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第2話 狐の毛皮と忠義の老犬(2)


「なんだ今日は随分寝坊助だな」

「あら、いつもが早いのよ。おはようジャック」


 灰色の大きな犬が夫婦の元にしっぽを振りながら近寄る。頭を擦り付けると2人とも優しい手で撫でてくれる。それが嬉しくてジャックは毎日2人に撫でてもらうのが日課になった。


 けれど、いつからかその手はひとつになった。

 優しい小さな手はいなくなってしまった。


 たくましい大きな手は狩りをするとぐしゃぐしゃと撫でてくれる。それから懐かしい匂いのする冷たい石のところに向かう。ジャックはどうしてかそこに行くとしっぽを振ってしまうのだ。優しい小さな手が撫でてくれるのだと思って。

 それからジャックを撫でる手はなくなってしまった。

 似た匂いの人はいるのに、大好きだった2人はいなくなってしまった。

 冷たい石のところに行く前は狩りをしないといけない。

 狩りをすれば頭を撫でてくれるはず。頭を擦り付ければ撫でてくれるはず。そう思って懐かしい大好きな匂いのする石に頭を擦り付けても撫でてはくれない。

 ジャックはだんだん疲れて、狩りをすることをやめた。けれど石の前に行くことはやめなかった。約束だから。


「ジャック……、あの人のそばにいてあげてね。あの人は、寂しがり屋だから……わたしの分まで、そばにいてね。約束よ」



 ジャックは懐かしい匂いで目を覚ました。


「お、起きた」


 アルルカが墓の横にある空いた場所で鍋をかき回していた。鍋の中で煮えているのは牛の乳と人参、芋だけだ。トビーの好物だ。


「これ、ジャックと一緒のものを食べれるようにってトビーの奥さんが作ってたんだって」


 特別な材料はなかった。ただ、犬が食べれないものは入れなかった。簡素なシチュー。重要なのは半日じっくり煮込むことだけ。


「ん、美味しいな」

「チッ」


 ケープチップが自分も食べると手を出したので新しい木のスプーンで掬って渡してやる。


「チィ~!」


 美味しかったのかおかわりを催促するケープチップを窘めて使い古されたお椀と皿にシチューを盛り、お椀の方を墓に、皿の方をジャックの前に置いてやる。


「これなら食べれそう?」


 ジャックはくんくんとシチューの匂いを嗅いでからちろりと舌で舐める。何度かそうやって繰り返すのを見届けたアルルカは自分とケープチップの分をよそって食べ始める。器用にもケープチップは木のスプーンを自分で使って食べていた。持ち手が長いからか少し食べずらそうにしてはいたが。

 次は持ち手を削ったものを用意してやろう。アルルカはそう考えながらジャックに目を向ける。少しずつではあるがきちんとシチューは減っていた。


「ごちそうさま」


 アルルカが食べ終わるとジャックはすでに食べるのをやめていた。皿には4分の1ほどシチューが残っていた。そっと皿を下げるとケープチップがスプーンを持ってきひと一鳴きする。皿を置くと残りのシチューを綺麗に食べきった。


「ありがとう」


 流石に残りをアルルカが食べる訳にもいかず、かといって捨てるには気が進まなかった中、ケープチップのその行動は素直に有難かった。


「明日は雪は止みそうだな」


 澄みきった空を見上げてそう言うとジャックは目だけを空へ向けた。

 次の日、ジャックの姿は墓にはなかった。

 その次の日も。


 ジャックが再び姿を現したのは3日後のことだった。

 ジャックはその口にきつねを咥えて帰ってきた。そのきつねをアルルカの前へと置くとジャックはまたいつものように墓の前に座り込む。

 おそらくシチューのお礼なのだろう。もうあまり無理の効かない体を動かして狩りをしてきたのだ。

 アルルカはそのきつねを解体し、肉と毛皮にして売った。肉まで売れたのでそれなりの値段になっていた。

 様子を見に来た墓守はジャックが狩りをしてきたことに驚き、安心したように笑った。


「ジャックと貴方の関係って……」

「兄弟みたいなもんだ。トビーはガキの頃に親父を亡くした俺をよく助けた。育ててくれたって言っても過言じゃねぇ。俺にとっちゃもう1人の親父みたいなもんだった。だからかねぇ……ジャックのことはほっとけねぇんだ」


