もしものお話
「ねぇ。もしもさ」
「その話は今しなくてはいけないことか」
「とりあえず聞いて!?」
わかってるよ。読書の邪魔をするなって言いたいんでしょ。
話しかけるなオーラが強い割に、ノアールを膝に乗せてるじゃん。
どこのお金持ちよ。
「聞くだけならよろしいのでは?」
ルイセの後押しもあり、嫌々本を閉じた。
本当に嫌々感だけが漂う。
「もしもさ。絶対にないと言い切れるんだけどね。もしもレイが私好きになったら、どうなっていた……かな、と……」
なんて嫌そうな顔。
眉間に深く皺が刻まれる。
レイを推している世の女性がみたら泡を吹いて失神するレベル。
一瞬にして不機嫌オーラを放ち、危険を察知したノアールは私の元に避難してきた。
──側近二人が引くって相当だからね?
天と地がひっくり返っても、ありえないことであるけども。
もしも。もしも!仮に!万が一……億に一の確率でレイが私を好きになってしまったとして。
この際、好きになるのは私じゃなくてもいい。
とにかく!もしもレイが誰かを好きになったとしたら、どんな風になるのか気になっただけ。
私自身が好かれたいわけではない。決して。
誤解されると嫌なので、必死に説明して納得はしてもらった。
「大して今と変わらないと思うよ」
流石は崇拝者。動じていない。
むしろちょっと嬉しそう。レイの滅多に見られないレアな表情を見れて。
今日のレイは王命により一日休みとなっている。
働きすぎて疲労が溜まり、公務中に目眩を起こし倒れそうになったからだ。
本人は立ちくらみがしただけと言い張っていたけど、ここ数日、ちゃんとした食事を摂っていないと証言も取れている。
報告を受けた王様はすぐレイから全ての仕事を取り上げた。
元々、スウェロが次の宰相として教育を受け、今では完璧にこなせるようになっているのだから、レイの負担が減っていなければおかしいのだ。
責任感が強すぎるレイは引退するまではと、引き継ぎと称して仕事から手を引かない。
スウェロもスウェロでレイといられるのが嬉しいので、休めとは言わなかったとか。
その結果がこれである。強制休暇。
で、私とオルゼが見張り役。
私に白羽の矢が立った理由はオルゼ一人だと心許ないから。
──私が役に立つかどうかは別として。
監視役は一人でも多いほうがいいらしい。
スウェロはただ、レイがどうやって休暇を満喫するのか興味があって、途中から参加した。
当の本人は突然の休みに何をしていいかわからず、執務室で読書。
訓練場に行くことは許可されなかった。部屋にこもることも。
人目のある場所で休むのが、本日の仕事。
「二人きりになったら甘やかしてくれそう」
ポツリとオルゼが呟く。
「アマヤカス?」
想像がつかない。
優しいことは知っているけど。甘やかすとは別ジャンル。
首を傾げて考えてみてもピンとはこなかった。
「甘やかすというよりは、甘い言葉を囁いてくれそうです」
ナンシーの突然参加にレイの不機嫌さはアップ。
くだらないって顔に書いてある。
聞くだけ聞いて、読書に戻ろうとするレイに一つ雑なお願いをしてみた。
「甘い言葉、言ってみて?」
「は?」
うわ。嫌そうな顔という表現では表せないほど不機嫌に満ちている。
時間が戻せる魔道具があればすぐにでも使いたい。
あの怒り方はヤバいな。
思わず目を逸らす。私の恐怖心を和らげようと膝の上であざとく寝転がるノアールに心が撃ち抜かれる。
──この可愛いノアールを見たらレイの心も穏やかになるのでは?
ささっと立ち上がり、ささっとレイの視界に入るようノアールを寝かせた。
あ、ダメだ。猫好きレイでも今は全く効果がない。
視線が一瞬たりとも動くことなく、睨むような目が私だけを捉えたまま。
ノアールを連れて大人しくソファーに座る。
──誰一人として私のフォローをしてくれないのはなぜ?
私の自業自得であることはわかっているけども!
