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アトイ商店の船は第一新東京港のど真ん中に入港していた。素人が見ても港湾使用料が高そうな、利便性の高い桟橋に接舷している。黄泉の世界でも元の世界同様、ポートサイド(船の左側)を港や桟橋側に着けていることに小松島は気づいた。
「あ、うちの家紋が大きくなってる」
「どれだ?」
アトイ商店の船に限らず、メインマストの一番大きな帆に所属する組織や所有者の紋章を掲示するのが一般的らしい。
「元は一番左上の水流紋だけだったらしいんだよな。でも事業拡大と合併・買収を繰り返すうちにいろいろ付け足していくから、どんどん大きくなる」
「それが普通なのか?」
「まあ、たいていのところはそんな感じ」
「せやけどダイヤモンド建設はんはシンプルでっせ?」
「だよな、あそこはまあ例外かも」
しらねが名を挙げたダイヤモンド建設はメイジニッポン皇国最古参の企業で、ちょうどアトイ商店の船の2つ隣に停泊していた。帆に描かれた紋章はそろばんの玉を3つ横に並べたような形だが、それだけだ。子供でも5秒で描ける単純な造形であるが、それゆえに一度見たら誰でも覚えられる。
「リュージ、先に乗ってくれとさ」
ジェムザがフレッチャーさんの言葉を伝えてくれた。
「Awa izzegar uzi aom usaremuun.」
「あちらの荷物の方が多いから、先に我々の注文品を受け取っておいてほしいらしい」
「ん?あー・・・え?」
何かが引っかかったが、お言葉に甘えて先に乗船させてもらう。しらねとジェムザには荷下ろしの作業員らに指示を出すために残ってもらい、小松島とシチェルが乗船すると、明らかにひとりだけ身なりの良い和服の男性がいた。
「・・・え?ひょっとして・・・オタのおっちゃん?」
「おや?私の名前をご存じということは、失礼ですがどこかでお会いしたでしょうか?」
「シチェルだ」
「シチェ・・・えっ?シチェルお嬢様ですか?」
知り合いのようだった。
「え?えー・・・うわー・・・、確かにシチェルお嬢様ですね」
「やっぱりオタのおっちゃんか!まさか今船長やってんのか?」
「いえいえ、まだ船長見習いというところです。外洋に出たこともありませんしね」
「てことはいずれ近いうちに船長かー」
「近くはないかもしれませんが・・・お嬢様はなぜこんなところに?店長からは新大坂の方に奉公に出したと聞いておりましたが」
「あ?なんだそりゃ・・・あー、そうか。そういうことになってんのか」
シチェルの記憶とは多少異なる。実際は父親に人身売買に近い形で売り飛ばされ、流れ着いた先がルイナンセー船団のウシアフィルカス扱いだったはずだ。しかしそれでは外聞が悪いので、どうやらアトイ商店の従業員たちには聞こえのいいように改ざんして説明していた模様。そのぐらいの想像はシチェルでもすぐにできた。
「まあ、結果的にはそんなもんかな?今は皇室海軍の船に乗ってる」
「それはすごい!ということは、こちらの方が?」
ようやく小松島の出番が回ってきた。
「はじめまして、駆逐艦朝霜艦長より墨油買い付けを命じられました小松島隆二といいます」
「アトイ商店出荷調整部のオタ・ヌイです。この度は当店で最高品質の墨油をまとめ買いいただけるということで、大変感謝しております」
オタ氏と握手を交わし、続いてフレッチャー氏から預かった契約書を提示。もちろんベスプチ語で書かれているが、オタ氏は苦も無く読み進めている。
「間違いないようです。では、こちらを」
オタ氏は船の後方へ。小松島とシチェルも続く。油が詰まった樽がいくつも並んでいるが、その中でも手前の方には蓋が白く塗られたものが4つあった。
「こちらの4つが墨油でございます。大量に必要とのことでしたので、当店の在庫を全てお持ちいたしました」




