変わった世界。変わった少女。変わらない人々【ユファン】
国は変わった。良いほうにではない。悪いほうにだ。
それは全て自業自得。受け入れるべき現実。
国民は何も変わらない。
こうなったことはシオン様を虐げてきた元公爵家と元大公家のせいだと、罪を擦り付けるばかり。
まるで自分達の行いは正しく、シオン様の味方で在ったと言うように。
慈愛に溢れたシスター達でさえ、会ったことのないシオン様を噂だけで判断し貶していた。
私も……その一人。
雲の上の存在でもあるシオン・グレンジャー公爵令嬢。
一生会うことのない高嶺の花。
私は彼女を噂でしか知らなかった。
たかが噂如きで、その人を理解した気分でいた自分が憎い。
初めて会ったシオン様はあんなにも美しく、悪女と呼ばれることが不思議なくらいだった。
「ユファンさん。治療をお願いしてもいいかしら」
朝のお祈りを終えて、院内の掃除に向かう途中で院長から声をかけられた。
シオン様に救われてから、月日が過ぎるのはあっという間。
私は修道院に入り、残りの人生を残らず他人のために使うと誓った。
誰かのために。
シオン様がそうしてくれたように私も……。
献身的に尽くし、そこに私の意志は必要ない。
ひたすらに努力をして、今では最上級魔法を扱えるようにまでなった。
どんな怪我も治せる魔法があろうとも、人々の心に安心が訪れることはない。
平和がないからだ。
何もかもが思い通りにはいかず、苛立つ。
魔物被害が相次ぐ中で、騎士の派遣が間に合わない村もある。
幸いなことに死者は出ていないものの、戦う術のない平民はいつもやられてばかり。
絶命さえしていなければ私の魔法で命が繋げる。
毎日のように修道院に怪我人が運ばれてきては、私は彼らを治す日々。
「すぐに向かいます」
踵を返せば護衛の騎士様二人もあとに続く。
アース殿下の計らい……というよりはシオン様が進言してくれた。
国民の怒りの矛先が私に向くかもしれないから護衛を付けて欲しいと。
それを聞いたとき、どこまでも無限に優しいシオン様の温かさに泣くしかなかった。
──私はあんなに傷つけたのに……。
魔力の暴走により周りを巻き込んで、優しいシオン様を傷つけ続けた。
その償いを出来ていない私の身を案じてくれるなんて、どこまでも優しい人なのだろうか。
学園に通っているときもそうだった。
平民が分不相応に魔力と、世界を救った光魔法を持ったことにより、嫉みの対象でしかない私がいじめられないように裏で動いてくれていたんだ。
闇と光は異なる魔法ではあるけど、隣り合わせの存在。
微弱だったけど闇魔法が使われると感知出来ていたし、使われた人には黒い霧がまとわりついていた。
霧はいつも私を疎ましく思っている令嬢に見えて、陰ながら私を守ってくれているんだと嬉しささえあったのに。
お礼を言うことは叶わず、あろうことかシオン様を陥れようとする発言ばかり。
しかも!!どんな理由があったにせよ、婚約者のいる男性と二人で出掛けるなんて以ての外。
ヘリオン様からシオン様を疑ったお詫びの品を選んで欲しいと頼られて、つい……。
最低なことしかしてこなかった私に、それでもシオン様はずっと優しくしてくれた。
「これでもう大丈夫ですよ」
足が切断されていた男性は立ち上がり、正常かどうかを確認するためにその場で足踏みをした。
異常がないとわかると、蔑むような目を向けられる。
「ふん!いい気なもんだな。俺達が危険な目に遭っている間も、お前はこんなとこで悠々自適に暮らしているんだからな」
そう言われることには慣れている。
修道院に入った頃はよく、近くの町から人が来ては私に敵意を向けていたのだから。
石を投げられることもあった。
シオン様がいなくなったのは、私がヘリオン様を寝取ったから。
グレンジャー家の方々を誑かそうとしたなどと誹謗中傷の日々。
