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「ところで主はん。悪い知らせがございます」
妙にかしこまってしらねが切り出した。
「何だ?」
「ロイテルという店ですが、たぶんこの時間になると閉店してもうてるかと」
「あ」
すっかり忘れていたが、元々新淀川に向かっていたのは墨油を取り扱っている可能性のある店、ロイテルを訪ねるためだった。だがウエストナリィを出て徒歩で移動し、さらに落水した定点観測隊員を救助しているうちにすっかり遅くなってしまった。
「明日行くか・・・」
「いえ、スタンピードで避難しとると思います」
「あ」
魔物の襲来があると判明したのにのんびり店を開けていてくれるはずもない。
「さっき外ぉ見てきましたけど、ウラシマ祭りも中止みたいどす。混雑しとるんは昨日と同じですけんど、今日の混雑は皆が財産持って逃げ出す混雑ですきん」
まあ、祭りの中止も市民の避難も至極当然である。中には立てこもる住民もいるかもしれないが、どちらにせよ祭りどころではなくなった。
「・・・重油の入手の当てがなくなってしまったか」
「また話を聞いてまわるしかありまへんな。それも、スタンピードが落ち着いた後で」
「いつになるかわかんねーぞ、それ。どうすんだ隆二」
小松島はしばし考え込んだが、名案はなし。
「とりあえず、艦に報告しよう。重油入手の当てがなくなったがどうしたらいいか聞いてみるんだ」
「この混乱でちゃんと届くかな?」
「一応複数のルートで発信しよう。新大坂の船員座と、新横浜・・・はまずいか。新東京に行ってみて、そのあたりで再度発信する」
「馬車が戻るん間に合えばええけど」
「そういえばその問題もあったな。一太郎には話を通して、新大坂はさっさと出発してしまおう。避難民と同じように動けば簡単に行動できるだろ」
「ああ、そうか。今ならあたいらも避難民になれるわけだ」
「ほな新東京方面ん向かう人らを探して、同道させてもらいましょ」
と方針が決まったところで、観測隊の青年に挨拶に行く。
「我々はそろそろ出ようかと思いまして」
「ああ、そういえば恩人の方々にお礼も言えておりませんでしたな」
恩人なのは確かだがそもそもの原因を作った3人に、青年は丁寧にお辞儀をした。
「おかまいなく」
なので、これは本心である。
「皆さんのほかにも、私を助けてくれた人がおりました。あの方もご無事だとよいのですが」
「ほう、あちらの岸でのことですか?」
「ええ、赤いビキニアーマーでナギナタ使いの女性です」
「・・・なんですと?」
「その方がフォレストウルフの数を減らし時間を稼いでくれたおかげで、川岸まで逃げることができたのです。無事ならお礼を言わないといけませんので、見かけたら連絡ください」
「あっはい」
適当に返事をして、小松島たちは医師座を後にした。赤いビキニアーマーでナギナタを使う女性戦士がこの黄泉の世界に果たして2人といるのだろうか。
「・・・新大坂を離れるわけにはいかなくなったな」
「だな。さすがにジェムザを置いてはいけんだろう」
避難民に混じって逃げ出す選択肢は消えた。ジェムザを探すなら新淀川の対岸に渡るしかないが、スタンピード真っただ中である。
「方法は後で考えよう。とりあえずは船員座に行って、朝霜に報告を出す。それこそ今ならまだ報告が届く可能性がある」
遅くなるほどその可能性も消えていくはずだ。郵便物は配達員が逃げ出した後で出しても送達されない。当たり前のことだ。




