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社会主義思想の主要な柱のひとつである、マルクスとエンゲルスによって提唱された科学的社会主義。それがどういう経緯でかこの黄泉の世界に持ち込まれ、一時流行した時代があった。だが今はその名称以外に面影が残っておらず、マルクスが丸楠、エンゲルスが延箆と当て字されて勢力の名称に使用されているが、肝心のその思想や考え方については完全に消え去っているようだ。
「うちの隊長は結構気前いいから気に入ってんだ」
と一太郎が言う。給料はともかく戦利品については不満が出ないように戦果や貢献度に応じて配ってくれるとのことで、まさしく社会主義思想の真逆の行動をとるようだ。
「ワイらは決まったねぐらがあるけど、自分らはどないする?馬車で休むか?」
リトが気を使ってくれるが、知らない武装勢力の中で気を抜くことはできそうになく、小松島は馬車泊を選択。もともとそれが可能な車種を選んで購入したこともあり、車中泊もそれほど苦痛ではない。
「では、馬の餌と水を手配いたしますわ」
こちらはしらねが頼み、ヒーナが用意してくれた。
「本家とか元祖とか真正とか、どう違うんだ?」
「さあ?なんも変わらんのとちゃいますか」
しらねがあっさりと答えるが、おそらくそれで正解なのである。
夜中、静まり返った陣地に見回りの兵士の足音だけが響いている。
(・・・ジェムザがいないな)
目が覚めた小松島が馬車の中を見渡したが、自分のほかは2人しかいない。よく見るとジェムザがいなかった。幌を少しだけ開けて外を見てみる。月明りに陣地のシルエット、ところどころに明かりと兵士の姿。当然、日本と違って防空のための灯火管制など行われていない。
下手に歩き回ると拘束されかねないと考え、小松島は馬車から降りるのをやめた。だがジェムザがそんなことすら考えつかなかったとは思えないので、おそらく誰かと一緒に出て行ったのだろう。誰か・・・と言っても、当然一太郎であろうが。
「前衛が加入するとバランスが取れる、ってことか」
一太郎がジェムザを連れ出したとすると、用件は勧誘であろうとすぐに考えつく。身元がしっかりしていて契約も交わしたジェムザのことだからここでお別れということはないだろうが、小松島の旅が終わった後の仕事を確保するのはジェムザにとっても大事なことだろう。人生設計をしっかり計画立ててキャリアを積み上げているのだから。
突然、笛の音が鳴った。
「ん?」
と同時に金属音が立て続けに響く。
「敵襲―!」
の声で、あちこちから武器を持った兵士たちが集まり始める。「西側から敵が進入中!」
「食糧庫を守れ!」「やったー!待ちに待った夜戦だー!」「各隊指揮官、配置に着け!」と口々に声掛け声出しを行いながら防衛線を構築していく。
「夜襲か!」
小松島は直ちに三八式歩兵銃をつかむと、しらねとシチェルを激しくゆすって起こそうとした。
「リュージ!北側から脱出するぞ!」
想定外の事態ではあったが、ジェムザがすぐに駆けつけてきた。あまり離れていない場所にいたのだろうか。
「すぐにしらねを起こす!」
「無理だ、北側の道は馬車では入れない!徒歩で行く」
「馬車はどうするんだ」
シチェルが体を起こしたので、説明するのは後回しにして銃と合切袋を押し付ける。それだけである程度察して身支度を始めてくれた。続いてしらねも起きだした。
「置いていく。一太郎たちの仲間が預かっていてくれるそうだ」
「・・・やむを得んか」