暴漢に襲われたとき、派遣された騎士様が来てくれなければ、私は今頃……。
恐怖は未だに染み付いているけど、シオン様が抱えた恐怖と比べたら、私なんてその程度。
いつまでも引きずっていいはずがない。
「何を仰っているんですか?シオン様をこの国から追い出したのは、私達全員ですよ?」
私のせいだと責任を押し付けてくる人には、決まってこう反論する。
等しく全員が罪人であると、なぜ気付けないのか。
都合の悪いことは忘れて、記憶の捏造までして。
ほんと……
「脳みそお花畑なんですね」
「な……何だと!!元を正せばお前みたいな売女のせいで!!」
「いいですね。そうやって何もかもを他人のせいにして、生きていくのはさぞ楽でしょう」
もう会えないけど。
記憶の中にいる貴女はいつも胸を張って堂々と生きていた。
私も見習うようにして背筋を伸ばす。
相手が誰だろうと物怖じせず、目を逸らさない。
「罪を認め向き合って初めて、世界は変わる。貴方のようにいつまでも誰かのせいにして、生きるのは愚かですよ?」
最後にシオン様が見せてくれて笑顔は、とても美しかった。
不敵な笑みは私の心にいつまでも残り、こういう輩に言い返すときは必ず、意識して真似をする。
子供の頃から愛らしいと褒められ続けてきた私の顔で、影のある笑顔はとても効果的。
大抵の人はこれで口を閉ざす。
「な……っ!!お前のせいで国民が苦しんでいるのがわからないのか!!」
ごく稀にもっと逆上してくる人もいる。
頭に血が上り、暴力で解決しようとする単細胞。
見えていないのだろうか?騎士様が二人もいるのに。
腕を捻り上げられて簡単に制圧された。
暴れようものなら更に力を加えられ、骨を折ると脅す。
口を閉ざし黙りを決め込んでしまう情けない姿を、私はただ見下ろしていた。
他人の痛みは無視をするのに、自分の痛みにだけは敏感。
こんな人達のせいでシオン様の心は深く傷つき、傷つけられた。
男性は騎士様により修道院の外に追い出され、逃げるように去っていく。
今、国では私の良くない噂が広がっている。
シオン様の悪女説を流し、皆の嫌われものに仕立て上げた。
私が聖女になるために。
バカらしい。そんな噂を流した人も、信じている人も。
私はそんなことを気にしている暇なんてないのだ。
言いたい人には勝手に言わせておけばいい。
「ユファン嬢。いいかな」
アース殿下の専属護衛騎士でもあるグラン様。
月に一度、アース殿下の指示を受けて私の様子を見に来てくれる。
私の護衛に当たってくれている騎士様はグラン様の部下。
本心ではシオン様が国を出るキッカケとなった私を恨んでいるかもしれないのに、私情を挟むことなく守ってくれている。
──変ね。今日は足を運ぶ日ではないのに。
グラン様は騎士様を下がらせて、小さくため息をついた。
首筋に手を当てて、いつもなら合う視線が今日は宙を彷徨っている。
「はぁぁ。すまないが。今日これから一緒に来てもらいたい」
と、嫌々そうに言われた。
院長の許可は既に貰っているため、私にはあまり拒否権はなさそう。
待機していた馬車に乗り込み、どこに向かうのか聞いた。
「魔力封じの塔だ」
そこはあの四人が幽閉されている場所。
私は事件関係者で、一応は彼らと家族であるわけで。
隣国の宰相レイアークス様が、侵略か幽閉。好きなほうを選ぶように迫ったらしい。
死刑ではなく幽閉だったのは、苦しみから逃がしたくなかったのだろう。
死して全てを終わらせるより、生きて生きて、その命が終わるまで生き続けることが罰であると判断した。
「どうして私を?」
「ここ最近。口を開けば君の名前ばかりで、一度会わせたら静かになるだろうと。君の意志を聞かずに連れて来たことはすまないと思っている」
「いいえ。いつかは向き合わないといけなかったので」
私に許可を求める間もなく連れて行くのは、あまりにも彼らがしつこ…………。