 ぶっきらぼうに頭をがしがし掻きながら墓守は答えた。


「チチィ?」

「ケープチップ?」


 アルルカから離れジャックのところにちょっかいを出しにいたケープチップが鳴いた。どうしてか、その鳴き声は話していた二人のもとへと届いた。

 嫌な予感がしたのか、墓守が走ってジャックのもとへとぎこちない動きの足を必死に動かして走る。

 やはり、足を怪我していたのかとアルルカはその後ろ姿を追いかけながら思った。歩く時に少しの違和感があっただけで、アルルカは自分の思い過ごしかと思っていた。墓守の話と今の姿で分かる。狩人に育てられたのなら狩人になる。

 それなのに今、大人しく墓守をしているのだ。なんらかのことがあって狩人を続けられなくなったのだ。


「ジャック!!」


 駆けつけた時、ジャックの息はか細くなって喉がヒュー、ヒュー、と音を鳴らしていた。

 ジャックは自分の名前を呼ばれ目を開ける。やっと、その人物が誰なのかわかった。

 大きな手がジャックを撫でる。ジャックはやっと撫でてもらえた。それだけで十分だった。

 兄弟のことは気になるけれど、この子は強い子だから。

 顔に寄せられた手をちろりと舐めると少ししょっぱい。トビーと同じような味がした。

 アルルカもジャックのそばにいき、膝をつくとジャックを優しく撫でた。


「偉いよ。さいごまで約束守ったな」


 苦しみも何も無いというような顔でジャックは目を閉じた。ジャックが目を開けることはもうなかった。

 アルルカは墓守にチャリッと音のなる小袋を渡した。


「これでジャックをトビー夫妻と同じ墓に入れてあげてください」

「あんたから金をもらうわけには……」


 小袋の中身がお金だとわかった墓守は受け取りを拒むが、アルルカは首を横に振る。


「これはジャックのお金です。見事なきつねの毛皮がこのお金に化けただけですよ。最後の彼の狩りの成果を使ってやってください」


 墓守は震える手でアルルカからそれを受け取った。


「そうか……。なら、受け取らせてもらうよ」


 ジャックが主人たちと同じ墓に入れられたのを確認して、アルルカは荷物を背負う。


「なあ、あんたの名前聞いてなかったな」


 村の外まで見送りに来た墓守はアルルカにそう言った。


「アルルカ。アルルカ・ミラ。それが俺の名前だよ」

「チィ!」


 ケープチップもアルルカに続いて名乗ったのか大きく鳴いた。


「アルルカ。あんたの旅が良いものであるように、祈ってる」

「ありがとう」


 アルルカとケープチップは歩いていく。風車だけが遠くからも見えていた。

 アルルカの後ろをケープチップは追いかける。その姿を振り返ってアルルカは見た。その視線に気づいたケープチップはアルルカを見上げ首を傾げる。


「人間と一緒にいるなら、タグ付けしないとダメなんだよ」

「チィ!」

「大きい街ならずっとつけてないと入ることすらさせてもらえない」

「チチィ!」

「付けるときすごい痛いらしいよ」

「ヂッ!?……チィ!」


 ケープチップは痛いという言葉にだけ少し嫌な反応をしたが、それでもアルルカと一緒に行くという意志を曲げなかった。何がそんなにもケープチップの心を動かしたのかは分からないが、アルルカをすでに主人と認めてしまっていた。


「……一緒に行こうか」

「チィ!? チチィ!」


 アルルカはジャックと出会って墓守と出会って昔を思い出した。

 アルルカにも兄のような存在がいた。ルナルスの相棒の金剛狼(こんごうおおかみ)のコカブだ。ジャックよりも大きな体躯で額金剛という模様が特徴の美しい狼。リチェルカのお供として有名なこの狼がルナルスの相棒だった。

 アルルカがルナルスに拾われた時にはすでにおじいちゃんになっていて数年しか一緒にいられなかったが、兄のように、親のようにコカブはアルルカのそばにいた。

 ジャックを見ていてその時のことを少しだけ思い出し、ケープチップに心が揺れた。


「師匠とコカブみたいな相棒になれたらいいな」

 

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