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小松島隆二、朝霜を下艦後はじめてとなる一人旅である。
「何か、落ち着かないな」
ずっと誰かと旅を続けていたので、会話しながらの移動が身についてしまっていた。
「えーっと、こっちか」
来た道を戻るだけだが、どうにか主要ポイントを忘れずにいられているようだ。新大坂はわりと適当に拡張され続けた町なので、町並みに規則性・法則性がほぼない。住宅街にぽつんと宿屋が建っていたり、公園の真ん中にどこかの商店の倉庫があったりする。規則違反が珍しくない新東京と、規則がないも同然の新大坂は、似ているようで似ていなかった。
「松竹梅堂を通りすぎてすぐに曲がって・・・」
雑木林のような芝居小屋はいい目印であった。あとは羽の生えた灯台が屋根に乗っている面妖な木工所を右に曲がれば、出発地点の高級旅館街である。
「あ、また出た」
その高級旅館街の駐車場に、例の高そうな馬車が停車していた。よりによって小松島の馬車の隣である。あとは小松島がこの馬車を新静岡に戻しておけば任務完了。もちろん小松島本人が戻しに行くのではなく、御者を雇って戻して置いてもらうのだ。最悪借りパクでも許されるとは聞いているが、さすがに気が引ける。
「こんなところしか空いてなかったのかよ」
「申し訳ありません、あの混雑では探しようがなく」
「けっ・・・まあ、宿の近くにあるのは助かるがな」
高級馬車は着いたばかりらしく、威張り慣れていそうな若い貴族風の男が御者を叱責しながら降りてきた。またタイミングの悪いところに鉢合わせたものである。
「さて、どの宿にすっか・・・あ?何だおっさん、物乞いなら他所でやんな」
「いえ、隣の馬車が俺のなので」
「この汚いやつか?邪魔だからどけとけ。・・・お前、どこかで会ったか?」
若者は小松島が視界に入るといきなり喧嘩腰だったが、なぜか小松島に覚えがあるようだ。
「見覚えがあるような無いような・・・んん?」
「あ」
最後の「んん?」の発音で、小松島は思い出した。それと同時に。
「その変な武器!」
三八式歩兵銃を見て、相手も小松島を思い出した。この貴族風の若者、新横浜でシチェルの合切袋を盗んであっさり捕まった、市長の息子である。一応シチェルに負わされたケガは治療したようだが、よく見ると微妙に顔の造作に違和感がある。なんというか、どことなく左右非対称な気が。
「お前のせいで、親父は選挙に負けて官邸から追い出されちまったんだ!」
たぶん選挙に負けたのは小松島のせいではない。反市長派が小松島一行の身柄を確保して市長リコールのために使おうとしていたのは確かだが、結局確保には失敗したためこの手は使えなかった。選挙で政権交代が成ったのは純粋に前市長の不人気ゆえであろう。
「知ったことか!」
そんな裏事情を知っていようがいまいが、小松島の答えはこうなった。
「テメーだけは許さねえぞ!ここでゼッコロ!」
「いや、それは無体では」
「落ち着いてくださいよ、時間と場所をわきまえましょう」
側近らが一応止めようとするが、完全に頭に血が上った若者は止まらない。短刀とはいえ武器を構えて完全に小松島を害するモードに入っているので、一瞬だけは応戦も考えた。しかしやはりむやみやたらと発砲するのは避けたく、栗田艦隊のごとく反転し離脱に入った。いわば転進。
「待ちゃーがれ!」
「貴方こそお待ちくだされ!」
「夕食までにはお戻りいただきたくあります!」
さっきから微妙におかしい発言をする側近2は馬車から離れる気すらないようだが、側近1は若者を追って走り出した。しかしどう見てもご老体、追いつけるはずもない。その若者のさらに先を行く小松島は現役の軍人である。走るのには向いていない荷物を抱えつつ背負いつつではあるが、それでも十分に速い。
「ゼッコロォー!」
この若者も、叫びながら走るのをやめればもう少し速く走れるのだが、言いたいことを口に出さないと満足できないのか、恨み言を垂れ流しながら小松島を追ってくる。小松島は逃げやすい方向に走ったため、松原屋とはまるで無関係の方向へ移動していった。




