from TOKYO to HIROSHIMA レイジング・ガール part2
「やれやれ、もう途絶えたと思っていたのに。よりによってアンタに"力"が出ちゃうとはねえ……」
二人暮らしのマンションに帰ると、母親はバラの花が描かれたお気に入りのロイヤルアルバートのカップに、とっておきの日にしか飲まないとびきり高い紅茶をゆっくりと注ぎながら、ため息とともにつぶやいた。
「……ママ、"力"ってなに?あたし、どうしちゃったの?」
自分に何が起こったのか、皆目見当がつかず不安なアンは母親の顔をのぞき込むようにたずねた。
母親はじっとアンの瞳を見つめると、静かな声で語り出した。
「いつかは話さなければいけないとずっと思っていたけれど……。これは、あたしたち一族だけに受け継がれてきた、秘密の力」
「あたしたち、一族……?」
「そう。あんたの曽祖母ちゃん、あんたと同じ名のアン・ウォルズリーに流れる英国貴族ウォルズリー家の血を受け継ぐ人間だけが持つ、魔法の力よ」
「……魔法?あたしって魔法使い?じゃあ、ママやおばあちゃんも魔女なの?!」
「いいえ。この力は一族の中でも強い者と弱い者があり、ママやおばあちゃんには、ほとんど受け継がれていないようなの」
「えーそうなの?そんなのカワイソウ!」
「可哀想?……あんた、さっき自分が何をしたか、もう忘れちゃったの?」
「あ……」
あわや大惨事となりかねない出来事を思い出し、アンは下を向いた。
「この力はね、人を幸せにも不幸にもする、危険なものなの」
アンの母親は自分自身を落ち着かせるようにゆっくりと紅茶を飲むと、話を続けた。
「おばあちゃんのお兄さんー大叔父の太郎さんは、それはそれは強い魔法の力を持っていたそうよ」
「ご本にもなっている、吉岡・アーサー=太郎おじちゃんだよね⁉あれって、本当のお話しだったの⁉」
「あの本に書かれていることは、ある程度は本当の話よ。大叔父さんは、生まれつき自分の母親である曽祖母ちゃん以上の凄い魔力を持っていたために、わずか十歳で家族と別れてイギリスに渡って実家を継がなきゃいけなくなったのよ。それでも本当に幸せだと思う?」
「………………」
「ママも、おばあちゃんからこの力について話を聞かされた時は半信半疑だったわ。おばあちゃんも、曽祖母ちゃんに実際に魔法を使うところを見せられるまでは、とてもじゃないけど信じられなかったと言ってた。
……様々な事情があったそうだけど、曽祖母ちゃんは幼い息子を手放さなければならなくなった事、不幸にしてしまったことを後悔しない日は無かったそうよ……」
室内に、しん……とした空気が流れ、アンの母親は声を詰まらせ、そっと目じりをぬぐった。
「だから、アン。おねがいだから約束して。
魔法は絶対に使っちゃダメ。今日のように怒りに任せて使ってしまうと、一歩間違えれば命にかかわるような取り返しのつかないことを引き起こしてしまうわ」
「う、うん……でも、今日だって、知らないままにあんな事になったし、どうすればいいかわからないの」
「ママがおばあちゃんに聞いたのはね、まず感情に流されないこと」
「……感情に流されない?」
「そう。自分の感情をコントロールすることをあなたは学ばなければいけない。
そしてもう一つ大事なことは、ネガティブな願いを言葉にしないこと」
「ネガティブって……悪い言葉を口にしたら、ダメってこと?」
「言葉には特別な力があるの。特に、ウォルズリーの血を引くものの言葉には、ね」
「じゃあ、あたしが今日言ったような、死ね、とか、嫌い、とかは……」
「絶対ダメよ!」
母親の言葉が、ひときわ強く大きくなり、アンはビクッとなった。
「強い言葉は人を傷つけ、そして自分自身を傷つける」
母親は改めてアンに向き合うと、ぎゅっと手を握って強い口調で語りかけた。
「約束よ、アン」
「うん、ママ。わかった、約束する」
そのつもりだったんだけどなあ……携帯から溢れ続ける怒鳴り声を聴きながら、アンは途方に暮れていた。
「ところでアンタ、どこにいるの!」
「えー……」
「アンタの事務所やマネージャーからもずっと電話が入っていて、こっちも大変なんだから!もうすぐ店も開けなきゃいけないのに、仕込みもできゃしないじゃないの!」
アンの母親は小さいながらも創作割烹とも呼ぶべき飲食店を営んでいて、そこで提供されるメニューは和食をはじめイギリスやフランスなどヨーロッパの家庭料理までバラエティに富んでいて、連日人気を博しているのだ。
「あー、迷惑かけてごめん、ママ!あいつらには昨日のうちにもう事務所辞めるって言ってあるんだけど、しつっこくてさあ……」
「ちょっとアンタ、なんで簡単に辞めるなんて言うの!」
母親の怒りのボルテージが、最高値を更新したようだ。
「パリやニューヨークみたいな海外のショーで活躍できるようなモデルになるのが昔からの夢じゃなかったの?」
「……」
「ママみたいになりたい、ママが経験したような景色を自分も見てみたいっていうから芸能事務所に入るのも許可したのに!」
「……だってえ」
「とにかく!アンタ、今、どこにいるの!」
「……新幹線の中」
「……は?どこ行く気なのよ?」
「曽祖母ちゃんのお家……」
「曽祖母ちゃんのお家って、まさか……広島の尾道!?何しに!?」
あなたがブチ切れているのが分かっているから逃げているとは、口が裂けても言えないアンだった。
「アンタ一回も行ったこともないでしょう?第一、あそこは今じゃ住む人もいない荒れ果てたお化け屋敷みたいになってるのよ!」
「違うよ、キレイにリノベして、ホテルになるって!だからぜひ来て欲しいって招待状が届いてたもん!」
「招待状……?ちょっと!そんなの誰から?」
「知らない!もう切るよ、ママ!」
「ちょっと、アン!杏奈!こら!」
どうやらアンは着信拒否の設定をしたようで、それ以降は何回かけても電話は繋がることはなかった。
「あーもう!本当に昔からあの子は、言い出したら聞かない鉄砲弾なんだから!」
金髪に割烹着スタイルの母親は、自分の店の厨房で通じないスマホを握りしめながらじっと考え込んでいた。
「でも、どういうこと?……ホテルって、あのお化け屋敷を?しかも招待状って……あの子とアンおばあちゃんの関係は公にはしていないし……イギリスの実家とは連絡も取っていない。
第一、今のあの子の住所だって秘密のはずなのに……いったい、誰がどうやって調べたっていうの?」
コンロにかけられた大鍋のぶり大根も、オーブンの中の貝柱のテリーヌもすっかり火が通り過ぎてしまっていた。