183 その頃の朝霜
「点火ぁー!」
第三新東京港入港以来停止されたままだった朝霜の機関に、ついに火が入った。
「いよいよ出港ですね」
「やれるだけの修理はやったが、いつまでもつかわからんぞ。特に左」
夕雲型駆逐艦を動かすには、まず缶(=ボイラー)でお湯を沸かさなければいけない。車のエンジンをかけるように、エンジン始動後即移動というわけにはいかないのだ。沸かしたお湯は沸騰して水蒸気を発生させる。この水蒸気をタービン(でっかい扇風機のようなもの)のブレードに吹き付け、タービンを回す。高速で回転するタービンをそのままスクリューに接続するととんでもない勢いで空転するので、歯車をいくつも噛ませて適切な回転数に落とす。こうしてスクリューが回り、船が前に進むのである。
問題は、約2500トンの船を動かすために必要な水を温めるのに必要な時間だ。沸騰までは加熱開始からおよそ8時間を必要とする。つまり、出港8時間前には点火しておかないと間に合わないのである。もちろん、もっと大型の船になるとさらに時間がかかる。
朝霜は3基の缶で2基のタービンを動かす構造になっているが、その3つの缶に火が入り、徐々に熱せられ始めた。左のタービンの不調は結局解決できなかった。最大速度は実際に動かしてみないとわからないが、最大速度である35ノットがだせるとは到底考えられなかった。
「重油の手配、本当に可能なのでしょうか」
「結局、小松島との連絡はあれきりだったしな」
金長一行からの無線連絡によると、小松島上等兵は本気で石油精製施設を作るつもりで奔走しているという。だが、何をどうすればそういうことが可能なのかの確認は取れていない。
「さて、ルイナンセー氏に最後のご挨拶だ」
「は、艦のほうはお任せください」
今回の航海は第一新東京港までナナナミネー、デッチー、ナアグー、ユージンの4隻を護衛しつつの移動となる。もし風向きなどの都合で遅れが生じる場合、確実に予定日に入港したいとの意向でナナナミネーのみを曳航することも決められていた。重油のお礼としてこのぐらいはということだ。
そのナナナミネーに郵便が届いていた。
「すァーセン!こちらナーナーナーミーネーエゆう船でっしゃったなー!」
以前にもナナナミネーに郵便を配達してくれたハーピーがまた来た。
「あんた前と制服が違うな?」
「あー、ちょい前に国際郵便専門のとこに就職したんですわー。ほなハンコよろー!」
例によって手紙を投げて寄こす。
「いちいち面倒なんだよなこの国、ハンコじゃなきゃだめだってんだから。取ってくるから水でも飲んで待ってな」
「おおきにー!」
配達屋のハーピーは水を飲み終わるとハンコを受け取らずに去っていった。
「兄さん、本国から手紙だよ。すごいことになった」
「すごいこと?なんだそりゃ」
手紙はルイナントカ宛てであり、ベスプチ連合州国の最新情報が記されていた。
「カードさんが大統領に立候補したってさ」
「何だって?じゃあセルエレキは失脚か?」
「任期満了を待たずにってことだから、そうだろうね。何かやらかしたのか、それとも病気とかか、理由については書いてないけど」
カードはオイワ州出身の政治家で、ルイナンセーの先輩にあたる。いろいろと便宜を図ってくれる人なので、ルイナンセーは積極的に支持する立場を表明していた。いわゆる派閥である。
一方のセルエレキはベスプチで最もスペルミスが多いという冗談で有名なガーゴグガゴグ州出身で、よく言えば穏健派、悪く言えば事なかれ主義の大統領。ルイナンセー出国の直前には某国のスパイ疑惑があった囚人を大統領命令で釈放・送還したことで批判が高まっていたので、その絡みでの失脚だろうか。
「となると、ガリアルではあまりのんびりできないぞ。お前の花嫁さんを迎えたらすぐベスプチに戻らないといかん」
「アサシモ号はどうする?」
「できれば同行してもらいたいがな。あの船をこちら陣営の味方にできれば、カード大統領爆誕は決定的だろう。どう交渉するべきかな」