ここまで不機嫌になり怒るなんて想定出来なかったんだもん。
まさかノアールの可愛さにやられないとは予想外。
「逆に聞くが」
「え?うん」
「私がシオンに甘えてくれと言ったら、甘えられるか?」
「無理!!」
悩むことなく即答。
甘えるの具体的なことはわからないけど、おねだりするってことだよね?
想像でも無理だわ。
あ、そうか。私は今、そういう無理難題を押し付けていたんだ。
いくら完璧超人のレイにも出来ないことの一つや二つはある。
別に本気の甘い言葉を期待していたわけではない。
こう、思わず胸がドキッと高鳴るような、“あの雪の日”に言ってくれたような言葉が聞けるかなと思っていただけ。
私を褒めるとか、そんなんじゃなくて。思ったことを口にしてくれたんだろうな。
それが妙に嬉しくて、よく覚えているだけ。
「あ、あの。レイアークス様」
ナンシーの声は緊張している。
震えているわけではないけど、声をかけた瞬間は裏返っていた。
わかるわかる。不機嫌な人に声をかけるのって怖いよね。
そんな状態にしたのは私だからフォロー的なものはしてあげたいんだけど……。
その手に持っている物は何?
私には恋愛小説に見える。
空間魔法を使って部屋まで取りに行ってたのかな。
「甘い言葉でしたら、是非この台詞をお願いします!!」
「……は?」
勢いよく差し出される本に戸惑いながらも受け取った。
困惑したまま栞が挟まれたページを開く。
不機嫌を通り越して感情が無になってしまった。考えることを放棄するなんてよっぽど。
側近であってもナンシーは女性。レイのように素敵な紳士に夢を見たいのだろう。
恋愛小説は甘い言葉のオンパレード。
挿絵が描かれていないから、好きな姿で想像しやすい。
誰を想像するかはその人次第。
圧倒的人気を誇っていそうな人は目の前にいる。
王子様と重ね合わせても違和感なく物語に没頭し入り込める人が実在すれば、思い浮かべてしまうのも無理はない。
当の本人は現実逃避するかのように本を閉じては、目頭を押さえる。
尊敬と憧れの対象でもあったレイに、私的な欲が言えるほどに距離が縮まった。
それは他ならぬレイが望んだこと。
私と関わるようになってからは、感情が豊かになったというか、引いた線を飛び越えていいんだと多くの人が思うようになった。
立場や面目があるので公の場ではこれまで通りの振る舞いで、今みたいに限られた人しかいない空間では、ちょっとだけ飛び越える。
今回は踏み込みすぎな気もするけど。
何だかんだ、ルイセやナンシーに甘いレイは本を突き返したり「嫌だ」と口にすることもない。
「はぁぁ。これを言ったら二度と、こんなバカなことを言わないと約束するか?」
え、待って。私に言ってる?
一応、振り向いて確認するも後ろには誰もいない。
あぁ、私に言っているのか。
くだらないことを言い出したのは私だしね。
「約束する。信じられないなら指切りでもしよう。嘘ついたら針千本飲むから」
「随分と物騒だな」
「そうかな?」
指切りってそういうものだし。
約束を破っても実際に針千本を飲む人なんていないけどさ。
セットだよね。指切りと針千本は。
「約束さえしてくれたら、私はそれでいいんだが」
ため息……というよりは諦めたかのように息をついた。
たった一行の台詞を瞬時に覚えたようで、私の前で膝をつきそっと手を取る。
希望したのはナンシーでは?