一度でも会えば静かになるだろうと踏んでのことだね、きっと。
私としてもこのままでいるつもりはなかったし、会える機会を貰えたことに感謝した。
王都にあったグレンジャー家とケールレル家の屋敷は酷い有様。
荒れ果てて、人々の怒りをぶつける象徴であるかのように取り壊すこともない。
塔にも門番はいる。魔法の鍵が掛けられているとはいえ、万が一に備えて。
グラン様に敬礼をした門番は速やかに鍵を外して扉を開けてくれた。
中は真っ暗。
シオン様の闇魔法を連想したけど、暗いだけの世界と一緒にしては失礼だ。
松明に火を付けることなく炎魔法で辺りを照らす。
迷うことなく一本の道を進む。奥に辿り着くとまた扉があり、そこに円形の魔道具をはめ込めば自動で開く。
そこから先は階段。しかも地下に続いている。
塔に入るための扉は鍵を掛けてしまえば中からは絶対に開けられない仕組み。
魔法が封じられているわけだし、開かないのは当然か。
二つ目の扉は魔道具で開けて、魔道具を外すことで閉じる。
階段を下りきった先には牢があり、中にはあの四人が。
どんな極悪人だって、あんな拘束はされない。
人権も尊厳も奪われていた。
これが生きるではなく、生かされるということ。
希望を見出したかのように、光が失われていた瞳に生気が宿る。
喋れるように猿轡を外すと
「ユファン!大丈夫だったか!?」
元公爵の第一声は、それだった。
私を心配するその顔は父親そのもの。
まともな扱いを受けていない割には元気ね。
一人を除いては。
ヘリオン様は呟く。虚ろな目で、繰り返し。
「違う。俺はシオンを愛している。見下してなんかいない」
道中、グラン様から聞いたのはヘリオン様のシオン様に対する愛。
醜いと罵倒されるシオン様を愛する自分自身を愛しているだけ。
だからあんなにも、シオン様にこだわり執着していたんだ。
愛していると言いながらもシオン様の否定ばかり。
色々と腑に落ちた。
だから何だって話なんだけど。
元からの異常性があったところで、私の魔力が暴走し無意識に魅了を発動していたのも事実。
私自身が操られていたことも。
罪は……消えない。絶対に。
「ユファン!お前は英雄なんだ。邪悪な闇魔法の洗脳を解いて世界を救う」
この人は……この人達は現実を否定している。
闇魔法は裁かれる悪であり、自分達は洗脳にかかっていない正常であると力説。
「塔に幽閉されていたからご存知ないと思いますが」
全て……常識が覆ったあの日。
語られたのは闇と光の立場が逆であるということ。
千年前。世界中の人々を蹂躙し弄び、非道の限りを尽くしたのは、光魔法を持ったこの国の初代国王。
疎まれ、憎まれ、蔑まれるべきは私だったのだ。
英雄の願いもあり、真実は闇に隠され、いつしか入れ替わってしまった。
二つの魔法の善悪が。
その数日後。更なる真実が告げられる。
初代がそんなことをした理由。それは
「当時のブルーメル、ケールレル、グレンジャーの当主が英雄を殺そうとしたからです」
身分主義の彼らは恐れていた。
いつか平民が高貴な自分達の上に立つのではないかと。
そんな……心底くだらない理由で人の人生を終わらせようとした。
──ずっと昔から最低だったんだ。
自分のためなら誰かを傷つけていいはずがないのに。
「何を言っている?それこそが闇魔法の洗脳であると、なぜ気付けないのだ」
「あの女!!ユファンにだけ強力な魔法をかけたに違いない!!そうでなきゃ光が闇に負けるなんてありえない!!」
あ……無理だ。話が通じない。
都合の悪いことは偽物なんだ。
間違っているのは世界であると信じて疑わない姿はまるで……。
心の底から軽蔑する。
自らの行いを省みて反省する時間なら、あんなにあったというのに。
こんな目に遭っても尚、シオン様が悪だと言い張れるのはなぜだろう。
ただ生まれてきただけのシオン様が、彼らに何をしたと言うのだろうか?
