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新大坂の貯木場は、メイジニッポン皇国最大の規模である。数えきれないほどの木が海水に浮かび、出荷の時を待っていた。
「とりあえずここが目印ですわな」
「おう」
「で、この近くの井戸・・・でしたわな。確かあのへんやったような」
しらねが指さしたのはその貯木場のほぼ対岸。つまり、ぐるっと回り込んでいかないとたどり着けない。
「井戸の中って、ちゃんと真水だよな?」
「そら井戸なんやから真水でっしゃろな」
貯木場で木が浮いているのは海水である。海水に浸けることで虫が湧くのを防ぐことができる。が、そのすぐ横に掘られた井戸がちゃんと真水であるかどうか、多少の不安はあった。
「おや、井戸はたしかあそこだったはずなんやけど・・・」
しらねが井戸だと思っていた場所には何かの建造物があった。近くまで行くと、貯木場側にだけ壁があり三面は素通し構造になっている。その屋根と壁が守っているのはちゃんと井戸だった。
「知らん間にこんなん作ったんやなあ・・・」
構造からみて井戸を風雨から守るために作られたものだろう。なお、井戸と言っても直径3メートルはある大きなものだ。しかも水面が井戸の淵のすぐ下あたりにあるので、まるで風呂である。
「で・・・ここからどうするんだ」
「はて、どないしましょ」
ここに来たら会えるからと聞いてはいたが、実際にどうすれば呼び出せるのかを聞いていなかったことに気が付いた。
「しゃあないんで、ちょう潜ってみましょか」
しらねは身元隠しのマントローブを脱ぎ去ると、肌の色とあまり違いがない服だけを着用した状態になる。
「主はん、ちょい持っといてんか」
「お、おう」
脱ぎ去った衣類一式を小松島に押し付けると、しらねは井戸に潜っていった。緑人なので数時間程度の潜水が可能とはいえ、数分間まったく浮かぶ様子がないとそれはそれで落ち着かない。
「おーい」
呼びかけても水底まで聞こえることはないだろう。そもそもどれほどの深さがあるのかもわからない。
やることもないので貯木場の木の数を数え始めておよそ20分も待ったであろうか、ようやくしらねが水面から顔を出した。
「やー、遅なってもーて。ごめんなされ」
「人魚いたか?」
「おりましたえ、けどこないだの3人は留守やそうで。どこ行かれはったんか聞いてはみたんやけど、案の定ゆうか水中の地名でしかわからんそうで」
「いつ戻るとか聞けたか?」
「今夜から明日には戻るそうどす」
仕事を頼めるならエマイル、ビス、オードリーの3人でなくてもよいのだが、仲間とはぐれたマーメイドたちが合流する助けになったという、いわば恩義が仕事を頼みやすくするきっかけになっている。そういうのがない全くの初対面の相手には、まず話を聞いてもらうところから始めなければいけないので時間がかかる。
「主はんは松原屋に戻られたらどないどす?うちはこのまま井戸の底で3人が戻るん待ちますけん」」
「む、しかし、仕事を頼みたい本人が説明するのが筋だと思うが」
「ジェムザはんや一太郎はんらにも同じようにしはりましたやん」
「それは・・・まあ、そうだが」
「それに主はん、マーメイドはんらがもろてうれしい報酬に心当たりありますん?」
地上のお金をもらっても使い道がないので、マーメイドたちへの報酬に現金は不向きだ。しらねにマーメイドたちの嗜好を聞いたとしても、それで用意したものがたまたま3人が今欲しいものとは違っている可能性もあるので、報酬はやはり事前に用意するより交渉してから決めた方がよい。そうなると長時間の水中待機が可能なしらねに任せるのが最適だ。
「・・・頼んでいいか?」
「はいな」