なぜ私にするのさ。
疑問をぶつける前に、赤紫色の真剣な瞳が、余計な茶々を入れる隙を与えてくれない。
ということで。観念して、甘い言葉を言ってもらうことにした。
「この世界の誰よりも君を愛している。叶うなら、その瞳に私以外の男を映さないでくれ。君の特別は私だけで在りたいんだ」
レイ推しの令嬢は間違いなく失神するな。左胸を抑えて。
余裕があればダイイングメッセージ?を残すかも。
いや、この場合は本人を名指しか。
ノアールが可愛いの最強なら、レイはカッコ良いの最強だった。
【シオン?大丈夫?】
動かなくなった私を心配したノアールが顔を覗き込む。
「ええ、大丈夫よ。ちょっと考え事してただけ」
キュンとはしたけど、これは恋ではない。
イケメンが喋るだけでキュンとするときってあるよね。
アイドルのライブや、好きな恋愛ドラマとかでさ。何気ないことのはずなのに、心に響くというか。
今のはまさにそれ。
ときめくことなく、思うことは一つだけ。
「その顔はここだけにしたほうがいいよ」
モテたくないのであれば、自分がイケメンであることを自覚するべき。
破壊力抜群の微笑みは、どんな人も虜にして惚れられてしまう。
レイの場合、甘い言葉じゃなくてもこの顔をしているだけで、どんなクズ発言をしても許してしまえるかも。
甥っ子二人と側近二人は、あまりの美しさに顔を赤らめていた。
私だけ無反応なのが恥ずかしいな。
意識が他のことに逸れていたことが原因ではあるけど、誰よりも間近で見たくせにいつも通りって……。
つい謝りそうになった。
無意味な謝罪をしたところで伝わりはしない。
しっかりと目に焼き付けられた特別な表情は、胸を高鳴らせることもなかった。
私にとってレイは異性ではなく、兄のような存在。
好意を抱くことはまずない。
友達でもあるから益々、恋愛感情に発展することもなかった。
「これで満足したか?したなら部屋を出てくれ。静かに読書がしたいんだ」
何事もなかったかのように振る舞える強靱な精神力。
座り直して読書を再開。
私がその立場だったら動揺して、人目のつかない所で大声出して叫んでいる。
──大人の余裕、か……。
「叔父上!もし暇をしているなら剣術を見て下さい」
勢いよく手を挙げる子供っぽいオルゼが、空気に亀裂を入れた。
読書をするための静かな環境は壊れ、集中力を削がれたようにパタンと音を立てて本を閉じる。
「私は休暇中だ。訓練場に行くことも許可されていない」
「それは体を動かすこと、ですよね?ただ見るだけならいいのでは」
思いがけない発言にレイは目を丸くする。
理屈ではそうなんだけど。
わくわくしたようにオルゼの目が輝いていた。それは時折、ノアールが見せるキラキラ光線を発射する目。
最近のオルゼは大人っぽくなってきたと成長を感じていたのに。
近所の子供を思い出してしまう。
「いいですよね!叔父上!!」
勢いが強い。NOを言わせない気だ。
ゴリ押しが通用するタイプでもないので、見ているこっちがハラハラする。
まだ不機嫌状態から脱したわけでもなく、とばっちりが私に来そうで怖い。
オルゼを援護するか、火の粉が降りかからないように大人しくしているか。悩みどころ。
「部屋にこもってばかりでは体に悪いです!!だから倒れたんじゃないんですか!!叔父上が最後に外に出たのはいつですか!!?」
めちゃくちゃ正論。
太陽を浴びたと言わないのは、窓から差し込む日差しを毎日のように浴びているからだ。
窓も開けて風にも吹かれている。
が、それは外に出たわけではない。結局は室内にこもっているのだ。
レイは答えなかった。一週間は自室と執務室の往復だけであると推測出来る。
後ろの側近もあらぬ方向を見たまま。
「い……息抜きに外の空気を吸いに行くのはいいのでは?」
ルイセが援護してくれた。ナンシーも激しく首を振り同意。
「はぁ。スウェロ。解散だ。私は訓練場に行く。仕事ばかりしていないで、婚約者との時間を大切にしろ」
折れた。
ただ見ているだけなので着替えは必要なく、そのまま行くみたい。
ついて行こうとするスウェロは立ち上がろうとする体勢のまま固まった。
