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足元を見ることもかなわないので、一歩一歩ゆっくりと確実に足を持ち上げて歩く。15分では済まないだろうがそこはあきらめるしかない。
(おもりが足りなかったか・・・歩きにくいな)
月面歩行のように一歩ごとに体が浮く。ぶっつけ本番ではなく練習してから出発すればよかったと後悔した。酸素の節約のため独り言も禁止である。
ロープがついついっと引かれる。分岐注意の合図だ。先ほどまでよりずっと細かな足運びが求められる。右にややカーブしている模様。しらねは水中で生きられるだけでなく視界も確保できるようだ。
(・・・なんだ今の)
足に何かが触れたような感触があった。もちろん下を向いても見えるはずもない。
(気のせいじゃねえな、なんだこれ)
明らかに何かが続けて足に触れてきている。それも人間の手のような・・・。
「あ?!」
思わず声が出た。今度は胴体に誰かが抱きつくような感触。それも、最後尾にいる小松島に対して、背後から。
「あ、やっぱり人間だった」
水中から声が聞こえた。
「なんか変な生き物がいるって聞いてきてみれば・・・何やってんのあんたら。あれ?カズラもいるの?」
カズラは人名ではなく、しらねの種族名だ。水中にいてもおかしくはないが、なかなか見かけることもないのだろう。
「えーと、ビスか?オードリーか?」
「あれ、私の名前知ってんだ。ていうかビスの名前も知ってんの?どっかで会った?」
ということは消去法でこれはオードリーということになるのだろうか。
「先頭の緑人が会ったらしいぞ。俺らもエマイルならさっき見かけた」
「うっそマジで?すれ違ったかー」
酸素の容量が気になるのでできれば会話したくないのだが。
「どのへんだった?エタドカあたり?」
「地下の地名はわからん」
「えーと、地上につながる通気口があるとこ」
「・・・え?そんなものあった?」
今さらすぎるお役立ち情報だった。先に知っていれば当然こんな水中ウォーキングなんかやらなかったのに。
「まあいいや、もうちょい探してみるよ。ここより上流なのは確かっぽいし」
と言い残してオードリーは去っていった。結局顔すら見ていないままだった。
2度目の分岐を過ぎてしばらくすると、しらねが言った通り少し明るくなってきた気がする。
(なんとか空気も持ちそうだな)
一歩ごとに明るくなっていく。もうほぼ外に出られたようだ。
急にしらねが左に向きを変えた。予定にはない行動だったが、シチェルはうまくついていけた様子。小松島は危うく転びそうになったが何とかついていけた。
(上り坂?)
少しずつだが上に上がりつつあるのを感じた。さらに、足元も岩ではなく土や砂利になっている気がする。そして。
(水面から出た?)
急に水圧を感じなくなったので手を顔の高さまで持ち上げてみると水上に出た。どうやらここ空気袋を外せる場所までたどり着いたようだ。紐を緩めて空気袋を外す。外の明るさに一瞬目がくらんだが、しらねが光を遮るように立って言った。
「おつかれさまやで」
「・・・どのあたりだ、ここ」
「さあ?さすがにそこまでは調べもついてへんですわ」
近くに人の姿もないようだ。シチェルが先に水から上がり、しらねと小松島も続いた。
「あーきつかった!二度とやりたくねーぞこんなの」
「同感だ。・・・よし、荷物を詰め直すか」
服の中に詰めた石はここに捨て、大事なものを合切袋に詰め直す。
「やっぱ剣は腰に吊ったほうがいいのかな?」
ここまでシチェルは三十年式銃剣をずっと合切袋にしまいっぱなしであったが、改めることを考えたようだ。
「邪魔なら無理に吊る必要はないだろう」
「うーん・・・どうしよう」
好きにさせればよいので小松島は口を挟まず、しらねに預かってもらっていたものを受け取って袋にしまった。
「落ち着ける場所に着いたらまた全部出して乾かそう」
書きかけの報告書は油紙に包んであったので、少し端が濡れた程度で済んだ。他の物も無事なようだ。




