第5話 ホシノメ(1)
山を降り終われば自然だけの世界が続く。
小さな村はところどころあれど、泊まれそうな大きさのところはない。
時折開けた場所があるが、それはリチェルカたちが休憩したりテントを広げ泊まれるようにとリチェルカ協会が設けたものだ。支部を置けるようなところがないところはこういった処置が取られる。眠るだけ休むためだけのこの場所は誰が言い始めたのかザックエリアと呼ばれている。
リチェルカは記録を撮り、協会はそれをサポートする。記録は研究に使われて様々な分野に活かされていく。時には人から頼まれてその土地の調査をすることもリチェルカの仕事だ。
長い年月をかけて協会はリチェルカのために環境を整えているが、それでもこの広すぎる世界全ての場所に支部を置くことは出来ない。
「ザックエリアはリチェルカ協会がやっていたのですね」
先客が1人いたその場所にアルルカとエレインはそれぞれテントを立てる。
「これのおかげで旅がしやすくなって旅が辛くてやめる人も少しだけど減ったらしい」
このザックエリアはリチェルカだけでなくリチェルカではない旅人や商人も利用している。しかし、誰が切り開いているのかは明言されておらず昔からの商人はこんなことをするのはリチェルカだと当たりをつけて年に1度リチェルカ協会へ寄付を行うが、若い人たちの1部は疑問に思うこともなくただ便利な場所だとただ恩恵を受けているだけの者も多い。
「どうして大々的にアピールしないのでしょう? した方が寄付も増えるのでは?」
「本部についたら聞いてみるといいよ」
「おふたりさん、リチェルカかい」
ザックエリアの先客である老人が話をする2人へと声をかけた。
白髪の髪と髭の老人は穏やかに笑いトラトスと名乗った。
「リチェルカと会うのは久しぶりだ。この老いぼれの話し相手になってはくれないか」
「よろこんで」
「あの、私はリチェルカではなくて……」
「ほぅ。しかし、旅をするのならリチェルカの話はためになる。お嬢さんもどうか付き合っておくれ」
「私で良ければ是非、ご一緒させてください」
3人は焚き火の用意をしてその周りを囲むように座る。
火をつけるにはまだ空は明るかった。
話に付き合ってもらうお礼にと今晩の食事はトラトスが用意してくれるという。
「最近の携帯食は美味しいからねぇ。あまり料理の腕は期待しすぎないでおくれ」
食料を分けてもらう上に調理までしてくれるというのに文句などあるわけがない。出来たての食事が取れるだけでもありがたいというものだ。
「ささ、アルルカくん。君の話を聞かせておくれ」
「とは言っても俺はまだ新米だし、ひとりで新発見した場所はないんだ」
「十分だとも」
アルルカはこれまで旅をしてきた中でも印象のある旅をいくつかトラストへと語り始めた。
アルルカが9歳の頃、ルナルスに連れられ初めて遠出の旅に出た時のことだ。その頃はまだルナルスの相棒の金剛狼のコカブも共に旅をしていた。
それは寒い地域で辺りは1面雪が覆っていた。
暖かいコートと手袋にマフラー、更には耳あてをしていても口から出る息は白く顔に当たる風は痛いほどに冷たい。
着いた街は寒いにも関わらず人が栄えていた。迷子にならないようにとつけられた迷子紐がルナルスと繋がっており、アルルカはキョロキョロと回りを見ながらもルナルスについて行くことが出来た。
「師匠、まって、師匠、」
「あ? どうした」
ルナルスの手をくいっと引っ張ってその足を止めたアルルカは何か見つけたようでよそ見をしていた。ルナルスはしゃがみこみアルルカと同じ目線になる。
「あれ」
アルルカが指を差したところを見ると暗い紺色の毛をした羊が牧場の中にわらわらと集まっていた。
「夜光羊だな」
「もこもこ」
「見てくか?」
こくりと頷くアルルカの目はずっと夜光羊に釘付けされている。
近づくと想像よりも大きな夜光羊にアルルカは驚いた。通常の白い羊よりも大きな夜光羊は発育の悪かったアルルカよりも背が高く軽く見上げるほどだった。
「毛刈りの時期だから今が1番大きいんだよ」
夜光羊の後ろから大柄な男が見学をしていたアルルカたちに話しかけた。
「リチェルカさんのローブにも使ってもらってるよ」
ルナルスの着ていたローブの裏地にこの夜光羊の毛から出来た布が使われていた。
「でも師匠寒くないとこでも着てる」