レイとリズ。どちらを優先するか脳内会議が行われている。
「シオン。ここにいたんだ」
「アル。どうしたの」
王太子、アルフレッド。
私を好きになってくれて、愛していると……言ってくれた人。
心の底から私を幸せにしたいも思ってくれていたけど、私はその想いに応えられなかった。
人は好きだ。本当に。
でも。特別が欲しいわけではない。
私にとって特別はノアールだけ。それだけは決して変わらない事実。
──それでもね。嬉しかったんだよ。好きだと言ってくれたとき。
告白を断り、私達の関係は友人という形に収まった。
愛称で呼ぶことも許可され、こうして顔を会わせる機会も多い。
瞳は未だに熱を帯びていて、私を好きでいてくれている。
わざとか、それとも気付いていないのか。
どちらでもいい。私はただ、鈍感なふりをするだけ。
アルの想いから目を逸らすように。
勇気を出して告白してくれたアルに本音を伝えた。
傷ついて、泣いてしまいそうな表情を浮かべてはすぐに、笑顔という名の仮面を付けたんだ。
私を困らせないように。
そんな優しくて誠実なアルの幸せを、私は祈りたい。
「他国からね。シオンに婚約の申し出が多数来てて。勝手に処分するわけにはいかないから、持ってきたんだ」
「闇魔法の加護が欲しいのかな」
「違うって。シオンが綺麗だから、結婚したいんだよ」
真顔で、至極当然のように私を褒めるアルはやはり、レイと同じ血筋。
送られてきた手紙を全部持ってくることは出来ないので、リーネットと特に親交がある国の手紙だけを渡して……。
私が受け取る寸前、レイが取り上げて灰にしてしまった。
──私宛てじゃないの?
最上級炎魔法を難なく使いこなせるようになったレイは、今ではすっかり魔法を使う恐怖はない。
「アルフレッド」
「はい」
「シオンは特別を作らない。それはお前が一番よく知っているだろう。お前のほうから断りを入れておけ。シオンもそれでいいな?」
「うん」
私に婚約を申し込んでくるのは王族や上級貴族ばかり。
簡潔にごめんなさいの一言で終わらせていいはずもないので、慣れているアルにお任せ。
今後は届き次第、アルがお断りの返信を出してくれることになった。
私に確認を取らなくても答えは同じなので、報告はいらないと伝えておく。
あまりにもしつこい相手には、レイが直々に手紙を送り国際問題に発展させるので、アルにはぜひとも頑張ってもらいたい。
「そうだ。リズも一緒に……」
「お前は早くデートにでも行け」
まだ悩んで、予想を裏切らない答えを出したスウェロを強制的に追い出す。
アルは「相変わらずだ」と苦笑い。
大好きな二人を天秤にかけて、どちらか片方に傾くなんてスウェロらしくはないわね。
どちらも取るのがスウェロである。
「シオンはどうする?」
「行くよ。一緒に」
「ノアール。退屈してるけど」
「あ……」
いじけるように前足で空をかく姿にズキュンと胸に矢が刺さる。
ふぐぅ、可愛いなもう。
何もせずじっとしていることが苦手なノアールからしたら、この時間は退屈そのもの。
最初の内は楽しく走り回っていても、次第に疲れ、レイの膝の上でひと休憩。
それからほとんど動くことはなかった。
【シオン。リンゴ~~】
「レーツェルの森に行きたいの?うーん。でもなぁ」
役に立っていなくても監視を直々に仰せつかっているからな。
傍を離れるのは、いかがなものかと。
「王命に背くほどバカではない」
私の不安を解消するかのようだった。
抱き上げたノアールを落ちないように、頭に乗せてくれるレイは意地悪な笑みを浮かべているものの、敬愛する王様に逆らうはずがない。
だってレイは兄を支えるために宰相になったのだから。
休めと言われたら、どんなに山積みの仕事が目の前にあっても見ないようにする。
「心配しなくても、ダメ出しするだけだ」
「え゛っ!!?」
誰よりも驚くオルゼには悪いけど、そうなるよ。
ガックリと肩を落とす姿があまりにも可哀想で、程々にしてあげてとお願いするしかなかった。
返事がないということは、程々では終わらないということかな?
頑張れオルゼ。陰ながら応援してるからね。




