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「あれはロープを投げようとしているのか?」
朝霜と帆船の甲板にはかなりの落差がある。だがちょうど羅針艦橋と帆船の甲板が同じぐらいの高さになりそうだ。すでにお互いの顔が見える程の距離に近づいていたが、どうも接舷を希望しているように見える。本来なら白兵戦の発生を考慮する場面であるが、どうみても相手にその意図があるようには見えないので小松島は警戒していなかった。その時、帆船に乗っている船長と思しき人物の表情が変わった。
(何だ?)
その慌てた様子が、船長周辺の人物にも伝わっていく。にわかにざわつき始めた様子がうかがえた。
「上等兵殿、艦橋後部に軍艦旗を掲揚しました」
中田がうまいこと工夫して、もぎ取られたマストに何とか軍艦旗をくくりつけたようだ。
「あ、それだ」
「は?何がでありますか?」
「連中の様子がおかしいと思ったら、どうも軍艦旗を見て騒いでいるようだ。しくじったかもしれんぞ」
こちらが日本艦だと気付かず接舷しようとして、その正体に気づいて慌てているとしたら。
「あいつらはやっぱりフランス人でありますか?」
「全艦、隣の帆船に注意!交戦の意志ありと疑う!」
拡声器で注意を呼びかける。何人かが慌てて25ミリ機銃に飛びついた。
「まだ撃つなよ!」
小松島はとりあえずしゃがみ込んで身を隠す。中田もその隣に隠れた。朝霜の艦橋には防弾板が取り付けられており、歩兵の携帯火器程度で撃ちぬけるはずがない。
「Otielu、Otielu! umia otton ugnnioog otiaf!」
帆船から慌てた様子で声が聞こえる。突然機銃を向けられて困惑しているようだ。
「今の聞き取れたか?」
「いえ、さっぱりであります」
相変わらず何語なのかはわからない。
「Utanaide!」
「・・・今のは?」
「聞き取れました」
「俺もだ」
日本語に聞こえる外国語というものもたまにあるが。
「Teki デワ ariマセン!Utanaide!」
「絶対に日本語だろ今のは」
「完全に日本語ですよ」
小松島はそっと頭を出して帆船のほうを見た。先ほどの船長らしき人物が両手を上げている。降参のポーズだ。小松島は意を決して呼びかけてみることにした。
「全員が両手を上げろ!」
しばらくして帆船の甲板にいた乗組員たち皆が両手を上げた。こちらの言葉が通じているようだ。
「どうします?」
「やっちまった」
投降の意志を見せた相手を撃ってしまえば、こちらが軍事裁判にかけられる羽目になる。その前に撃った場合はおとがめなしだったのに。
「メイジニッポンeripne ノ kaigunデスネ?Watashiタチ tatakaiマセン!」
たまによくわからない単語が混じるが、だいたいの意図は伝わる。小松島は決断することにした。
「全員、命令あるまで絶対に撃つな!」
拡声器で朝霜乗組員に呼びかけ、中田の肩を叩く。
「行ってみよう」
「え、どちらへ?」
「あっちの船だ」
状況が呑み込めていない中田はとりあえず小松島についてくる。小松島は開き直って帆船からよく見えるように姿を現した。
「乗船を希望する!」
帆船の船長は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに安堵の様子に変わった。
「Kangeiシマス!」
「ほれ、歓迎するってよ」
「本当に行くんですかー!」




