた全員のせいだ。
部外者である私が気付けることを、中にいる人間がなぜ気付けないのか。
答えは簡単。
どうでもいいんだ。シオン様のことなんて。
世界を滅ぼそうとした闇魔法を持っているだけで悪。
例えば。心が荒れずに真っ直ぐな性格で育ったとしても悪女だと貶す。
「地下から連れ出すのは、助けるにならないかな」
「え……。いや、あれは……」
どんな理由があろうと、理不尽に殺されていいはずがない。
それに、助けたのは私というよりはメイド長。
屋敷を訪ねただけの私が、助けたと言うのはおこがましすぎる。
他人の手柄を横取りするつもりは毛頭ない。
「ブレットは裁いて欲しいの?」
心臓が……はねた。
さっきまでの心地良さはなくなり、息苦しいわけではないのに呼吸が浅くなっていく。
殿下は魔法を使っていない。魔力の放出も。
ただ笑顔が消えただけ。
優しさなんて感じられず、真剣な表情に圧倒される。
笑顔しか似合わないと思っていた殿下の新しい一面。
「理由を作って罪人になって、裁かれれば満足?」
「罪を償わずに幸せになるなんて、許されるはずがない」
「誰からの許し?」
「もちろんシオ……」
違う。シオン様は私を罪人と思っていない。
助けようとしなかったことへの恨み言もなく。
逆に私に許さないでと言った。傷をつけてしまったことへの罪を。
「そうか。俺は……嫌なんだ」
償うことなく罪を許されてしまえば、何もしなかった事実が消えてしまいそうで。
罰を受けずに許されたら、俺の行いが正当化されることになる。
そんなの耐えられない。
──罪人は等しく裁かれるべきだ!!
それは願いでもある。
許されたくないだけのワガママ。
「罰にはならないけど、ブレットには一つだけ確かな義務が課せられているよ」
「義務?」
「そう。君が救わなかったあの日の傷ついた少女が、何十何百倍もの幸せな世界で生きていく姿を見届けるんだよ」
泣かない人だったから、きっと笑わないと思っていたんだ。
再会したシオン様は、もう私の知る少女ではなかった。
黄金よりも美しく輝いてしまいそうな漆黒の瞳に影が落ちることなく、幸せ溢れるオーラを纏う。
生きることへの絶望ではなく、未来に進む希望を手にしていた。
「見届けます。最後まで。シオン様の人生を」
裁かれたい気持ちに変わりはない。
幼い子供が受けるにしては残酷な傷を負った。
あの屋敷に居続けたら心が壊れていくと知りながらも俺は……。
今回もまた自分のために、シオン様の気持ちを無視しようとした。
「まぁ、敢えて君の罰を挙げるとすれば、罰を受けないことが罰、なんじゃないかな」
「殿下は……面白い方ですね」
どこの世界にこんなに王子と話せる商人がいるのだろうか。
普通は従者に任せるものだ。
ハーストの王妃殿下はフェルバー商会のお得意様になってくれたが、注文は全て侍女を通して行われていた。
欲しい物があれば使いを寄越すか、呼び出すかすればいい。
──自分から出向くのは殿下だけでは?
旅商人とのやり取りとも、間に人を置かずに自分でしているとか。
婚約者へのプレゼントも国境を超えて買いに来てくれたな。
あのときは流石に従者はいたが。
そもそも。国内とはいえ従者や護衛も付けずに出歩くことが問題ではないだろうか。
強すぎる殿下なら一人でいてもいいのかもしれないが、第一王子なわけだしその辺は考えて欲しいな。
「罰を受けないことが罰、か……」
「だってシオンは望んでいない。助けてくれた恩人を罰せられることを」
「そう、ですね」
今ではすっかり治った、跡さえ残っていない当時の傷口に触れる。
あの癇癪は心の叫びだった。
時が過ぎて、ああすれば良かったと後悔するくらいなら最初から、行動を起こすべきだったんだろう。
やり直したいな。もう一度。出会った頃から。
虐げるだけの国にいるんじゃなくて、隣国なら貴女の死を望む者は一人もいないと教えてあげたい。
「本当に私なんかと友人になっていいんですか?」
「シオンが大切にしている人だからね。お願いしてでもなりたいよ」
「本当に殿下は面白い方です。それでいて変わっている」
「初めて言われたな」
驚きと感心が混じった声。
長年一緒にいれば殿下の性格は当たり前になっていくだろうし、単に私の感想が間違っているだけかもしれない。
多くの人と接してきたが、王族とこんなに深く関わったのはリーネットが初めて。
レイアークス様がシオン様のためにと幾つかの装飾品を注文してくれたことで繋がりを持った。
細くて些細なことで切れてしまうかもしれない糸だったかもしれないが。
あれがあったからシオン様と再会出来て、幸せであることを知った。
不安だったんだ。もしもリーネットでも、同じような扱いを受けていたら……と。
幸せいっぱいの笑顔は不安を吹き飛ばしてくれた。
心からの安心と喜びが一気に押し寄せてきたんだ。
少しぎこちない笑顔も、これから自然になっていくのだろう。
そうしていつか、「生まれてきてくれてありがとう」と言ってくれる相手と巡り会ってくれたのなら。
それ以上は何も望まない。
レイアークス様は言わば、シオン様と引き合わせてくれた恩人。
感謝してもしきれないな。
「これからは困ったことがあれば力になるよ」
「ありがとうございます。スウェロ殿下」
「スウェロでいいよ」
立ち上がって腕を大きく上に伸ばす。
固くなった体解すかのように。
「いや、え……。殿下?」
「だって友人なのに敬称を付けるなんて、おかしな話だろう?」
圧の強い笑顔は頷く以外を許さない。
さっきまで吹いていた風が止んだ。
命令ではないものの、私を対等に扱ってくれている金眼に根負けした。
身の丈を忘れて立場を弁えないのではない。
そうやって自分に言い聞かせながら、覚悟を決めて名前を呼べば、幼さを感じさせるあどけない顔で笑った。