「それがこの夜光羊がリチェルカのローブに使われる理由さ」
牧場主はぱちんとウィンクをした。
夜光羊の毛は特殊で温度によって密度が変わる。寒いところでは膨張するが反対に暑いところでは縮小する。そのため寒いところでは風を通さず暑いところでは風通しの良い上着を作ることが可能なのだ。
説明を聞いたアルルカはルナルスのローブを捲り内側の生地を触る。その手触りは質のいい毛布のようだった。
「ふわふわつるつるしてる」
さわさわとその質感を堪能するとアルルカは首を傾げ自分の防寒具のポンチョと耳当て付きの帽子の質感を確かめる。
帽子はもふもふとした生地だが、ポンチョの生地がルナルスのローブと似た手触りなことに気づき自分のポンチョをペタペタと触り、次にルナルスのローブの内側を触りを幾度か繰り返しその触り心地を比べる。
「一緒だ」
そんなアルルカの姿を牧場主は溶けたような笑顔で見ていた。
「お父さんと一緒だねぇ」
でれでれとした顔をそのままにアルルカに話しかけるとアルルカはその大きな瞳を牧場主へと向ける。
「師匠だよ」
「そっかぁ。……ん?」
覗き込むように牧場主はじっとアルルカの瞳を見た。
「驚いた。坊やの目は星空みたいなんだな」
新しい発見に頬を紅潮させたアルルカの黒い瞳の中には先程はなかったキラキラと光る金と銀の光のようなものが浮かび、それはまるで星々が照らす夜空のように見えた。
「星空……?」
自分の瞳がどうなっているのか気になったアルルカはそっと自分の瞳に触れるがよく分からず首を傾げる。
「アルルカ」
ルナルスの手がアルルカの瞳を覆い隠す。その間にルナルスは牧場主と何やら話をしているようだったが、内容はアルルカまで届くことはなく話が終わるとルナルスの手が外された。
ぱちぱちと瞬くアルルカの瞳は普段通りの黒い瞳に戻っていた。
アルルカはルナルスから牧場主と話があるからコカブと共に夜光羊と遊んでいろと言われ、ルナルスの視界の範囲内で夜光羊と戯れる。
目の前で膝を折り体を寄せた群れの中でも大きく老齢な夜光羊の毛に手を伸ばすと、もこもこと中まで手が埋まっていき、アルルカの肘あたりまで飲み込まれていった。
「すごい……!」
加工をしていない夜光羊の毛は少しばかりチクチクとするが手触りが良く、風も入らないため埋まった腕が暖かい。
この感動を誰かと分かち合おうとコカブを探すとコカブは牧羊犬に周りをぐるぐると回られていた。キャンとひと鳴きした牧羊犬の頭をコカブは大きな手で抑えガウッと鳴くと牧羊犬は大人しくなる。どうやら完全に上下関係が決まったようだった。
両腕を夜光羊に突っ込んで半分ほど埋まっているアルルカの服の裾をコカブは軽く口で引っ張り距離を取らす。
夜光羊とコカブが数秒見つめ合うとコカブはアルルカから少しだけ離れ伏せる。
「まだ遊んでていい?」
「ガゥ」
コカブに確認を取ったアルルカはまた嬉しそうに夜光羊に抱きついた。あの数秒の見つめ合いで通じるものがあったのかコカブは夜光羊はアルルカを傷つけないと判断したのだろう。
夜光羊を触ったり観察したりしているアルルカの本にまだ若く他の夜光羊たちよりかは小さな夜光羊が近づく。
「どうしたの?」
若い夜光羊はアルルカの手に頭を擦り付けたり舐めたりと好意的な反応をした。老齢な夜光羊とメェメェと会話をするとアルルカの前に跪き首を曲げて背中を向く。
「乗っていいってこと?」
「メェ!」
アルルカは恐る恐る夜光羊に跨り、夜光羊の首に付いていた首輪を掴む。アルルカが乗ったことを確認した夜光羊はゆっくりと立ち上がりその場でくるくると回った。
「おおお……高い……」
「メェ」
「わわっ、ゆっくり、ゆっくり走って」
感動するアルルカに嬉しくなったのか夜光羊は小走りをするも、いきなりの振動で体勢を崩したアルルカに首輪を引っ張られる。
「メェッ」
老齢の夜光羊が注意するように鳴くとアルルカを乗せた若い夜光羊はしゅんとして立ち止まる。
「ゆっくりなら大丈夫だよ」
落ち込んだ夜光羊を撫でてやれば耳をぴるると震わせゆっくりと牧場内を練り歩く。慣れてくると揺れないように気をつけながら小走りをした。きゃらきゃらと楽しげに笑うアルルカの瞳は先程と同じようにキラキラと星空のように輝いていた。
「じゃあやっぱりあの子は……」
「……そうだ」