「一つだけお願いがあります」
「何でも言ってくれ。愛する娘の頼みだ。聞き入れないわけがない」
「それはお二人もですか?」
「当然だ。お前は私達の妹なのだから」
「良かった」
私が笑顔が浮かべたら、優しく温かい笑みを返してくれる。
こんなにも家族を大切にするのに、シオン様のことは一欠片も愛することなく憎んで、死を望み続けた。
もしも私が、その立場にいたら耐え切れずとっくに死んでいただろう。
弱い心を隠して強く在ろうとしたシオン様はとても愛おしい。
「では今後二度と、私を娘と、妹と呼ばないで下さい」
感情を殺した表情のない顔で冷たく見下ろす。
「な、な……にを……?」
「当たり前ではありませんか。この世界で私が尊敬するシオン様を悪く言う貴方達と家族だなんて思いたくないんですよ」
「あの女のせいで私達はバラバラに引き裂かれたんだぞ!!?」
「引き裂いたのは夫人でしょう?シオン様のせいにしないで」
愛のために関係のないシオン様を巻き込んで、挙句に死ねば良かった?
こんな最低な人間が人の親になっていいはずがない。
この人の存在が間違っていたんだ。
「それと。私の父は、私が生まれた日に亡くなった人だけです。なので私の家族はもういません」
「違う!!お前の家族は私達だけだ!!」
「家族?ふふ、家族、ねぇ」
「ユファン?」
「その理屈なら、貴方の愛する夫人を殺したのは私ということになりますね」
目を逸らし逃げ続ける現実を突き付けた。
私の声が聞こえてないのか、意味を理解するつもりがないのか。
返事はない。
夫人が死んだのは魔力の高い子供を三人産んだから。
三人目が私であるのなら、母親殺しと罵られるべきは私。
「母上を殺したのはお前ではない。あの醜い女だ」
「醜いのは貴方達のほうよ。私の前でシオン様を侮辱するなんて許さない!!」
それは怒り。そして殺意。
魔力封じの塔にいなければ魔力は暴走していた。それほどに今の私は感情的。
体の内側が熱い。表に出られない魔力が血液と共に体を回る。
──冷静に、冷静に。
落ち着くように小さく息を吐く。
取り乱さないように気高く美しいシオン様の姿を思い浮かべれば、高ぶった感情は鎮まる。
「ユ、ユファ……」
縋るような目は必死になって助けを求めていた。
ハッ、シオン様に「生まれたくはなかった」と言わせたくせに、自分は救われたいなんて。
どこまでも自分勝手な。
「もういいのか」
「はい。ありがとうございました」
元からそんなに話すことはなかった。
伝えたいことは一つ。
私は家族ではないということ。
最初から。そして、これからもずっと。
顔も知らないお父さんだけが、私のたった一人の家族。
再び、拘束をされる彼らは最後の最後まで私の名前を呼ぶ。
それがとても気持ち悪くて、拒絶するかのように背を向けた。
死ぬまで……死んでも彼らは変わらない。
それが嬉しいと思う私も、最低なクズの血をしっかりと引いていた。
今日を最後にもう二度と、何があっても彼らと会うことはないだろう。
命を落としたとしても。
最後の情けに別れの言葉だけは伝えておく。
「さようなら。金輪際、貴方達と会うことがないと思うだけで、私は幸せです」
暗い道を戻る。
階段を上がり、開いた扉から魔道具を外すとゆっくりと閉まっていく。
僅かに差し込む光は、決して救われることのない希望にも見えた。
塔の外では変わらず太陽が眩しい。
思わず目を細めていると、門番が扉が閉めて鍵を掛ける。
その音が非情に聴こえたのは、心の内に留めておく。




