99
川べりから入水して水中を歩くしらねよりも両手両足で縄にぶら下がって進む小松島の方が早かった。水没地点に近づくと、なぜ重装備のまま渡ろうとしたのかが判明した。
「野犬か」
熊よりも大きな犬が何頭も対岸におり、どうやらこれらに追われていたので防具を脱ぎ捨てる時間もなく渡河を急いだようだ。水を怖がっているのか警戒しているのか、川べりをうろうろするだけで襲ってくる気配はない。小松島を見つけると吠え掛かってくるが、やはり近寄っては来ない。犬どもは無視することにして、小松島が鎧の人物が落下した辺りで水中を見下ろすと、水中で動くものが見えた。まだもがいているようで今助ければ間に合う。渡り始めてすぐに落下したのがかえって幸運だった。まだ浅いところで水没したために救助がやりやすい。すぐにでも助けたいところだが、実は溺者救助というのは想像されるよりずっと難しい。下手をすると巻き添えを食らうからだ。真上まで来たもののどうしたものかと考えていると、突如野犬の一頭がもんどりうって倒れ、腹から血を流し始めた。シチェルの狙撃だった。
「いいぞ、そのまま全部やっちまってくれ」
1頭目は急所は外れており一撃で仕留めることはできなかったものの、立ち上がろうとしては転びまた転ぶという動作を繰り返しており、もはやこちらを襲うどころではなさそうだ。そして、2頭目は見事に頭部を撃ち抜かれて絶命。3頭目が逃げ出そうとしたところを撃たれて悲鳴を上げるが浅手らしくそのままよろめきながら逃げていく。他の野犬も撃たれた3頭を置いて逃げ出した。これならいける、と小松島は決断した。思い切って手を放し水に飛び込む。パニックになって暴れる溺者をどうにかして岸まで引っ張りたいところだが手が出せない。さらに水中で転倒してしまいさらに状況が悪化した。そこにしらねが到着し、手を貸してくれる。小松島はいったん浮かび上がって息を継ぎ再び潜行。力尽き始めた溺者をふたりで両側から抱えて引きずる。数歩で水面から顔が出た。
「主はん、肩担いでんか」
「おう」
水から出た部分が多くなるほど重さが伝わってくる。人間本体の体重と合わせて100キロを超えているであろうから相当な重さになる。対岸から歓声が聞こえてきた。シチェルが呼んできた手助け要員であろうが、野次馬も多い・・・というか、ほとんどが野次馬だろう。
「よし、このへんでいいだろう」
「ほな脱がしまっか」
鎧を外して救命処置をとる必要がある。まずはヘルメットを外すと、まだ若い男の顔が現れた。続いて胸のプレートアーマー。これは背中側で革ひもを用いてしっかりと固定されており、少々手間取った。そこへシチェルが呼んだらしい魔法使いがボートで川を渡って到着。
「水を吐かせてください、そのあとでないと回復魔法が利かないので」
「え?ああ、そういう・・・」
この世界での溺者救助はそういう手順らしい。ちなみに、現在一般的に行われている胸骨圧迫による心臓マッサージや呼気吸入による人工呼吸はいずれも第二次大戦後の技術であり、小松島は勿論黄泉世界の住人も知るはずがない。腰から下の鎧はそのままにしておき、当時の標準的な心肺蘇生法であるシェーファー法を数回試したところで咳嗽反射が起きたのかむせ込みが起こり、その勢いで飲み込んだ水が吐き出された。
「覚醒の魔法を使います、患者を寝かせてください」
言われた通りにすると魔法使いは青年の額に手を当てた。すると青白い光が魔法使いの掌から発せられ、その状態が数秒続くと青年の体がぴくりと動いた。
「・・・念のため強めにかけておきます」
とのことでしばらく光を当て続け、十分だと判断したらしいところで止めた。
「ボートで向こう岸まで運びます、医師座には連絡を入れてありますので」
「わかった、手伝ってくれ」
小松島と魔法使いで青年をボートに運び、脱がせた鎧をしらねが持ってついてくる。4人でボートに乗り新大坂側まで漕ぎ寄せると拍手で迎えられた。




